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その11 教材解釈と古いものについて

 夏休みも終わりに近づいた今日、8月21日。年休を取っていたので学校へは行かず、光村国語5年教科書の教材『たずねびと』をひたすら読み、教材解釈のレポートを書いていました。
 最近あまりレポートを書くところまではしていなかったので、久々に取り組んで疲れました…が、楽しかったです。いやぁ、また勉強し直さないと、せっかくの経験が無駄になる…。
 ここで言っている「教材解釈」が、教員の世界で広く使われている「教材研究」とどう違うのかというと、私自身はまだ一般の方に分かりやすく伝える説明はできません。ちょっと考えておきます…とりあえず、一般に言われる「教材研究」よりも、より深く、教師であり一人の人間である自分自身もそれによって何らかの影響を受けるほどに読み深めることだと、思っています。詳しい技法などは、また別の機会に。

 最近の教育界の流行りでいうと、「子どもの興味関心に応じて」という文言がしばしば使われます。しかし、文学教材を「子どもの興味関心に応じて」どう授業するのかと考えると、そして授業を成立させたとてそれが国語的にどれほどの意味があるのかを考えると…色々と思うところがあります。
 先日初めてお会いした授業づくりネットワーク理事長の石川晋先生は国語でものづくりをするという画期的な方法を教えて下さいましたが、確かにその方法なら普段なかなか授業に参加できないあの子もできるかも!と魅力的に感じる面はあるのですが、自分は今のところ子どもたちと一つの教材を深く読み味わうという授業を捨てることができません。だって楽しいもの。子どもたちが一人で読んだだけでは決して読み味わうことのできないところまで一緒に到達できた時、大きな喜びと感動をふり返りに書いてくれるわけです。「国語が好きになりました。」と、言ってくれさえするのです。
 …もちろん、全員ではありません。そこが深く悩むところです。

 国語に限らない話で、例えば算数でも「子どもの興味関心に応じて」とか「自分に合った学び方」と言って、従来の教え方が否定されているのが現状です。私も「今まで通りで何が悪いんや!」と強弁するつもりはさらさらないのですが、昔のもの、古いものが押しなべて価値のないもの、捨ててよいものとみなされるのはちょっと我慢がならんのです。
 例えばこの夏休みに入る前、数教協のベテランの先生のお話を聞きました。すごく面白くて、自分でもやってみたいと思いましたし、紹介してもらいました遠山啓、銀林浩の著作も愛知県図書館で借りて今読んでいるところです。面白いですよ。算数を教えるのって、奥深い…と感じます。

 色んなものが併存していては、だめなんでしょうか?
 教師が、一番価値がある、これだ!と思っているもので授業するのが、一番効果的なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?(もちろん、機能しているのか、子どもにとって有益なものになっているのかを、誰よりも厳しく自己評価していくことが必要になるとは思っています)

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