映画『怪物』ー普通ってなんだよー
「普通ってなんだよ」と言う歌を思い出した。最近のロックは大人しい。優しい言葉で、柔らかい音で、世界の片隅に追いやられた人たちの気持ちを包もうとしている。
私のいつも出会う人たちは、自分の殻に閉じこもるか、わからないように隠れるか、逃げるかしている人が多い。多くの人の目に触れることを好まない人も多い。
そんな彼、彼女らは昔のロックのように、今ある世界に対してNOを突きつけ、戦いの狼煙を上げる音楽は余計に居心地が悪くなるかもしれない。
そうそう、「普通ってなんだよ」って話だった。
映画に繰り返し出てくる「普通」という言葉の息苦しさに刺激されてしまった。
普通の親が出てくる。普通が一番幸せと思い憧れて、ようやく普通を手に入れた親は、普通を守ろうとする。決して悪いことではない。けれど、普通に違和感を感じる子どもに気遣われていることには気づけない。囲われた世界から出るのは危険だから。
自分が一番普通と思ってるけれども、周りからはそう思われていない大人もでてくる。集団から浮き上がり、スケープゴードにされやすい人。人はみな危険を回避し、安全を選ぶ。数多の事実が教えてくれるように、安全が脅かされる世界では、正しい、正しくないの基準は簡単に揺らぐ。彼のような人は気づくことができないから生贄にされる。
心が壊れたふりをする生き抜くための知恵を持つ賢者も出てくる。壊れた世界に生きるには、正義の人に、卑怯者と罵られようと、どこにも焦点を合わせない目をして、自分の喇叭の音を鳴らすしか無いことを知ってる。
『誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。誰にでも手に入るものが幸せっていうの』
「普通」でないお前は「怪物」だと刻みつけられた子どもがでてくる。なんて空気の薄い世界に暮らしているのだろうと胸が苦しくなる。子どもは囲われた世界から勝手には出られない。
「特別じゃなくて平凡な家庭を作れればいいのよ」となんの気無しに言った母の言葉がナイフのように突き刺さる子どもも出てくる。
「普通」に近づこうと思っても心と身体が拒絶反応を起こす。普通ってなんだよ。
このふたりの心が、親近感から愛に変わり、生き直しの世界を夢見るシーンが美しい。映画の魔法。
群盲象を評すの話ではないけれど、ひとりの人の見る世界は一つきり。3人いれば、3つの世界が見える。
3つの世界を重ね合わせれば、怪物の正体がぼんやりとだけれど浮かぶ。
『怪物だーれだ』
ついでに
子どものころ依里に会っていたら、友だちになりたい、という衝動を抑えられなかったと思うことを告白しておこ。