『市民ケーン』から『タクシー運転手 約束の海を超えて』
オーソン・ウェルズは、私の世代ではニッカウヰスキーのCMに出ていたヒゲのオジサマ。
その監督デビュー作『市民ケーン』は、新聞王であったケーンが最期に残した言葉「バラのつぼみ」の意味を解き明かそう、と彼の生涯を回想形式で辿る形で物語は展開します。
言うまでもないほどの名作。
「バラのつぼみ」の意味については様々な解釈があるようですが、わたくしが思い出すのは、ソフィアで受けたハビエル・ガラルダ神父の講義です。
その回は「幸せと自己犠牲」がテーマでした。神父は、「バラのつぼみ」の解釈の前に、オスカー・ワイルドの童話『幸せの王子』の話をはさみました。そこに登場するツバメは、暖かいエジプトに行こうとしていましたが、動くことのできない銅像である王子の頼み(貧しい人たちや病める人たちのために尽くす行い)を聞いているうちに街は冬になり、エジプトに行くことを諦めて王子のそばに残ります。しかし、寒い街で冬をこすことができずに命を落としてしまう、というお話です。さて、自己犠牲のもとに命を落したツバメは、果して幸せであったのか?神父さま曰く、内なる声に忠実であったツバメは、一見自己犠牲を払っているように見えるけれども、自分を裏切らなかったという意味においては幸せであったのではないか、と語りました。
そして、亡くなる寸前に「バラのつぼみ」と言い残したケーンについては、ある意味では人生の成功者であったけれども、生涯を通じて信じられる友ができなかった不幸な人生であった。彼の不幸は、捨ててはいけない「バラのつぼみ」を捨てたからではないか、と語りました。
なるほど、「バラのつぼみ」は決して捨ててはいけない内なる良心の声なのですね。
などと考えていたおり、BSにチャンネルをあわせたら「タクシー運転手 約束の海を超えて」を放映してました。
か〜るく見始めたら、いつの間にかぐいぐい引き込まれました。
ソン・ガンホ良いですね。
精一杯生きている我々と等身大の市民を演じています。怖くて逃げ出したい気持ちや自分とは無関係なことだと思いたい気持ちと戦いながらも
「否、できない」(ガラルダ神父は、べらんめぇ調でBut I can'tと叫んでたのが懐かしい)という内なる声に励まされてたのですね。彼の逡巡が心を打ちました。
何の予備知識もなく鑑賞しましたが、光州事件の際にあった実話との事でした。
市井に生きるタクシー運転手がUターンした時、エジプトを諦めたツバメの魂が見えました。