質問148:狙ったところに打つには? 速いボールに対処するには?
回答
▶スペインドリルの「ディレクションチェンジ」
ラリー練習で2対1の1に入り、2人を相手に交互に打ち分けるコントロールならできるけれど、試合になると途端にコース変更や打ち分けができなくなるというプレーヤーは、少なくありません。
結論から言うと、「狙うコースの早期決定」がポイントです。
冒頭の2対1の1の話でいえば、必ず交互に打つというコースの方向づけのこと。
スペインドリルでは「ディレクションチェンジ」と言われる要素です。
▶「決めて」おけばミスしにくい
ポイントを競うゲーム形式でも(勝てるかどうかは別として)、自分のところにボールが来たら、必ず相手の前衛と後衛へ交互に打つなどと「決めて」おけば、案外打ち分けは、できてしまうものなのです。
自由に打てるラリーではミスが多いプレーヤーであっても、少々強引であっても、逆にディレクションチェンジすると「決めて」おいたほうが、ミスしにくいプレーヤーもいます。
▶「決めてない」から「定まらない」
いちばん難しくなるのは、「どこに打つのか自分でも分からない」「とりあえず打ち返す」という対応。
自分でも分からないのですから、コントロールのしようもありません。
つまりどこに打つか「決めて」ないから、コントロールが定まらないだけなのです。
ところがそうであるにも関わらず、ミスしたあとに「なぜコントロールできなかったのだろう……?」と、考え込んでしまうプレーヤーが少なくありません。
▶「こっちに打とう!」はNG
これっておかしな話ですよね。
だけどここからがポイントなのですが、打つ瞬間に「こっちに打とう!」と、してはいけないのですね。
方向づけの話をしておいて、「こっちに打とう!」としてはいけないとは、どういうことか?
それは、打ちながら考えてしまっているという点でNGなのです。
▶決定が早いほど、ボールに集中できる
いつも申し上げているとおり、プレーしながら思考しては、ボールに集中できません。
どうすればいいかというと、相手が打った直後には(あるいは自分が打った直後にも)「ここに打つ!」という方向づけをし、あとは考えないで、ボールに集中。
この決定が早ければ早いほど、打つときには(打つ前から)ボールにだけ集中できる状態が整います。
逆に言えばボールに集中できない原因は、打つときにコースを決めていないから「考えてしまう」とも疑われます。
そのための取り組みとして、「宣言練習」があります(関連記事「驚異の宣言練習!」)。
▶「速い!」と思ったらアウト
2つ目のご質問につきまして、スピードボールに対して目を逸らしてしまうのは、ボール(のスピード)を「怖れている」からですね。
これは何も、直接的にボールが体にぶつかって痛い思いをする怖れのことを言っているのではありません。
それももちろんあるかもしれませんけれども、むしろ、「このスピードボールをちゃんと返せるだろうか」「手を出したらミスるんじゃないだろうか」というビビりに近い怖れ方(関連記事「「打ちビビリ」がほぼ無くなりました M.T.さん」)。
結論を言うと「速い!」と思った(考えた)時点で、心も体も委縮するからアウト。
ですから適切な「ボールの見方」ができるようになることが、まずもって大切なのです。
▶「見えない」と体感的に速く感じる
スピードとスピード感は違います(関連記事「『スピード』と『スピード感』は違う」)。
ボールに集中すれば、体感スピードは相対的に遅くなりますが、逆に言えば集中していないと、体感スピードは速くなってしまいます。
ですが多くのプレーヤーは、その速く感じる状態が「普通」と思っているため、これではテニスを難しいと痛感するのも無理のない話です。
いつも同じ例で恐縮ですが、怖いからと言って目をつぶってジェットコースターに乗ると、その体感スピードは強烈に速く感じられます(関連記事「焦るから集中できずに『ますます焦る』悪循環」)。
それに比べて目を開けてよく見ると、体感スピードは遅い。
テニスでボールのスピードを速いと思う(考える)プレーヤーは、目をつぶった見方に近しい体感スピードになっているのです。
スッスと消える(見えていない)から、急速に手元へ飛んでくるような恐怖感に見舞われるのです(関連記事「ボールが『スッスと消える』」)。
この世に速いボールなどないのです(関連記事「『速いボール』はない」)。
▶「暑い暑い」と主観的になるから暑苦しくなる
主観的に「速い!」と見るのではなく、客観的に「速さ」として見ます。
「暑い暑い」と主観的に感じればますます暑苦しくなるのだけれど、「暑さ」として客観的に捉えれば、そこまで苦しまずにすみます。
たとえばバドミントンのスマッシュや、卓球のラリーのような、もっと速いスピードですら、「観客」として見ている分には、速いと感じてビビったりしないわけですから。
▶「怖れている」と気づくことが出発点
「自分がスピードを怖れている」と気づくことが出発点。
怖れている自分を自覚できた時点で、すでに恐怖心は少し和らぎます。
それは、怖れるというのは主観的であるのに対し、気づくことで客観的に見られるようなるため(メタ認知)、怖れている自分を文字どおり「客」として「観」ることができるという理由によります(関連記事「他人事だから「客観視」になる」)。
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