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ペロペロ事件から考える子どもたちの未来

道徳的に間違ったこと言います。

今の時代の子供たちに知ってほしいから敢えて書きます。

今回大問題になっている回転寿司でのペロペロ動画。
そしてカラオケ店での迷惑行為の動画等が立て続けにupされている。

まず知ってほしいのは
◆今の日本が、間違ったことをする人間を徹底的に叩いて排除する風潮があるということ。

◆動画は撮った直後に流出するとは限らないということ。
仮にきみたちが大人になって仕事にも慣れ、後輩を持ち、これからって時に過去の動画が流出し、それまで頑張って築いてきた信頼や人間関係が一瞬で崩壊してしまう。

そのときに最も辛いのは親の教育が悪いと判断されてしまうこと。

僕としては、勿論親に責任がないとは言わないが、悪い事やイタズラをわざわざ親の前でする子どもはいない。
バレたら怒られるってわかった上で友達とのノリや空気感でやってしまう。

動画という「証拠」が今の時代簡単に残せてしまう。
撮影している瞬間は武勇伝ゲット!って思ってるかもしれないが、それはただの「弱み」の証拠を他人に握られているにすぎない。

仲間内だけで楽しんでる行為は、実は世間からの評価はとても冷たいものです。

ましてやそれが道徳や法律に反してることなら尚更、それが明るみに出たときのバッシングはあなただけでなく周りの人のことも不幸にします。

法律なんか知らないし、こんな事になるとは思わなかった
と言うかもしれない。でもそれになんの正当性もないし、誰も同情してくれない。

その行為をやった本人だけが標的にされます。
その場にいて一緒に楽しんでケラケラ笑ってた仲間は一瞬にして「俺カンケーない」って離れていきます。

僕も法律なんて詳しくないし知らないけど、自分の中のラインとして道徳的に間違ってる事はしない。これを大切にしています。

ここからが本題であり、これこそ道徳的に間違っている事ですが皆さんが人生を楽しむ上で必要なことを言います。

悪い事をするなとネットで匿名でバッシングしてくる人、今社会人として立派に働いている人、ながい間勤め上げ老後を楽しんでいる方々。
その人たちがまったく悪い事をしてこなかったかと聞かれると必ずしもそうではなかったはずです。

昔は体罰が当たり前の時代だったし、学校の部活動も「水なんか飲むな!」という間違った指導方法だったし。
仲間内でやんちゃした人は多くいると思う。
今回渦中にあるペロペロ事件も「やんちゃ」だと思う。
でも昔と今で大きく違うのは誰でも簡単に動画という「証拠」を残せるということ。
もしその当時の動画が今公開されたらその人も同じ様にバッシングを受けるだろう。
でもそうならないのは個人を特定できる動画証拠がそれほど残っていないという点、
そして動画があっても不特定多数の人が見る、web上に公開していないというのが大きな理由だと思っている。
公開してないけどいじめ動画をスマホで撮っているやつもたくさんいたと思う。
何故そういうクズはバッシングされないか、それは簡単で「世間に晒されていないから」です。
証拠が世間に出ていないから、そういうヤツらも今は立派な社会人としてのうのうと生きています。

僕は今30代前半です。
僕の学生時代にもスマホはあったが今ほど個人で動画をweb上で公開するなんて事はまだメジャーではありませんでした。
今の子どもたちはそれが当たり前の世代なわけで、炎上系YouTuberなどの動画が溢れかえる世の中。

人に迷惑をかける行為をできる=人とは違う感性

と勘違いしている。それが面白いと思ってしまっている。
それをダメと教えられる人が身近にいないのが今の子どもたちが不幸なところ。
今の大人たちは、自分が子どもの頃そんな環境じゃなかったから、「言わなくてもわかるでしょ」という部分だからまさか自分の子どもがそんな事をやっているとは思ってもいない。

今バッシングしている大人たちは匿名という安全圏から好き放題言っている。
でも自分たちが叩いても埃が出ない身だと思っていないからそれを棚に上げて好き放題バッシングをする。
更には個人情報を特定してネットに晒す。
その情報が確かなものかも確認することなく晒す。
間違った正義を振りかざす。

悪い事をしたやつには制裁を!という私刑のようなことが当たり前の悲しい世の中だということを理解する必要がある。

他人のことは変えられないとよく言うが、社会を変えるなんてもっと大変で、ほぼ不可能に近いと思う。

なら自分が変わらなきゃいけないし、一時の笑いの為に人生を棒に振るような行為はしない。
そして無闇に動画を撮影して、それをネットで公開しない。
デジタルタトゥーという言葉の意味をしっかりと理解する。

自分の身は自分で守らなければならない。

僕個人の意見だけど、SNSは成人するまで登録できない方がいいと思う。
見る事はできても投稿出来ないなどをしないと、
今は精神的に未熟な若者だけど、いずれは立派な大人になる可能性を秘めている若い芽を摘んでしまうということになる。
国にとってもそれは大きなマイナスにしかならないと思う。

僕もペロペロ事件が公開されたときは、「バカじゃねーの」なんて友人と話してたけど、Facebookの記事で渦中の彼の母親にインタビューしたという記者の記事を読んでいて、憔悴しきったお母さんは赤ちゃんを抱きながらインタビューに丁寧に答えていたとあり、何とも居た堪れない気持ちになり悪を叩くのではなく、子どもが一時の過ちで取り返しのつかない様に、現代での生き方を教えてあげたほうがいい。
そう思ったから今回こんなことを書いてみた。
偉そうに書いている僕自身、清廉潔白と胸を張って言えるわけではない。
だけど清廉潔白な人じゃなきゃ言う資格がないとも思わない。

その行為は間違っていると知っている大人が言ってあげなければならない。

よく警官が違反者取り締まりのために隠れて見ていて、違反したら出てきて取り締まることをしている。
時間帯によって侵入禁止の場所、一通の場所。悪意がなくても気付かないで入ってしまい、罠に引っかかる。

わかりづらく、違反する人が多いから隠れて見ている。
それがわかっているなら取り締まる前にその場所の手前で「この先一通でーす」て言ってくれよと毎回思う。

これと同じで今の世の中罠が多すぎる。
それを大人たちが事前に教えなければならない。

勿論本当に良い教育は「悪い事をするな」ということだけど、それは綺麗事にすぎない。

「悪い事をする」という前提のもと対策をしないとそれは子どもの身を守る教育ではなく、「私はちゃんと教えました」という大人たちの逃げ道でしかない。

必要なのは
何が悪い事なのか、そしてそれをやったらどうなるか、一度ネットに晒された動画は消せない、悪意のある者がアナタの個人情報や家族の情報を晒す
そういう危険性をリアルな言葉で伝えないとならない。

僕はこういう教育を有識者と呼ばれる人がしても無意味だと思っている。

それこそ子どもたちに人気のあるYouTuberやティックトッカーに国が依頼して、安全に楽しむやり方として教えていく必要があると思う。
何を言うかではなく、誰が言うかが重要。


悪い事をやっていいとは決して言わないし、思ってもいない。
もしイタズラするなら証拠を安易に残すな。それは武勇伝ではなく汚点にならないか?
それが現代の生き方。
3年後5年後に世間にバレたらどうなるかまで想像して、それでも大丈夫な可愛いイタズラに励んでくれ。
何年たっても笑える微笑ましい思い出だけを作って欲しい。


偉そうに長々と好き放題書かせていただきました。
自分では間違ったことを言ってないと思って書いているけど、叩かれたくないし、晒されたくないから匿名の捨て垢で投稿させてもらいます。

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