映画『BABY/BROKER』 〜人がフッと鼻を鳴らさなくなる時〜
相手の言葉を受けた時に、フッと鼻を鳴らして軽い笑みを浮かべることが誰しもあるだろう。鼻が鳴った後の笑い方によって意味に強弱はあれど、否定であることに変わりはない。だからこそ、された方は当然あまり良い気持ちはしない。した方は、「あなたにわかるわけはない」とか、「知ったふうなことを言って」とか壁を作ってることを自覚しているかもしれないのだから。
鼻を鳴らされた後、冷静になって考えた時にこんなことを思う時がある。相手のことを思いやる態度に欠けていたからこその一撃だったのかな?なんて。鼻を鳴らされるというシチュエーションは、大抵が自分の言葉や態度から誘発されたものであるわけで、後の祭りではあるが、おのれの言葉の軽さや不適切な態度に恥ずかしくなるという事態になる。
いや待てよ。とは言っても、諦めるのは早い。だって鼻を鳴らされるくらい近くにいる関係なのだから。そんなことを思った映画。
登場人物は、皆心に傷を負っている。その傷は深く簡単に癒えることはなくいつまでも残っている。傘もささずに土砂降りの雨に降られたからといったって心についた傷も犯した罪も洗い流されるわけじゃない。
傷ついた(つけられた)登場人物たちが、お互いの傷を少しずつ見せ合い、揺れながら自分の傷つけられた魂に近づいていく物語。観客も自分の来し方や考え方に揺さぶりをかけられる仕掛け。土砂降りの雨、勢いよく坂を駆け下りる雨、洗車場で浴びる歓喜のシャワー、海水浴、観覧車、街の灯り、暗闇。印象的できれいな映像が連なると、あなたはどう感じる?と畳み掛けられるよう。
自分では相手の立場に立ってると思ってどんなに気の利いた言葉をかけたって相手の心には簡単には届かない。耳に届いただけでは、フッと鼻を鳴らされるのがオチ。そんな場面もたくさん出てくる。
だけど、あなたも私もお互いに傷を負っているもの同志だということは分かってしまう。それは直観とも嗅覚とも言える。仲間というものは、言われなくたってなんかわかるもの。
流れるままとはいえ、旅回りの一座ができあがる。その一座の抱えるテーマは、『家族』そして『いのち』。
是枝監督は『そして、父になる』『万引き家族』でも同様のテーマを描いてきた。
監督の視線はいつもやさしい。やさしさは、割り切れないものは割り切らない。揺れ動く者たちとは一緒に揺れ動く、弱い立場に置かれた人たちを簡単にフレームの外に追い出さない、答えは簡単に出さない。言葉で言えばそんな感じかもしれない。
そんな接し方を続けていると、いつしか相手の鼻があまり鳴らなくなる。物語に引き込まれながらそんな事を考えた。
☆
蛇足
介護保険を制定した時の国の言葉のひとつが「介護の社会化」だった。介護の責任は家族にではなく社会にあるという意味。いずれ「子ども保険」ができれば「子育ての社会化」が言われるだろう。言うまでもなく社会が担う部分は大きい。けれども国民から集めたお金で運営しているのだから大風敷を広げなくても良いだろう。みんな見抜いている。民間や地域、家族それぞれが役割を果たしているからこそ持ちこたえられるのが現実であることを。
しかしながら、必ずやその隙間も生まれる。孤立した人に手を差し伸べるなんていうとハードルが上がるけれど、人生が秋を迎えたいま、できる限り近くにいる人を愛することを実践することしかない、と思った次第。