心の奥を抉り出す傑作アニメ映画「聲の形」で思い出したあの頃の鈍い痛み。
この映画を見て思い出した苦い過去がある。
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【概要・あらすじ】
「週刊少年マガジン」に連載され、「このマンガがすごい!」や「マンガ大賞」などで高い評価を受けた大今良時の漫画「聲の形」を、「けいおん!」「たまこラブストーリー」などで知られる京都アニメーションと山田尚子監督によりアニメーション映画化。
脚本を「たまこラブストーリー」や「ガールズ&パンツァー」を手がけた吉田玲子が担当した。
退屈することを何よりも嫌うガキ大将の少年・石田将也は、転校生の少女・西宮硝子へ好奇心を抱き、硝子の存在のおかげで退屈な日々から解放される。
しかし、硝子との間に起こったある出来事をきっかけに、将也は周囲から孤立してしまう。
それから5年。心を閉ざして生き、高校生になった将也は、いまは別の学校へ通う硝子のもとを訪れる。
【映画感想/シネマエッセイ】
この映画を見て思い出した苦い過去がある。
心の奥がキュッと痛むようなあの頃のこと。
この映画は一見、障害を抱く女の子と元いじめっ子、今いじめられっ子の恋物語かと思って観始める。
でも、その入り口を超えて普遍的な痛みの昇華の物語だということがわかる。
心の内奥を抉られ、観終わっても心が揺さぶられ続ける真の名作だと思う。
最初は6年前に高校に入学する長男と、中学に入学する次男と一緒に観た。
冒頭からいじめの辛い描写が続き、次男は離脱して、スマホゲーム荒野行動を始めてしまった。
最後まで観るにはそれなりの耐性を強いられる映画かもしれない。
長男と私は固唾を呑んで、最後まで見つめ続けた。
そして終わって、しばし沈黙の後、見合った。
「凄い映画だった」
私も長男もしばらく黙っていた。
私は中学、高校時代を思い出していた。
私は中高の頃、合わない人とは一定の距離感を置いてきた。自分を守る処世術として。
でも本当はその人の表面だけを見て、固定概念で決めつけていたように思う。
ひとりひとりのその心の奥をじっと捉えて、受け止めていく。それが10代の時にはできなかった。
この映画の主人公の彼のもがきはそんな私の10代の頃の鈍い痛みを想起させてくれた。
私は重いいじめを受けたことは無い。
ただこの映画を観ていて思い出したことがある。
中学に入った後すぐ校舎3階の廊下の窓際に腰かけていたら
学年で一番身体のでかいラグビー部(私がいた中高一貫校はラグビー花園常連で学園ヒエラルキーのトップに常に君臨していた)の男がいきなり
冗談のように私の身体を持ち上げ、3階の窓の外にぐっと押し出す(私は全く冗談とは思わなかったが)という暴挙に出た。
気づくと世界は反転し、真っ青な青空から地面に景色が変わった。私の体は完全に反っていて落ちる恐怖に全身が包まれた。
しかし彼はしっかり私の下半身を抱き抱えていたので落ちることはなく、廊下側に引っ張られ着地し倒れ込んだ。
私は根っからの高所恐怖症。
心底ゾクッとしてその後震えが止まらなかった。
彼はにやっと笑ってその場を離れたが、私はしばらく動けなかった。
身体の芯が冷えていくような感覚の中、燃え上がる感情が湧き上がった。
私はあいつを決して許さない。
自分の尊厳が傷つけられたと感じた。
そしてそれから中高一貫の6年、私は彼に話しかけることはなかった。
そして二度とそんなナメたようなことはさせないと誓った。
行き集団登校バスでも一番後ろにラグビー部の連中が占拠しても堂々と割って座った。
野球部を続けレギュラーを保持し、成績は文系TOPを続け、学年における自分の立ち位置を明確にした。
「そして二度と俺に手を出すな。舐めた口もきくな」と目があえば睨みつけた。
彼以外の皆にはいつもにこやかに接した。私は自分の周りに壁を作った。
彼は私と目が合うと逆に目をそらすようになった。
当時はそれでいいと思っていた。それでしか自分は保てないと思っていた。彼も相変わらず別のターゲットをいじっていた。それはいじりを超えたいじめのように私には見えた。それでしか自分を保てないようだった。
でも、結局彼は本当に冗談のつもりだったかもしれない。私が彼を一切受け入れなかっただけなのかもしれない。
この映画を観ていたら彼に少し申し訳ない気持ちが溢れてきた。
ただ当時はそれほどに頑なだった。
卒業間近に、彼が私におずおずと話しかけたことがある。でも私は「ああ」とだけ呟いて、彼を受け入れることはなかった。
なんたる己の小ささよ。
25年も忘れていたことをこの映画を観ていたら思い出した。自分のその偏狭さを。
今、もしその時に戻れるなら、私は彼を受け入れられるだろうか。
この映画は普遍的な映画だ。
皆、観る人をあの時の痛みを思い出させ、今の自分の奥も照らす。
辛いいじめを受けた人も、いじめをした人も、傍観決め込んだ人も
そういったことまでいかなくても、あの頃、全ての人は人間関係の立ち位置一つで自分の身の置き所が変わってしまう緊張感を味わったことと思う。
その人その人の経験によって、抉られるポイントがある普遍的な映画だと思う。
後半、主人公の彼が辿り着く心境に涙が溢れた。
もっと大きく、深く、包める人間になるには、どうしても強さが必要だ。
この映画で問われている勇気と痛みと覚悟は10代のものだけではない。
きっと人が命終えるまで試される人間的成長を描いている。
こんな難しく繊細な映画を忍耐強く製作しきった京都アニメーションのクリエイターたちに賛辞を送りたい。
私の息子たちも親には見せない学生生活の繊細で時に緊張感がある人間関係を味わったことだろう。
きっと痛みや葛藤を抱えることはこれからもあるだろうけれど、そこも含めてまるごと青春全部を生きてほしい。
そして決してあの時の私のように表面でその人間を決めつけるようなことはしないで欲しいと思う。
難しいことではあるけれども。
この映画はそんな自分と相手の心の奥底を正直に見つめるという、本当に難しいことに挑む勇気を与えてくれる。