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大河「べらぼう」第4回「『雛形若菜』の甘い罠」 それぞれにとっての「吉原のため」とは

はじめに

 ウォルト・ディズニーが手掛けた「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」というシリーズをご存じでしょうか。ウォルト・ディズニーの尽力で大ヒットした本シリーズですが、製作費の交渉でユニバーサル・ピクチャーズと決裂します。その際、所有権をユニバーサルが持っていたこと、そして共同制作者だったチャールズ・ミンツによる従業員引き抜き工作にで、ウォルト・ディズニーは泣く泣くオズワルドに関する全ての権利と仕事仲間を放棄する羽目になります。

 ただ、スタジオだけは守り抜いたおかげで、かの「ミッキーマウス」が生まれ、以降、ディズニー作品は世界に君臨し続けることになります。つまり、ウォルト・ディズニーが「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の著作権を巡って、失敗をしなければ、「ミッキーマウス」は生まれなかったし、後の作品群もディズニー・ランドも存在しなかったかもしれません。

 人は、失敗から多くを学びます。大切なことは、転んでも起き上がることなのです。おかげで、ディズニーは世界でも特に著作権に厳しい会社になりましたが、それも企業とキャラクターを守るために必要なことだったということです。因みに「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の権利は、2006年に取り戻しています。

 蔦重は「一目千本」という成功を得ました。このことは、彼自身に本をつくる楽しさ、生き甲斐を与えたということで大きな意味を持ちました。しかし、ビジネスとして成功したことは、彼を生き馬の目を抜き、守銭奴たちが集まる拝金主義の世界へと本格的に誘うことになります。客から金を巻き上げ、遊女たちから搾取する吉原にいながら、搾取される側に立つ蔦重は、珍しく金に囚われていない人間です。その真心と熱意が、これまで彼を導いてきました。しかし、その人の好さだけでは何ともならないのが、ビジネスの世界。 
 そこで今回は、蔦重が味わった失敗と屈辱を追いながら、失敗の理由と蔦重のこの先について考えてみましょう。


1.守銭奴たちの謀

(1)あちらもこちらも忘八

 「一目千本」で味をしめた楼主らは、彼らの「猫自慢の会」に蔦重を呼び寄せると、女郎の錦絵を作ってはどうかと提案します。訝る蔦重に「一目千本」は良かったが、人出ってのは引いてくもんだ」という大文字屋は「次の甘い餌を撒いてはどうかにゃ…ってことだよ」と愛猫をあやし、猫語混じりで、その理由を話します。大黒屋女将りつも「女郎の錦絵でも出しちゃどうかにゃって」と満面の笑みで乗ってきます。たしかにカンフル剤はいつか切れる、楼主二人の言うことも道理です。
 しかし、蔦重が乗り気でないのは、錦絵は「一目千本」のような墨摺よりも遥かにお金がかかるということのほうです。ですから、「その係りは、親父さまたちが負ってくださると考えてよろしいんでしょうか?」と念押しします。とにかくシブチンのケチンボ集団ですから、疑わしいことこの上ないわけです。すると、ぎろっと蔦重を真顔で見返す楼主一同…蔦重はたじろぎます。

 その一瞬が、彼らの本音ですが、ここは使える人材とわかった蔦重を取り込むことが重要。愛猫に目を細めるという一種のポーカーフェイスで「んにゃもんは任しとけ!」「大舟に乗ったつもりでいにゃあ」と、猫語の猫なで声で懐柔に出ますね。胡散臭そうに「真ですね?」と聞き返しますが、扇屋宇右衛門が「猫に二言はにゃあ」と冗談を飛ばして、一同が爆笑、かき消されてしまいます。宇右衛門は、前回のカッコよさが台無しですね(笑)因みに彼が抱えていた猫…あれは倫子(「光る君へ」)の飼っていた小麻呂では??まさか転生先が忘八のところとは…(笑)
 話を戻しましょう。結局、助けを求めた駿河屋市右衛門にすら「俺を頼んのか、こんにゃときだけ」と返された蔦重は観念するしかなく、「わかりましたやらしてもらいにゃす」と不審に思いながらも引き受けることになりました。


 不安はすぐに的中、松葉屋へ行くと女郎らに囲まれた蔦重は、「あんた、わっちらにどれだけ入銀させれば済むのさ」「こちとら、あんたが何かする度に入銀しちゃいられないって言うんだよ」「あんたの入銀まで一々面倒見てられないっ話なんだよ」と口々に責められます。
 真剣に話が見えない蔦重は、花の井に訳を聞くと、楼主たちは「次は蔦重が錦絵出すから入銀しろって。しかも此度は一人5両…」と、何が伝わっているのかを教えてくれます。勿論、花の井は、蔦重がそんな悪辣なことを思いつくとは思っていません。ダシに使われていると察しています。「5両なんてかかんねぇぞ?!」と驚く蔦重に「自分たちが中抜きする分も入ってるってことだろ」と事もなげに答える花の井。まったくもって抜け目のない忘八どもです。

 ダシにされたとはいえ、ここまで流通してしまっては、誰も蔦重の言い訳を聞いてくれる女郎はいないでしょう。いつの間にか、彼は味方になりたい女郎たちの敵にされてしまいました。花の井の隣にいた花魁松の井は「女郎は打出の小槌ではありんせん。やるならやるでわっちらにお鉢が回ってこないような工面の手を考えておくんなし」と、蔦重を冷たく突き放します。言い訳するでなく、行動で自分が悪さをしていないことを証明してみな、というわけですね。

 ここで蔦重が「はあ…」とため息をつくのは、「任せとけ」「大舟に乗ったつもり」「二言はない」と豪語した楼主たちの金策とは、何のことはない、蔦重の名前を隠れ蓑にして女郎たちから入銀をむしり取るというものだったからです。しかも中抜きをして私腹を肥やすことだけはきっちり忘れない。汚れ仕事を蔦重に押しつけ、二重三重に甘い汁を吸おうという魂胆だけは大したものです。
 つまり、楼主たちが目論んだのは、「一目千本」で蔦重が仕掛けた遣り口を使い、どうやったら自分たちの懐に入る金だけを恨まれることなく増やせるかという点のみ考えただけ。何のオリジナルの工夫もないばかりか、蔦重が遊女たちの生活を救うためにやったことを元の木阿弥にする改悪です。結局、女郎から搾取しか思考が働かない楼主たちの限界と本質的な人非人ぶりが窺えますね。

 そもそも、蔦重が、墨摺りよりも原価が高くなる錦絵に難色を示したのは、遊女たちにこれ以上の入銀はさせられないということがあったでしょう。「一目千本」は、花魁たちの競争心を煽ったからこそ、彼女たちから自主的な入銀が集められました。二度目となれば、冷静になり、安くない額の入銀を躊躇うのは当たり前です。しかも、ノルマが課せられては、ますます自分たちの苦界での生活は長引き、苦しみます。
 だいたい、かの入銀すら、その裏で彼女らが必死の工面したに違いありません。例えば、花の井は容易く平蔵から50両を巻き上げましたが、親の遺産を食い潰した平蔵は吉原通いが出来なくなります(因みに遺産を食い潰したのは史実(笑))。つまり、花の井にしても上客を一人失っています。


 唐丸の質問に答える形の蔦屋での次郎兵衛、蔦重のやり取りからもわかるように、花魁をして、客の支払う大枚のほとんどを見世の取り分として巻き上げられ、残りは借金の返済に当てるのですから、手元に残る金は微々たるもの。更に仕事の必需品である着物、小間物、布団、家具調度にも係りが入り用ですが、贔屓筋に出してもらえねば自前か借金になります。因みに蔦重たちの会話には出ませんでしたが、実は花魁付の禿たちの養育費も花魁持ちです。 
 したがって、次郎兵衛曰く「稼いでも稼いでも金が出ていくのが花魁さ。年季明けまできっちり務めても借金が残ってるなんたぁ、ざらさ」となります。唐丸の「地獄のようだね、女郎屋の仕組みって」とは、言い得て妙。蔦重は返す言葉もなくため息しか出ません。

 こういう苦境を知る蔦重は、彼女たちに負担をかけないため、楼主たちに金の工面を押しつけた上で、錦絵仕事を引き受けたのですが…蓋を開けて見れば、蔦重のせいで入銀ノルマが課せられたという話に擦り替わっていたんですから、たまったものではありません。まったくもって、忘八たちの守銭奴ぶりは油断がなりません。
 結局のところ、「一目千本」の成功で吉原の経営陣の信用を得たということは、楼主たちの傍若無人な拝金主義に体の好い形で巻き込まれることでもあるということです。遊女たちの生活を助けたいと彼女たちに寄り添う蔦重の真心は、楼主らの経営方針によって本末転倒なものにされてしまう危険があります。松の井の「女郎は打出の小槌ではありんせん」という突き放した言葉は、蔦重の胸に突き刺さったことでしょう。

 とはいえ、大文字屋が言うように、吉原には次の一手が必要なのは確か。またその一手に錦絵が有効なことも、蔦重は直感しています。また、本作りの楽しさに目覚めた蔦重は、本能的にこの依頼を引き受けざるを得なかったと思われます。しかし、楼主らの私腹を肥やす入銀の手管については、そいつは桑名の焼き蛤。遊女たちの側に立ちたいという心を貫ける遣り口を編み出さねばなりません。


 蔦重は思案しながら、貸本を仕入れに鱗形屋を訪れます。「見たぜ!「一目千本」」と出迎えた亭主の孫兵衛は「見上げたもんだよ屋根屋の褌(笑)評判も良かったそうじゃねぇか」と誉めそやしながらも、「しかし俺にも一言欲しかったな」とチクリと刺すことを忘れません。これには恐縮した蔦重は「吉原の内々の摺り物ですし、鱗の旦那さまに相談するまでもねぇものかと…」と詫びます。売り物ではないから、どうぞご勘弁くださいというわけです。

 これに対して、愛想笑いする鱗形屋ですが、前回のラストを見れば、これは建前です。版元を蚊帳の外にして、配りものとはいえ蔦重が評判に本を作った事実が問題なのです。前回にも示されましたが、本作りにはさまざまな行程があります。蔦重は、初めての本作りでそれらを熱意と真心で統括し、成功を納めた。蔦重にそこまでの自覚はないようですが、これは生中なことではありません。
 今回の終盤、鱗形屋は吉原に関わる出版を丸抱えにして利を貪りたい、そんな野心を剥き出しにしました。そのような強欲に身を焦がす彼にとって、将来性の高い有望株の登場は脅威以外の何者でもありません。しかも、細見の改方として使っていた若造がですから、飼い犬に手を噛まれたような恨みに似た気持ちも抱いていることも察せられます。蔦重は本人の意図せざるところで、版元らへ殴り込みをかけてしまっています。鱗形屋にとって蔦重は既に嫉妬と羨望の対象、早急に対処すべき問題なのです。


 しかし歯痒いことに、蔦重は鱗形屋の嫌味 の裏にある暗い情念に気づいていません。愛想と調子のよい取引先の旦那としか見えていません。それどころか、自分の提案を受け入れ、「吉原細見」を改定してくれた同士、器の大きい旦那と見ている節があります。
 たしかに改めの件については、鱗形屋は蔦重にの行動力に感心し、感謝もしていました。それは彼の名を改方として奥付に載せたところにも表れています。しかし、それは自分の手の内にある駒だったから、明確に自分が優位な立場にあったからこその余裕です。蔦重は、あくまで吉原者の使いっ走りでした。

 鱗形屋はよい本を出す版元である以上に利潤を追求する商人です。蔦重に見せる愛想やきっぷのよさも、取引先に対するサービスでしかありません。その実は少ない投資で最大限を利を得ることです。鱗形屋孫兵衛の冷徹な商人としての本質は、源内の「序」の依頼も改めも蔦重をけしかけるだけで自身は動かず、蔦重のために鐚一文使わなかったことに表れていますね。
 蔦重は、自身の熱意ゆえに鱗形屋の使い勝手のよい駒になっていることに気づいていないのだと思われます。銭勘定の吉原にいながら、妙に摩れていないお人好しの蔦重。もしかすると、駿河屋市右衛門が、蔦重が改方をしていることに怒り狂ったのは、鱗形屋にいいように操られていると見たからかもしれません。用心深い市右衛門は、取引先を信じきることはしませんから。

 さて、鱗形屋の商人としての冷徹さは、錦絵をただで作る方法を尋ねた蔦重に対して「女郎たちから入銀させればそれでいいぜ」という物言いにもよく表れています。その場はおちゃらけて引き下がった鱗形屋ですが、市中で売るつもりはないらしいとはいえ、なおも出版の真似事をする、しかも錦絵とハードルを上げてくる…ますます面白くはありません。

 女郎たちに負担をかけることを「それは避けてぇんですよ」と思い悩む蔦重を物陰から冷やかに見つめる鱗形屋。やがて彼は「吉原の内々の摺り物」という「一目千本」での蔦重の言い訳を逆手に取り、錦絵の手柄を掠めとり、彼の心を砕く算段を思いつきます。
 彼が商人として優秀であるのは、出る杭をただ打つのではなく、取り込む思案をしている点です。蔦重のような才覚のある人材を一から育てるのは手間です。なれば、自分のものにしてしまえば、最低限の投資で済むというものですから。本作りの楽しさに心ときめく蔦重を挫く暗雲が立ち込めてきますが、当の本人は無防備なままです。


(2)裁量権がないまま、浮かれる蔦重

 資金繰りの思案に悩む蔦重は、市中で偶然出会った平賀源内から、彼の恋人、二代目瀬川菊之丞が舞台でやったことは何でも流行り、呉服屋が大儲けしたという話を聞きつけます。第2回note記事でも触れましたが、「路孝」の俳号を持つ二代目は、髷は「路考髷」、染色は「路考茶」、櫛は「路考櫛」、帯は「路考結び」と当代のファッションリーダーでした。それは呉服屋などとのタイアップがあってのことだからだったというわけです。

 呉服屋と言えば、総じて金持ちの大尽です。彼らとのタイアップという考え方は、資金繰りに悩む蔦重に光明をもたらします。閃いた蔦重、早速、吉原の楼主たちに、「絵にする女郎に呉服屋の売り込みたい着物を着させるんです。そうすりゃあ、着物の売り込みにもなる。だったら、呉服屋から入銀させて吉原は鐚一文払わねぇ、この形でドンと作っちまえねぇかって話です」と提案します。

 思わぬ発想に驚く楼主たちは、顔を寄せ合いひそひそ話をし始めます。因みに市右衛門は輪に入っていますが、首をかくだけで、話に加わっていません。様子見のつもりのようです。一度だけ、蔦重を振り返り、錦絵に係る費用を聞くと再びひそひそ話し合います。がめつい守銭奴たちの話です。聞こえなくとも、女郎入銀で中抜きするのと、呉服屋入銀とどちらが儲かるかという話であることは察しがつきます。焦れた蔦重は「面倒なら俺が…」と声をかけますが、「うるせぇってんだよ!」と大文字屋にはね除けられます。「はぁ…」と言うしかない蔦重は、座敷でぽつねんとしています。

 このシーンのレイアウトが興味深いところです。蔦重の後ろ姿をナメる形で、座敷奥で楼主たちがひそひそ忘八話をしているという構図になっているのですが、これは吉原の経営方針を決める決定的な局面において、蔦重は蚊帳の外にあることが端的に表されています。企画の具体案を立て、その実行を主導していくのは蔦重であるにも関わらず、蔦重には何一つ裁量権がないのですね。この裁量権がない、所詮は楼主たちの都合のよい道具でしかないという蔦重の立場は、錦絵「雛形若菜初模様」の披露において、蔦重の志を折ることになります。


 さて、蔦重の提案どおりに進めることが決まり、大文字屋から自分で呉服屋に話をつけてくるよう命じられた蔦重は、楼主らの斡旋で、呉服屋が訪れる吉原中の座敷を飛び回り、彼らにタイアップ提案と入銀依頼をすることになります。しかし、当の呉服屋たちの反応は芳しからず、早々に行き詰まります。蔦重にとって、商売の相談が出来る身近な大人は養父、駿河屋市右衛門です。勘当も解かれ、此度のことは吉原の相違ですから、遠慮なく相談出来ます。

 「大店にすりゃあ3両なんて屁でもない話なのに…」と愚痴る蔦重に「名の通った女郎がいねぇからじゃねぇか?」と、花魁の知名度を問題にします。皮肉なことに「一目千本」で客を呼べたのは、花の絵を見た客が「どんな花魁だろう?」と興味を持ったから。裏を返せば、知られた花魁がいなかったということです。ですから市右衛門の分析は的確です。「菊之丞だから流行るんであって、どこの誰かわかんない女郎に着物着せてもなぁ(苦笑)」と企画自体の問題点を指摘されると、「あー、そっか…」と今更に思いあたります。この有名花魁がいない…という話と源内の前で瀬川を名乗ったことが、花の井が瀬川の名跡を継ぐという話題作りにつながるのかもしれません。

 ただ、市右衛門が、無名問題を出した狙いはそこではありません。続けて「おめえに名がねぇのもな」と、蔦重自身が無名だから上手くいかないと指摘します。「名?」と聞き返す蔦重に「吉原のケチな刷り物屋が、まともな錦絵あげてくるなんて思うか?」と、まだ信用がないんだ、焦るなと忠告します。なんだかんだで、やはり蔦重がかわいい市右衛門は、皮肉めいていますが、励ましと一から考え直してみな、と助言しているのですね。
 頭の回転が早く、聡く、そして根が素直な蔦重は理に叶った養父の忠告に「あー、ちっ…」と天を仰ぎ苦虫を噛み潰しながら「あめえってことか、俺はまだまだ…」と突っ走るばかりで、考えが足らない自分の未熟を悟ります。時には地に足をつけて、地道な経験をしていくことも必要です。たぶん、市右衛門は自身の経験から、蔦重へアドバイスをしたのでしょう。


 そこへ、タイミングよく錦屋では名の通った版元、西村屋与八がやってきます。貸本屋を営む蔦重にとっては、知遇を得るのはありがたいことです。すると、「大文字屋で錦絵の話を耳にしてね、一枚かませてもらえないかと思ってさ」と早速に切り出します。唐突な申し出に不思議そうな蔦重に「錦絵をどのように捌くつもりだい?」と問いかける西村屋。配りもの延長線でしか考えていなかった蔦重は「呉服屋の店先と、吉原のうちで…と考えてますが…」と答えると、その販路に自分も加えれば「他の本屋との取引も取り計らうことが出来るよ」と請け負います。
 つまり、限定的な販路しか確保出来なかった錦絵企画が市中全体に広められるというのです。「是非!お願いしやす」と飛びつく蔦重は、錦絵企画にとって渡りに舟というだけではなく、自分の作った本が流通に乗るということに夢を思い描いたのではないでしょうか。

 早速、話し合うため場所を変える二人の姿を市右衛門は不安げに目で追い、首を振ります。先ほどは、トントン拍子で浮き足立っていた蔦重に、ようやく地に足をつけて考える忠告を聞かせられたところでした。西村屋の登場で、またも蔦重は浮き足立ってしまいました。やれやれという思いと失敗しなきゃいいが…という心配が窺えます。また、やたらに調子がよく、美味しい話を持ってきた西村屋与八への疑念もあるでしょう。ただより高いものはない、世の道理ですから。

 さて、呉服屋とのタイアップは西村屋の名が決め手になり、呉服屋たちは次々と入銀を快諾。彼の計らいで美人画では当代一と目される礒田湖龍斎に依頼することになりました。感動する蔦重に西村屋は「この際はお前さんも版元入りを考えてみてはどうだい?」と囁きます。「これだけの錦絵出しゃお前さんは立派な版元だよ」と太鼓判を押された蔦重は、驚きながらも「そっか…俺、版元か」と、染々、その立場を味わい、源内に堂号を考えてもらうことにします。
 ただ、西村屋が一枚噛んだのも、この甘い囁きも、裏にいる鱗形屋の入れ知恵です。鱗形屋は恥をかかせた蔦重に意趣返しをし、自分はしがない吉原者だとわからせるために、まずは有頂天にさせているのですね。鱗形屋と西村屋が悪辣であることは言うまでもありませんが、この有頂天は蔦重にも問題があります。

 西村屋と組んで以降、錦絵企画は、西村屋のおかげで資金繰りが成功し、絵師も一流どころになったというのが実際のところです。己の力量だけでそれを行った「一目千本」とは違います。いつの間にか、蔦重はこの企画のプライオリティを西村屋に奪われ、物事は西村屋が主導する形になっています。裁量権は西村屋にあり、蔦重にはなくなっています。小狡い西村屋は上手に蔦重の顔を立て、乗せながら実を奪っているのです。人を傷つけるために騙すことをしない蔦重は、西村屋を同士と信じ切り、打算的な彼の思惑に気づくことが出来ません。市右衛門が心配したとおり浮き足立ち、彼はこの一件で屈辱へまっしぐらです。


 全てが西村屋主導で動くなか、一つだけ収穫だったのは、不可抗力で唐丸の類いまれなる画才に気づけたとです。猫のせいで湖龍斎の下絵が台無しになったとき、書き直させてと言い出した唐丸は、その優れた観察眼と集中力と筆遣いで、元の下絵と寸分違わぬものを再現します。感動のあまり「お前はとんでもねえ絵師になる」「いや、俺が当代一の絵師にしてやる!」と唐丸を強く抱きしめてしまう蔦重…やはり、この子が東洲斎写楽な気がしてきましたね。
 蔦重の言葉に「嬉しくて。おいら、そんなこと言われたの初めてだから」と喜ぶ唐丸ですが、「初めて」という言葉が意味深ですね。彼は記憶喪失のはずですが、「初めて」は過去があっての言葉。実は唐丸は、とうに記憶を取り戻していますね。だから直後の蔦重、妙な表情をしています。何故、過去を伏せ、蔦重についていくのか。唐丸の物語もいよいよ始まり、彼の存在が蔦重を助けることになりそうですね。


2.鱗形屋と西村屋が仕掛けた罠

(1)地本問屋の理屈に弾かれる蔦重

 唐丸が寸分違わず再現した下絵だと礒田湖龍斎本人にすら気づかれることなく錦絵たちは完成します。若き日の写楽かと思われる唐丸が下絵を直したことで、今日知られる以上に蔦重が主導し、手を加えたことになった「雛形若菜初模様」…その錦絵には、「耕書堂」という堂号印が入っています。唐丸に堂号の意を問われた蔦重、しげしげと堂号を眺めながら、この名をつけてくれた源内から「おめえさんはこれから版元として、書をもって世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にするんだよ」と言われた話をし、その言葉を噛み締めます。
 娯楽にせよ、学問的にせよ、書物は世の中の有り様や仕組みを人様に知らしめ、考えを深めるものです。書を読むことで、人は多くの人生を生き、想像力と創造力を育む…そして国を豊かにする…源内が耕書堂という名に込めた願いとはそんなところだったかもしれません。

 源内の思いにいたく感動した蔦重は、ますます版元としてやっていく志が高揚していきます。こうなることを見越して、堂号をけしかけ、この後、その心を根本から折ろうとする西村屋与八、そしてそれを裏で画策する鱗形屋孫兵衛は、底意地の悪さを露呈していますね。先にも述べたとおり、鱗形屋は楼主ら同様、飛んだ忘八と言えるでしょう。
 そうとは知らぬ…いや、それどころか西村屋の協力を善意と疑わない蔦重、「行っておいで耕書堂!」「耕書堂!」という次郎兵衛、唐丸、二人の励ましを背に、気持ち新たに気合いも入れた蔦重、いざ「雛形若菜初模様」御披露目へと向かいます。


 楼主らがい並ぶ中、呉服屋たちを招き、皆が期待を膨らます中、予定になかった西村屋与八が鱗形屋孫兵衛と鶴屋喜右衛門という同業者を連れてやってきます。突然の来訪に怪訝になる駿河屋市右衛門ですが、此度の件は西村屋の協力があってこそ、断るわけにもいかず、御披露目の場に通します。市右衛門は、西村屋が加わった当初から不安げな眼差しを向けていましたから、彼ら地本問屋の訪問は「乗り込んできた」という一抹の不安を抱いたように思われます。元より西村屋を疑わない蔦重は、御披露目会に対する高揚感と緊張に気を取られ、彼らが来ても一瞥するだけです。


 やがて始まった「雛形若菜初模様」の見本摺りを披露…鮮やかな色彩、姿の美しいことに称賛の声が上がります。華やぐ場に満足した蔦重は、今後も西村屋とこのシリーズを続けていくことを宣言します。ここには、このシリーズを耕書堂の代表作として自身の宣伝とする蔦重の目論見がありますが、それだけではありません。
 何よりシリーズものにすることで、吉原の客寄せとしての定期的なカンフル剤に出来ます。そして、呉服屋による入銀システムの構築を維持することで、忘八楼主らの遊女たちへの無用の搾取を防ぐことにもなります。遊女たちに金銭的負担をかけないこと…遊女たちを助けたい蔦重が腐心した結果であることも押さえておきたいところです。


 しかし、ここで、それまで蔦重の後ろに控えていた西村屋が「あの…今後「雛形若菜初模様」は手前一人の版元とさせていただけませんでしょうか…」と言い出します。唐突な申し出に「え?お一人?」と訝る蔦重に「すまない蔦重、あたし、定めを軽く見てたんだよ。いやぁ、私の名さえ入っていればお前さんもてっきり版元でいいとばかり…」と、今さらに地本問屋同士のルールを持ち出します。
 利益や利権に固執する業界の常識を知らぬトーシローの蔦重は「いや…あの…おっしゃっている意味がよくわからねぇんですが…」とちんぷんかんぷん。

 そもそも、「一目千本」にせよ、今回の「雛形若菜初模様」にせよ、蔦重自身には金銭的な利益はありません。前回、平蔵から巻き上げた50両にしても、鐚一文中抜きすることなく、河岸見世へそっくり渡してしまいました。極端なことを言えば、蔦重個人は金銭的な利益に固執していません。これは美徳でもあるのですが、一方で商売において致命的な問題を孕んでもいます。世の経済を回す、人間の浅ましいまでの欲得を理解出来ていないということだからです。ケチで知られた大文字屋が、その銭ゲバゆえに成功していることと対照的ですね。


 さて、西村屋の変心が理解出来ない蔦重に、鱗形屋が「市中では地本問屋の仲間の内で認められた者しか版元はやってはならぬ定めになっておってなぁ」と真面目くさったような言いようで追撃します。寝耳に水の蔦重、「え?」と思考停止。代弁するように大黒屋女将りつが「けど、蔦重はお宅の細見もやってますよね?」と、筋が通らないと問い質します。鱗形屋は小馬鹿にしたように笑うと「あれは改め、改めはいいんですよ。しかし版元、発行人となることは罷りならんのです」と事も無げに返します。
 細見の改め役は言うなれば、取材・編集担当者。あくまで本を作るための構成員です。これに対して版元は、本を作る上での最高責任者です。加えて言えば、この場合は、本の権利者でもあります。だから、鱗形屋は、責任者(版元)の元で行う改め(業務の一つ)は構わないが、責任者になれるとはお門違いと言うのです。

 理屈としては一理あります。何故なら、これはクリエイティブのビジネスにおいては当たり前だからです。例えば、映画制作において監督や編集者は絶大な力を振る舞います。しかし、どんな優秀な監督でも、資金繰りをするプロデューサーの意向は無視できませんし、配給元がOKを出さなければ作った興行も出来ません。誰がプライオリティを持つのか、ビジネスではそこが重要です。


 しかし、本というものづくりに邁進してきた蔦重には「改めはいいが、版元はまかりならん…??」と業界の理屈が全く飲み込めません。編者と発行はどちらも本作りの仕事の一つ。まして、蔦重は「一目千本」においては、企画立案、資金繰り、絵師依頼、人員確保、印刷、製本、発行、頒布とすべての業務にかかわり作り上げました。どれもが本作りに欠かせない仕事で、そこには区別も優劣もありません。皆が協力しあって、本を完成させる…その楽しさと喜びが、前回、蔦重が実感したものです。
 だからこそ、鱗形屋が言う線引きは、理解し難いものがあるのでしょう。また、一冊発行した自負もあります。もっともその全ての仕事に目を配り、プロデュースが出来てしまうその才覚は、鱗形屋にとって脅威。それゆえ出る杭を打つ罠を仕掛けたのですが。


 絶句する蔦重に代わるように「じゃあ、一目千本はどうなんだい?」と切り出したのは大文字屋。既に蔦重は発行の実績のあるじゃねぇかと言うわけです。鱗形屋の言葉は手の平返しの屁理屈に聞こえたのでしょう。これには「そうよ!」「あんときは何も言われなかったぜ!」と他の楼主らも追随します。大文字屋から今回の話を耳に挟んだと言っていましたが、鱗形屋と西村屋の目論見に噛んではいなかったようですね。
 逆に蔦重の不利益が、自分たちの不利益につながらないかが気になったと見えます。錦絵が市場の流通に乗らなければ、吉原に客を呼ぶという最大の目的が果たせなくなります。鐚一文使ってなくとも、実質は損害を被ります。


 それに対して、ここまで黙っていた鶴屋喜右衛門が、「あれは吉原のうちでの配りものでしょ。そのようなものはどうぞお好きにおやりください。ただ、この本を市中に本屋、絵草紙屋で売り広めろと言われたら、それは出来かねるんです」と、薄く愛想笑いをしながら、穏やかに答えます。彼の理屈は、非営利目的の同人誌と営利目的の商業誌の違いが近いでしょうか(現在は同人誌で生計を立てている人もいますが)。
 ですから、「私ども版元をやります地本問屋は互いに作った本や絵を互いの店で売り合い売り広めております。つまり、仲間内に入っておらぬあなたが版元となっているこの絵は使うわけにはいかぬと、こういう理屈になるのでございます」と続けます。


 つまり、配りものの「一目千本」は非営利ゆえに、自分たちのビジネスには影響がないが、販売する商品として作られた「雛形若菜初模様」は明らかに自分たちのビジネスに影響するから困る…ということです。地本問屋たちは仲間内で互いに売り広めるという販路を確保することで商品の余剰在庫をなるべく少なくして売り切り、利益を生み出しているのでしょう。また海賊版を防ぐのも目的の一つです。
 したがって仲間内の版元のみで販売を許可するという制度は、供給と価格において市場を安定させることになります。蔦重の堂号の入った品は、彼らの安定した市場を荒らすから、扱わないと鶴屋は言うのです。平たく言えば、彼の言う市場の安定とは、即ち利権を守ることで成り立つ自分たちの利益というわけです。


 理屈は理解した蔦重ですが、これは耕書堂の名を背負った初仕事です。このまま引き下がるわけにはいきません。源内から寄せれた期待への気負いと意地もあると思われます。「けど、これには西村屋さまも入っているわけで、西村屋さまは認められた仲間の内でいらっしゃいますよね」と理屈には理屈で返します。西村屋の堂号も入っているから西村屋の商品として扱えるのが、道理だというわけです。
 ここで西村屋が「…だから!その…手前一人なら売り広めるが出来るということでね…」と口を挟みます。言い方こそ申し訳なさげですが、要は錦絵販売において蔦重だけが邪魔だと暗に突き付けているのです。そもそも、西村屋は鱗形屋と図って、蔦重をこの席でドン底に突き落とすのが目的ですから、すまなさを装うこの言葉はトドメの言葉。


案の定、意味を悟った呉服屋たちが「蔦重がおると売り広めが出来ぬのか」「着物を売るのに市中は欠かせん」と騒ぎだします。邪魔なのは蔦重だけ…西村屋と鱗形屋の思う壺です。しかし、根がお人好しの蔦重は、二人の悪意が読めません。ですから、「じゃあ、これを機に仲間の内に認めてもらえませんか」と半ば無邪気に鶴屋に申し出ます。しかし、鶴屋は「そこはどうか、お分かりいただきたく」と淡々と拒絶します。
 このとき、蔦重よりも前に駿河屋市右衛門が、鶴屋を睨みつけるカットが挿入されたのが印象的ですね。市右衛門は、鶴屋の拒絶に吉原者に対する侮蔑を垣間見たのです。第1回から時折、見せる彼の苛立ちや扇屋宇右衛門の自虐的狂歌など、忘八楼主のうち二人は吉原者の自分たちが世間に出れば、蔑まれ嘲られることに自覚的でした。長い人生のなかで、堅気の大尽らから虚仮にされたことも一度や二度ではないでしょう。だから、市右衛門は鶴屋の物言いから敏感に侮蔑を嗅ぎ取ったと思われます。


 そもそも、「一目千本」について、鶴屋は「そのようなもの」という一段低く評する言い方をしましたね。「吉原のうち」で通用する程度の本など売り物にならぬという揶揄もあったのでしょう。西村屋が関わった「雛形若菜初模様」と一緒にするな、ということでしょう。後の鱗形屋と西村屋との祝杯との座に鶴屋はいません。此度の謀には関わりがなく、ただ仲間内のルールを突きつける役割として鶴屋を巻き込んだと思われます。
 鶴屋は今回の「雛形若菜初模様」についても、西村屋がいたから完成出来ただけで、蔦重はそれに便乗した胡乱な輩、あるいは西村屋に言いように利用されて夢を見た愚か者としか映っていないのではないでしょうか。


 ですから「じゃあ後から来た奴、どうすりゃいいんすか。後から来た奴は版元にはなれねぇってことですか」という蔦重の絞り出すような言葉の裏にある絶望感と落胆など意も解さず、「はい、耕書堂さんが版元になることは今後もまずございませんかと…」とあっさり突き放し、彼の夢をバッサリと断ち切ることが出来るのでしょう。
 蔦重の才を惜しむが故に、奈落に落とし、立場をわからせ、自分のものにしようと企む鱗形屋とは対照的な鶴屋の態度からは、蔦重の才覚など知らないし、興味もないと思われます。純粋に余所者を閉め出し、自分たちの市場と利益と利権を守ろうとする発言であるということです。まして、吉原者の下郎ごときが仲間内になろうなど問題外でしょう。



(2)駿河屋市右衛門の親心

 吉原者を見下すような鶴屋のすげない言葉に、蔦重が色を失うばかりか、楼主らと呉服屋たちも言葉を失い、座は静まり返ります。ただ、彼らの頭にあるのは、吉原者への侮蔑よりも、まずは「雛形若菜初模様」を流通させる現実の問題の処理です。商人呉服屋は利潤第一、忘八楼主たちは名より実ですから、当然、そのように割り切ります。ここまでお膳立てをしてくれたのは蔦重ですが、彼の顔を立てても一文の得にもなりません。鱗形屋と西村屋も同類の強欲者ですから、蔦重以外の一同の心中などお見通し。彼らの思うまま、事は進むに決まっています。
 やがて、吝嗇の大文字屋が「まあ、おめえさえ手を引けばみんな丸く収まる」と口を開き、続いて松葉屋が「そういうことだね」と結論は出たとばかりに相槌を打ちます。利益を得る方法は他にはなく、異論を挟む楼主はいません。蔦重を擁する楼主たちから、その言葉が出てくれれば、呉服屋らには渡りに船、「そうして、もらえると手前どもも助かります」と和みます。


 流れは決まり、場を取り纏めようとした扇屋の言葉を「ふざけんなよ…ふざけんじゃねえ!」と激昂して遮ったのは、誰あろう蔦重。「やったの全部、俺だろう。考えたのも、走り回ったのも全部…」、楼主らからの提案を、呉服屋を巻き込む企画として練り直し、資金繰りから考証も製作も全て手を抜くことなく携わったのは自分…その自負があるだけに納得がいかない…無理もありません。礒田湖龍斎の紹介などは西村屋の手引きでしょうが、「一枚噛む」の言葉どおり、西村屋は立ち合うだけでしたから余計に腹立たしい。
 我を忘れ、怒りに震える蔦重のさまは、礼儀は守り、明朗快活ないつもの彼ではありません。その異様さに、さすがに楼主らが「おい」「重三」と声をかけ、止めようとするものの、止まらぬ蔦重、立ち上がって「んな、おかしな話あっかよ!」と感情をぶちまけます。


 今にも暴れだしそうな蔦重に「吉原のためだ…」と静かな言葉で冷水を浴びせたのは、誰よりも蔦重の才覚を買う養父、駿河屋市右衛門です。敬愛する養父の言葉に驚き、振り返る蔦重に、市右衛門は「錦絵が広く出回ることが、吉原のためだ」と「吉原のため」を繰り返し、諭します。蔦重は気づいていませんが、いつものように頭ごなしに怒鳴りつけないところに、蔦重の悔しさへ理解を示していることが窺えます。
 平たく言えば、吉原者を虚仮にする鶴屋の冷淡、お人好しの若者を騙し討ちにする鱗形屋と西村屋の狡猾には、彼自身も忸怩たる思いがあるでしょう。実子以上に目をかける蔦重がやられたのですから、短期な市右衛門だけに内心は腸煮えくり返っているかもしれません。ただ、こうした事態は、ある程度、想定もしていたでしょう。


 西村屋が一枚噛むと蔦重に近づいてきたときから、あまりに都合のよさに不振な表情をしたのが市右衛門でした。しかし、二人が談笑していく姿を黙って見送り、首を振るだけで、気をつけろといった助言はしませんでした。直感だけで確証がなかったこともあるでしょうが、それ以上に蔦重に期待するがゆえに失敗しても学びになると見たのではないでしょうか。「細見改」にせよ、「一目千本」にせよ、紆余曲折はあっても蔦重の仕事ぶりは奇跡的なほど堅調です。吉原の遊女たちの生活を助けたいという真心と熱意と機転が、人の心を動かした結果です。
 しかし、ビジネスの世界は、生き馬の目を抜き、人を騙し蹴落とすことも厭わぬ非情なもの。そこを生き抜くには、蔦重はあまりにもお人好しで利害に生きていません。吉原者ゆえに客を誑かす手管はありますが、根が好いこともあり仲間を騙すことはありません。裏を返せば、彼は騙されることに慣れていません。したがって、世間を支配する「欲望の業火(助九郎稲荷)」は、やがて蔦重を飲み込み、薪としてしまうでしょう。

 ですから、早いうちに現実に気づかせ、目を向けさせたいというのが親心だったのではないでしょうか。才気に走り、頭でっかちになる今の蔦重に効果的なのは、失敗の体験しかない。不器用な市右衛門は、そんなことを思い、西村屋の邪念を感じつつも放置したように察せられます。ただ、蔦重が味わうことになった艱難辛苦は、市右衛門の予想を上回るものだったのでしょう。だから、彼は鶴屋の言葉に目を剥いたのです。

 それでは、息子の苦境に対して、この場を切り抜けるどんな言葉をかけるのか…考えあぐねて出た答えが「吉原のため」だったように思われます。おそらくは市右衛門自身も若き日より多く辛酸を嘗めながら、駿河屋を切り盛りしてきたはずです。そして、耐え難い屈辱、裏切り、罵倒をどうにかこらえる術が、「吉原のため」になるから、だったのでしょう。「吉原のため」と自分に言い聞かせ、ときには無理矢理納得させ、忘八になっていった。

 そんな彼が蔦重へ言える言葉は、同じ人生訓しかありません。つまり、市右衛門にとって「吉原のため」は金儲けのための詭弁であると同時に、吉原者が味わわざるを得ない不当な扱いを耐えるための戒めでもあったと思われます。だから、居丈高ではなく、哀れみもどこか漂わせ、この言葉を送ったのでしょう。
 それは、蔦重をひとかどの出来る奴と認めればこそでもあります。前回「吉原のためにせいぜい気張ってくれ!」と励ましたにもかかわらず、いきなり反転し、蔦重を諦めさせるニュアンスで「吉原のため」と言わざるを得ない市右衛門。その胸中を思うとやりきれませんね。


 もっともこれを聞いた蔦重の驚きは、市右衛門の心中を察するものではありません。寧ろ、「吉原のため」という詭弁で裏切られた…という思いのが強かったでしょう。それでも「吉原のため」と言われれば、我に帰ります。「吉原のため」、これは蔦重にとっては、この言葉の裏にあるのは、辛い境遇の遊女たちがせめて食べられるようにしたいということです。蔦重にとって「吉原=遊女たちそのもの」です。ですから、これを言われた蔦重は、吉原者としての矜持、自分の本念を思い返すしかありません。

 遊女に生かされている自分が、この場で出来ること…「ふー…」と気持ちを整えると「吉原のため、良いものに仕上げてくだせぇ、では」と、この場を去ります。ほっとした表情の楼主らの中で、出ていく蔦重を気にかけて見やったのはやはり扇屋宇右衛門。そして、悔しい気持ちを押し殺し頭を下げた蔦重の代わりに市右衛門は鱗形らに厳しい眼差しを向けています。忘八らしく実利を優先した二人ですが、内心は蔦重の受けた屈辱を慮る気持ちがあるようです。


 座敷を退き、襖を閉めた蔦重には、そんな養父は見えません。心は尚更、わからない…親の心子知らずといったところです。噴き出す屈辱と怒りに身を焦がすばかり…涙を拭いながら「何が吉原のためだよ」との言葉が思わず出たのは、忘八たちの「吉原のため」は、自分のそれとは違い、「金儲けのため」とイコールだからと考えているからです。その実利のために、彼らの利益をも考慮して立ち回った自分が、同じ吉原に住む仲間である自分を切り捨てた…悔しさは彼らに対してだけではありません。

 楼主たちが忘八で非道、外道の人非人であることは、幼い頃から吉原に生きる自分には百も承知だったことです。にもかかわらず、彼らを利用し賢く振る舞っているうちに、どこかで信じてしまっていたことに気づいたと思われます。特に養父である市右衛門とは、和解したばかり。彼については、余計に信じかったと思われます(実際は誰よりも彼を気遣っているのは市右衛門なのですが)。
 ですから「忘八が…!手の平返しやがって、寄ってたかって橋を外しやがって。ちくしょう、ふざけんなよ」言う怒りの先には、自分自身の甘さもあるのではないでしょうか。そして、吉原者ゆえ夢を絶たれるという現実を目の当たりにしては、絶望感のやりどころがありません。「べらぼうが!」と叫ぶ以外の術がない。今回の「べらぼう」は、やり場のないやりきれなさとして使われました。


おわりに

 当初、蔦屋重三郎と初代西村屋与八の共同で出された「雛形若菜初模様」は、100枚以上あるなか、初期の10枚ほどにしか耕書堂の円印はありません。史実においても、二人の決裂があったことが示唆されていますが、「べらぼう」においては、この世を支える人々の欲望の業火、そして経済を支える仕組みと政治に屈するという苦い経験として使われました。特に地本問屋たちの頑強な抵抗は、蔦重が版元を志す最初の壁となりました。

 地本問屋らが、よってたかって蔦重を排撃した理屈「仲間内」とは、「株仲間」という同業の問屋たちが集まって作ったカルテルです。江戸時代初期には私的な集団であったそれを幕府が公認するようになったのは八代将軍吉宗の享保の改革です。商業の統制、そして冥賀金の上納を条件に「御免株」と専売の特権を与えました。これを更に奨励し、物価の安定を図り、幕府の安定した収入源にまでしたのが、田沼意次です。そして、蔦重が弾かれたように新規参入を許さないのが「株仲間」の特徴です。
 したがって、確かに経済発展の一翼を担った反面、儲かるのは公認株仲間の大商人と冥賀金を得る幕府だけという負の側面も生みます。それはやがて政治の腐敗を招き、田沼失脚の原因の一つとなります。

 ただ、地本問屋の「株仲間」が幕府公認になるのは寛政期ですから、この「仲間内」は「願株」による私的なものだと考えられます。江戸時代の本屋は、学問(仏教や儒学や医書や史書)や教養(辞書や古典)など固い本を扱う書物問屋と、娯楽や絵に特価した地本問屋の二種類がありました。このうち、書物問屋については、思想に関わる書籍を扱うため、幕府は言論統制の必要から「株仲間」を公認しました。

 一方、ジャンルが幅広く、流行によって移り変わりが激しい地本問屋は、規制がしにくい。そのため公認の「株仲間」はなく、比較的自由でした。しかし、実際は私的な「株仲間」による囲い込みがなされていたということでしょう。鶴屋と西村屋は、書物問屋でもあったので「御免株」を持っています。彼らを中心に私的な「株仲間」が作られたかもしれません。そして「株仲間」が奨励された田沼時代の重商主義は、こうした地本問屋の動きを処罰されるどころか黙認するものでした。
 こう考えていくと、蔦重が版元になることを拒んだのは、地本問屋たちだけではないことが見えてきます。田沼意次の施政と江戸期の経済システムまでもが、蔦重の版元の夢を阻んだのですね。田沼意次と蔦重の関係は単なる共感し合うだけではないという重層的な描き方が、なかなか巧みですね。


 因みに蔦重を拒絶した「株仲間」が解散させられるのは、蔦重が死んだ後の天保の改革まで待つことになります。水野失脚後、遠山景元(金さん)によって、新興商人が自由に入れる形で株仲間が再興されます。今回、蔦重が望むような「株仲間」になるのは、更に70年待たねばなりません。
 ですから、後々、蔦重が、地本問屋のメッカである日本橋へ耕書堂を進出させるときは、地本問屋・丸屋小兵衛の店舗と株を買い取ります。蔦重は、晴れて「株仲間」となって堂々と西村屋(この頃は二代目)と鶴屋と鎬を削ることになります。更に後々には書物問屋の株をも取得します。したがって、今回の失敗からここに至るまで、知恵を絞り、騙されぬよう慎重になり、ときに人様を出し抜き、結果を積み重ね、版元としての実力を地道につけていくことになるのでしょう。


 まずは、蔦重の才を吉原ごと抱え込もうとする強欲の塊、鱗形屋三左衛門とどう付き合うかです。今回の失敗は、無邪気に己の才覚を披露し、人の妬みというものを意識出来なかったことがまずあげられます。また、次に業界のシステムに対する理解が浅く、そこを突かれました。さらに己の不十分を知り、それを補う知恵を絞らなかったこともあるでしょう。その根幹にある甘さは、奇跡的なこれまでの成功のため、夢ばかりを見て、浮足立ってしまっていたことによるものでしょう。
 となると、まず蔦重が版元として自立するために必要なことは、地本問屋の手管をより深く知ることです。だから、蔦重は、鱗形屋たちへの対抗意識や反感は内にしまわねばなりません。親父さま駿河屋市右衛門と同じように耐えて、自分のすべきことを見出すのです。ですから、寧ろ、今回、一杯食わされた地本問屋たちの元へ飛び込んでいく度胸と割り切りと腹芸を身につけていくことになるでしょう。
 今はまだ、源内からもらった「耕書堂」の名前が重たく、痛いですね。

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