ありがとうとさようならとそれに伴う胸の苦しさと
誰かの卒業公演を見る度に、いつか来るであろうその日を想像することがあった。真っ赤に染まった武道館はどれほど綺麗なんだろうって。けれど、いざその景色を目の当たりにすると、こんなに悲しいものだと思わなかった。悲しい、は表現として少し違うかもしれないけれど、でもずっと胸が苦しかった、彼女が今日ここで卒業してしまうことの証明である気がして。
真面目なオタクではなかったと思う。結局行った公演はほとんど武道館だったし、接触もリリイベに行く程度だった。卒業が決まってからもそれは変わりなく、あぁ今回は武道館取るの大変そうだな、でも今回は絶対に行かなきゃなぁなどと呑気に思っていた。現実を直視したくなかったのもあるかもしれない。
彼女に出会ったのは17年の元旦のCDTVだった。元々フォロワーがモーニング娘。が好きで、ずっと色々と勧められていて、削除してしまう前に見ておこうかな~となんとなく思ったことがきっかけだった。あれから6年経った。あのとき中学生だった私は大学生に、20歳になった。私が大人になるまでずっと、彼女はアイドルで、モーニング娘。だった。いつからかそれが当たり前になってしまった。当たり前だと錯覚していた。彼女が25歳までは当たり前にアイドルをしてくれると思うようになっていたのはいつからだろうか。
正直、当日になっても実感なんて湧いていなかった。なのに看板には赤い看板にgraduationの文字があるし、OAの子達は卒業を〜と口にするしで、始まる前からもう心がズタボロだった。始まらないでくれと思ってしまった。
始まる前の会場は真っ赤だった。そのうちカラフルに変わるのかと思ったけれど、始まってからもずっと真っ赤だった。私の隣の人も前の人も、みんな赤いペンライトを振っていた。
これが最後だなんてずっとずっと信じられなかった。けれど、真っ赤な会場も、いつもよりずっと抜かれる回数の多いカメラワークも、全部がそれを証明していた。それでもステージで踊る彼女を見ているとこれが最後だとは思えなくて、モーニング娘。として彼女がこの曲たちを踊るのがこれで最後だとは思えなくて、ずっとぼんやりとステージを見ていた気がする。
卒業のドレスを見るまで実感が湧かないかもしれないなぁ〜とは前々から思っていたのだけれど、ドレスを見ても尚実感なんて湧かなくて、その分Give me 愛のイントロの衝撃は凄まじかった。恐らく多くの彼女を応援している人達がずっと見たいと願っていた楽曲だと思う、私もそうで彼女の真意は分からないけれど、最後まで誠実な人だなと思いながらペンライトを振っていた。
開幕で涙腺が決壊してから2時間何かある度に泣き続けていて、その分頭がぼんやりしてしまっていてあまり記憶が無いのが正直なところである。
最後くらい名前を呼びたかったなと思う。歓声を聞いて欲しかったと思う。彼女を追いかけていてコロナが憎いと思ったことは何度もあったし、ハロプロは元々ライブが楽しかった分、規制が厳しい方だったから不自由に思う部分があったけれど、それでもこれほどコロナが憎いと思ったことはなかった。まさか彼女が卒業するまでコロナの影響があるなんて夢にも思っていなかったというのもそうなのだけれど。もう彼女は武道館一杯の観客の歓声を浴びることはないのかもしれない、それがどうしようもなく悲しい。これはオタクの自己満足なのかもしれないけれど。
有り体なことを言うが、彼女に繋いでもらった縁がある。彼女が広げてくれた世界がある。ハロプロのお陰でアイドルの楽しみ方がガラリと変わった。彼女だけじゃなくて、色んなアイドルと出会って、その度にたくさんの驚きと感動を貰った。でもその大前提にあったのは彼女で、彼女がいなかったら私はこの素敵なアイドルたちに出会っていなかった。
彼女がこの場所を離れることで、私も1度この場所を距離を置くことになるのだと思う。ハロプロには魅力的な子が沢山いることを私は知っているし、これからを見てみたいと思うアイドルも何人もいるのだけれど、正直今はこの時間を、空間をもう二度と経験したくないと思っている。素敵だったけれど、今は苦しかったや寂しかった、別れが辛かったの方が大きい。
何が書きたかったのかよく分からなくなってしまった。ただ、今書かないといけない気がして、今残しておかないといけない気がして。書いたら気持ちが整理されるかなとも思ったのだけれど、そんなこともなくて、正直びっくりしている。思ったより私にとっての彼女という存在が大きくて、その分喪失感が強いのだと思う。私、好きだったんだな、彼女のこと。6年、って小学生が卒業するだけの時間が経ってて、それだけ当たり前に存在してくれた人がいなくなるのだから、そりゃさみしくもなるだろう。
こんな文章、見せられないなぁ。見て欲しくない。オタクのエゴだらけなので。