昭和モンブランとたぬき
その昔、隣のアパートに住んでいた2歳くらい上のかつみちゃんの友達でユカちゃんという子がいた。小さなケーキ屋の子だった。
うちから歩いてすぐのお店で1階が店舗、2階が住居だった。甘いお菓子の香りが店の外まで漂っていた。その隣がクリーニング屋さんで、手編みのお人形などをくれる優しいおばあちゃんが一人でやっていた。このおばあちゃんのこともいつか書きたい。
ユカちゃんとはかつみちゃんを介して三人で遊んだはずだけどほとんど記憶にない。でもショートヘアの笑うと目が細く垂れてかわいらしいお姉さんだったのは覚えている。
タイトルに使っておいて何だがユカちゃん本人のことではなく、ユカちゃんのとこのケーキについての思い出を。
ユカちゃんのケーキ屋さんは定番のケーキやホールケーキを売っていた。近所の付き合いでたまに買っていた。レモンケーキ(レモン型のスポンジケーキをアイシングした焼き菓子)やマドレーヌ(貝型ではなく平たい円型のほう)など懐かしいお菓子も売っていた。
少し前Twitterでたぬきのケーキを見かけて記憶の扉が開いた。昭和のたぬきケーキ。すっかり忘れ去っていた。こういう時SNSはありがたい。そのたぬきケーキもユカちゃんとこに売っていた。今でいうポケモンのキャラケーキみたいなポジションで、当時の庶民派のケーキ屋には大抵売ってたようだ。
検索すると容易に出てくるので知らない人はぜひ見てほしい。チョコレートコーティングされたケーキで、キャラクタライズされた愛され狸といった造形ではなく(当時はカワイイとされてたの?)、割とリアルに“狸”している。昔ながらの飲み屋の店先にある、傘かぶって徳利下げたあのタヌキに似ている。
味は準チョコレートにくるまれたスポンジケーキという感じだった。それでも子どもは十分ウレシイ。ただ、そこそこ舌が肥えてきていた私のようなガキは、正直もっとおいしいシュークリームやモンブランを知っていた。そう、たぬきケーキとは“見た目で味が3割増し”するタイプのケーキだった。
そして触れてしまったからには言及したい、昭和のモンブラン。シュークリーム、ショートケーキやチーズケーキ等の王道は今でもその原型を守っている方だと思うが、あの黄色いモンブランを知っている世代は少なくなっているのではないか。
今やケーキでモンブランと言えば“茶色”だ。ケーキ専門店のみならずコンビニスイーツでもカフェでもどこでも、本来の栗の色を活かしたモンブランこそが自然で主流。しかし昭和の頃は茶色のモンブランなど存在しなかった。少なくとも田舎者の私の周りでは。
あのモンブランの黄色の正体は、甘露煮を色付けするクチナシだった。言うなれば“栗の甘露煮をペースト状にしたもの”だ。栗の甘露煮なら昔からあったし、和菓子のほうで使われていた。
本場のマロングラッセ仕様のモンブランが登場するまで、日本で栗のケーキといえば黄色いモンブランだった。
大人になった私は洋酒のきいた茶色の現行モンブランが好きだが、昭和27年生まれの母は黄色派だという。
スポンジの上にカスタードクリームを乗せ、その上に生クリーム、栗の甘露煮をペースト状に細く絞り出し、あのかわいい黄色の甘露煮をてっぺんに添えた昭和モンブラン。子どもの頃はもちろん好きだったが、ちょっと成長してチーズケーキやスイートポテトに手を出すようになってからは二軍的存在になった。
私としては栗のケーキならもっと栗栗しさ(?)を前面に押し出しつつ上手に他にはない個性を出してほしかった。そう、洋酒の風味のマロングラッセと共にメレンゲを内包し、栗本来の茶色でもって視覚的にも栗のケーキであることを揺るぎなく印象付ける今のモンブランのように。
当時のモンブランがそうだったなら、他のケーキに目移りせず私のレギュラーの座にいただろう。
当然のことながら、昭和の田舎にはまだこういったいかにも本場なモンブランはなかった。でも、今こうして黄色のモンブランを懐かしく思い出されるのは、それだけ広く愛されていたということだ。その時のかすかな思い出とともにノスタルジーを掻き立てられる。昭和モンブランとして一時代を築いたのだ。
どちらのモンブランもそれぞれの良さがあり、優劣はつけられない。好みの問題。
そうだ、不二家は黄色いモンブランを今でも売っているはずだ。久しぶりに味わってみたい。
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