あなたは障がいというものにどのような感情をお持ちですか?
てんかんは障がいであるということはだれが決めたのでしょう?
それともだれかが障がいというのを決めるのではなく自分で決めるのかな?自分はてんかんはもちろん様々な症状がありますので一概には言えませんが自分のてんかんは障がいではないと思ってます。
障がいとは周りが評価のひとつとして~ができない、~ができなくなるという概念の上、それをまわりの人が評価の一部としてしてるだけなのではないかと思う。
自分自身が障がいと思わなければ ” それ ” は障がいではなくなると思う。先日書いたいじめのことも自分はあまりてんかんのことでいじめを経験していません。逆に助けてくれる仲間のほうが多かったです。
それはどのようにしてできたか?
簡単です。自分の病気を話し、理解者を少しでも増やす努力をしたことです。ですがこれってけっこうむずかしいんですよね。自分の病気を話してそこで
嫌われたらどうしよう…。 いじめられたらどうしよう…。
いやぁよくわかります。だって怖いですよ。ですがいまの時代なにもコンプレックスを抱えてない人もいないんじゃないかなと自分は思います。なので自分はしっかり仲間には伝えました。
なにより一番にくるのは自分の安全でした。もし発作が起きてしまったら正直意識もないのだから嫌われるとかないですし、いじめれらることもわからない。わからないことに悩んでもしょうがない。時間がもったないのでね。
こんな風に考えが、メンタルコントロールができるようになりました。でもこんな大人な考え方できるような中高時代ではありませんでした。また中高生時代については後程。
また自分のように活発な人間が突然意識消失で倒れるという現実をみるとみなだいたい助けてくれました。自分はまだ運がいい方だと思います。先日書いた記事で手を差し伸べる、助けるということについても。
手を差し伸べる、助けるという行為がなんだか恥ずかしいとかって思う人もいるのかもしれません。サッカーをやっている関係で救急救命介護の講習など赴くことがありましたがみななかなか恥ずかしがって行いません。
ですがリアル熱中症などぶっ倒れるとみんな飛んできます。そんないらないでしょっていうほど。リアルでないと人はなかなか動かないんだなと思いましたし、やっぱ事件は会議室で起きず現場でおきるんだなと(笑)
てんかんという病気を経験しヒトを観るという能力を他の人より長けているとは思います。大人になりどんな人でも病気の事は話してません。
なぜか?
さまざまなひと、大人はいて自分の病気を手助けしてくれる人なのかどうかという判断基準で話してます。
最近ではSNSが一般的になりそういった場所もあります。場所というか空間かな。顔も知らない、けど信頼はできるという場所であったり居場所を求めて毎日のようにログイン。
いけないわけではないけどそればっかになってほしくないという自分の希望です。あくまで社会で何を求められているのかというと今後は必ず必要な能力っていつまでも変わらないけど『コミュニケーション能力』って絶対大事
今までも話す能力はてんかんにならなかったら磨かれなかった。
今後もこの能力に磨きをかけていきたいね。ということで今回はここまで。読んでいただきありがとうございます。よければコメントお願いします。
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