世間とほどほどの距離で生きるためnote書いてるのに気づいた
世間に疲れたら「人断ち」「情報断ち」してみたらという記事を読んだ。
ちょっとわかる。アドラー先生がおっしゃるように、大抵の悩みは人間関係からなので。
自分自身も自然と波長の合わない人とは付き合わないようになってるのに気づいた。職場も変えたので、プライベートもほぼ話さないようにしてるし、飲み会等はしっかり断ってる。
そんな気持ちは、誰にも喋らないけれど会社に事務所を置かせてもらってるイメージで仕事してる。あれっと思う人とは徐々に距離を取り、不要な相槌を打つことをやめた。小さな会社なりに人が足を引っ張り合ってる場面が見えて、残念な思いになったから。目の前の仕事をきっちり行うことに焦点をあてるだけにしよ。
あとは、自分のできる限りの力を注いで担当するクライエントの生き方を支援するのみ。自己対話を重ねながら、ホントに自分のしたいことを追究することが幸せだな、と感じる。
この記事には、ノンフィクション作家でジャーナリストの堤未果氏の人断ち、情報断ち体験も語られてた。
この戻ったという感覚もわかる気がする。時折、ぼんやり自然に触れて脳を休めてるので、ジャンクな情報を時々リセットは必須。
堤氏がここまでの人断ち、情報断ち体験を僧侶から勧められたのは、9.11ショックを身近に受けたから。一度、自分をリセットするくらいのリカバリーが必要だったらしい。自分のメンタルにそこまでの危機はない。
とはいえ、現代社会では、誰しもインターネットのつながる端末から離れられなくなり、毎日洪水のような情報を浴びる環境に生きてる実際がある。
いまや情報断ちの方が難しそうだ。できることがあるとすれば、情報を絞ることくらいだろう。
テレビ断ちの人はまわりでも増えてる。かくいう私もスポーツやドキュメンタリーくらいしか見てない。
厄介なのは、インターネット情報。これはつい見てしまう。また、一度見ると自分の興味のある情報を大量に送ってくるので始末に悪い。
まあ、あまりに刺激が乏しければ、後半の人生を楽しく生きられるような気がしないので、ほどほどを心がけるしか手は無いかとも思う。今できることと言えば、必要のないニュースを開かないという自制心を磨くことか。
ここのところ、一番の情報源は、note。(笑)始めてから3ヶ月。頻繁に開いてるが、人との距離感も含めてちょうど良いSNSのようだ。
最大の美点は、今を生きる市井の人たちのダイレクトな言葉が転がってること。ストレートに賛同できる言葉、いやいや賛同できない言葉、自分にはなかった視点、新しい情報、いろいろな人々の声に耳を傾けることができる。同じニュースを聞いても捉え方は人それぞれ。普通の人たちの言葉が、今の社会を覆っている一番広いグラウンドであることが健全な社会だと考える。noteでその声に触れてみる。
近い感覚のnoterがいるとホッとするし、自分の共感を届けることもできる。自分の感覚で他人のnoteを集めて自分専用のマガジンを作ることもできる。
自分で書いて自分を整理することも、マガジンをつくることも、自分の世間との距離感を保つ感覚を磨くことにもつながる。
今の私にとって必要なことは、人断ち、情報断ちまでいかずに、人、情報と適切な距離感を保つこと、書く行為でアウトプットをしながらいつも心を整えておくことなのだ。
勢古氏の記事を読んで、定期的に人間関係と情報との距離を自分で見つめよう、という結論に着地した。