犬田もふみ

主に私が小学生の頃に接していた懐かしいモノにまつわることを書いています。 思い出すとほんのり幸せな気持ちになる、そんな場面の寄せ集めです。

犬田もふみ

主に私が小学生の頃に接していた懐かしいモノにまつわることを書いています。 思い出すとほんのり幸せな気持ちになる、そんな場面の寄せ集めです。

最近の記事

母経由おやつ

私の母は酒飲みで、本人曰く「スイーツは食べない」。 確かに間食はほぼしない。洋物のスイーツよりあんこ好きというのは聞いた。なので進んでホテルのデザートビュッフェに行くようなタイプではなかった。 そんな母でも若い頃はそれなりにスイーツ好きだったし、私のおやつにいろいろと買ってきてくれた。 私の住む田舎には昔はデパートがいくつかあったのだが、時代とともに撤退していき、古くからある地元のデパートを残すのみとなった。 その地元デパート独自のスイーツ、ベビーシューや100円ケーキが懐

    • 80年代・いとこ界隈

      私には2歳下の女のいとこがいて、子どもの頃は姉妹のように一緒に遊んだり習い事をしていた。私たちの母親同士が姉妹で、うちから車で20分ほど離れた団地に住んでいてよく行き来していた。 私が3月生まれのためいとこは学年が3つ下だったが、実際は2歳しか離れていない。大人になれば2歳の差はほとんど感じないが、5歳と3歳だと遊びや興味の対象は少し違った。持っているおもちゃや見ているテレビ番組に共通の物がなかったりすると、お互いの家に遊びに行ったとき知らない世界を知ることができて楽しめた

      • ひみつの子ども部屋

        今年の正月は数年ぶりに実家に泊まった。といっても嫁いでいるわけではない。家を出たあと私の部屋は母の物置と化し、とても盆や正月に過ごせるような状態ではなかったからだ。 それまで私はスープの冷めない距離に愛犬とマンション住まいだった。その愛犬が昨年老衰で亡くなり意気消沈していたところ、母が久しぶりに家族水入らずで正月ぐらい過ごそうと片付けたらしい。終活も兼ねて物を減らしたいこともあって、まとめて不要なものを捨てるついでに。 こぢんまりした6畳の部屋にはベッドや机、エアコンはそ

        • 伯母のカセットテープ

          私の母は三姉妹の長女で、一番下の妹(私にとって伯母)は独身の頃、時々遊びに連れて行ってくれたりして交流があった。OLだったので会社でもらったお土産をくれたり、たまに手作りのシュークリームやパウンドケーキを作ってはお裾分けをしてくれた。子ども心に嬉しかったのは小さな巾着に入った可愛いりんごの形の石鹸やバラのポプリ、無印良品の色鉛筆。いまだに覚えている。 伯母はうちの隣の祖母宅に住んでいたので、気軽に部屋へおじゃますることもあった。一人っ子の私にとって姉のように年上の女性の世界

          移動販売

          令和の世は騒音にうるさい。 話題になったところだと、運動会の音や公園で遊ぶ声、果ては田んぼのカエルの鳴き声まで一般人が厳しく取り締まろうとする。 運動会は一日で終わるし、子どもの集まる時間はもっと短いだろう。もともと田舎に住んでる人はカエルの声に慣れてるはずだから、いやなら引っ越してこなければいいし引っ越せばいい。 とはいえ、何をうるさく感じるかは個人差があるし、健康な状態の時と病んでる時で許容範囲も変わってくるだろうから単純に割り切れない部分もある。あるいは自分がもとか

          きしかり

          小学校中学年の頃(1985~1987)、私の周りでは“きしかり”という遊びが流行った。昔からあるゴム飛びの一種で主に女の子の遊びだ。その頃の世間的なブームというわけではなく、現在70手前の私の母も親しんでいた遊びだった。当時の子どもの母世代から静かに引き継がれ、全国的に広まっていた。小学校では大体女の子は中学年くらいからきしかりを始めて、6年生になる頃には飽きて誰もしなくなるという感じだった。 長いゴムの輪(輪ゴムをつなげるのと白いひも状のゴムの2パターンあり、白い方はいわ

          バラのペン、いちごの糊

          私が一番最初に香り付きの文房具と出会ったのは小学校1年生くらいの頃だった。 そのペンは数年間しばらく実家の茶の間の引き出しに入っていたのでよく覚えている。全体がピンクで側面に商品名が記されていて、バラの香り付きだった。バラの再現度はもちろん本物に程遠いが、甘くいい香りだった。メーカーは確かゼブラだったと思う。インクの色は蛍光ピンクで、シンプルなつくりで上をノックして芯を出し、横の小さなボタンで引っ込むものだった。 あの時代のものにしてはしっかり香っていて、色が色だけにうちでは

          バラのペン、いちごの糊

          レンタルビデオとガリバーのパン

          若者に問いたい。VHS、ビデオテープをご存知だろうか。DVDもYouTubeもなかった時代、な、なんと人類は“ビデオ”なるもので映画やミュージックビデオ等を見ていたのだ。おじいちゃんおばあちゃんの家で見たことある人もいるかもしれない。地デジ化が完了しアナログ放送が終了する2011年頃までは生きていて、私もテレビとビデオ一体型の物を持っていた。 そのビデオテープをレンタルするお店がレンタルビデオ屋だ。その昔個人経営の店も多く存在し、ちゃんと(?)大人のビデオも備えていた。CD

          レンタルビデオとガリバーのパン

          魔法少女アニメin昭和

          日本の子供アニメでは伝統的に少女が何らかのアイテムを用いて変身し、窮地を逃れて一件落着というパターンが受け継がれている。 女の子向けのアニメでは主人公やその仲間たちが素のルックスにゴージャスな衣装や武器をプラスした変身後の姿で挑む。 男の子向けのアニメは、主人公がメカやロボットを駆使していわば間接的に敵をやっつける。自分自身が直接理想のヒーローになるのは実写の仮面ライダーやウルトラマンで、もとの人間の時の姿は見る影もない。(男子が変身する時ヌードになって華やかにパワーメイクア

          魔法少女アニメin昭和

          菌とともに

          昭和は何につけてもよく言えばおおらか、悪く言えばおおざっぱだった。 衛生観念も今ほど神経質ではなく、除菌の概念も一般家庭では、通常はさほど気にしていなかった。 身近な除菌石鹸といえば薬用せっけんミューズくらいだった。衣類用・食器用洗剤に除菌の文字はなかった。ときどき漂白剤を使うくらい。ファブリーズやリセッシュみたいなスプレーもなかった。 オーソドックスな界面活性剤入り洗剤で食器を洗い、水で湿らせたふきんでテーブルを拭く。(ふきんは定期的に漂白はしていた。)それだけのことを普

          菌とともに

          サンドイッチかごはんか

          4、5歳の頃通っていた保育所の昼食は、給食とお弁当の日があった。お弁当の日、いただきますの前にみんなのアルミのお弁当箱の蓋についてるドラえもんやキティちゃんやアニメキャラなどの絵をそれとなく眺めるのが好きだった。特に兄や姉のいる子はお弁当箱がおさがりで、ちょっと前のリアルタイムで見たことないアニメの絵がついているとレア感があってじっと見つめてしまった(内気なので「見せて」とは言わない)。 それにしても1982年頃のお弁当のおかずってどんなだっただろう。今ほど冷凍食品が充実し

          サンドイッチかごはんか

          ブルーシールのアイス

          1985年前後だったと思うが地元の中心地のアーケード内にブルーシールというアイスの店があった。地元にサーティーワンが来る少し前だったと記憶している。ブルーシールアイスを経験した少し後にアイスクリーム屋さんブームに乗ってサーティーワンが来た流れだったと思うが、ここら辺は順序に自信がない。 当時は少女マンガなどでもダブルのアイスにトッピングを乗せて…みたいな描写がよく見られ、第一次アイスブームみたいな感じだった。(『パンクポンク』でボニーちゃんがパンクをアイス屋さんに連れていき

          ブルーシールのアイス

          タオタオ

          可愛い動物を見ると泣けてくる。この現象に名前はあるのだろうか。 可愛いを通り越してこの尊い存在を守りたいとさえ思う。 動物がかわいそうな目に合うのはだめだ。恥ずかしいことだが大人になってからの話で、保護施設のドキュメンタリーを見てしまった夜、うなされた。夢に出てきて、涙を流しながら「うーん、うーん」と呻き目が覚め、こんなドラマみたいなうなされ方ってほんとにあるんだと驚いたほどだ。 これは架空のキャラクターにも当てはまる。むかし、愛・地球博のモリゾーとキッコロという公式アニ

          郷愁の浅田飴

          喉が弱いとスースーするものを好むのだろうか。昔からハーブ、特にミントが好きで、ガムもグリーンガムやクールミントガムをよく食べていた。ホールズというキャンディーや龍角散のど飴が出た時は案の定ハマった。 小学生の頃、友達がスースー系を“からい”と表現して嫌っていたことに静かな反発を覚えたほどだ。この美味しさがわからないなんてという気持ちはあったが、人の好みは変えられない。それ以上に納得いかなかったのが、爽快感の表現だ。言いたかったが(そこまでこだわるのはアホみたいなので)言わなか

          郷愁の浅田飴

          昭和モンブランとたぬき

          その昔、隣のアパートに住んでいた2歳くらい上のかつみちゃんの友達でユカちゃんという子がいた。小さなケーキ屋の子だった。 うちから歩いてすぐのお店で1階が店舗、2階が住居だった。甘いお菓子の香りが店の外まで漂っていた。その隣がクリーニング屋さんで、手編みのお人形などをくれる優しいおばあちゃんが一人でやっていた。このおばあちゃんのこともいつか書きたい。 ユカちゃんとはかつみちゃんを介して三人で遊んだはずだけどほとんど記憶にない。でもショートヘアの笑うと目が細く垂れてかわいらしいお

          昭和モンブランとたぬき

          スケルトンの缶ペンケース

          1986年頃だったと思う。小学校で蓋はアルミ、下半分がプラスチックの缶ペンケースが流行った。その時私は4年生で、低学年まで真面目に使っていたあの機能性に満ちた筆箱(両面使えて表は鉛筆や消しゴム、時間割表付きで裏は定規など入る分厚いやつ)をとうに卒業していた。私の周りでは他の子もだいたいそうだったが、まず缶ペンケースに行く。そして中学に入ったら布製の大人っぽいペンケースを使う子が出てくる流れだった。 この缶ペンケースの何がウケてたかというと、蓋の部分は普通の缶でかわいい絵柄が

          スケルトンの缶ペンケース