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「フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書」(シャルル・ペパン、2023)

アランは、デカルトが「行動の世界」と「形而上学的真理の世界」を区別していることを例にとり、「行動の秘訣は、行動を起こすことだ」と書いている。
行動の世界において、私たちはその選択の意味や結果を確信することはできない。
だが、疑念を抱きつつも行動する勇気、つまり、はっきりしない部分に一歩踏み出すことが重要なのだ。
だから、私としてはデカルトと同様、あなたにこう言いたい。
自分が何を目指すべきか本当の意味で知ることは難しい。
でも、何が正しいかわからなくても自分で選ぶことはできる。それがあなたの強みなのだ。

22ページ

コンフォートゾーンに飛び出す勇気。
なかなか出せないですが、VUCAと呼ばれる現代では必須ですよね。
学校現場が、一歩踏み出せるように引っ張っていきたいです。

哲学は人生に意味を与えようとはしない。
思考のメソッドを教え、問いかける姿勢を説くだけで、人生の意味や特別な能力を与えるわけではない。
人生の意味は各人が自分で探すべきものなのだ。
というのも、そこには私たちの自由や自立といった問題が含まれており、先述したように、ある種の努力を重ねた結果、たどりつくべき答えだからだ。
人生には意味がある、生きる価値があると感じるためにはどんな能力がいるのだろう。
哲学は意味を探求する。少なくとも人間が生きる意味や世界、歴史の存在理由を考え続ける。
だが、答えを見出せないときもあるし、ニーチェのように真実や意味を渇望しても決して得られないことを受け入れよと諭す哲学者もいる。

74ページ

「人生の意味は各人が自分で探すべきもの」
先ほどの行動の秘訣とともに、背中を押してくれる言葉です。
そして、哲学もその背中を押してくれる存在なのかと思います。
だからこそ、哲学を学ぶ意味があると思うし、
子どもたちにも学んでほしいと思っています。

強制とは外から無理強いされるものであり、義務は自分の内側から来るものである。
もし私が反抗的で、反社会的な人間なら、法的な義務(収入を申告し、期限までに納税すること)でさえも、純粋に「強制」となる。
私がごくあたりまえの市民であるならば、進んで法的義務を受け入れるだろう。
確かに国は私に納税を要求するが、私はそれを自ら自分に課し、義務として受け止める。
これこそが文字通りの法的な「義務」である。

147ページ

「義務」と「強制」は紙一重ですね。
どちらかと言うと、私の指導はこれまで「強制」と生徒が感じるものだったと反省しています。
育てたい生徒のイメージ(ゴール)は、納税を「義務」と自ら捉えられる市民な訳ですから、
当然ながらそこに至るアプローチは変わるべきです。
過去を否定するわけではありませんが、変わっていきたいと強く感じています。

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