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レンタルビデオとガリバーのパン

若者に問いたい。VHS、ビデオテープをご存知だろうか。DVDもYouTubeもなかった時代、な、なんと人類は“ビデオ”なるもので映画やミュージックビデオ等を見ていたのだ。おじいちゃんおばあちゃんの家で見たことある人もいるかもしれない。地デジ化が完了しアナログ放送が終了する2011年頃までは生きていて、私もテレビとビデオ一体型の物を持っていた。

そのビデオテープをレンタルするお店がレンタルビデオ屋だ。その昔個人経営の店も多く存在し、ちゃんと(?)大人のビデオも備えていた。CDすら一般的でなかった時代である。

片田舎のうちの近所にもグリーンバードという小さなレンタルビデオ店があった。規模の割に品ぞろえが良かったため、親はよく通っていた。
ちょうどバックトゥザフューチャーがヒットした頃と重なる。大ヒット作とあってレンタルが始まるや否や貸し出し中の札がかかる。アナログ全盛時代で、ビデオテープのケースが在庫の数だけ店の棚に並び、貸し出し中のものはケースにそれとわかる色付きの輪ゴムがかかっていた。

父は暇つぶしに見る程度には映画好きだった。休みの日に自分が見るのはもちろん、家族で見るための話題作を借りてくるのも父の役目だった。
ただ何事も広くほどほどに嗜むのが父流で、作品を深く味わうということをしない人だったので前に借りたものをまた借りるということがたびたびあったようだ。母に「あんたこの間もこれ借りたやろ!」と叱られているのをよく見た。

さすがにバックトゥザフューチャーは一度見れば忘れない名作なのでその心配はなかったが、レンタル開始当初は全て貸出中で悔しそうに帰ってきた。次の休みに再びビデオ屋に張り込み、その時も貸出中だったがタイミングよく返却に来た人がいて、店員が輪ゴムを外すのを傍で確認し、他にも狙ってると思わしき人々をかいくぐって借りてきたらしい。武勇伝を自ら語る父に「ww」と母娘で感謝しつつ、みんなで鑑賞した。最高だった。

ちなみにバックトゥザフューチャー2と3が出た時も、父は同じ手順を踏んで借りてきたのだった。

余談だがそのビデオ屋の並びに、これまた小さなパン屋「ガリバーのパン」があった。
看板にのほほんとしたガリバーのイラストを掲げていた。町の素朴なパン屋さんで、メロンパン、ハムマヨロール、クリームパンやカレーパン、サンドイッチや飲み物など置いていた。
小学校中学年頃まで買いに行っていた。最初は親と一緒に、大きくなってからは隣に住むいとこと私だけで。
いとこと買いに行ったとき、店主のおじさんが気さくに何か話しかけてきた。子ども好きな人だったのだろう。会話の内容は忘れてしまったが、その時のおじさんの目が寝不足なのか充血していたことは覚えている。

家に帰ってそのことをいとこと話し、我々に「血走りおじさん」という不憫なあだ名をつけられてしまった。
ほどなくして、そのパン屋はつぶれて空き家になった。
経営がうまくいってなかったのだろうか。うちの周辺では唯一の歩いて買いに行けるパン屋だったし、味も悪くなかった。移転したという話も聞かなかった。
その少し前、うちからもうちょっと離れたところにある、たまに行っていたヤマサキパンを扱う小売店の夫婦が夜逃げしたという話を聞いていた。そんな時代だった。

レンタルビデオ「グリーンバード」はいつの間にかなくなっていた。平成に入り私が中学生のとき父は他県へ単身赴任となり、家族でビデオを一緒に見ることもなくなった。「ずっと待ってやっと借りられた♪」と子どものようにはしゃぐ父を見たのはそれが最後だった。
※父は今も生きてます

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