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大河「べらぼう」第5回 「蔦に唐丸因果の蔓」 夢を描く土台としての理不尽な現実の正体

はじめに

 皆さんは最近、夢を語ったことがありますか。という質問をしただけで苦笑いをした方々もいらっしゃるでしょうね。「気恥ずかしい」「今更」「もうそんな年齢ではない」「思いつかない」など、夢を語ることを苦手と感じる方の理由はさまざまありそうですが、その根っこには「夢は現実ではない」という思い込みがあるように思われます。

 たしかに「夢見がち」という言葉に代表されるように、夢を追っている話をすると、周りから現実を見ていないと失笑されることはよくあります。また、2000年代以降の実質賃金が上がっていない現実を見れば、夢など持ったところで意味がない、夢を持っても苦しむだけだ、とその実現不可能性ばかりに目が行きがちです。現に、2019年の、とあるアンケートにおける「働く理由」においても、「夢の実現」をあげた人は全体のわずか1%という有り様です。

 しかし、夢を持つことは、そんなに現実を見ていないことなのでしょうか。私が20代の頃、中学時代の恩師は、人間が生きていく上で一番大切なことは夢を持つことだと私に語ってくれました。何故なら、「夢を持つ人間は、現在の自分を知り、目標のために何をすべきかを考え、努力をするからだ」と。夢とは壮大な場合が多くあります。それを一足飛びに叶えようとするなら、それこそ現実を見ろというだけです。しかし、大望を抱く人は、いつ頃叶えるのかを計算し、それまでにどういうステップを踏まなければいけないのか、大まかに考えているものなのですね。

 因みにこの恩師の夢は、老人たちの憩いの場になるうどん屋を開くことでしたが、そのために貯金をため、定年前に店を開く土地を購入、定年後に2年間、うどん屋へ弟子入りをして修業。そして、計画どおりうどん屋を開きました。今は父の夢に乗った息子が後を継ぎましたが、彼自身もまだ店頭に立って現役です。挙句の果てには、全国放送の某番組で密着取材をされていました(笑)いやはや、有言実行…頭の下がる思いです。私もまだまだ諦めてはいけないと思わされます。

 前回、蔦重は、地本問屋の罠に落ち、版元になる志を打ち砕かれました。まさに現実を思い知らされたというのが、今の蔦重です。現実を知ったとき、「折り合いをつける」「大人になる」という言い訳で夢を諦める人が多い中、蔦重は、それでも諦めきれません。厳しい現実を前になおも夢を抱き、その実現のきっかけを探して奔走する…それが第5回の中心にあります。何故、彼は夢を描き続けようとするのでしょうか。そこで、今回は蔦重の動向、唐丸との関係、花の井とのやり取りから、人が夢を抱く根っこにあるものについて考えてみましょう。


1.蔦重のなかで大きくなる版元になる志

(1)理不尽への不満の正体

 のっけから蔦重は、花の井に「雛形若菜」から外されたことを愚痴りまくっていますが、ため息一つついた花の井は「そもそも、仲間に入らなければ商いが出来ないなんて当たり前のことじゃないか」「そこを見落とすなんて、トンチキもいいとこさ」とバッサリ。まったくもって同情してくれない幼馴染に「どうせ、俺、トンチキのべらぼうだよ」と不貞腐れてしまいます。投げ槍な彼に呆れながらも「膨れちゃってさぁ…別に版元でなくたって本は作れんだろ。市中の本屋で取り扱いしてもらえないだけで」と、本を作る楽しみそのものは別に取られてやしないだろと言います。

 その慰めの言葉も、自分の仕事を立場によって横取りされた蔦重には納得できるものではありません。「ずりぃじゃねぇかよ、後から来た奴は仲間に入れてやんねぇとか」と、さらにむくれます。実力不足であれば仕方がなく、改善のしようがあります。しかし、最初から門前払いでは、努力も才覚もあったものではありません。機会をくれ…それが蔦重の言い分です。

 しかし、花の井は「世の中、大抵そんなもんじゃないか」と諦めモード。遊女という煉獄に身を置く彼女は、大枚はたくお大尽、かつかつで生きていくのも必死な河岸女郎とその落差が身に沁みています。世の中は「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」(マタイ効果)だと実感しています。「重三も吉原者なら、その常識ぐらいわかっているだろう」と諭しているのですね。なおも「かもしんねぇけど、納得でき…」と駄々をこねる蔦重に、「あんただって!吉原以外、取り締まれって言いに言ったじゃないか!」と一喝する花の井。既得権益を盾にした前科から、自身のダブルスタンダードを責められた蔦重は、あ…となります。

 それでも「…それはそうだけどよ…」と諦めの悪い彼に、松葉屋が「重三、これ、次に改めてくんな。若紫が引出になるから」と仕事の依頼をしてきます。ここで言う若紫は、後に人気となり、かの喜多川歌麿「松葉屋若紫」のモデルとなります。蔦重と組むことになる歌麿が出てくる…そんな補助線が引かれた瞬間です。
 とはいえ、まだ先の話。蔦重は、不貞腐れた表情で「ち…」と舌打ちをして、松葉屋を見上げます。呆気に取られる松葉屋が怒り出す前に、「おいら、やっときます」とすかさず唐丸がフォローに入り、何事もなく済みますが、この様子に呆れ果てた花の井は、遂に去っていきます。よくよく考えれば、花の井たち遊女に比べれば、蔦重はまだまだ縛りはありません。日々のお務めに心身を痛めつけることもない…蔦重の悩みは贅沢なのですね。しかも、惚れた男が、いつまでもウジウジ愚痴っているなんて見たくもありません。


 ただ、前回の「雛形若菜」披露の成り行きを見れば、松葉屋に対する蔦重の態度は、ある意味、合点がいくところ。蔦重と地本問屋が揉めたとき、結局、味方のはずの楼主たちが地本問屋たちの側に回り、蔦重を見捨てました。「吉原のため」、蔦重は引き下がりましたが、そんな彼に労うでもなく、詫びるでもなく、終わったこととしてしれっと次の仕事を依頼してくる。自分だけが損をして、誰も自分を見向きもしない…面白くないのは当然です。挙句、幼馴染も理解しようとはしない…
 この先、自分はどうすればよいのか。蔦屋に戻った蔦重は、源内の書きつけた「耕書堂」の堂号を眺めながら、やり場のない焦燥感を抱えています。蘇るのは「おめえさんはこれから版元として、書をもって世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にするんだよ」(第4回)という源内の言葉。託された思いは、そうそうにめちゃめちゃにされてしまいました。

 その憂いは、鱗形屋孫兵衛から届いた「鱗形屋お抱えの改(あらため)になれ」という文によってますますかき乱されます。蔦重が鱗形屋の専属になれば、吉原で作った摺り物をいつでも鱗形屋の本として市中に売り広めてやれる。「どう逆立ちしたって版元にはなれねぇんだからお互いのためにそうしねぇか」と言うのです。その言いようには、現実を改めて突きつけ、蔦重を利用するだけ利用しよとする鱗形屋の厚顔が窺えます。あまりにもバカにした話に、文を放り投げる蔦重ですが、話を聞いた二郎兵衛は「お、いいんじゃねぇの。どんどん売り広めてもらえるなら」と実利を取るべきだと返します。名より実…抜けている割には、商人として正しい判断です。

 対して、蔦重、「けど…俺がどんなけ骨を折って本作ったとこで、版木は自ず鱗形屋のものになるんすよ」と、版権も名声もすべて彼のものになり、自分には何も残らないと抗議します。にやりと笑った次郎兵衛は「ああ、なんだい、重三。欲が出てきたって話かい」と、彼の我欲の芽生えを指摘します。
 いつだって、吉原のため、遊女たちの生活のために奔走してきた蔦重…自分の欲望だと指摘されたことに虚を突かれた思いです。呆気に取られた後、「あ…まあ、版元にこだわってんのは俺だけ…はん…俺が欲張りってことなんでしょうね!」と自嘲するのは、忘八楼主たちの強欲を嫌う彼ならではです。ああはなりたくない…それでも「けど、んなん納得できねぇっすよ」となってしまう蔦重。もやもやは晴れません。

 「一目千本」で本づくりに目覚めた蔦重、「んな楽しいこと世の中にあって…俺の人生にあったんだって!」(第3回)と喜色満面に叫んだものです。このときから、彼にとって本づくりは生き甲斐になりました。そこには、作業自体の楽しさだけではなく、多くの人が本に関わり、縁ができていく…皆で本づくりをしていくその関係性も、彼にとって重要でした。その喜びをもっと味わいたい…人生初めて見つけた楽しみに対する欲が生まれたのは自然なことです。

 そして、その気持ちを膨らませたのは、皮肉にも楼主たちの強欲で始まり、乗り気ではなかった錦絵の話でした。楼主たちの強欲をかわし、遊女たちに迷惑をかけない方法として、タイアップ企画を閃いたことは、彼にプロデュースの面白さを更に植え付けたでしょう。また西村屋与八が関わったことで、「雛形若菜」となっていく過程は、「一目千本」とは比べ物にならないビッグプロジェクトを主導する達成感を与えたはず。彼が感じた本づくりの面白さは、企画、資金繰り、製作、頒布…そのすべてがグレードアップしたものになりました。
 その高揚感は、西村屋の版元になれという甘言と源内の期待によって煽られました(前者は悪意、後者は善意というのが皮肉ですね)。それはもう生き甲斐であり、自分の尊厳であり、使命感でもある…だから、彼にとっての本づくりは、そのすべてを担う版元になる志へと昇華したのでしょう。醸成され志は、後戻りは出来ません。理不尽な扱いに納得できないのも当然です。

 ただ、地本問屋の既得権益に阻まれたことで自覚した蔦重の本づくりをめぐるさまざまな情熱、欲望は、人のためだけに生きてきた彼にとって初めてのもの。理不尽に挫かれただけに負の感情として持て余してしまうのです。ですから、いつまでも囚われてしまうのも、こだわってしまうことも責められないものがあります。

 しかし、自身の欲望と向き合い、憂いに囚われたことで、蔦重は仕事を唐丸一人に任せて、鱗形屋へ使いに出したこと…このわずかな隙が、刀傷の浪人を唐丸に近づけさせ、彼を悩ませ、金を盗ませ、そして遂には吉原を去ることになってしまうきっかけになってしまったことは、何とも哀しいものがありますね。浪人に強請られ、落ち込んで戻ってきた唐丸を物思いに囚われた蔦重が、背中で受け答えをせず、向き合っていたら、もっと早く対処していたようにも思われます。唐丸との関係性については、後述するとしましょう。


(2)人の生き方を阻むもの

 さて、本づくりの諸々を諦めきれず鬱屈する蔦重に転機を与えるのは、偶発的ですがやっぱり平賀源内です。ある日、ボロボロになった源内が蔦重を探して、吉原にやってきます。その源内、秩父山での鉄の採掘事業に失敗、挙句、土地の者と金銭で揉めて、お仲間の平秩東作(へづつとうさく)を人質に取られてしまう始末。這う這うの体でここへたどり着いたといった具合です。
 しかし、ただでは転ばない源内は、鉄がダメでも精錬のために大量に作った炭と炭焼き窯で儲けられると判断、鉄から炭への商売替えをしようと考えたのです。そして、大量に売り捌くために炭屋の株を入手し、株仲間になろうと画策、その情報集めに吉原へやってきたのでした。話を聞いた蔦重は「株を手に入れて仲間に入る…」と呟きます。株を入手できれば版元になれる…光明が開けた気がしたのです。

 その後、源内の株入手のための交渉に付き合った蔦重は、帰りがけ、「いつもこんなことやってんすか?儲け話考えて、人集めて、金集めて、一々大変じゃないっすか」と、そのバイタリティに舌を巻きます…って、「一目千本」「雛形若菜」で蔦重がやったことが、まさにそれなのでお前が言うか、という気はしますね。源内は「へへっ…仕方ないじゃな~い。俺には抱えてくれるお家もお役目もないんだから。てめぇで声張り上げて回らねぇと何一つ始まらないんだわ」と軽い調子で答えています。
 しかし、その後の話でも出てくるように彼は、江戸に戻るため高松藩を辞職した際、高松藩から奉公構(ほうこうかまい)という刑罰を受けてしまい、どこにも仕官できないのです。江戸時代において、この奉公構は厳格に運用されたようで、武士にとっては死罪の次に厳しい刑罰でした。武士として生きる術も、才能を生かす場も与えられないからです。つまり、源内は、人生が詰んでいるのですね。

 しかし、彼はその現状を悲観していません。自分の才覚は、一所に留まるものではないと自負し、「自由に生きる」とうそぶきます。ここで言う自由とは、現代の"Liberty"の和訳ではなく、元々の意味「わがまま」です。「自由に生きる?」と問い掛ける蔦重に、源内は「世の中には人を縛る色んな理屈があるじゃねぇか。親とか生まれとか家、義理人情。けど、そんなものは省みずに自らの思いによってのみ、我が心のままに生きる…わがままに生きることを自由に生きるっつうのよ」と語ります。
 源内が語るしがらみの数々、それこそが人を悩ませる大本、この世を憂き世にするものです。源内は、自身の詰んだ将来を逆手に、それらを笑い飛ばすことで、自分がやりたいことをやってみせると意気込みます。ですから、「わがままを通してんだから きついのは仕方ねえや」と、どこまでもいなせを貫きます。


 その言葉を聞いた蔦重は、いつまでも自分の境遇を呪って。人を恨んでも始まらないのだと気づかされるのです。源内ほどでないにせよ、自分のやりたいこと、欲のために何か動いてみようと思った蔦重は、「あの…源内先生。俺、本屋の株、買ってみようと思っています」と決意を語り、紹介を頼みます。妙な顔をした源内は、例の「解体新書」を出した版元、申椒堂の須原屋市兵衛を紹介します。
 そこで知った蔦重、驚愕の事実は、地本問屋には、書物問屋のような幕府公認の株仲間は存在せず、同人的な仲間内でしかないことです。この点は、第4回note記事でも触れましたが、地本問屋にあるのは自主的な願株の仲間だけで、幕府公認の株仲間が成立するのは寛政期を待たねばなりません。この事実は、株の取得で地本問屋の仲間内に入るという方法では、彼らは認めてくれないことを暗に示しています。

 詰んだとばかりに天を仰いだ蔦重、「何かねぇんすかねぇ…俺が版元になる手は…」と藁をもすがる思いで、口にします。何でも自らやってしまう源内が「勝手になっちまえば良いんじゃないの?」と言うのは、実力でねじ伏せればいいだろというニュアンスです。これに対して、蔦重が「けど、それじゃ取引してもらえねぇじゃないですか」と答えたのは、「雛形若菜」の一件で鶴屋喜右衛門が言った言葉、「私ども版元をやります地本問屋は互いに作った本や絵を互いの店で売り合い売り広めております」(第4回)を聞き、業界の仕組みをわずかながらも知ったからですね。

 すると、須原屋市兵衛が「まあまあ、どっかの本屋に奉公に上がるってぇのは」との助言をくれます。彼曰く「おうよ、うちだって暖簾分けして出来た店なんだよ」と語っていますが、そのとおり、彼は出版界の最大手、須原屋茂兵衛から暖簾分けされています。市兵衛が言いたいのは、業界内に入り込む覚悟があるなら、業界でまずノウハウを学ぶこと、そして信用を得ること、この二つが必要だということです。実に的確なアドバイスだと言えます。

 ただ、それでも市兵衛の助言は、一縷の望みでしかない可能性があります。それは、何故、「雛形若菜」で大きく利益が絡まない鶴屋喜右衛門までが地本問屋を代表して、蔦重を締め出したかということです。第4回note記事でも触れましたが、「一目千本」に対して鶴屋が冷ややかな態度を取り、「耕書堂さんが版元になることは今後もまずございませんかと…」と徹底的に拒絶したことから察するに、鶴屋が蔦重を嫌がった一番の理由は、蔦重が吉原者だからだと思われます。つまり、彼の出自が問題なのです。

 蔦重自身は、このことにはまだ気づいていないようですが、あのとき、鶴屋を睨みつけた駿河屋市右衛門は、それを理解していますね。また、扇屋宇右衛門のように吉原者が蔑まれていることに自覚的な人間も、本作では描かれています。だとすれば、彼がどんなに業界のノウハウを身に着けようと、信用を得ようと、最後の最後でその出自で阻まれる可能性があることを示唆しています。


 出自…生まれとそれによる環境だけは、自分にはどうにもなりません。この問題は、実は蔦重や吉原の者たちだけに留まりません。まず唐丸。彼はどうやら盗賊の一味だったようですが、年端もいかない彼が自らの意思でこの道を選んだのではないでしょう。おそらくは売られたか、拾われたか、そもそも親が盗賊だったか、そんなところでしょう。どんなに善行を積もうと、真面目に働こうと逃れ得なかった出自によって出来た罪という過去は、どこまでも彼を追いかけてきます。
 彼の過去をネタに強請りをかける刀傷の浪人とは、彼の過去の罪そのものだと言ってもよいでものです。浪人は、唐丸の罪を奉行所に話せば「お前も勿論死罪だし、お前を匿ったかどで蔦重や次郎兵衛も死罪、遠島…類が及ぶだろうなぁ…」と脅した末にこう言います。「とっくに詰んでんだよ、お前も」と。出自によって、そもそも唐丸は詰んでいる。ゆえに彼は、罪を重ねざるを得なくなります。


 源内も同様です。奉公構は自身の振る舞いの結果ですが、そもそも彼も高松藩では身分の低い出です。裕福な家庭に、あるいは身分の高い家柄に生まれてば、その才覚ももっと違う形で有効に使うことが出来たかもしれません。

 そして、老中田沼意次も例外ではありません。「山で稼げれば土地の者が金を得る。そこに水路が開かれば商いが盛んになる。川沿いには宿場が出来、会所が開かれ民は潤う。こちらにも運上冥加が入ってくる」と、経済に明るい彼の革新的な政策が遅々として進まないのは「お前は商人かなどとほざく由緒正しき方々」のせいです。彼の父、意行は紀州藩の足軽でした。つまり、田沼意次は最下層の足軽の家から、老中へと異例の出世を遂げた稀有な存在です。
 才覚あればこそですが、その出世を妬み、その出自を蔑む者たちが足を引っ張る。彼もまた己の出自の宿命から逃れ得ない存在です。このように、「べらぼう」では、身分の問題が大きく横たわり、いずれこのことが、蔦重を苦しめることが予想されます。


2.蔦重、大いに夢を語る

(1)蔦重の真心の行方

 出自の問題はさておき、源内の語る自由に心が響き、洲原屋市兵衛の助言を受けた蔦重、思案思案、蔦屋に戻るのは黄昏時になってしまいます。びぃどろを吹き、見るからに暇そうな次郎兵衛、蔦重の姿に待ちかねたように「働きすぎておかしくなっちまいそう」との理由で帰ることにします。うん、残業頼まれそうなときは、この次郎兵衛のパワーワード、使えそうですね(違←
 しかし、帰りしな、次郎兵衛は、蔦重に高価な本を買ったかと問い質します。銭箱の金子袋が軽くなっていたからです。出納がどんぶり勘定なのに金子袋の重さで大体の増減が分かる、その原因を気にするあたりはやはり商人の子です。今回の次郎兵衛は、蔦重に芽生えた欲を何気なく指摘するなど、遊び人のぼんぼんの性質と本質をとらえられる勘のよさと相反する二つの面を持っているようです。

 金の出入りの不自然を指摘された蔦重は、はっとしたようにしれっと仕事を続けている唐丸の背へ視線を投げます。先だっての柄の悪い浪人に対する唐丸の妙な態度が頭にあったのでしょう。揺すられたのでは?…そこまで感づいたかもしれません。しかし、次郎兵衛には「兄さんがなんか買ったんじゃねぇんすか?」と彼のずぼらさにかずけます。唐丸も次郎兵衛に同じことを問われたとき、大好きな蔦重のせいにせず、次郎兵衛にかずけましたが、蔦重も同様で、こうしたところに二人の絆が窺えます。哀れ次郎兵衛、覚えがあるはずのない買い物の記憶に首を捻りながら、その場を去ります。

 その夜、筆を置き、「あのよぉ唐丸」と何気なく話しかけた蔦重は「俺、鱗形屋抱えの改になる話、受けることにした」とさらりと決意を語ります。蔦重がやろうとしていることを唐丸話す→唐丸が後押しする相槌をする…という流れは二人には自然なことですが、この夜、蔦重が自身の将来を決める大事な話を誰よりも先に唐丸に語ったのは、唐丸の不審な様子が心配になったからでしょう。ですから、自分が唐丸を信頼していることを改めて示し、早く彼を何とかしてやりたいという思いを彼に伝えたいのです。それが、彼の苦境を救うかもと思うからです。無論、唐丸の存在が、蔦重の版元になる思いをささやかに後押ししているからこそ、語れるのは言うまでもありませんね。

 「え?何で?」と唐丸が驚き聞き返したのは、蔦重が版元になるのを諦めたように感じられたからです。しかし、ニヤリと笑った蔦重、「えれぇ本屋の話だと、暖簾分けなら道は無くもねぇ。だったら、改になって鱗の旦那に認めてもらって、暖簾分けをしてもらうのが一番じゃないかって」と洲原屋市兵衛の助言から、版元になる手段を思案した旨を語ります。
 一方で「まあ、源内先生みてぇにわがまま通して生きるほどの気概はないし、気がなげぇ話になっちまうけど…」と自虐的になってしまうのは、世間を知っているようで知らなすぎた自身の失敗、自分の小ささを自覚したからでしょう。源内と洲原屋とのやり取りで、しがない吉原の下っ端という己の今の立ち位置を再確認した蔦重。結果、我儘を通して世知辛さを必要以上に味わうよりも、可能性にかけら周りと折り合いをつけ時を待って耐える道が、自分に向いていると思い直したのです。それが苦難の道だとしても。

 蔦重の前向きで堅実な将来設計に、案の定、唐丸は「おいらもそれがいいと思う!」と喜び太鼓判を押します。すると、「あ…お前のことは約束通り当代一の絵師にすっからな」と言い出します。蔦重は「あ…」と、ついでのように話していますが、実はこちらがメインです。あくまで自然な体で話を進めているのでしょう。「へ?」と驚く唐丸の肩を優しく抱いた蔦重は「約束したじゃねぇか、この間」と言いながら、二人座り込みます。
 そして「実はよぉ、もう考え初めてんだ」と、唐丸プロデュースの青写真を披露します。「まずな、お前の錦絵を鱗形屋から出すんだよ。初めは「亡き春信の再来」って春信の画風で花魁たちを描くんだ」と言います。そう、蔦重は自分が版元になるより、まず唐丸を先に売り出すことを優先しています。だから、耕書堂ではなく鱗形屋から出すのです。一人前の絵師として身を立てるようになれば、周りに人も付き、悪い連中が近寄れなくなるやも…そんな意識もあるかもしれません。

 因みに春信とは、木版多色摺りの錦絵を誕生に寄与した鈴木春信のこと。本作のファーストシーン明和の大火(1772)を遡ること1770年に没していますが、その人気は死後5年経っても未だに大きい。また彼には弟子、または「雛形若菜」を描いた礒田湖龍斎のように私淑する者も多い。ですから、湖龍斎の絵をそっくりそのまま模写した唐丸の才を売るために、春信の名を利用するというのは、なかなか巧い手でしょう。
 しかし、蔦重の計画はそれに留まりません。「そん次は、おんなじ花魁を湖龍斎風に描くんだ。そん次は重政の画風ってな具合にざくざくと続けてよぉ…んなことやってりゃあ、この絵師は誰だって評判になる。そこでお前をどーんっと御披露目だぁ(笑)」と、あらゆる画風を使いこなす天才絵師として唐丸を売り出していく様を生き生きと、楽しげに語る蔦重を見る唐丸の目も次第に輝いていきます。

 「世の中ひっくり返るぜ、なんだよ、ガキじゃねぇかって」と、世間が驚くさまを思い描き笑う蔦重。この言葉は、ここしばらくの蔦重の鬱屈も少なからず影響しているように思われます。幕府公認の「御免株」による株仲間ではないがゆえに、かえって地本問屋たちの仲間内による商売の囲い込みの壁の厚さを思い知った蔦重。天を仰いだとき、 「詰んだ」と絶望したでしょう。吉原に生まれた者…つまり出自が下賎の者たちには、希望すら許されないという理不尽がそこにあります。幸い、洲原屋市兵衛の助言で、一縷の望みは得られましたが、それは多難が待ち受けていることでしょう。

 その難事を耐える術は、いつか、世の中をあっと言わせてやる。世の理不尽を生む理屈を揺るがせる、そんな夢を持つことでしょう。師匠付きの由緒正しい者、金持ちや武家出身者が多い、絵の世界を、ぽっと出の子ども(唐丸)が穿つことも、そんな夢と言えます。しかも吉原から天才絵師が出たとなれば、吉原に活気が戻ること請け合いです。
 ですから、唐丸の存在、そしてそれをプロデュースすることは、きっと蔦重自身の版元になりたい志の光になるはずです。奇しくもそれは駿河屋市右衛門が、拾って養子にした蔦重に、自身の跡継ぎを夢見たことと似ています。ただ、蔦重が自分の思いを押しつけることを嫌っている点だけは違います。ですから、前回も唐丸を絵師にすることはあくまで唐丸の意思次第としていましたね。

 さて、蔦重の唐丸出世物語は、「で、お前は天下一の才だって、どんどんどんどん人気になって…あれよあれよという間に当代一の絵師になるって寸法だ」と、とことん調子がよく、さすがに唐丸は「何それ、そんな上手くいくわけないじゃない」と軽くいなします。しかし蔦重、動じるでもなく「いいじゃねぇか、どうせなら目一杯楽しい話のがよ」と言い切ります。
 この言葉は、生前の朝顔が幼き日の蔦重と花の井に言った「わからないなら楽しい話に変えちまおう」(第1回)ですね。言うなれば、「将来のことがわからないなら、せめて一番楽しい夢を思い描こう」と言うわけです。現実が辛いからこそ、楽しいことを考える。夢を大きく描くことで浮き世=憂き世から解放されるのですね。

 うんうんと頷く唐丸は「そうだね、そうなるといいね」と笑います。後ろ暗い過去を抱える唐丸は、幼いながら自分の将来に光が差すことはないと確信していたでしょう。あの大火のなか、ぼーっと火を見つめていたのも、もしかすると生きていても仕方がないと思っていたかもしれません。そんな彼を拾ってくれた蔦重は、どんなに苦境に立たされてもめげることなく、楽しく前向きに生きようとしていました。その姿は眩しく、あっという間に憧れとなっていったでしょう。
 そして、「細見改」「一目千本」…と次々、目論見を成功させていく蔦重。蔦重は夢見るだけでなく、現実を引き寄せる行動力があります。ですから、彼の手伝いをすることが、唐丸の生き甲斐、救いになっていったはず。もっとも、蔦重もそんな唐丸の思いには気づいていないでしょうが。そんな蔦重に「俺が当代一の絵師にしてやる!」と強く抱きしめられた前回の唐丸の喜びはいかばかりか…蔦重といれば、罪人の自分も夢を見られるかも…そんな淡い期待を抱いたのではないでしょうか。注意深く記憶喪失を演じていた彼が「嬉しくて。おいら、そんなこと言われたの初めてだから」と、つい尻尾を出してしまったのも、嬉しさゆえの気の緩み、とすれば、せつないですね。


 唐丸の同意を確認した蔦重は、真顔になり、居住まい正すと「でな。お前何か隠してねえか?」と、本題を切り出します。自分の版元という将来設計を語り、その前に唐丸を絵師として売り出す計画を披露した蔦重の真意は、「これから先も俺は、お前と夢を追いかけてぇ。お前はどうだ?」です。蔦重が大好きで憧れる唐丸に否応があるはずがありませんでした。ですから、それを再確認した上で、これからも一緒にやっていくから隠し事は無しだぜ、と唐丸に問うのですね。なかなかに巧妙ですが、唐丸への思い遣りゆえに丁寧に回りくどく話しています。

 一瞬で表情が曇る唐丸に「困ってることがあったら言え。悪いようにはしねぇし、力にもなる」と畳み掛け、「なんせお前は、俺の大事(でぇじ)な相方だ」と締めます。市右衛門が蔦重を拾ったように、蔦重も唐丸を拾いました。しかし、蔦重は唐丸に自分の幼名を名乗らせながらも養子にはしませんでした。この子が望むほうへ身を立ててやりたかったのです。しかし、いつしか賢く、気が利き、仕事もそつがないこの子を頼みにし、大切に思うようになった。だから、共に夢を見る対等な相棒だと唐丸に告白しているのですね。

 蔦重の精一杯の思い遣りに微笑した唐丸は「ないよ、悩みなんて」と問いを否定します。憧れの人が、年齢の離れた自分、罪人の自分を「大事な相方」と呼んでくれた…そのことは唐丸の半生でもっとも嬉しいことだったはずです。こんな素晴らしい人に迷惑はかけられない…蔦重の真心は皮肉にもかえって唐丸に哀しい嘘をつかせます。唐丸が心配な蔦重は「じゃあ何でそんな顔してんだ?」と、なおも問い詰めますが、賢しらな少年は「蔦重がおかしなこと言うからだよ」とはぐらかします。
 しかし、蔦重の真心に揺り動かされた本心は隠しきれず…唐丸は泣き笑いの表情になってしまいます。こうなると根の優しい蔦重は、それ以上、追及できず「そうか…じゃ寝るか」と笑顔で話を終わらせるしかなくなります。まだ時間はある…おいおい聞こう…そんな考えも頭をよぎったのかもしれません。


(2)蔦重の夢は周りの希望

 しかし…翌朝、唐丸は銭箱とともに姿を消しました。気づいた蔦重は、寝惚けた次郎兵衛を無理矢理、店番に据えると、唐丸を探しに方々へ駆け出します。その頃、抱えた銭箱を件の浪人に差し出した唐丸は「おいら、これであの店には帰れないよ。だからこれであの店には構わないで」と懇願します。
 唐丸は、諦めず全力を尽くし、前へ進もうとする蔦重が大好きでした。その彼が地本問屋の罠で挫けたときは、唐丸自身も辛かったでしょう。しかし、今、蔦重は再び、版元になる志を叶えんがため、苦しい選択をして、立ち直ろうとしています。しかも、彼は自身の志を叶える前に、罪深い自分を、「大事な相方」ゆえに絵師にしようと考えてくれている…その心遣いは唐丸に一生ぶんの喜びを与えてくれたと思われます。

 そんな素敵な憧れの人の志を、自分の罪が潰すことも、穢すこともあってはいけません。まして、目の前にいるこの薄汚いド三品には、させるわけにはいかない。何せ、この男は唐丸ごと、蔦重(とついでに次郎兵衛)を悪事に巻き込もうとしている…ならば、今、自分に出来ることは何か。床に就いた唐丸は、思案の末、自分と縁が完全に切れることが、蔦重を唯一救う方法との考えに至ったのでしょう。自分を帰れなくなるするために、銭箱ごと盗んだのです。あからさまな大金では、蔦重も庇えませんから。
 自分の志より相方の夢を優先する蔦重の真心に報いるには、自分の夢を断ち切るしかないと考えた唐丸。その聡明さは哀しいですが、彼に迷いはなかったでしょう。何故なら、唐丸の一番楽しいことは、蔦重が自分の志を叶えることだから。惜しむらくは、それを傍で見続け、手伝えないことでしょう。

 無論、浪人には、この金で諦めてほしい思いもあったでしょう。しかし、強突張りの浪人には、唐丸は都合のよい金蔓に過ぎません。手放す気は毛頭なく、蔦屋以外の店で盗みを働く道具にしようとします。しかし、唐丸を幼子と侮ったことが、この浪人の運のツキでした。
 明和の大火の渦中、死ぬことに恐れも抱かず立っていた彼は、おそらくこの先も続く地獄に絶望し、死ぬつもりでした。つまり、彼は既に一度死んでいます。ですから、追い詰められれば、盗みの道具になる地獄より死を選ぶことに躊躇はありません。まして、この所業の先、どこかで蔦重の夢を邪魔にならないとも限らない。ならば、いっそ、諸悪のもとである自分ごと、浪人を消すしかない…少年は「おしまいだよ、こんなの」と呟くと、銭箱を抱えた浪人ごと、川へ飛び込み心中を図ります。


 その後、浪人の土左衛門が上がり、彼が蔦屋の「細見」を忍ばせていたため、蔦屋へも町奉行の調べが及びます。駿河屋市右衛門の機転で蔦重と次郎兵衛は事なきを得ますが、「唐丸が絡んでいたとすれば面倒なことにもなりかねない。これ以上は騒ぐな」と市右衛門が釘を刺したため、蔦重の唐丸探しは諦めざるを得なくなります。唐丸の仕出かしたことが明るみになれば、前夜語り合った二人の夢も水の泡だからです。また、市右衛門の心配、吉原のため、そうしたことも、蔦重を押し止めたのでしょう。
 しかし、その思いとは裏腹に、狭い吉原では、あっという間に悪い噂、根も葉もない流言蜚語が広まります。最早、唐丸への思いは蔦重一人の胸のうちに仕舞うしかなくなります。

 ある日、九郎助稲荷にて唐丸が下絵を描いた錦絵を眺めて、一人物思いに耽る蔦重の姿があります。最後の夜どうすれば良かったのか、あるいは唐丸とのこれまでの思い出を思い返しているのか…そこへ彼の心中を慮る花の井が表れます。ちょっと思案した後、敢えて軽い調子で「何なんだい、それ」と声をかけます。蔦重は絵を見つめたまま「これ、唐丸が描いたんだよ」と呟きます。礒田湖龍斎作として発表された絵ゆえに、さすがの花の井も驚きますが、それには答えず「あいつ、絵巧かったんだよ…けど、それだけでさ…それだけしか俺、知らねぇんだ…あいつがどこの誰で…」と呟きます。あんなに可愛がっていた唐丸のことを何も知らなかったと嘆く様子に花の井も言葉を失うしか、ありません。

 「火事んとき、何であんなとこでボーッと立ってたのかも、薄々気づいてたんだよ。何も覚えてねぇのは嘘で…何か隠してるんじゃねぇかって。けど…無理矢理聞くのは野暮だって格好つけちまって…」と切々と蔦重の言葉は続きます。このとき、画面は花の井の後ろ姿をナメながら、蔦重を右斜め後ろ…表情は見えないが横顔のラインがギリギリわかるというレイアウトで彼を捉えています。蔦重が涙を堪えながら、呆然としたなりで慟哭する…その微妙な心情の揺れが、花の井が見守るという形でより引き立ってきます。

 蔦重は、前回の唐丸の「初めて」発言に限らず、節々で唐丸の記憶喪失を勘ぐっていました。そして、その物言いからは、唐丸を探す際に橋の袂、大火の日がフラッシュバックしたとき、火付けをしたのが唐丸だったかもしれないとまで思い当たってしまったように思われます。その当て推量を蔦重も花の井も軽々しく口にしないのは、まさに言うだけ谷保天満宮…野暮天だからです。因みに「無理矢理聞くのは野暮だって格好つけちまって」のほうは、その実は唐丸へ向けた憐れみと優しさ。「格好つけちまって」は自嘲でしょう。

 「はあ…聞きゃあ良かった…あんとき無理矢理でも言わせてたら…」とため息をつきながら笑う蔦重は「こうならなかったよ」と後悔を口にします。「こうって?」と花の井に問われたとき、「あいつはもう…」と涙ぐんさまいます。「この世にいねぇかもしんねぇ」…ぼんやり思っていたことが、急に頭のなかで像を結んだのでしょう…感情が溢れます。そんな彼に、花の井は「ふぅん…わっちは唐丸は親元に帰ったと思ってんだけどねぇ」っ何事もないよう、ふわりと言います。思わぬ推理に涙をぬぐっていた蔦重は「あん?」と聞き返します。

 すっきりした眼差しを向けた花の井は「まことのことがわからないなら、できるだけ楽しいことを考える…それがわっちらの流儀だろ?」と確かめるように問います。下手な慰めなどせず、かと言ってはぐらかすでもなく、ただ私たちは朝顔姐さんから教わったやり方で身を処してきたよねと告げる。こうすることで花の井は、湿っぽくならない程度に蔦重の心へ寄り添う。幼馴染みの二人の間は、これで十分です。冒頭の愚痴では共感しなかった花の井が、此度、彼に寄り添うのは、彼が涙するのが自分のためではなく、他人のためだからでしょう。


 「ああ、そうだな」と微笑する蔦重の横に座った花の井は「わっちが思うにさ、唐丸は大店の跡取り息子だったのが、後添えの企みで家を追い出されたんだよ。でもその後添えがぽっくり行っちまって、家に戻っておいでって言われて…そうして戻ったものの家業には身を入れず、絵ばっかり書いてんだよ」と唐丸の身の上を想像してみせます。すると、唐丸の勤勉をよく知る蔦重は「唐丸はそんな奴じゃねぇよ」「あいつはきちんと家業は継ぐ…兄さんじゃねぇんだから」と訂正します…おい…次郎兵衛、また言われてるぞ(笑)それはさておき、否定された花の井は「あんたが絵、描いてて欲しそうだから言ったんだろ」と口を尖らせます。
 蔦重は、花の井の抗議には構わず、しみじみと唐丸との日々を思い出しながら「あいつは家業継ぐんだよ…」と繰り返します。その言葉は、どんな生まれであろうと、どんな罪を犯そうと自分は本当の唐丸を知っているという確信が窺えます。「それだけしか」知らないんじゃない、「それだけ」を知っていることのが重要…だから、蔦重は、絵を見つめながら「でも絵の思いだけは消えなくて…いつかふらっとここに戻ってくんだよ。蔦重、おいらに書かせておくれって」と、思いを描けるのです。

 となれば、やはりやることは一つ…「で、俺はあいつを謎の絵師として売り出す!」。このことです。唐丸にも話した青写真のさわりを花の井に話しているうちに夢を取り戻した蔦重、涙をぬぐい心機一転。九郎助稲荷へ柏手一つ、「どうか、俺にあいつとの約束を守らせてくれ!」と頼み、決意を新たにします。
 あくまで約束を守るのは自分、版元になるのも己の才覚。神頼みは、苦難に向かう自分の心が折れぬように見守ってほしい、これだけです。自分の夢を他力本願にしないのは、蔦重の美徳です。両脇の御狐さまにもそれぞれ「頼んだぜ」「頼んだぞ」と念を入れると、花の井に礼を言い、早速、鱗形屋へ向かいます。そもそも、唐丸売り出し計画の第一歩は、そこからだったからです。

 そんな蔦重を嬉しげに、眩しそうに眺め、微笑する花の井。この眼差しは、唐丸が蔦重を見る眼差しと相似を成しています。先にも述べたとおり、苦界に身を沈め、春を売り、忘八に搾取される花の井は、この吉原において蔦重よりも深い哀しみと苦しみのなかで生きているでしょう。「できるだけ楽しいことを考える」だけで乗り切れない辛さに涙を堪えた日も数えきれなかったと思われます。そんなとき、彼女の心を支えたのは蔦重への秘かな想い。彼が吉原のために、目一杯奔走するさまは、彼女にとっても嬉しい希望だったと思われます。

 誰にも明かせぬ罪を背負い虚無を抱えてきた唐丸の唯一の光が、蔦重であったように、花の井もまた…いや、それ以上に長らく、ただ一筋の光が蔦重なのでしょう。蔦重が夢を描き、実現に向け、前へ進む姿は、夢見ることも出来ぬ花の井と唐丸が己の夢を重ねるものでもあります。だからこそ唐丸は我が身を犠牲にし、蔦重の前から去りました…もしかすると、花の井もまた、蔦重の夢のために身を引く選択をするときが訪れるやもしれませんね。夢が夢を紡ぐとはならない…その苦さが「べらぼう」流なのでしょう。


おわりに

 夢を語ること…それはどうにもならない事態を慰める、一時的に浮き世=憂き世を忘れる行為という側面があります。それは、蔦重たち身分の低い庶民たちに限りません。幕政を預かる田沼意次も同様です。本作では、蔦重たちの世界、意次ら公儀の世界が、時に対比的、時に相似的に描かれていますが、今回も同様です。

 由緒正しき身分だけを笠に着た幕閣たちに経済改革を阻まれることを憂いた意次を慰めたのは、源内の「いっそもう、四方八方国を開いちまいたいですね」という開国論でした。源内は、開国し自由な商いが許されたとき、身分ではなく、共通のものとなる異国の言葉と金銀銅だけが、すべてを決め、世のなかがひっくり返るとうそぶきます。
 その言葉に触発された意次は、源内とともに開国した後に起こる変革、面白い出来事、新たな仕事とそれに携わる人材、新たな知恵に思いを巡らせます。源内の「上から下まで知恵を絞って、これでもか、これでもかと値打ちのあるものを考える、作り出す…」、応ずる意次の「国を開けば自ずから世は変わる、俺たちがやろうとしていることなどほっといても変わる世の中になる」という言葉に、彼らの夢が集約されていますね。

 ただ、現実に開国すれば、あっという間に力のある諸外国の属国になってしまうことは、意次も源内もよくわかっています。それは、幕閣の誰よりも。だから、ここで語ったことは。あくまで夢でありません。それでも、彼らがそれを語るのは、自分たちのやっていることに意味がある。その将来に希望を持つためです。実際、彼らは、この後も、自分たちに出来ることをしようと邁進していきます。その活力は、夢を語るところにあるのです。
 つまり、「べらぼう」における夢とは、苦しく辛い現実を忘れる絵空事というだけでなく、現実と地続きだと言えます。将来に、未来に希望を持ち続けること。そして、その希望を形にしようと努力すること、それが夢の力です。史実的には意次も、源内も夢半ばで果てますが、彼らは自分のしたことを後悔はしないでしょう。

 そして、それは蔦重も同様です。唐丸との約束を胸に、版元になる志を新たにした蔦重は、夢を現実にする第一歩として、鱗形屋お抱えの改になることを頼みに頭を下げます。その際の「細見の改は勿論、入銀ものの本、絵草紙、とにかく吉原に人の呼べるものを考えていけたらと思っておりやす」と気負う言葉には、彼の胸のうちに燃える夢という名の強欲の炎が窺えます。夢は艱難辛苦から生まれ、苦境を変える行動力となるということです。
 無論、「俺はおめえさんの才を高く買っている。お互い上手くやって行こうぜ」と声をかける鱗形屋は、その夢を食いつくす冷ややかな眼差しで蔦重を見ます。こうした人間、彼らが突きつけるさまざまな現実と渡り合いながら、彼は己の志を叶えるのでしょう。これぞ、まさに江戸っ子の心意気、「焼き豆腐の心底(例え火の中、水の中にあろうと焼き豆腐になった気で成し遂げる)」というやつですね。

 さて、心を決め、意気揚々と歩く蔦重は、ふとすれ違った縞の着物をまとう小僧に目を取られます。蔦重は未だ唐丸を探し、待っていることが窺えます。いつか唐丸が帰ってきたら絵師として売り出す気持ちを彼は忘れていません。その真心が蔦重の版元になる志を、野心家の浅ましい成功譚とせず、夢噺とするのでしょう。「蔦重栄華乃夢噺」なる夢物語、蔦重以外の下々の夢と共にいよいよ開幕と相成りました。

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