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「光る君へ」第17回 「うつろい」 うつろう世の中で自分の道を見出す女性たち

はじめに
 老境だった兼家の天下も約5年、後を引き継いだ道隆の栄華も約5年。権勢がいかに儚く脆いものであるかを象徴しています。ただ兼家が万難を廃し、盤石をもって道隆に継がせました。ですから、兼家の死は、政にとって大きいものであったにもかかわらず、大局への影響はさほどにはなりませんでした(息子たち個人個人はともかく)。
 しかし、盤石に引き継いだはずの道隆の病は、あきらかに政の潮目が変わる瞬間となっています。何故、そこまで揺らぐのでしょうか。

 もっとも大きい理由は、その独善的で不公平な政治手法です。内裏の中しか見ない狭い了見による我田引水の政は、周りの妬みや怒り、世の荒廃を招いています。これまでの回に描かれたことです。入内した中宮定子を背景にしたその専横に、誰も抗することができません。
 ここに疫病という天災が訪れます。我関せずの態度を崩さない道隆の姿勢は、ますます世の荒廃を招きます。加えて、皇子を設けることを促すために成人扱いした帝が政治へ関心を持ち始めたことも、道隆の政権基盤には面白くないことでしょう。つまり政局にならざるを得ない自体を、道隆が一々、作り出し、自身の権勢を危うくしているのです。

 そして、道隆の独裁、疫病、帝の変化…まさに政治的に待ったなしという中で、前々より仄めかされていた道隆の病が顕在化したのが第17回です。

 彼の政が専横であったがゆえに道隆自身の心身のうつろいは、そのまま政のうつろい、政治的混乱を招きます。そして、政がうつろうことは、世の中、時代をもうつろわせ、不安、野心など本音が露わになった周りの人々の心も不安定になるでしょう。つまり、道隆自身が世にとって疫病のごとき存在になるのです。勿論、逆にうつろいの中で、自分の確固たるものを見出だし動き出す人もいるでしょう。
 そこで今回は心身病み衰えていく道隆の言動とそれが人々にどういう影響を与えていくかを見ながら、人々のうつろう心、うつろわない信念を考えてみましょう。


1.揺れる中関白家

(1)晴明が見抜いた道隆の人間性

 オープニング後は、道長が道隆へ疫病対策のための新たな提言をしている場面からです。あの一夜こそは、公私混同でまひろの看病にかまけた道長ですが、「悲田院はもう用をなしておりません。空いている土地に救い小屋を立て、病人を入れねば、疫病は内裏にも及びましょう」との具体策を見るに、政治家としての自分の本分を忘れてはいませんね。しかし、もとより民を思わない道隆が、疫病は放置という方針を変えるはずもなく、突っぱねることになります。
 既視感のあるこの場面、実は前回、道長の疫病対策の申し出を道隆が論点ずらしで却下したシーンとの対比になっていますね。前回のシーンとあきらかに違うのは、道隆が水を飲む頻度です。途切れることなく、浴びるように水を飲み続け、なくなれば、道長の話すら聞いていられず、「あー、水をもて!」と立ち上がって下役人に要求するほどです。持病の飲水病が、想像以上に悪化していることが見受けられます。


 その健康状態の悪化は道隆の精神をも蝕んでいるというのが、この場面に見られる道隆の。前回の論点ずらしの却下は、巷で有名な某氏の「論破」なるものと似たようなものです。これはまったく褒められない誤魔化しですが、詐術としての一定の論理を含んでいるため、相手を封じることができる場合があるのです。加えて、道隆はこれに地位を生かした傲慢を加えて、道長を圧迫しました。つまり、ある種の計算高さが、あの却下にはあったのです。


 しかし、のどの渇きに耐えられない今の道隆は、そもそも集中力を欠いており、道兼と道長が手を組んでいることへの苛立ちのほうが前面に出ます。一応、火事になった弘徽殿の修繕優先のため朝廷に費用はないという理由を述べてはいるのですが、追いすがる道長に「お前と道兼は何故、手を組んでおる…不可解極まりない」と感情論に話を戻すと、「まさか…わたしを追い落とそうというのではあるまいな」とあからさまにクーデターを警戒していると口にします。疫病を国家の大事と思うからこその提言である道長にしてみれば、お話にならない言い分であり、流石に怒りを露わにします。

 それでも、道隆は「お前になくても道兼にはあるやもしれん!疫病の民を思うなぞ、あいつの考えることではない」と、公の場であるにもかかわらず、次兄の侮蔑を隠そうともしません。あまりの言い草に道長が息を飲むのも当然でしょう。元来、道隆は、優雅な素振りを崩さない泰然自若の振る舞いが、高貴さを演出になっている人物です。その自分の持ち味を捨て、身内に対して疑心暗鬼を募らせ、苛立ち、自分の感情を抑えられなくなっていることは、彼らしくなくなっていることが窺えます。


 因みに自制心を失いつつあることは、公務だけではありません。プライベートでも同様で自邸でも酔いつぶれ、伊周と隆家、子どもらの目もはばかることなく、貴子に膝枕をねだるという醜態を晒しています。わかりやすく視線を逸らす隆家に対し、伊周は「どうぞご遠慮なく」と穏やかに返していますが、内心は弟と同じで、父の乱れた姿は見ていられないというものです。いくら仲良いことが知られる夫婦であっても、親しき中にも礼儀ありという高貴さこそが中関白家の家風であることが窺えます。

 普段の専横ゆえに気が緩んでいるようも見えるため、誰も気づくことはありませんが、実際には彼のこうした言動は、彼の精神が正常な判断ができなくなりつつあるという異変がほのめかされているのです。したがって、登華殿での帝を招いての音曲の宴で、遂に倒れてしますという展開も起こり得ることとして描かれています。勿論、彼の異変に気づいたものはいなかったでしょうから、帝と定子も含めて、この異常事態には驚きを隠せません。


 さて、病魔に倒れた道隆ですが、それが飲水病であると信じないのか、安倍晴明を呼びつけます。訪れた晴明は、水を零しながらがぶ飲みする道隆の様子を淡々とした表情で見定めています。おそらく一目で先はないと察したことでしょう。そもそも、彼は道隆政権が長くないと踏んでいました(第13回)から、この事態にも慌てることはありません。寧ろ、自分の予見どおりだったことを確かめているだけとなっているでしょう。

 そんな晴明の冷ややかな眼差しに気づく余裕はなく「目がかすむ、手が痺れる、喉がかわく…これは誰ぞの呪詛に違いない。どうじゃ?」と聞きます。この病状に、晴明はますます、その先がないと確信したでしょうが、言葉としては「どなたかお心当たりでもございますか」と一応、問いかけるのは、こういう断末魔において彼がどういう人間性を見せるのか、そこに関心があるのでしょう。
 以前のnote記事でも何度か触れているように、彼は「この国の未来」を見据えて、自分のなすべき仕事をしているプロフェッショナルです。権謀術策の悪党であっても、政を担うに相応しい振る舞いをする人物であれば、敬意を持ち、協力するのが彼のあり方です。

 ここで兼家と晴明の最後の会談(第13回)を思い返してみましょう。まず、晴明は、自身の寿命を問う兼家の問いをはぐらかすことでその命数がないことを言外に伝えます。すると兼家は、誰を後継者にすべきかを強く詰問します。彼は自身の寿命が尽きることよりも、その後の「家」の繁栄に心を砕こうとしました。
 晴明は、兼家の思うままにすべきと答えますが、果たして兼家は、道長には苦言を呈し、道兼には非情に徹して引導を渡し、盤石な形で道隆に摂政家を託しました。認知症に侵されながらも、彼は我が「家」の繁栄が「この国の未来」にも重要という主義を最後まで貫き通しました。
 無論、彼の考え方は非情かつ独善であり、結果、孤独に壮絶な死を迎えましたが、彼はそれをも覚悟していました。いうなれば、兼家は、政に対して終始、一貫しており、決してブレることがなく、また目的も果たしてみせました。


 しかし、道隆から出たのは「心当たりはありすぎる。道兼、詮子、道長とて腹の中はわからん。皆、わしの死を望んでおる!」と政敵となり得る身内を並べ立て、感情的になる言い草だけです。「家」を重視する貴族社会の頂点、藤原家の氏長者でありながら、一門をまとめられず、それどころか彼らを疑い、信用することをしない道隆。そこには、自分が手にした権力を失うことの恐れだけが際立っていることが窺えるはずです。
 兼家から敷かれたレールの上を走り、当然のように権力を継承しただけの道隆には、兼家のような信念が、政に対する志もありません。ただただ、得た権力を自身の万能として振るったのみです。結果、彼は外ばかりか、身内にも敵を作ってきたのですね。
 その事実を体現したのが、先ほどの答えです。この言葉で道隆は、自分の政治家としての底の浅さ、器の小ささを明らかにしてしまったと言えるでしょう。


 晴明は、道隆の回答に、彼の力量を見抜き、その後継となる伊周、中関白家全体に「この国の未来」を担うだけの力はないと看破したのでしょう。であるならば、現在、関白であるとはいえ、道隆及び、この家のために力を貸すことには、何の価値も魅力もありません。兼家と進めた権謀術策のような楽しさもまったくないでしょう。
 ですから、おためごかし一切なしに、冷ややかに「それは呪詛ではございません。恐れながらご寿命が尽きようとしております」と明言し、何をしても無駄であると伝えます。この言葉は、事実を伝えているだけではなく、晴明が中関白家を見限ったという意味合いが含まれています。

 兼家なれば、晴明のこうした腹も見えたでしょうが、道隆の器では無理でしょう。まして、今の冷静さを欠き、半ば錯乱した状態では尚更です。寿命がないという事実に恐れおののき、「お前の祈祷でわしの寿命を伸ばせ!」と上から目線で命じることしかできません。先のない為政者など用はありません。さっさと退去したい晴明は「難しゅうございますが、やってみましょう」と成功を約束できないことを滲ませたうえで去ります。


 陰陽寮に戻ってきた晴明は、疲れ切った顔で「関白の病の平癒、お前が祈っておけ」と従者の須麻流に伝えます。「私が…でございますか?」と驚く彼に、晴明は「お前でよい。もう関白は何をしても助からん」と吐き捨てます。「せめてお苦しみが和らぐようご祈祷いたします」と与えられた職務に忠実な須麻流とは対照的に「あー、疲れた。病の者の穢れをもらった。いけないいけない」と投げ槍に、自分のためだけに祓いの呪を唱えかける晴明が興味深いですね。
 心底、無駄な時間を過ごしたという後悔、「この国の未来」のためにならない愚物とつきあう羽目になった嫌悪感、そうした本音が、晴明にしては珍しく露わになっています。


 こうした晴明の言動からは、冷静に道隆の器を測り、中関白家に将来性を読んだということだけでなく、感情面においても彼らにいい思いを抱いていなかったことが窺えます。つまり、専横を重ねるばかりの道隆は、晴明の重要性もわからぬまま、彼と共犯関係のような濃密な関係も築けず、使いこなせなかったのでしょう。兼家の死に対して見せた敬意のようなもの(第14回)は、道隆に対してはまったくありません。晴明の吐き捨てるような言いようには、道隆の人望のなさの一端が窺えるのです。万が一、道隆に晴明が肩入れするような何かがあったならば、その対応も変わっただろうと思われます。


(2)専横を極めた権勢欲の末路

 さて、道隆の人望のなさは、彼が病魔に倒れたことにより、公卿たちの間にも一層噴き出ることになります。それが、露骨に表れるのが、道隆が「世の流れを止めるべく改元を進言」したことで、長徳へと改元されたことです。
 この改元については、実資が公任の発言として「長徳は俗忌(ぞくき)があるようなものである。長毒と称すべきか。また日本の年号は「徳」の字はただ天徳だけである。あの年には疫癘(えきれい)があった」と記録しており、当時においても不吉な元号との噂がありました。
 本作で公卿らが、「チョートク、チョートク」と繰り返し、長毒に気づき「長い毒です。疫病は長引くでありましょう」と不吉がるのは、こうした記載をもとにしたものです。実際、長徳年間は不吉なことばかり起こることになりますから、語呂も馬鹿にならないところです。迷信に過ぎなくても、触らぬ神に祟りなし、ぐらいにしておいたほうが無難ですね(笑)


 さて、このような公卿たちの話題は、不吉な元号を「どなたがお決めになったのでしょうか」ということへと移り、実資が「関白に決まっておる」と即答します。そもそも、定子の中宮立后に代表されるように、朝議を軽んじた独断専行が過ぎています。物語の展開も踏まえると、この改元も、自分の寿命を延ばすことを重視した独善的なもので、朝議に諮ることも、誰かの意見を聞くこともなく、改元を帝へ奏上したというのが、「光る君へ」での解釈のようです。

 結果、不吉な元号に決めてしまった道隆について「最早、関白どのは物事の是非もつかぬのであろうか」とその正気を疑われます。このことは、道隆政権の揺らぎと不安へとつながりますが、辛辣なのは「帝も関白の言うことをお聞きになりすぎだ」と容赦がない実資です。なおも「帝は未熟。甚だ未熟であられる」と繰り返し、世を憂う実資に、帝に近く忠実な蔵人頭、源俊賢(明子女王の兄)は「皆でお支えいたしましょう」と慰めます。

 しかし、実資は「いくらお支えしても断をくだすのは帝である」と、にべもありません。彼は、道隆の縁故だけ66名が出世した前の除目の不公正さについても苦言を呈していました。しかし、それでもそれが覆らないのは、帝の下した裁可だからです。結局、政を根本から変えていくには、帝自身が政に関心を持ち、判断能力を養い、成長するしかないというのが実資の考えの基本です。
 決して、帝を非難しているのでなく、「心配である、心配である」との言葉どおりに心配しているのでしょう。そして、実資の「長徳という世になれば、災いも多くなろう」という不安は、結局、現実のものとなってしまいます。


 そして、この実資の言葉、公卿たちの不満を秘かにのぞき穴から見聞きしているのが、一条帝です。彼は前回、「貞観政要」を引用しながら徳によって民を治めることを理想にしています。未熟はたしかですが、政への関心はあり、また改善したい思いはあるのです。秘かに臣下たちの忌憚のない声を聞こうとしたのもその一環でしょう。
 その結果、わかったことは、自身が忠臣として信じて生きた関白、道隆の専横が過ぎ、公卿らの信頼を失っているということ。道隆の政が世の乱れのもとになっていること。そして、それはひいては自身の政治的資質の問題になっているのだということです。

 特に実資の辛辣な物言いには、相当堪えたことでしょう。だからこそ、彼は後半、道隆の伊周を内覧に任じる件も一旦保留にし、但し書きをつけるなど、少しずつ改善を見せようとします。また、現在の政に対して、帝に対してすらも、自らの意見を言える実資の実直さが信頼に足るものとして映ったと思われます。彼が歴代の帝たちに晩年まで重用されるのは、こうした政に対する姿勢が一貫しており、時流や時勢に流されない点を評価されるからでしょう。


 ともあれ、道隆が倒れたことにより、それまでは見えづらかった人望の無さが顕在化し、それを知った帝もまた関白への信頼を失いつつあります。本来ならば、彼が倒れたときこそ、他の者たちが支えて、滞りなく政が進むようでなければなりませんが、その専横で人心が離れた道隆には叶わぬことです。
 そして、その人望のなさは、皮肉にも嫡男伊周がもっとも色濃く引き継いでいます。それは、明子女王のもとへご機嫌伺いにきた俊賢の発言から窺えます。本作における俊賢という人物は、一条帝蔵人頭としては忠臣そのものですが、明子女王の前など素を見せられる場では、妹の明子に娘を産んで入内させるよう促すなど野心を隠さないなど、非常に多面的な人物です。

 その俊賢が、道隆が倒れるよりも前に、「もし次の関白が道兼さまなら道長さまは左大臣やもしれぬ。どちらにしても右大臣は固い」と先の将来について発言したことは、興味深いですね。彼は、現在、内大臣である伊周をまったく無視して、道長の出世に語っているのです。蔵人頭として公卿らと帝の間を取り持つ彼は、公卿たちの本音についても詳しいでしょう。ですから、俊賢は公卿らの様子から、伊周に人望がなく、既に先がないと踏んでいるのですね。


 それを知ってか知らずか、先がないと晴明に告げられた道隆は、とにかく中関白家の権勢の維持、即ち伊周への速やかな権力移譲だけを願って、迷走を始めます。権勢欲の囚われた彼は、それを失うことへの恐怖、不安、絶望、焦燥感に苛まれています。病魔に侵され冷静さを欠いている彼は、その都度、一番囚われた感情に左右された言動をします。

 例えば、道兼を自邸に呼び寄せた際は、自身が死んだ後の不安が肥大化していたようです。ですから、あれほど自分を追い落とす気に違いないと罵倒していたにもかかわらず、かすむ目で道兼ににじり寄り手を取ると「もしわしが倒れても、未だ懐妊せぬ中宮さまも貴子も伊周も、隆家も…支えてやってくれ。酷なことをしないでくれ」と弱々しく、泣きだした挙句、「どうかどうかどうかどうか、伊周、我が家を頼む」とすがりつきます。「酷なことをしないでくれ」という言葉には、自身が死んだ後は、道兼に権力を奪われるという諦めがあるようです。
 おそらく病み衰えた道隆では、昔の気性が激しく荒い頃の道兼しか思い浮かべられないでしょう。だから、懇願する以外に思いつけないのです。

 そんな道隆の姿に呆然として言葉を失う道兼は何を思うのでしょうか。今の彼であれば、復讐心から中関白家を徹底的に痛めつけることは考えてはいないでしょうが、権勢欲に溺れた権力者の末路に複雑な感情は抱いていそうですね。道兼自身が喉から手が出るほど欲した摂関の地位が、人に何をもたらすのか。それは決して幸せではないことが窺えます。
 あれほど優雅で、常に余裕を崩さず、教養豊かで穏やかであった道隆の見るも無残な姿は、どん底に堕ちたときの自分と大差がありません。衝撃だったことでしょう。彼の道隆憎しの思いは、道隆への憧れ、劣等感の裏返しだったはずですから。それだけに、あの優雅な道隆をここまで変貌させてしまう権勢とは、そこまでした争うものなのか、そんな疑問も湧いていそうですね。


 さて不安にかられ、すがりつくかと思えば、権力移譲のため、関白の名を使って、強引な具体策を打ち出すこともしています。先の長徳への改元もその一つですが、もっとも貴族の反感を買うことになったのが、「全ての政務を内大臣伊周に委ねることをお命じいただきたく…何とぞ内大臣に内覧のご宣旨を」と願い出たことです。

 先の公卿らの不満を聞き及んだ一条帝は、「しばし考えて後に宣旨をくだす」と判断を一時的に留保します。自分の考えをもって政をしようという意思の表われですが、もとよりこの強引な申し出の裏にあるのは、権勢を失うことへの恐怖心です。ですから、「今ここでお約束いただかねば、安んじて養生できませぬ。どうか今、お心をお決めくださいませ」と食い下がります。一条帝が自分の意に従わなかったことの衝撃、そして、万が一、伊周が内覧にならなかったときのことを想像することへの不安が膨れ上がり、不敬な言動をしてしまいます。
 健康状態の良かったころの道隆であれば、あり得ないことです。その後、彼は絶望感から、今度は娘の定子を罵りに行くことになります(後述します)が、ともかく冷静ではありません。


 一条帝は、道隆の様子に心を痛め、そして自分の判断が正しかったかを悩んでいます。彼は公正で確かな政をしたいだけで、中関白家を排除したい意思から留保したのではありません。「伊周のことを朕は嫌っておらぬ。しかし、なにぶんまだ若すぎる」と、その理由にも冷静な見極めが見えます。結局、一条帝は、道隆が関白に在位の間だけの内覧を許すという限定的な許可を出します。各方面に配慮した彼なりの折衷案ですが、これですら人望を失った今の中関白家の優遇と映るため、公卿の不評を買います。

 というのも、疫病が既に内裏に入り込み、大納言すら亡くなるという事態になっているからです。このような非常事態に、何の実績もなく、偉そうな態度を取るだけの伊周に権限を与えても何の解決にもならないのは明白です。多くの公卿が疫病への罹患を恐れる中、「屋敷に籠っておっては、政はできませぬ」と豪語する実直な実資は、「疫病が内裏に入り込んだことは、全て関白さまの横暴のせい」と断言します。前回noteでも触れましたが、疫病の始まりは天災ですが、何の対策も取らず被害を広げたのであれば人災です。実資の言葉は、それを指しています。
 そして、「長徳などという元号にし、息子を内覧に据えたのは積悪の所業。許しがたし」と最近の政策が、常軌を逸していると喝破します。実際、実資は、くだんの「日記、日記」である「小右記」にて、伊周の内覧について「この事は大いに奇異の極みだ。必ずこの人事は失敗するだろう。昔から未だこんな事は聞いたことがない」と批判しています。

 自身の権勢だけにこだわり、自らの感情に振り回される関白の失策は、いよいよ極まったというところです。結局、政は一人でやるものではありません。多くの才能が集まり、話し合い、それぞれがそれなり納得ずくで進めていくものです。それゆえに誰かが倒れれば、誰かが補い、その政は滞りなく、進められていきます。政に必要なことは、人の和というわけですね。
 したがって、人心が離れていることにも気づかない道隆と嫌われすぎの伊周は、自分たちの何が問題であるかもわかっていない、そのことが致命傷となり、凋落していく他ないのでしょう。



2.道隆の余命をしたたかに測る女二人

(1)詮子の権謀術策

 道隆、倒れるの報は、次の政権は誰が担うのかという権力闘争の始まりを意味しています。ですから、道隆の死後を狙って暗躍が始まるのも不思議ではありません。その最右翼が、一条帝の母である女院、詮子です。彼女は、道長から、道隆の病状が重篤であることを聞いても平然として「浮かれすぎたから罰が当たったのね」とバッサリです。あまりの思い切りにいい物言いに笑ってしまいますが、詮子の「浮かれすぎた」との指摘は、あながち間違いとも言えませんね。


 正道を歩む嫡男として純粋培養されてきた道隆は、優秀で姿もよいですが、一方で政に対して確たる志もなく、目指すものもありません。父の言う通りに「家」の繁栄を指向するだけで、自分の考えというものがありません。こういう彼が、巨大な権力を与えられてしまいました。目指す目的がありませんから、その権力を行使することだけが快感になっていったことが容易に想像されます。巨大な権力が自分にもたらす万能感を味わい酔いしれたでしょう。いつしか、権力を持つ自分は何をしてもよいのだと思うようになったのかもしれませんね。結局、彼は権力の虜になり、酔うなかで、自身の美徳も失い、今、死病に取り憑かれています。

 「お若い頃は優しい兄上だったのに」という詮子の言葉に、憐れみがかすかに揺れ、それを聞いた道長は、そっと哀し気に目を伏せます。疫病対策の提言を道隆にし続けていた道長は、こうなる前に何とかしたかったという思いがあるのでしょう。情に厚い道長は長兄を憎むには至りません。


 さて、詮子は、この場に呼び寄せてあった道兼にむかって「次の関白は道兼の兄上であるべきよ」と明言します。円融帝に毒を盛った件がありますから、道兼は、詮子とは犬猿の仲になるしかないと諦めていたはずです。また、自身が関白になることも、憑き物が落ちて以来は、あまり考えていなかったでしょう。にもかかわらず、「だって、それが真っ当な順番でしょ。だから今日、道長に一緒にお連れしてと言ったのです」と言われば、道兼が驚くのも無理はありません。

 ただ、そこはやっぱり口さがない詮子です。「私は道兼の兄上のことは、昔から好きではありません」と容赦がありません。いや、「嫌い」と言わなかっただけセーブしているかもしれませんが(笑)ただ皮肉にも、この正直さゆえに、逆に詮子の発言は信がおけるというものです。皮肉ですが、「お前がわたしを嫌う心は信じられる」といったところでしょうか。


 そして、詮子は「されど、あの出すぎ者の伊周に関白になられるのはもっと嫌なの。だから道兼の兄上を後押しするわ」とその本音を告げられます。あー、やっぱり前回の登華殿での伊周の説教は、やり過ぎだったようですね(苦笑)伊周は、道兼、道長に対しても公的な立場より、私的な叔父として軽んじる傾向がありましたが、詮子に対しても叔母、定子の姑くらいにしか思っていなかったのかもしれません。
 結局、道隆以上に「浮かれすぎた」伊周は、味方につけるべき国母、女院を敵に回し、自分の出世の芽を自ら摘んだのです。

 詮子が道兼を推す理由が、個人的心情と消極的理由という点を気にする方もいるかもしれませんが、寧ろ、完全に支持できる、心から信頼できる人物はなかなかいないもの。よりマシな人を押すというのは現実的な政治センスと言えるでしょう。
 これは現在の選挙も同じです。ですから、「入れる人がいない」を理由に選挙に行かないのは理由になりません。最悪の中からマシな人を選ぶ、あるいは現実に不満があれば批判票を入れるのが選挙です(笑)


 詮子の明け透けな物言いにも、腹を立てるでなく「女院さまにお助けいただく日が来るとは不思議な気がする」と穏やかに応じられる道兼には、元々持っていたはずの高貴さが匂い立つようになってきましたね。今更ながらに玉置玲央さんを道兼役に配したことは秀逸だったと思わされます。
 疎遠の妹に取りなしたのが、道長であることも見抜いた彼が「また道長に借りを作ったな」と素直に言うのもいいですね。あの日、救われたことを日々思うからこその言葉です。そして、諦めていた関白への道筋が思わぬ形で提示されたのは、彼自身が父の愛に居場所を求めず、変わろうとしてきたからです。そのことも押さえておきたいですね。


 ただ詮子には別の目論見もあるかもしれません。道隆から道兼へ、兄から弟への権力委譲を周りに印象づけることは、後々、道兼から道長への委譲をスムーズに見せるかもしれません。何と言っても、詮子が真に信を置くのは道長ですし、今の道兼と道長の関係であればそうした流れもあり得るでしょう。詮子がここで道兼に恩を売る意義は十分にあるでしょう。
 勿論、これはあくまでドラマ内での話。史実的には道長政権はあくまでつなぎだったはずが、さまざまな事情で結果的に長期化したのが通説ですから。とはいえ、本作の詮子は一筋縄ではいかない狡猾さと無邪気さを同居させていますから、しれっとこういう目算があっても不思議ではない気がします(笑)


 さて、話がまとまったところで、道長は「では、姉上、帝にお話いただけますね」と、帝への根回しを確認するのですが、詮子は「内裏に行くのは嫌。定子に首根っこつかまれているような帝、見たくもないもの」とワガママを炸裂させます。前回、伊周の大言壮語の嘲りを詮子が黙って耐えたのは、中関白家に帝が取り込まれていると見たからです。定子への当てこすりを言いながら、かの日の屈辱を思い返しているのでしょう。
 こうなるとテコでも動かない…というか、人の話を聞かない詮子とわかっている道長は「ならばどのようにして道兼の兄上を…」と苦虫を噛み潰したように返しますが、即座に「他の公卿を取り込んでおくわ」と自ら政治工作に出ると申し出ます。その行動力も大したものなのですが、続く「そもそも、大納言も中納言も参議も公卿は皆、伊周が嫌いだから、そこは私が一押しすればうまくいくはず」という確信に満ちた言葉に舌を巻きます。

 彼女は内裏から引き離されながら、公卿たちの動向をしっかりつかんでいる情報通です。ふと思い当たるのが、蔵人頭の源俊賢です。彼の妹、明子女王を後見し、道長と目会わせたのは詮子です。その縁で色々話していたりするかもしれません。まあ、これは想像の域を出ませんが、誰かしら彼女に内応しているのは間違いないのです。
 詮子の慧眼、大胆さ、情報収集力を前に男兄弟二人は目を丸くして「ほう…」と感嘆する他ありません。二人の賞賛を浴び、満足げな顔をする詮子はまさに女帝。権謀術策において紛れもなく兼家の子ですね(笑)そして、権力闘争の鍵を握るのは、女性たちなのです。


(2)実家を利用する定子の算段

 対する中関白家も手をこまねいてはいません。とはいえ、自分の嫌われすぎすら自覚できていない嫌われ者伊周、まだ10代の隆家では打つ手はありません。中関白家で人徳があり、頭脳明晰なのは定子一人です。
 定子は公卿らの言葉に思い悩む一条帝に「父が病に倒れてから一人でいると心細うございます」と訴えながらも、見舞いのために「離れるのは嫌でございます」と女心を覗かせます。孝行と帝を思う気持ちの板挟みを訴えられた一条帝はそのいじらしさに打たれ、道隆の病状を伝えてもらうために伊周を登華殿に呼び寄せる許可を与えます。


 しかし、彼女の言葉に嘘はありませんが、目的は、周りから怪しまれない伊周を呼ぶ口実を得ることです。また「離れるのは嫌でございます」も、自分が見舞いで内裏を離れ、女院一派に後宮を掌握される隙を与えないという含みがありますね。後宮の主として、自分を守る警戒心が言わせたものでもあるのです。
 そうした定子のしたたかさに気づかず、「定子は朕が守るゆえ好きにいたせ」と憐れむ一条帝。詮子が「定子に首根っこつかまれているような帝」と歯痒く見るのは、あながち間違いでもありませんね。


 さて、定子は、伊周を呼び寄せた理由は、道隆の死後、スムーズに伊周へ政権が委譲できるよう地ならしをする策を授けるためでした。定子が「内々に先例を調べさせ」ることで思いついたのが、太政官から天皇に奏上する文書を、摂政&関白または宣旨を受けた大臣が前もって読む内覧の権限を得ることでした。
 奏上された文書に目を通す内覧は結局、その決裁まで代行するため、事実上、摂政&関白と同等の強力な権限を持つことになります。定子が「内覧になってしまえば、関白になったも同じ」というのは、こういう意味なのです。
 因みに定子が言う20年前の例とは、兼家と犬猿の仲であった兄兼通のことで、彼は内覧→内大臣を経て、関白に就任しています。伊周の場合は、既に内大臣ですから、よりスムーズにいくと定子は考えたのでしょう。


 定子の発言で興味深いのは「父上のお命のあるうちに兄上は帝から、内覧のお許しを得られませ」と、既に道隆の死を規定路線として受け入れていることです。帝の前では父を案じ、不安に思うことを口にしていますが、実際は道隆の病を案じるよりも、その死後を算段し、自らの中宮としての立場を確実にすることを優先しているのです。
 「20年ぶりでもなんでもやってしまえばよいのです」というなりふり構わぬ物言いも、悩んでいる時間はないと父の命数を測り、更に政において既成事実こそが重要であることを、先例から理解しているのでしょう。


 冴え渡る定子の聡明さに「定子はすごいな…」と舌を巻く伊周は、自信家で傲岸不遜な彼にしては珍しく「男であったら俺なぞ叶わぬよ」と素直に感心しきり。おそらく伊周は、道隆の死後、そのまま自分の力量と帝の信任だけで、関白がいずれ転がり込むくらいに安易に考えていたのではないでしょうか。すべては中関白家の権勢に皆がひれ伏していると思い込んでいるからでしょう。伊周はまるで現実が見えていません。

 そんな伊周の賞賛に定子は「あの女院さまから我が身を守り、帝をお守りしているうちに強くなりました」と笑います。ここには、定子の動機が、他者を貶める攻撃的なものではないことではないことがわかります。
 あくまで「帝が癒されるよう二人仲睦まじく過ごす」、それを守ることが彼女にとっての第一義なのです。必要以上に権勢や富貴を楽しもうというものではありません。帝との仲睦まじい生活を守るためには、当然、我が身の後宮の立ち位置を確実にする必要があります。帝を思う心が、彼女を強くしたのですね。中関白家から離れ、帝を慈しむうちに、彼女は精神的に自立した女性になろうとしているとも言えます。

 ただ、彼女にとっての後ろ楯は、実家の中関白家しかありません。だからこそ、実家の権勢維持にも進んで力を貸す。裏を返せば、定子にとって、我が「家」中関白家の繁栄は、帝よりも優先されるものではないということです。
 定子の根底にあるのは、自衛と帝への愛情。究極的には実家もそのために利用するものと思っているかもしれませんね。だとすれば、父、道隆の死病を心配するよりも、その後の自分たちのために大胆に動ける理由もつくのではないでしょうか。兄にかけた「共に力を尽くしましょう」の言葉には、中関白家と中宮である自分は対等という意識の表れにも見えますね。


 もっとも定子の内覧就任の策は、出し抜くという点では巧いのですが、伊周の地位を安定させるという点では不十分です。道隆が倒れたことで中関白家の権勢が揺らぐのは、彼らの専横と傲慢が過ぎて敵を作りすぎたからです。結局、政権を安定させるには人望、人徳が必須なのです。兼家が貴族たちに配慮するのも、詮子が公卿らを抱き込む工作するのも、それを知るからです。
 定子の策に問題があるとすれば、伊周に致命的なほど人望がないことです。ただ、定子にとっては、伊周はよい兄でしかありませんから、そこを責めるのは可哀想でしょう。
 因みに道長は、太政官を権力基盤として重視し、内覧左大臣として、内覧と左大臣のいいとこ取りをしつつ政を行っています。定子の発想自体は流石と言えますね。というか、道長はいつも良いとこどり調子がよいですね(苦笑)


(3)定子を脅かす道隆の錯乱

 自分は中関白家に従うためではなく、どこまでも帝のためにいるという定子の自立心は、後半、錯乱して現れた道隆への対応の仕方にも表れます。
 道隆は、伊周内覧就任を帝が一旦留保したことで、中関白家と帝との関係に溝ができたと直感します。この期に及んでも自身の失策を認めない彼は、帝と中関白家の関係が盤石でないのは、皇子を産まない定子のせいと安易に帰結します。

 病魔による焦燥感と絶望から自制心を失った彼は、ふらふらと幽鬼のごとき歩みで後宮へ現れると「皇子を産め…早く皇子を産め…」と全力ハラスメントな言葉を呪文のように唱えています。ただならぬ様子を察知した清少納言が、御簾を下げ、人目に触れぬよう機転を働かせますが、自身の異様にも気づかない道隆は「お前は帝の唯一無二の后であろう。他の姫の入内も阻んでおるに、何をやっておる」て、万全の体制を整えているのに何故、結果を出さないと詰め寄ります。


 子をなすことは夫婦の問題ですから、結果を出さないと責めるのは帝をも責めることです。定子は、病に侵された父を気遣うでもなく「帝はまだお若くておいでですので」としれっと年下の一条帝を庇うと、詰め寄る父からもすっと離れて、いなすようにします。あきらかに冷静さを欠いた道隆の相手をしても仕方ありません。
 「とっくに元服されておるではないか!」と、満足のいく答えが得られず、なおも二人を責めたてる道隆に、上座に座りなおした定子は「それなりにつとめております」と毅然と答え「帝の毎夜のお召しにお応えしております」と、その寵愛は十二分であることもきっぱり返します。夫婦関係についてわざわざ明け透けに口にしなければならないなど、平気なことではないでしょう。
 それでも、真顔で応じるのは、帝にも自分にも非はなく、帝を守ろうとする中宮としての自覚です。いくら関白であろうと、いくら大恩ある父であろうと、そこは譲れませんから冷ややかに返答したのです。

 しかし、自分の寿命が尽きようとし、中関白家の権勢と繁栄が失われようとする今しか見えない道隆には、権勢に対する妄執が生む焦りと恐れと絶望にかられ「足りない…足りない足りない、足りない足りない足りない!…まだまだまだまだまだまだ足りない!」と呪詛のように唱えて、錯乱していきます。いや、毎夜つとめているというのにどうしろと…とは思いますが、たった今、すぐ皇子を産んでほしいとさえ思っている道隆に理屈は通じません。権勢への妄執は、かつてあったであろう娘への愛情も剥ぎ取り、ただただ一族繁栄の道具であることを自覚するよう定子に迫ります。


 道隆の我が「家」繁栄しか考えていない妄言が撒き散らされる中、時折、清少納言(ききょう)の表情が挿入されるのが印象的ですね。彼女は、男の理屈、「家」の繁栄、子ども…そうした女性たちを縛るものを打ち捨て、自分のために生きようと出仕しました。そこで尽くすべき理想の主、定子と逢い、登華殿の華やかさを楽しんできました。
 しかし、ききょうは登華殿に来て、華やかな世界だけを堪能できたのでしょうか。今回の斉信とのやり取りを見ても、宮中では一度寝たくらいで自分の女と偉そうに振る舞う輩がいます。そして、今、敬愛する定子が、所詮お前は「家」の繁栄のため、子を産む道具だと父である関白に言われているのです。定子を思いながら、事態を見つめるききょうの目元にほんのり涙が窺えるのは気のせいでしょうか。

 結局、宮中もまた下々の貴族と同じく、女性と見れば、性の対象か子を産む道具と見る輩が多い…ききょうはそうしたことも思い知ったかもしれません。となると、「枕草子」が敢えて美しい話に彩られている理由もさまざまに想像できそうです。


 さて呪詛を撒き散らす道隆は、最後に「皇子がないゆえ、帝のお心が揺れるのだ。皇子を、皇子を産め」と捨て台詞を言うと、誰にともなく「皇子を産め」を繰り返し、錯乱したまま去っていきます。
 定子の表情は痛々しいものへと変わりますが、それは錯乱する父への憐れみだけではなく、帝の心をつなぐには皇子を産む必要があると突きつけられたことにあるような気がします。帝の寵愛とて永遠にあらず、うつろいます。その当たり前を最後に植えつけられたようにも見えなくありません。
 というのも、その後、彼女は次々、懐妊し、それがもとで早くに亡くなるからです。ひょっとすると、道隆の権勢への執着心が、定子に要らぬことを植えつけ、彼女を早死にさせることになるのかもしれません。


3.道長と彼をめぐる女性たちの決意

(1)倫子と明子、二人の妻としての立ち位置

 道隆の暴政、道隆の凋落を哀しく見ているのは、実は道長です。冒頭、疫病対策の救い小屋の献策をするのも、あくまで道隆の政を正しきものにするため、民を救うための諫言です。まったく聞く耳を持たない道隆に、苛立ちながらも食い下がることも、あくまで兄を立ててのことです。もし成功した場合は、道長ではなく断を下した関白の手柄になりますが、民が救われるのであれば構わないのです。ですから、それを、クーデターを目論んでいると邪推されては、流石の道長も「追い落としたければ、こんな話いたしません!」と激高したのです。

 一方で、実資が「疫病が内裏に入り込んだことは、全て関白さまの横暴のせい」「内大臣伊周どのに明日はない」と断じた際に、道長が目を伏せうつむきました。これは、同じ摂政家の人間でありながら、道隆の専横を許してしまったことへの忸怩たる思い、そして、反面、兄を悪しざまに言われることを甘んじて受けねばならないつらさの二つがあるでしょう。彼は、政を正したいのであって、権力闘争をしたいのではありませんし、また腹を立て、許せないと思ったとしても身内に対する情まで捨ててはいないのです。

 そのことは、あれほど憎みあった道兼を諭し、支えようとしたこと(第15回)、あるいは伊周の挑発に乗って場の空気が悪くなったことをやりすぎたと反省したさま(第15回)にも表れています。怒ることが好きではない道長の性分でしょう。

 勿論、志が高い今の道長は、必要以上に政より肉親への情を優先させることは考えていないようです。ですから、道隆の先が長くないとなったとき、詮子と組んで道兼を後継者に推す計画にも乗ります。これは公卿の間で中関白家に人望があまりにもないことを知っていることが大きいと思われます。


 さて、こうした政の正道を目指す道長にとって、今の懸念は政局よりも疫病対策をどうするかということです。関白道隆から「救い小屋を作りたければお前の財でやれ。朝廷はかかわらぬ」と突っぱねられ、言葉どおり自らの手で救い小屋を建てようと考えます。兄への腹いせでも、意地からでもなく、ただただそれが必要と信じるからです。とはいえ、道長の財だけではとても立ち行きそうにはなさそうです。

 そんな苦慮する道長に「私の財もお使いくださいませ」と申し出るのが、嫡妻の倫子です。その後のナレーションでも説明されたように、この時代の財産管理は、夫婦それぞれが別にしています(女性に財産権を認めない明治憲法下の民法が以下に根拠のないひどいものかは、現在放映中の「虎に翼」に詳しいですね)。ことに倫子は、父雅信の財を、ほぼそっくりそのまま継承していますから、その財は摂政家の三男坊の及ぶところではありません。

 意外な申し出に「まことか?!」と無邪気に驚き、部屋の奥で片付けをする倫子を振り返る道長に「私は殿を信じております。思いのままに政をなさいませ」とさらに口添えをします。このときの画面のレイアウトは、手前に道長、奥に倫子がいるというものですが、二人の目線の高さは同じであり、この夫婦が対等の関係にあることがわかります。一方で、手前に道長がいることで必然的に画面を占める面積は道長にあります。画面の主役は道長です。
 したがって、このレイアウトは、表舞台に立つ道長を倫子の財力が支えるということも意味しているのでしょう。ただし、二人の関係は対等ですから、倫子の支えがなければ道長の繁栄はないということでもあります。


 倫子は、雅信の政のための入内を断りましたし、また幼い彰子の入内も望んでいません。政からは遠い人物であると言えるでしょう。その彼女が、夫にわざわざ「思いのままに政をなさいませ」と言ったことは意味深です。
 ここで思い出されるのが、前回の終盤、まひろの看病を終え帰宅した道長を倫子が出迎えたシーンです。前回のnote記事でも触れたように、このとき、倫子は、婿入りして以来一度も見せたこともない、道長の「満ち足りた心からの笑顔」を観てしまいます。そして、それによって、「殿の心には、私ではない、明子さまでもない、もう一人の誰かがいる」という確信を得ますが、何故か、彼女は高らかに笑い出し、その場を去ります。あの哄笑の意味するところは議論の分かれるところでしたが、今回の申し出で、その意図は仄めかされたように思われます。
 どんな女が道長の心にいようと彼の願望を叶えられるのは自分以外にいない、そのことを証明してみせよう。そのことです。

 

 「私は殿を信じております。思いのままに政をなさいませ」の言葉を、その政治的な志を信じているという額面どおりにとらえた道長は、深く感じ入り、「すまない…」と心からの一礼をし、決意を新たにします。真面目な道長に一笑した倫子は「嫌ですわ。私が渋るとでもお思いでしたの?」と軽口を叩きます。道長は知るよしもありませんが、聞いている視聴者にとってはヒヤヒヤする台詞ですね(笑)

 倫子の「私は殿を信じております」には、「自分は貴方を信じるしかないのです」という彼女のすがるような想い、「他の女が心にいても私を一番に扱ってほしい」という思いつめるような願いが、含まれていると察せられます。その上で「私をわかっていらっしゃらないの?」と揶揄するのですから、私が一番じゃないのねというため息となじる嫌みが入り混じることは止められません。前回、朝帰りの道長を迎えた倫子は、まんじりともせず夜を過ごしたように見受けられます。漢詩を明子のものと思い込んだ一件を踏まえても、倫子のなかでは妾であっても心穏やかではないのですね。まだ見ぬ、道長の心を捕らえた女に複雑な想いを抱くことは、当然のことでしょう。


 倫子の揶揄に恐縮した道長は「いや…されど、そこまで太っ腹とは思わなんだ」と賛辞を贈ります。倫子は、その褒め言葉に少しは気をよくしたのか、倫子は袂で口を隠しながら「おほほほ…」と高笑いをします。この褒め言葉だけは、倫子しか受けることができませんから、わずかながらに勝ち誇った響きが混じっているように思われます。そして、映し出される部屋を埋め尽くす高価な調度品の数々は、道長の志を支える倫子の財力をビジュアル的に見せつけます。左大臣家の家格とこの財力こそが誰にも負けない倫子の力です。

 それでも、「それより殿、悲田院にお出ましの日、どちらにお泊まりでしたの?」と、あの朝のことを聞かずにおれないのが女心…「それよりも」と政の話題を差し置く言葉に彼女の本音がにじみ出ていますね。道長は悟られない程度に曖昧な態度ですが、「高松殿ではありませんのよね?」との言葉は質問ではなく、自身が抱いた確信の答えを確認するための言葉ですから、道長の誤魔化しはあまり意味がありません。


 果たして道長は「ん、高松ではない。内裏に戻って、朝まで仕事をしておった」と笑顔で返しますが、「左様でしたか、お許しを」と詫びる倫子の眼差しは道長の嘘を見極めるものです。道長と目が合うと満面の笑みを浮かべますが、すぐに真顔に戻ります。女の存在を確信した倫子は、道長が望むのであれば、政の頂点にでもしてみせようと決意したのかもしれません。そうして、自分の価値を示す以外に、彼をつなぎとめる術を知りませんから。雅信の死の際に、道長が大納言でも十分幸せだと答えた彼女ですが、道長への報われぬ思いから、我が「家」のより繁栄を望む心境になるとしたら、哀しいですね。


 そう考えると、「私は殿を信じております」と言うしかない倫子に、その直後に嘘をついてしまう道長はなかなかに罪深いものがありますね。勿論、今の二人には何もなく、看病の世には会話すらありません。まひろに迷惑をかけまいと思う道長の気持ちは仕方ないですが、それは既にまひろが第一で倫子の心情は二の次ということですから、倫子の心は報われませんね。

 結局、道長は倫子の財のおかげで、救い小屋の実現に向けて動き出せます。人手不足に「高くついても構わぬ。急ぎさせよ」と糸目をつけずに動けるのもすべては倫子のおかげです。道長の志を実現させるのは、倫子の献身ということになるでしょう。にもかかわらず、倫子との会話の後、道長が思いを馳せるのは、まひろは快復したかどうかです。もっと倫子に感謝しなさいよというツッコミの一つも入れたくなるというものです。


 正直、婚姻して7年にもなる今ならば、倫子には婚姻前にまひろと深い仲であったことを明かしてもよいような気もします。相手がまひろと知ったとき、倫子も一時は、激しい激情にかられることでしょう。ただ、まひろと親友である聡明な彼女ならば、まひろの胸中を慮り、また自分の言動がまひろを苦しめたかもしれない可能性に思い当たるのではないでしょうか。倫子とまひろの友情は、思いのほか、強固なものと思われます。


 さて、嫡妻という立場、財力といった自身が持つ武器を最大限に生かそうと考える倫子のようにはいかないのが、妾妻である明子女王です。明子女王は父である高明の失脚により、家財の多くを失い、後ろ盾もありません。彼女にあるのは血筋という家格のみです。「光る君へ」では、倫子、明子の順でしたが、史実では明子のほうがわずかに先に婚姻関係となったとも言われています。となると、財力の一点が、倫子と明子のどちらが嫡妻になるかの明暗を分けたとも言えるでしょう。

 とはいえ、本作における今の明子には、そのような後ろ暗さは最早、見えません。「兄上とお話がありますからあちらへ」と息子を預ける女房への物言いも表情も柔らかです。そして、「お前も次は娘を生まねばのう」と更なる栄華を求めるよう促す兄、俊賢に対しても「近頃はお見えにならないわ。お見えにならなければ身籠ることはできません」とあっさり。本当は来てほしいけれど、それはそれで仕方のないこと、と妾であるだけでも満足する表情を浮かべているのが印象的ですね。


 それどころか、栄華ばかり求める俊賢を咎めると「偉くなれば妬む人も増えますゆえ心配でございます」と、政に励む道長を案じます。元々、彼女はこの世の栄華を求めることよりも、父の仇を討つことにこだわった人です。ですから、富貴に対する必要以上の執着はありません。今の彼女にあるのは、恨みに取り憑かれた自分を無償の慈しみで救ってくれた道長への感謝と愛情です。彼が無事にいてくれ、わずかばかりでも共に過ごすことができることが彼女の望みです。だからこそ、何より彼の無事を祈るのでしょう。
 「すっかり心を持っていかれておるな」という俊賢の言葉は、半ば呆れながらも妹がようやく幸せを見つけたことに安堵する気持ちが溢れています。「兄上がお望みになったことですわ」とすまし顔で軽口を返す彼女の表情には、今の境遇への満足が見えます。まひろのように道長と志を共有することもなく、倫子のように道長の政を支えることもない明子にできることは、彼を慰め、癒すことなのでしょう。
 今後、彼女の道長へ向ける真心が、彼を救うようなシーンがあるのかはわかりませんが、彼女なりに道長を支えていく自分を自覚しているのは確かでしょう。


 このように、政に対して真摯であるがゆえに、道隆の専横に対しても信念を持ち続ける道長を、二人の妻たちは、それぞれに自分のできることで支えようよしています。道長さえブレなければ、彼女たちもまた、世の流れにかかわらず、自分の思いを貫いていくことになりそうです。まあ。そんな女たちの思いに煮え切らない道長にはお灸を据えたくもなりますが。
 ところで、先にも述べたように、明子は、自分の思いを大切にする人です。しかも、家格が高いこともあり、気位も高い女性です。嫡妻の倫子の存在は仕方ないにせよ、それ以外の女性の存在を許せるかどうかは微妙なところです。まひろが気づかれてはいけないのは、理解ある親友の倫子よりも、寧ろ明子女王かもしれませんね(苦笑)



(2)道長との魂のつながりを確信するまひろ

 冒頭、庭先で花を見、微笑む病み上がりのまひろ。まだ血の気は薄く見えなくもありませんが、すっかり快復したようです。花を見る姿に喜び、また声をかければ「姫さまのお声がまた聞けるなんて…」とむせび泣く乙丸の様子がよいですね。道長が看病したあの夜も、彼は眠ることなくじっと待つほどに心を痛めていましたから(隣でうつらうつらしてしまう百舌彦も笑えましたね)。
 「ありがとう」と言われ「とんでもないことでございます」とはにかむ乙丸、まひろからの労いは彼にとっての褒美でしょう。

 そんな姫さま思いの乙丸ですから「悲田院で気を失う直前、道長さまのお姿を見た気がするのだけれど…」というまひろの物思いにもうっすら気づいてしまうのかもしれません。
 「姫様がお倒れになった日、姫様をお助けして、この屋敷までお連れくださったのは道長さまにございます」と、為時が伏せていることを逡巡しながらも、事実を伝えます。乙丸は為時の「家」の従者ですが、彼の主はあくまで姫さまなのでしょう。彼は、まひろが身分違いの恋に傷つくことを心配し、道長が近づくことをよしとしませんが、裏を返せば、誰よりもまひろが道長に恋していることを知り、見守ってきた人です。悩みながらも、彼女の心のためにも伝えねばと思うに至ったと察せられます。その一々が、心憎い。乙丸こそ、「いい漢」(©️「陰陽師」)ですね。

 乙丸の報告の中で、特にまひろの心に響いたのは「一晩寝ずに姫様の看病をされ、翌朝お帰りになりました」でしょう。呆然とし、まぶたを瞬かせるさまには、彼女の驚きがかなりのものであったことが窺えます。自室に戻り、御簾を下げると、一人あの日の断片的な記憶を思い返します。倒れたところを抱き抱えられたこと、懸命な看病、そして「逝くな、まひろ」という道長の声…今際のきわの夢とも思われたそれは現実でした。

 7年という年月、幸福そうな倫子と娘、土御門殿での無言すれ違い…それらは、まひろに縁も心も切れたに違いないと、どこかで諦めさせ、哀しみを与えたことでしょう。しかし、思わぬ形で道長の今も変わらぬ想い、愛情を一身に受けた。言葉も身体もかわしませんでしたが、その心だけで十分。ずっとずっと望んだものにわずかに触れられたことで、彼女のこの7年間の苦労と哀しみは癒されたのでしょう。まして、まひろは、さわから拒絶され、文字を教えた子に死なれ、焦燥感にかられていましたから、ますます救いとなったはずです。

 噛み締める幸福さに自然と顔が綻んでしまいます。このまひろの世にも幸せな表情は、前回、朝帰りで道長が倫子に見せてしまった「心から満ち足りた笑顔」と対になっています。互いの想いは知らずとも、二人はこの瞬間、魂が通じあったと言えるでしょうね。
 まひろも一途に恋する乙女です。人に語らずとも、道長の婚姻、妾の存在に心が痛んだはず。そうした他の女性たちを超えて、道長は命の危険を省みず看病をしてくれたのです。まひろの心からの笑みに…心が通じあったことを確信する恋愛勝者だけが無意識に浮かべるにやけ方が微妙に混じってくるのは仕方ないところ。このあたりの絶妙な匙加減は、吉高由里子さん流石です(笑)

 ただ、言うまでもなく、この笑顔は、倫子と明子には絶対に見せてはいけないものです。倫子が、まだ見ぬ道長の心に住む女に焦れるのは、魂や心の中だけは侵すことも乗り越えることもできないからです。倫子が自らの力を使うことを躊躇わないのは、道長の心に住めない彼女の哀しい女心。倫子はしたたかですが、それだけの女性ではありません。


 夢と現(うつつ)との狭間に起きた道長との再会。まひろが、この後、「荘子」の「胡蝶の夢」を紐解いているのが意味深ですね。「胡蝶の夢」とは、夢の中で蝶として飛んで目が覚めたとき、自分は蝶になった夢を見たのか、それとも実は蝶こそが本来の自分であり、今の自分は蝶が見ている夢なのか、区別できなくなるという説話です。つまり、夢か現実かは現象の違いでしかなく、その本質は変わらないということです。

 まひろにとって、この本質とは、まひろ自身の道長への気持ちであり、また道長がまひろに向けた真心です。二人は現実では婚姻関係にありませんし、今後も進展しないかもしれません。しかし、それは些末なこと、二人の互いを思う気持ちという本質さえ変わらなければ大丈夫だと思えるのでしょう。今、まひろはあの夜以来の満ち足りた想いでいるのです。だからこそ、まひろは、後にさわに「今生きていることも少し不思議な気」がするのだというのですね。まさか、こんなことを思う日が来るとは思いも寄らなったでしょうから。
 もっとも、人なる身であれば、現実はこれほど理想論に徹しきれないでしょう。ただ、少なくとも今のまひろは、この不思議な縁によって、自身と彼の想いを再確認し、強く熱い気分になれているということです。


 心を救われ、満ち足りたまひろの強さは、「大納言さまとお前の間はどうなっておるのだ?」と問う父、為時への「どうもなっておりません」というあっさりした返答にもよく表れています。妾を看病してきた為時ですから「お前の看病をする道長さまの眼差しはただごとではなかった」と食い下がり「これをご縁に、お前のお世話をしていただくことはできぬであろうか」と告げます。これは一重にまひろの将来の生活を思えばこそで、無官の自身の不甲斐なさを申し訳なく思うから。「家」のためではありません。
 また道長の想いが真剣でまひろも彼を思うなら、身分違いゆえの難しさはあっても叶えてやりたい…そんな親心もあるでしょう。

 しかし「それはないと存じます」と一蹴するまひろには、道長との魂のつながりを確信できたからこそ、彼が進む道を邪魔することは避けようとする強さがあります。もしかすると、安易な男女関係になることは、今彼女が感じている満ち足りた想いの純粋性を壊すという恐れのようなものもわずかにあるかもしれません。

 とはいえ「あのとき私をお気に召したのなら、今頃、文の一つも来ておりましょう」と理路整然と嘘までつけてしまうのは、恐れ入るところ。そもそも、道長がまひろを気に入ったのは看病の夜ではありませんし、7年前には文も貰っていますからね。まあ、ここに弟の惟規が見舞いに訪れていたら、この嘘はバレていたかもしれませんが(笑)乙丸ならば口が堅いですが、二人の関係を知る惟規が姉を慮って口をつぐんでいるか、面白がって話してしまうかは五分五分ですから。

 結局、「これから来るやもしれん」と一縷の期待を寄せる為時を「お望みどおりにならず申し訳ありません」とまひろが微笑んで、この一件は強制的に終わらされてしまいます。ただ、その微笑みに、想い人との関係を確認ができた充足感があることは見逃せませんね。為時は気づいたか気づかなかったかはわかりませんが、ここは盗み聞きしていた乳母いとの「女の私ならわかります。姫様と大納言さまは間違いなく深い仲」が、慧眼ですね(笑)


 後日、道長に命じられて、しぶしぶまひろの様子を窺いにきた百舌彦を見つけてしまったまひろは、道長が悲田院で助けてくれたことも含めて、百舌彦に礼を言います。百舌彦は「なんのことでございますか?」と惚けていますが、まあ下手な嘘ですね(苦笑)おそらく、百舌彦が道長の命で様子を窺いにきたことにも、まひろは気づいたのではないでしょうか。
 ですから、百舌彦の「お懐かしゅうございます」に対して応える「本当に懐かしいわね」と目尻を下げるまひろの言葉には7年分の万感がこもっています。楽しかったあの日に一瞬帰ったのでしょう。 


 その夜、まひろは「何故、あの人が悲田院に?」と道長と出会えた偶然と奇跡の原因に思いを馳せます。貧しき民の苦しむ悲田院は、道長が偶然、訪れる場所ではありません。民を思う意思があればこそ、となれば、「まさか七年前の約束を…」とまひろは思い当たります。それは「地位を得てまひろの望む世を作るべく精一杯つとめようと胸に誓っておる」という、あのときの志です。「民を救いたい」、これが二人の共通の思いであり、それゆえに二人は共に歩むことを諦めたのです。とはいえ、遠い過去のこと。それを思い続けているとは限りません。

 無論、彼女自身は、半月を見上げながら、「より良き世の中を求め貴方は上から政を改めてください。私は民を一人でも二人でも救います」と道長に語りかけていました(第13回)。しかし、それはあくまで彼女の願望に過ぎなかったのでしょう。道長が約束を忘れている可能性も承知の上で、まひろは自分を励ますために、自分の心の中にいる、かの日の道長に声をかけていたのだと察せられます。


 しかし、それは杞憂でした。今なお、道長は彼女との約束を忘れず、その志を叶えようと一途に政に勤しんでいるのです。それは、二人の悲田院での出会いが偶然ではなく、必然であったことを意味しています。まひろにしても、自分の無力に焦れての行動だとはいえ、民を助けたい一心で悲田院にいたのはたしかですから。二人の民を思う気持ちが、引き合わせたと言ってよいのですね。
 まひろは、看病してくれた事実以上に道長とのつながりを意識したことでしょう。自然と微笑みが漏れます。ただ今度の笑顔は、恋愛勝者のそれではなく、自分のしてきたことは間違いではなかったという安心、そして、今も約束を守ろうとしてくれる三郎の健気さを可愛く思う気持ちが表れていて、より穏やかな表情になっていますね。



(3)自分の「進むべき道」が見え始めたまひろ

 友人に去られ、教え子に死なれ、自分の無力に絶望し、心身共に疲弊した結果、病に倒れたまひろ。しかし。道長の懸命の看病の裏にあるまひろへの強い想い、「民を救う」約束が生きているからこそ出会えたということ、その二つによって、ようやく心が救われました。あの別れの夜から7年、ときに笑い、楽しいときもあったでしょうが、生活は苦しく、自分の生まれてきた意味も見出せずにきた彼女は、常に哀しみを意識してきたと思われます。奏でる琵琶が哀しい音色なのも、それを象徴していますね。

 まひろは、自分のしていることに確信が持てず、ずっと彷徨っていた、それがこの7年だったのですね。そうした中での道長との再会は、彼女がしてきたことは無駄ではないと、ささやかに思わせてくれたのでしょう。


 気持ちが整ってきたまひろにもう一つ、朗報が訪れます。文も突き返され、疎遠になっていたさわが、再びまひろのもとへやってきたのです。「ご無沙汰いたしました。その節のことはお許しくださいませ」と詫びるさわの様子には、恐縮の一方でこうして再び逢えたことに対する喜びが零れています。驚くまひろの心もほどけていきます。

 聞けば、さわは兄弟を疫病であっという間に失ったことで「人に許された年月は実に短いのだ」ということを実感したのだと言います。まひろもまた教え子を疫病で失い、自分も罹り、危うく命を失うところでしたから、さわの気持ちに共感するのですが、驚いたのはさわのほうです。自分が意地を張っていたことでもしかしたら永遠にまひろに逢えなくなっていたかもしれないことに思い当たったからでしょう。その手を取ると「再びまひろさまにお目にかかれて本当に嬉しい。生きていてくださってありがとうございます」と心からの喜びを弾けさせます。後悔せずに済んだことで、さわは「人に許された年月は実に短い」ことを余計に実感したかもしれません。


 そして、さわは「頂いた文を一々お返ししてしまったことも申し訳ございませんでした」と詫びつつ、「実は頂いた文は全て書き写してもっております」と意外なことを言い出し、文箱からその写しを取り出し、まひろに差し出します。驚くまひろですが「まことに私の文と同じ」と、そこまで丹念に練習したことに素直に喜びます。

 さわは「まひろさまの文を写すことで、まひろさまに追いつきたいと思っておりました…そんなことできっこないのに」と意地を張って始めたことであることを告白します。しかし、直後に挿入された必死に書き写そうとするさわの場面からは、まひろに対する対抗意識のようなものは見えません。
 尊敬する人に追いつきたい一念であることが窺えます。おそらく最初は真似にならぬものであったかもしれません。しかし、何度か写すなかで、まひろがどんな気持ちでこの文を書き、自分に送ってくれたのか、その気持ちに寄り添うことになっていったのではないでしょうか。尊敬する人に追いつくとは、その人に同化しようとすることですから。


 そして、彼女の文字ががまひろのもののようになったときが、まひろのさわを思う心根がさわの心に完全に届いたときだったのでしょう。まひろが学才だけでなく、その心映えも尊敬にあたる人であったこと、ここまで真剣に自分を思ってくれる人はそういないことを知ったこと、文から伝わる真心自体が、さわの傷心を救ったことは間違いありません。
 と同時に、彼女はその文を書き写す行為をとおして、自分自身がまひろを大切な友人だと思っていたことにも気づいていったのだと思われます。「そんなことできっこないのに」という自虐的な物言いには、自分の子どもじみた行為に対する反省と「やっぱりまひろさまには適わない」という尊敬が見え隠れします。
 つまり、彼女は文を書き写すことでまひろの思いを知り、また自分の本心にも気づくことで救われたのですね。


 自分とまひろの二つの思いを知ったからこそ、さわは「まひろさま、私の友はまひろさまだけなのでございます。色んなことがあって、そのことがよくわかりました。まひろさま、また私と仲良くしてくださいませ。末長く末長く私の友でいてくださいませ」と心の底から自分の思いを訴えることができるのです。
 これは、さわにとっては大きな進歩でしょう。他人に自分の居場所を求めるだけではなく、自分で自分の居場所を作ろうとすることを始めたのですから。ある意味で、自分の「進むべき道」を探すまひろに追いついたかもしれませんね。

 もとより、まひろ自身も彼女を親友と思うからこそ、文を送り続けたのですから、さわの申し出に否応などあるはずもありません。こうして、二人のシスターフッドの関係は、雨降って地固まる。より強いものになります。弾けるような二人の笑い声が微笑ましいですね。


 さて、この劇的な仲直りを起こした、まひろの文を書き写すという行為。「私の書いた文がさわさんの心を…書くことの何が…」と独り言ちます。ただ、文字を覚えるだけでは、それは知識を蓄えただけです。その文字に思いを乗せたもの…まひろがさわに送った文とはそういうものです。生きた言葉と言ってもよいでしょう。生きた言葉に込められた思いだからこそ、それを書き写すだけでも力を持ったのです。

 まだ、まひろにはそこまでの自覚はありません。自分の言葉に力があること、「書く」という行為自体に力があること、それは寧子が石山寺で伝えた「私は日記を書くことで己の哀しみを救いました」が静かに響き合うとき、まひろの中で何かが弾けて、衝動が襲います。思わず、筆を取ると、思いが形にならないまま、ただただ文字を連ねます。「何を書きたいのかはわからない…筆を取らずにはいられない」と月を見上げながら、彼女は湧き上がるその衝動に圧倒され、その目に涙が滲みます。
 「書かずにはいられなかった」…おそらく寧子の言葉の言外にあるのは、この衝動でしょう。彼女は自分に足りなかったものにささやかに気づきました。これが形になるには、まだまだかかるでしょうが、ようやくスタート地点に立ったのかもしれません。

 興味深いのは、さわがまひろの文に突き動かされ、自分を見つけた行為である文の写しが、今度はまひろ自身の「進むべき道」を気づかせるきっかけになっていることです。双方向的な二人の関係が、まひろの心に眠っている物語る人間としての本然を目覚めさせたと言えます。勿論、いかなる状況になり、苦しむことになろうと、「進むべき道」を模索し続けた彼女だからこそ気づけたことでもありますが、女性同士のつながりが本作で重視されていることも窺わせますね。


おわりに

 さまざまな醜態を晒した道隆は、結局、自邸で息を引き取ることとなります。自邸でなおも「まだ死ねない」とうわ言を呟く彼に「殿はまだ大丈夫でございますよ」と声をかけるの貴子です。貴子は、晴明の「寿命が尽きようとしている」を聞いていますし、今の彼に先がないこともよくよくわかっているはずです。にもかかわらず、「大丈夫」と声をかけるのは、ただただ彼の心を穏やかにしようという心遣いです。
 思えば、道隆は、不測の事態には弱いタイプでした。一方、貴子のほうは用意周到な人で、さまざまに考えを巡らせ、準備する道隆の参謀役でもありました。道隆の顔を立てながら、そのフォローをするのが、この夫婦の長年の形だったのでしょう。

 かつて、道隆が内心の不安を押し隠し「もしものことがあれば私が摂政となる。お前も忙しくなるゆえ、心づもりをしておけ」と貴子に覚悟をうながしたとき、貴子が「心づもりはとうの昔からできております。明日そうなっても心配ございませんよ」と答えたあの堂々とした答えが思い出されますね。あの甘えた膝枕といい、貴子は道隆の母親的な面も担っていたのかもしれませんね。


 貴子の姿を認めると何度か繰り返した「そなたにあったのは内裏の内侍所…すんとすましたおなごであった」と、その涼やかな立ち振る舞いに一目ぼれしたことを昨日のように思い出し、あの頃の思いに帰ります。貴子もまた、彼に合わせて「道隆さまはお背が高く、きらっきらっと輝くような殿御でございました」と笑顔で応じ、彼を安心させます。

 すると、道隆は「忘れじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな (意訳:「忘れまい」ということばが行末まで変わらないのは難しいから、そう言ってくれた今日を限りとした命であってほしい)」という貴子の詠んだ歌を諳んじます。
 燃えたぎる恋の瞬間を鮮やかに封じ込めたこの和歌に添えられた詞書(うたがき)には、「中関白 通ひそめ侍りけるころ 儀同三司母」とあり、出会った頃の二人の想いが込められていることが窺われます。

 そして、歌を諳んじ終えると「あの歌で貴子と決めた」と、彼女の激しい想いとそれを描き切る才に惚れ抜いたと伝えます。道隆は、家格や財産で貴子を嫡妻に選んでいません。我が「家」の繁栄こそ、という摂政家に生まれながら、彼の始まりはそれとは真逆の自分の恋を貫くことにあったのです。


 愛する女性との思い出に帰り逝く…これは兼家の死とよく似ています。しかし、二つは対比されていますが、似て非なるものでしょう。兼家は、輝かしきそれを胸に秘めながらも、我が「家」の繁栄のため政を極めるという信念に生きました。自らの信念を貫くことで全てを手にし、それをしっかりと次代へと受け継がせました。その代わり、その信念を貫いた結果、受けるべき恨みなどの報いも覚悟し、それを受け入れ逝ったのです。彼は権勢のプラスもマイナスも、そのすべてを引き受けて大往生を遂げました。

 しかし、道隆は違います。彼は兼家から絶大な権力を受け継ぎましたが、「家」の繁栄についても近視眼的ですし、政を私物化するだけで大きな志もありませんでした。その実、彼は優雅に、泰然自若と生きたかっただけなのでしょう。結局、彼は分不相応の権力に振り回され、すべてを失ったのです。それが今回、彼が見せた権勢への妄執の末路です。
 彼のもとに残ったのは、貴子との愛だけです。なぜ、それだけが彼の手元に残されたか。それは、貴子を嫡妻に選んだことだけが、彼が自分の意思を貫いて手に入れたものだからです。その意思は貴子に伝わっていますから、彼女自身も最後まで彼に付き合い、彼を守ります。

 すべてを手に入れ、その清濁を併せて吞みくだし、報いも受け入れ孤独に散っていく為政者(兼家)、信念もなく権力に振り回されたが、唯一、それとは関係なく手にした愛だけには包まれて逝く為政者(道隆)…二つのどちらが幸せかはわかりません。ただ、為政者の結末は常に他人からは憎まれる宿命にはあります。


 そして、それはいずれ政の頂点に立つ道長の課題でもあります。彼らと同じ道を歩み、結局はまひろの歌に見送られるだけの人生になるのか。それとも、多くの者に愛され逝く人生になるのか。その結末はまだわかりません。

 ただ、道長の志を支える、見守る、魂としてつながる…さまざまな形で女性たちが自分たちの意思で彼の進む道にかかわってきます。彼女たちの思いをないがしろにすることなく、自身の初心を貫けるか。そして、道隆や伊周のように安易に人を敵に回さず、多くを味方につけるような人徳を維持できるか。こうしたことが、彼の人生を変えていくことになるでしょう。

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