おせちは重箱に入れない

食べきれないおせち料理……祖母のおせち

祖母はおせちを大量に作った。それはもう何日食べるのかという量を作った。重箱に詰めたりはしない。食事のたびに小皿に分けて盛られた。作ったおせちは鍋ごと保存されていた。

冷蔵庫に入るような量ではない。”納戸”(と便宜上呼んでおく)に鍋ごと置いておくのだ。今よりも冬は寒かった。しかも我が家は古い家だった。「冷蔵庫には凍っては困るものを入れておく」というルールがあったくらいだ。”納戸”は鍋だらけになった。

祖母は商家の生まれである。店で働いている人たちにも食べてもらうから、おせちを大量に作り、その都度お膳に盛っていたらしい。祖母のおせち料理の作り方は、祖母の実家の作法なのであった。

正月は親戚が集まり、10人以上になった。食事のたびに鍋ごと台所に持ってきて、盛り付けていく。昆布巻き・田作り用、煮物用、黒豆用、その他もろもろのおせち料理が、それぞれ専用の器に盛り付けられていく。飾り付け用の型抜きした人参、きぬさや、ぎんなんをあしらう。これに雑煮がつく。
食べ終わったら片付けるのも一苦労だ。

親戚が帰ってもおせち料理は大量に余っている。火を入れながらずっと食べ続けた。祖母が元気だった頃のおせち料理の思い出は大変だったなあという言葉でまとめられてしまう。

計画書があるおせち料理…母のおせち

母がおせちを作るようになると、重箱を使うようになった。母は嫁いできてからずっと重箱を使いたかったらしい。
”納戸”を探すと重箱が出てきた。祖母が台所をとりしきるようになる前は、この家にも重箱を使う文化があったのだ。黒い漆塗り、金色で松竹梅が描かれている重箱に、この家の昔の人たちは何を詰めたのだろう。

母は年末になるとおせち料理の計画書を立てた。どんなおせち料理を作るのか。スーパーで買ってくるもの、手作りするもの、いつから準備するのか。一の重に入れるもの、二の重に入れるもの、三の重に入れるもの。
母は広告の裏などに丁寧に計画を書き、そのとおりに作っていった。親戚が大勢集まることはなくなったが、正月に来客があることはあった。いろどりよく詰められた重箱が用意された。

おせち料理も、祖母の頃とは少し変化があった。昔ながらのもの以外に、サラダやハムが入るようになった。料理の本に紹介されている新しいおせち料理を作ってみるのも母の楽しみだった。

重箱は使わないけれど…私のおせち

お年取りや新年のお祝いは実家で行うから、我が家のおせち料理の量は少ない。私は実家に行って母と一緒におせちを作る。その間に夫が煮物を作ってくれる。

重箱は使わない。そのかわりに、とっておきのトレーを使う。
結婚する時に実家の物置から引っ張り出してきたものだ。結婚式の引き出物や新築祝いの記念品などの中に、そのトレーがあった。裏は黒、表は朱。正方形の大中小の3つのトレーである。樹脂製だが漆塗りに見える。資生堂の景品だ。それにしても豪華な景品である。

大中のトレーの辺の真ん中には小さなくぼみがある。このくぼみに角をあわせていくとぴたりとはまる。小さな正方形のまわりに三角形のスペースが8つできる。つまり、9つにしきられたスペースができる。ここに少しずつおせちをつける。このトレーにおせちを盛り付けるのは、結婚以来、夫の役割だ。私が雑煮を作っている間にトレーに彩りよく盛り付けてくれる。

しかし、今年はちょっと違った。夫は昨年の秋から大病を患っている。退院したとはいえ療養中である。手が震え、煮物は作れなかった。それでも、ただ療養しているのもつらいと盛り付けをしてくれた。

来年は今よりも元気になっていてほしい。少しずつ前進しよう。祈りをこめておせちを食べる。


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