「誰も知らない小さな国」は目の前にある
本を読みながら、その内容と自分の周囲とが似ていると気づいた経験が何度かある。
たとえば、小学生の頃、『はてしない物語』を読んでいて、主人公の読んでいる本と同じ本を読んでいる!と思ったときはぞくぞくした。
そんな感覚を初めて味わった、とびきりの経験について書いておく。
『誰も知らない小さな国』は図書館にあった
小学校の図書館は、どこにどんな本が並んでいたのか、今でもよく覚えている。『誰も知らない小さな国』は友達に勧められて読んだ。なぜかSFコーナーと推理小説コーナーの間に挟まれていた。この本棚に置いてあるSFと推理小説はすでに読破していて、別の本棚にあるSFを読み始めていた頃だったので、友達が勧めてくれなかったら、私はこの本のことを知らないままだっただろう。青い表紙にかわいい挿絵がついていた。今まで読んだことのないタイプの本だった。
当時、やっと私は「勉強部屋」を手に入れていた。北向きの部屋で寒かったが、自分専用の勉強机を手に入れたのは嬉しかった。部屋の明りはつけず、勉強机のライトの明りだけで読みすすめていった。
話は戦前から始まる。少年だった「私」は、山の奥の小さな空き地を見つけ、そこを自分だけの秘密の場所にしようとする。何度も通っているうちに、そこに身長3cmほどの小さな人が住んでいるという伝説があるということを知り、興味を持ったものの、別の町に引っ越すことになる。戦争も激しくなっていった。
戦後、成人した「私」は再び子ども時代の秘密の場所を訪れるようになり、「小さな人」がアイヌの伝説にある「コロボックル」ではないかと考えていろいろ調べ始める。フキの下にいる小人のことだ。
やがて、やっと小人たちは姿を表す。ニンゲンの中で、自分たちの味方になってくれる者を、小人たちはずっと探していた。「私」が味方になれるニンゲンかどうか、彼らはずっと吟味していた。大丈夫!となったところで、彼らは姿を現した。夜、秘密の場所を訪れた「私」の前に、3人の小人―コロボックルたちが現れる。「私」は心の底から震え、感動する。
ここは「誰も知らない小さな国」
「私」とコロボックルたちが対面した時、私は本の前に広がっている風景を眺めた。机の上のライトだけが灯っているだけで、あとは真っ暗だった。北側なのに大きな窓があって、外がよく見えた。
我が家は田舎にあるとは言っても集落の中にある。断じて「ポツンと一軒家」ではない。しかし、家の北側には、当時何もなかった。日陰にはフキが生えている。あとは田畑と木々しかない。秋のことで虫の音が聞こえた。農業用の小川の音も聞こえる。
自分が本の中の世界に入り込んだようだった。どこからか、私の机の上に小さな人が転げ落ちてきて、「やあ」と言いそうな気がした。
あのリアルな感覚は、今までの読書経験の中でも稀有のものだ。
『誰も知らない小さな国』は思い出の中にある
これをきっかけにして、私はコロボックルシリーズを読破し、他の佐藤さとるの作品も好きになった。どの作品も、もしかしたら本当かも、と思わせるようなリアルな感じが魅力だった。
コロボックルはどのくらいの大きさなんだろう?と「ねりけし」で3cmほどの人形をこしらえてみたこともある。お話の中に出てきたインク瓶に興味がわいて、祖父のところから持ってきて机に置いてみたこともある。
何もなかった実家の北側は団地になり、賑やかになった。フキはまだ生えているが、すっかり細くなり、両親をがっかりさせている。
しかし、今でも夜になれば静かになり、秋の虫の音が聞こえてくる。今の小学生はコロボックルシリーズを読むのだろうか? コロボックルが目の前に現れるような、あの体験ができるのだろうか?