人は誰でも幸福でありたいと願っています。しかし、自分が望む幸福とは何か、深く考える機会は多くはありません。佐野洋子の『100万回生きたねこ』は、読者に幸福な人生について哲学することを求めてきます。
あらすじ 100万年も死なない猫がいた。100万人の飼い主の下で、100万回生きて、100万回死んだ。飼い主たちは猫をかわいがり愛情を注いだ。しかし、猫は飼い主のことが大嫌いだった。自分以外の誰も愛することがなかったのだ。猫は、一度も自分の生に充足感を覚えることなく、幸福を知らず、永遠の生死をただ繰り返すのみだった。 ある日、白い美しい雌猫が猫の前に現れた。猫は、初めて誰かを愛することを知り、いつまでもそばに居たいと願った。二匹の間にはたくさんの子猫が生まれ、猫は自分よりも大切だと思える家族をもった。 やがて、白い雌猫は年老いて死んだ。猫は、白猫のそばで泣き続けた。100万回泣き続けたのちに猫は泣き止み、白猫の隣で死んだ。そして、二度と生き返らなかった。
この物語が投げかけてくる問いを挙げてみましょう。 1 愛する他者があれば愛されなくても幸福になれるのか。 2 他者を愛することでしか、人生の幸福に気づくことができないのか。 3 愛する人を失った後でも幸福であり続けられるのか。 4 愛を伴わない幸福はあり得るのか。
こうした問いに向き合うこと、つまり幸福について哲学することが時に必要なのではないかと思います。 こうすれば幸福になれるというような、幸福への方法論、処世訓のようなものは、書籍やネットでいくつも見つけられます。 そのような幸福への処方箋を知ろうとするのではなく、幸福そのものについて考えること、つまり自らの幸福論を見つめなおすことが、人生を豊かにしてくれるように思います。
さて、猫はなぜ最後に生き返らなかったのでしょう。いくつかの答えを考えてみます。 ① 本当の愛を知り、幸福に満たされた時間を経験し、人生に満足して生き終えたと感じたから ② 愛することの幸福を知ることは、愛する人を喪失する悲しみから逃れられないことを悟ったから。 ③ 過去の100万人の飼い主との暮らしにあった幸福に気づき、幸福の本質に自分なりの答えを見つけることができたから。 ④ 愛する白い猫の生活以上の幸福はあり得ないと感じたから。 ⑤ 再びの生を生きることは、愛した白い猫との幸福を否定することになると考えたから。
物語に答えは書かれていません。もし書いてしまったら、『100万回生きたねこ』は駄作となっていたかもしれませんね。
最後に、佐野洋子の自伝的小説『シズコさん』の一節を紹介します。シズコさんとは、佐野洋子の母親の名前です。とてもこじれた母と娘の関係だったようですね。
私は、母さんがこんなに呆けてしまうまで、手にさわった事がない。四歳くらいの時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。私はその時、二度と手をつながないと決意した。その時から私と母さんのきつい関係がはじまった。 (略) 私は老人ホームのベッドの中で、自然に母さんのふとんをたたいていた。 「ねんねんよう、おころりよ、母さんはいい子だ、ねんねしな。」 母さんは笑った。とっても楽しそうに笑った。 そして母さんも、私の上のふとんをたたきながら「坊やはいい子だ、ねんねしな―。それから何だっけ?」 「坊やのお守りはどこへ行った?」 「あの山越えて、里越えて」とうたいながら私は母さんの白い髪の頭をなでていた。そして私はどっと涙が湧き出した。自分でも予期していなかった。 「ごめんね、母さん、ごめんね。」 号泣と言ってもよかった。 「私悪い子だったね、ごめんね。」 母さんは、正気に戻ったのだろうか。 「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ。」 私の中で、何かが爆発した。「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう。」 何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけたようにとけていった。湯気が果てしなく湧いてゆくようだった。 (略) 私は、五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。 私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていなかった。 (略) 私は何かにゆるされたと思った。世界が違う様相におだやかになった。 私はゆるされた。何か人知を超えた大きな力によってゆるされた。 私は小さい骨ばかりになった母さんと何度も何度も抱き合って泣きじゃくり、泣きじゃくりが終わると、風邪が治った時の朝のような気がした。
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