「光る君へ」第30回 「つながる言の葉」 「源氏物語」へ向かうそれぞれの助走と足踏み
はじめに
劇中の時間は、前回から3年の時が経ちました。3年間というのは、中高生であれば、入学して卒業するまでの時間です。そう考えると、3年間はあっという間に見えますが、物事が芽吹いて、ある程度、熟成するには十分な期間だと言えるかもしれません。また、卒業という言葉に注目するならば、3年目は転機になるときだとも言えますね。
勿論、一方で、3年間では結果が出ない。停滞しているように見えるものもありますね。例えば、政治における政策は、即時性のないものも多く、10年後ぐらいにその成果と評価ができると言われるものもあるようです。つまり、個人というミニマムなレベルでは大きな変化があり、政治や経済のよいなマクロのレベルでは変化が小さい…それが3年間というものかもしれませんね。
「光る君へ」劇中の1001年から1004年ではどうでしょうか。例えば、道長政権は、女院である詮子の死後も安定しているかのように見えながら、道長はまひろとの約束を叶えたかと言えば、まだまだ遠く、さまざまな問題を抱えながら足踏みをしているようです。そういう意味では停滞していると言えるかもしれません。
しかし、その足元はそうではありません。前回、伊周の手から渡された清少納言「枕草子」は、徐々に内裏の中で浸透し、道長政権の影となり、道長を静かに脅かしています。一見、定子の執着が変わらず3年間続いているように見える一条帝の思いは、「枕草子」という種が芽吹いて、育った結果であり、実は停滞ではありません。
また、彰子入内を機に夫婦仲にすきま風が吹き出していたいた道長と倫子の関係は、修復されるどころか、その溝は取り返しのつかないところにまで達しています。
一方、まひろのほうは、ききょうの「枕草子」に触発されたこと、子育てをとおして「物語」の可能性を直感したことから、彼女自身が「物語」を紡ぐことを始めたのが、3年前でした。その後、彼女は「物語」を書き続けたことで、それまでため込んでいた才能が開花し始め、通っている四条宮の女房たちの評判となっています。まひろの才能もある程度、熟成したと言えます。しかし、一方で、彼女の子育てと彼女の綴る「物語」は行き詰まりも見せていて、新たな転機を必要としているようです。
そこで今回は、前回から3年間の間に、道長とまひろにどんな変化が起きているのかに注目しながら、何故、彼らが再び再会せざるを得なくなっていくのか、その経過を考えてみましょう。
1.心理的に追い詰められていく道長
(1)身を切る覚悟をする旱魃
冒頭は、1004年…寛弘の旱魃に関する描写です。往来では水を奪い合う者、行き倒れる者、雨乞いに勤しむ者…道長は牛車から市中の様子を眺めています(途中、お互い気づいていませんが、まひろとすれ違っていますね)。実態から目を逸らさない…それは大納言時代、疫病対策をした頃からの道長の変わらぬ姿勢です。道長は、前回から3年経ってなお、初心を貫いているのですね。とはいえ、痛ましいその光景に打つ手はありません。
無論、内裏が何もしなかったわけではありません。200年ぶりに帝自ら、雨乞いの儀式を行い、世を鎮めようとはしたのですが、効果はなかったのです。現在であれば、そんな神頼みに効果はなく、天候は人の手の及ばないことを知っていますが、平安期ですから、こうした気象以上は、帝の政が悪いことに反映と取られます。
ですから、一条帝の御代の不安定そのものとなっている旱魃に打開策を打たねばならないのです。しかし、「何とかいたさねば、何とか」というだけで何にもしない右大臣顕光はともかく、頼みの綱の陰陽寮も晴明が隠居したため人材がなく、実資ら有能な公卿らもただ汗を拭き、暑さに耐えるぐらいしかすることはありません。陣定の公卿らを見回す道長は、最早、自分たちには打つ手がないことを実感します。
道長が向かったのは、隠居中の晴明宅です。来ている狩衣が、陰陽寮にいる頃は黒を主体とし、右袖だけ白だったのが、白を基調とし、右袖のみ黒と反転しています。陰陽を意識した装束なのですが、色が反転したのは、隠居して謀をしなくなったからでしょうか(笑)彼の精神状態の表われなのかもしれませんね。
当然、道長は最後の望みの綱ということで、晴明に雨乞いを頼むのですが、晴明はそっぽを向いたまま「雨乞いなど身体が持ちません」と断ります。まあ、齢83歳、言い分はごもっともです。「陰陽寮には力のある者がおらん。何とかそなたにやってもらいたい」と、他に余人なしと伝えますが、「こうしてお話するだけでも喉が乾きますのに…祈祷なぞ…」と、自分も旱魃にやられているから無理だとなおも固辞します。
しかし、道長にはもう晴明以外に頼るものはありません。「頼む 」と深々と礼をして、しつこく頼み込みます。そもそも、これまでも道長は晴明の力を安易に頼ったことはありません。政策や謀など自分が考えつく手をすべて打ち、それでも結果が出ない、あるいは伴わないとき、初めて晴明の知恵を借りるというのが定番です。もっとも、晴明がくれる提案というものは、大抵、道長の考えの斜め上で、彼にとって試練となるといるのですけどね。しかも、道長は切羽詰まった状態で晴明の助言を受けに来るため、その試練を受けるしかなくなっているという(苦笑)
果たして、今度も「何をくださいますか?」とおねだりをしてきます。引き受けてくれそうということで顔を上げた道長に「私だけがこの身をささげるのではなく、左大臣様もなにかを差し出してくださらねば…嫌でございます」と彼を試します。兼家であれば、すぐに金を寄越したでしょう。しかし、老い先短い晴明に命懸けで雨乞いをさせる以上、それに見合う額は相当でしょう。
しかし、道長「んー…」と少し考えた後、「…私の寿命、10年をやろう」と晴明と同じように命の一部をベットします。軽く驚いた晴明は「真に奪いますぞ?」と覚悟を問います。当代随一の陰陽師安倍晴明です。彼の本当の呪力はわかりませんが、その言葉には本当にそうするだろう響きが漂います。しかし、道長は「よい!」と即答。
この言葉に晴明が思案げな表情になったのは、政の頂点に立っても道長は未だ「国家安寧のため」に動いているのだということを感じ取ったからでしょう。自分の権勢維持という私利私欲のために、雨乞いを頼んではいないのです。そして、「国家安寧」は、晴明が陰陽師として一生をかけて、それのみを信念としてきたことです。そのためであれば、いかなることもしてきた晴明の信念は強いものです。
昔と変わらぬ道長の志は、引退したとはいえ陰陽師晴明の本心を動かします。やはり、道長は晴明が待っていた為政者なのです。ですから、いい加減にしていた姿勢を正し、道長を見据えると「お引き受けいたしましょう」と応じます。そこには、ささやかですが、優秀な教え子である道長への敬意がありますね。
そして、剣を抜くと「♪おぉぉおぉぉ、龍神、広く厚く、雲をつぅぅぅぅくり、甘雨を下ろしたまえ、エイ!民の乾きを、うぅぅるおしたまえ」と、御年83とも思えぬ、力強い、朗々とした声で雨乞いの五龍祭を始めました。この五龍祭については「御堂関白記」にも記録されています。しかし、今回の旱魃は難敵…彼は老骨に鞭打ち、夜を徹して祈祷を続けます。
やがて、身体は疲れ尽くし、フラフラになっていきますが、それでも止めることはありません。鬼気迫るその姿は、自らの寿命を10年、差し出すとまでいった道長の志に報いるため、陰陽師の術と意地をかけたもの。晴明のなかに熱いものがあったということですね。
…そして…都全体を雨雲が覆っていき、雷が轟くと、遂に恵みの大雨が降り、都は民たちが歓喜の声に包まれます。地面に倒れ込み、気絶した晴明は、一気に老化が進んでしまいました。抱きかかえる須麻流が大泣きしているところに、彼がいかに命を削ったかが窺えます。晴明は、道長の寿命を奪う気など毛頭ありません。その覚悟だけで十分だったのです。晴明とは、為政者の影にして、彼らの本性を映し出す鏡だったのかもしれませんね。金満的で非情な兼家の前では、浅ましい呪詛も厭いませんが、無私の道長の前では、彼もまた無私なのですね。
そして、そんなことはつゆ知らず、道長は晴明がやってくれたこの結果に、嬉しそうにうんうんと頷くばかりです。この後は、旱魃に疲弊した民たちを救わなければなりませんが、ここからは自分たち政の領分です。道は困難ですが、やるしかありません。
(2)政を停滞させる「枕草子」に込められた怨念
旱魃を乗り切った道長政権ですが、「この頃、清少納言が託した「枕草子」が評判を呼び、貴族たちの間で広まっていった」とのナレーションが入り、新たな問題の始まりを予感させます。皇后定子が健在であった中関白家が隆盛を極めた時代を懐かしむという内容は、天災続きもあり、倹約を旨とする地味な道長政権への批判の色を持っています。
一難去ってまた一難、道長政権の基盤を、今度は伊周の逆恨みという人災が脅かそうとしています。そして、それは、3年前、一条帝に「枕草子」が手渡されたことに始まります。気づかぬところで、いつの間にか静かに復讐は進んでいたのです。
ある日、一条帝は伊周、隆家兄弟を清涼殿招きます。その手には皇后定子を思い、繰り返し読んでぼろぼろになった「枕草子」があります。その表紙を定子を愛でるように撫でながら、帝は「これを読んでおると、そこに定子がおるような心持ちになる」と呟き、彼らの前で、早くもかの日へと思いを馳せます。
これは、帝の思い出補正によるものではなく、「枕草子」という作品にそれだけの力があることに他なりません。「枕草子」は、「お美しく、聡明で、きらきらと輝いておられた皇后さまとこの世のものとも思えぬほど華やかだった後宮のご様子が…後の世まで語り継がれるよう、私が書き残しておこう」(第29回)と清少納言が、定子を想い、渾身を込めて綴ったもの。彼女の文才が見事、花開いているのです。
問題は、帝の言葉に阿るように「真に、そこにおられるのでございましょう」と返し、「枕草子」は定子そのものであると吹き込む伊周の言葉でしょう。伊周は巧みに帝の心を誘導して、「枕草子」のなかに帝の心を封じ込めようとしています。
そうとはまったく気づかない帝は、伊周の言葉に得心したようにペラペラめくりながら「そなたらや定子と共に遊んだ日のことも、ついこの間のように思い出される…」と思い出に微笑みます。帝が彼らを招き入れたのは、自らの華やかで、輝かしく、楽しい日々を語らい、共有できるからでしょう。おそらくは、この3年間、こんなことばかりを繰り返してきたのでしょう。そんなみっともない彼を叱る母、詮子も既に鬼籍にいます。
まともな隆家は、こうした過去にばかり思いを馳せる帝の様子に、顔を曇らせます。現実を生きようとする隆家にとって、過去ばかり語る帝が痛々しいからです。にもかかわらず、兄伊周は「お上の后は、昔も今もこの先も定子さまお一人にございます」とさらに帝を過去に縛りつける発言をするのですから、隆家が思わず「はぁ?」という顔を兄に向けるのは宜なるかな。
しかし、伊周にとっては、これこそが目的です。伊周には、定子が産んだ甥、敦康親王がいます。道長の庇護下にあるとはいえ、これは中関白家再興の切り札です。そのためには、今後、一条帝に皇子が生まれては困ります。特に道長の娘、中宮彰子が皇子を産む可能性は全力で排除せねばなりません。おそらく、呪詛の効果で詮子を奪ったと信じる伊周が、次に奪うのは娘の未来ということです。彼は、着々と復讐を進めているつもりなのでしょう。彼もまた、帝とは違う形で過去に囚われて生きています。
定子を語らう仲間としか思わない帝は、伊周のその言葉に、その通りだと言わんばかりに「生まれ変わって再び定子に出会い、心から定子のために生きたい」と泣きそうな表情になります。こうなっては、伊周のまったく思う壺です。今度は「お上、そのように暗いお顔をなさらないでくださいませ。定子さまが哀しみます」と定子の名を出して慰めます。
暗い無表情を返した帝に「「枕草子」をお読みくださり、どうぞ華やかで楽しかった日々のことだけをお思いくださいませ。笑顔のお上を定子様はご覧になりたいに違いございませぬ」とさぞ、心遣いをするかのような発言。しかし笑顔を盾に「楽しかった日々のことだけ」を考え、他を考えないように持っていっています。一条帝を骨抜きにしてしまうことに主眼があるのですね。
実際は帝への敬意などまったくない伊周は、道長を蹴落とした暁には、早々に退位させる青写真でもあるのでしょう。まあ、成らぬ狸の皮算用とはこのことですが、野心見え見えの伊周に隆家は胡乱な顔つきです。伊周の言葉どおり、過去へハマる安易な道を選ぼうとする帝は、愛おしそうに「枕草子」を指でなぞり読みます。定子を愛でているつもりなのでしょう。
帝の無気力とそれに阿るように誘導する伊周の野心に危機感を抱いた隆家は、早速、道長に報告します。道長と二人、唐菓子を食べながらの報告というあたりに隆家が、既に道長と近しい関係を結ぶまでになっていることが窺えます。悪びれもせず、自分の欲も隠さず、正直で人懐っこい…隆家はこうした性質ゆえに人の懐に飛び込むことができるのでしょうね。
隆家は「兄には困ったものでございます。帝のお気弱に突け込んで…」と油断をしてはいけないと忠告しますが、道長は「亡き皇后はそなたの姉上であろう。帝がお懐かしみくださるのは、ありがたいことではないか?」と、兄を売るような隆家の真意をそれとなく探ります。
道長の質問に隆家は「私は過ぎたことは忘れるようにしております。出雲に配流になった無念よりも、亡き姉上の思いよりも、先のことが大事でございます。恐れながら、帝にも前をお向きいただきたいと存じまする」と、未来に向いてこそと言います。以前のnote記事でも話しましたが、伊周の逆恨み、清少納言の復讐心は過去に向いているという点で限界があります。過去があってこその人ですが、人の本質は今を生きることで、未来に希望を持つことですから。
一条帝に前を向いて政務に打ち込んでもらう…それが国家安寧の基礎であり、当初、自分と帝が目指した民を救う政です。そのために彰子を入内させたのです。ですから、「おー、それは、そうであるな」と得心します。隆家にも野心はあるでしょう。しかし、卑しさはなく、後ろ向きでないのであれば、協力し合える面もあるだろうと思うのですね。こうした鷹揚さが、道長の魅力です。おそらく、道長は伊周にも、同じように前向きであってほしいと願っているでしょう。
そこへやってきた行成が、入れ違いでその場を離れた隆家について「あの男はあまりお信じにならぬほうかよろしいのでは?」と進言します。先ほどの会話の内容もあって道長は「あれは伊周とは違うと思うがな」と取り合わないのですが、行成は、伊周についての報告自体も含めて「策略やもしれませぬ」と別の可能性を指摘し、「伊周どのは帝を取り込み、隆家どのは道長さまを取り込む…そして、いずれのときか、道長さまの失脚を図る」と続けます。
さすがにそれは行成の邪推なのですが、道長が政の頂点である以上は、政敵に思惑は注意するに越したことはないと考える行成の心配は当然です。先ほどの隆家と語らう様子も、唐菓子を食べながらという親しげなもの。だから、「道長さまがあまりにお優しいので、お気をつけになったほうがよいと」と余計に心配になるのですね。
彼は、昔から道長が本質的にお人好しであることを知っていて、それが実は変わっていなことも知っています。謀を進めながらも、相手に心を砕き、心を痛めているような人ですから。
しかし、道長は行成の危惧に「疑心暗鬼は人の目を曇らせる」と答え、まずは物事を正しく見極めようと逆に忠告します。行成は、どこまでも公明正大な道長にかえって恐縮することになりますが、伊周が長らく呪詛し続けていることを知れば、こうは言えないでしょう。道長には、危機が迫っているのも事実です。
(3)道長の危機を招く夫婦間の齟齬
「枕草子」が宮中に頒布される件について、比較的鷹揚に構えている道長ですが、隆家や行成が指摘したように帝を過去の虜にする伊周の目論見は成功しているのが実情です。頂上作戦で「枕草子」を広めていく計画も上手くいっています。
また、帝の定子への消えることのない執心は、それは、17歳になっても帝と彰子の間が進展する兆しがないという結果に端的に表れています。これまでは彰子が幼いゆえにそうした交渉がないということで済みますが、大人になるに連れ、帝と中宮の間に何も生じないとなれば、中宮が帝を押さえる役割を果たせていない、機能不全とみなされます。それは道長の力の低下となりかねません。娘を入内させることは諸刃の剣でもあるのでしょう。「枕草子」流行問題は3年かけて徐々に無視できないものになりつつあります。
そんな道長の政治的な危機意識とはまったく別の方向から、帝と中宮彰子の仲を心配するのが、母の倫子です。興味深いのは、倫子が藤壺にいるこの場面の直前のシーンで、まひろが娘に後ろ髪を引かれながら、曾祖父兼輔の「人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな(意訳:「子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものだなあ)」を諳んじていることです。
この和歌は、まひろの場面と倫子の場面をつなぐブリッジ(橋)になっています。つまり、まひろの母としての思いと倫子の母としての思いをリンクさせ、親心の強さと独り善がり、その悩ましさを演出するのです。
さて、倫子の衝立越しの眼前では、一条帝が定子の遺児、敦康親王と瓢箪に絵を描き比べることに興じています。そして、その脇では彰子が静かに佇んでいます。帝と仲良く過ごす敦康の様子からは健やかに育っていることが窺えます。それは、この3年、養母となった彰子が敦康を慈しんでいる証拠。無口だが穏やかに自分を受け入れる彰子を敦康が慕っているのでしょう。帝も度々、訪れていると思われます。
敦康と彰子、敦康と帝のそれぞれの関係が良好な一方、帝と彰子に会話らしい会話はありません。敦康と遊ぶ帝は彼女を気にかけませんし、彰子もまた帝に話しかけることはなく、3年が経ったのです。普通なら敦康の成長ぶりについて話題になりそうなものですが、定子に心囚われたままの帝は得体の知れない道長の娘を避け、彰子の側もそんな帝にどうすればよいかわかるはずもない…そういう膠着状態が続いているのでしょう。
ただ、彰子がまったく無関心なのかというとそうではありません。帝が、敦康の成長に「だんだん定子に似てきたな…」と嬉しさと寂しさをない交ぜにした独り言をもらしたとき、彰子はささやかに反応し、帝へ眼差しを向けています。彼女はぼんやりしているのではなく、父子の楽しみを邪魔しないように静かにその様子を見守り、観察していると思われます。
しかし、それはカメラがクローズアップで映したときにわかる程度の些細なもの。衝立越しに遠巻きに、この様子を眺めている倫子には、帝が敦康親王と遊びながら、彰子を蔑ろにしているようにしか見えません。脇に控える赤染衛門に「帝は中宮さまを見てくださらないの?」と不審そうに問う倫子の口調には、夫婦仲の実態を目の当たりにしたショックが滲み出ています。
そして、それは藤壺を華やいだ場所にしようと調度品に心を砕いた倫子の工夫が意味をなしていないということでもあります。「中宮さまが何をなさったというの」という言葉には、自分の心尽くしも通じないことへの焦りと苛立ちが見えますね。
ただ、ずっと二人を傍らで見ている衛門は「中宮さまも返事をなさるだけで、お話かけになることもなく…」と帝だけではなく、彰子の積極性の無さも原因であると指摘します。男女関係の進展に関しては、多くは双方に原因があるというところでしょうか。衛門が形ばかり教えた閨房の技も、二人に寄り添う気持ちがなければ無用の長物です。
しかし、娘可愛さの倫子には、衛門の説く彰子の問題点は「可哀想な我が娘」に変換され届きません。すべては入内を受け入れた帝の責任。ましてかなり年上なのですから、何も知らないおぼこの彰子をリードするのは当たり前と思えるのでしょう。「皇后さまが亡くなられてもう4年だというのに、このままでは中宮さまがあまりにも惨めだわ」との言葉には、いつまでも定子にうつつを抜かす帝をなじる調子が宿ります。
ただ、倫子には色々、見えていないことがあります。一つは、彰子が本当は何をどう思っているのか、その真意を娘から確認していません。簡単に話せる娘ではありませんが、根気よく聞き出すのが第一です。倫子が苛立つなか、彰子のアップが挿入されます。基本的には表情は動きませんが、彼女の顔つき、はたまたライティングの効果か、見ようによってはうっすら笑っているようにも見える撮り方がなされています。もしかすると彰子は、帝と親王が仲睦まじくしているのを彼女なりに微笑ましく楽しんでいるのかもしれません。
そして、もう一つ、彼女が見えていないのは、「枕草子」が帝の心を過去へ留め置いているという点です。単に帝が未練がましいだけではなく、政治的に広められた「枕草子」が絡むからこそ、帝の執着心をほどくことが難しいのです。帝の心を動かすには「枕草子」をどうにかしないといけないのです。
しかし、倫子には、この点が見えません。まず、倫子は「枕草子」が流行っていることは知っていたとしても重要視していないと思われます。かつて彼女がまひろに「本を読むのは苦手」と話したことは、まひろを安心させる方便でしょう。とはいえ、方便は100%嘘ではバレますから、一通り学び教養とはしていても、さして好きではないと思われます。となると、たかが書物に人の心を動かす力があるとは考えないのではないでしょうか?
また、倫子は内裏の政には疎いため、帝と彰子の関係を政治の一部として捉えない傾向があります。夫婦や男女の仲の延長線のように見ているから彰子が可哀想に見えてしまうのです。まあ、この点は当事者二人も認識が薄そうですから、倫子を責めることはできません。
ともあれ、事の本質を見極めていない倫子は、娘の心も知らないまま、己の近視眼的な親心で強行突破を図ります。
倫子は道長に頼み込み、清涼殿で一条帝に謁見する機会を設けてもらいます。表向きは、行成直筆の「新楽府」の書写の献上です。行成、ここでもサポート入っているんですね…献身的過ぎ(笑)
「行成の字は相変わらず美しいのう」と献上品に目を細める帝は、倫子に「中宮への数々の心遣いありがたく思っておる」と予定調和の月並みな労いをかけます。すると、倫子はそうした言葉が来ることを想定していたのでしょう。「そのようなお言葉をどうか中宮様にもおかけくださいませ」と、単刀直入に彰子に目をかけることを願い出ます。
次のカットは道長らの背後から御簾を撮るミドルショット。倫子の言葉を帝がどう聞いたかまではわかりません。夫は、妻の意外な言葉に驚きつつも、横目で見る程度に抑えています。
しかし、倫子は、見えない帝の反応にも夫の様子にも構わず「幼き娘を手放し、お上に捧げ参らせた母のただ一つの願いにございます」と娘を入内させて5年…積もりに積もった思いを吐露します。正直な思いであればよいと言うのものではありません。この言葉が、随分攻めたものであるのは、娘の入内が自分の本意ではなかったことまで匂わせて、帝の薄情をなじっていることです。静かな口調ですが、帝を責める物言いは倫子らしいものではなく、それだけ余裕がないことが窺えます。
単刀直入な物言いに帝も戸惑ったのか、ややあってから、御簾の奥より「朕を受け入れないのは中宮のほうであるが…内裏に来てすぐの頃、朕が笛を吹いても横を向いておった。今も朕の顔をまともに見ようともせぬ」と、二人の関係が進展しないのは彰子に問題があり、自らはその不遜な態度を大目に見ているのだと返します。帝の言葉は嘘ではありませんが、自分が定子の思い出に浸っていたい願望の都合の言い訳として、彰子の態度を引き合いに出しているに過ぎません。
それを感じているからでしょうか、あるいは母としての思いの強さでしょうか、倫子は怯むことなく「出過ぎたことと承知の上で申し上げます。どうかお上から中宮様のお目の向く先へお入りくださいませ」と続けます。持って生まれたおっとりとした性格は、そうそう直せるものではありませんし、彰子はまだまだ子ども。曲がりなりにも男女の関係を知っている大人である帝がリードすべきだと言うのです。
責任を取れと言わんばかりの文言は、不遜の誹りを受けるものです。礼儀正しい名家の女性の言葉とは思われません。ですから、御簾の奥の帝も驚き、隣にいる道長も「待て待て」といった表情で倫子を見ます。それでもなお「母の命をかけたお願いにございます」と念押しをする倫子に、道長はいよいよ目を剥いて、まなじりをあげます。
彰子を中宮として大切にして扱わぬのであれば、私は自害するというような物言いは、最早「お願い」ではなく、帝への恫喝だからです。道長も強引に押し切ることもしないではありません。しかし、倫子のようなあからさまな恫喝はしたことはないでしょう。節度を守り、彼の意向も無視もせず、我を押しすぎないよう慎重に事を進めてきたのです。
ですから、倫子のなりふり構わない言動は、これまでの積み上げてきた道長の政における労苦と身体を破壊しかねないものに移ったでしょう。場合によっては、その場の不興を買うにとどまらず、倫子を帝に引き合わせるよう取り計らった道長の罪、彰子の将来にも影を落としかねません。危険極まりない行為なのですね。もっとも倫子は、娘のためとなるならば、それすらも構わないと思っているかもしれませんね。どんなに独り善がりであっても、それが子どもへの愛情だと倫子は信じているでしょうから。
幸い、根の優しい一条帝は、倫子が母として必死になっている様を咎め立てたりはしません。その必死さは亡くなった母、詮子と同じだからです。憐れみすら感じるかもしれません。といって、帝の心情としては、定子を忘れて、あの言いなり人形のような彰子を愛でることなどはどう考えてもあり得ない。自分を見るような彼女は、定子の代わりになるはずもありません。
ですから、帝は「そのようなことで 命をかけずとも良い」と薄く笑うと、その場を離れます。居たたまれないという気持ちもあったと思われます。もっとも、御簾越しにいる道長には、倫子の願いをいなして、去っていく帝の気配がわかるのみです。立ち去ったという一点のみで彼の機嫌を損ねたと感じ、息を飲み、そして倫子の不用意な言動に怒りを滲ませます。平然としている倫子の様子は尚更、腹立たしいでしょう。
当然、道長は「お前はどうかしている。もしこれで帝が彰子にお目先をかけられなければ、生涯ないということになってしまうぞ」と倫子の恫喝とも取れる軽率な言動を叱ります。帝と道長は、反目する点はあるけれども互いが必要という政治上の信頼のバランスの上にあります。それは伊周が「枕草子」で切り崩せそうなほど、微妙な匙加減の上に成り立っています。ですから、不用意なことをすれば、一気に崩れてしまう。
今回の倫子の言動は、そのバランスを崩したかもしれないのです。一条帝は、彰子の背後に道長や亡き詮子の存在を意識しています。そもそも、入内した女御とはそのようなものです。円融院が詮子の背後に常に兼家を見ていたことと同じです。幼い頃から共に過ごし、母でもあり、姉でもあり、恋人でもあった定子は、例外的なもの。他の女御たちは違います。まして、然したる寵愛もなく政治的意向で中宮になった彰子は尚更です。それだけに、道長夫妻が買う不興は、そのまま彰子への寵愛にストレートに影響する可能性があるのですね。道長は、そのことを危惧するのです。
彰子が帝の寵愛を受けることなく終わることは、倫子の願うところでもないだろうと、道長は同士としての妻に言うのですが、倫子は「ただ待っているだけよりもようございます」と、座して待つだけのような道長は親として何もしてこなかったではないかと返します。倫子には、政には重要な辛抱強く待つということは通じません。
この倫子の返事には、前回の「帝のお渡りがあるよう(中略)知恵を絞っておりますのは私でございます」という道長へ向けた非難に通ずるものがありますね。つまり、倫子にとっては、今回の帝への直訴も、母として必死に心を砕き、藤壺を華やかにした工夫の延長線なのでしょう。さまざまな手が通じないため、母としてできる最終手段をしたに過ぎない。それを責める道長のほうが論外だと言うわけです。どこまでも倫子は、中宮の母ではなく、愛娘彰子の母なのです。
第26回のnote記事にて「国家安寧を第一とする道長と娘の幸せが第一である倫子の価値観は、相変わらず埋めがたい溝があり(中略)今以上の軋轢が生じるかもしれない」と指摘しましたが、やはり恐れていたことが起きてしまいましたね。この5年ほどの間、二人はそれぞれの方法論で彰子を寵姫にすべく、さまざまな努力を重ねてきましたが、それは上辺だけの協力体制…二人の間で価値観をすり合わせるように胸襟を開き合って、相談し合うことはなかったのでしょう。
ですから、道長には、倫子の返事は、開き直ったものにしか見えません。呆気に取られ、横を向くと「わからん…」と苛立ちを露わにします。そんな夫の様子を倫子は、わずかに寂しさをまとわせた表情でじっと見つめると「殿はいつも私の気持ちはお分かりになりませぬゆえ」と絞り出すように言いたくなかった一言を漏らします。20年近く夫婦として過ごした妻が、貴方が私のことをわからないのは「いつものことでしょ」と夫に言わざると得なくなる…これがどれだけ哀しく、寂しいことか…居たたまれない台詞ですね。
倫子の「殿はいつも私の気持ちはお分かりになりませぬゆえ」は、彰子入内から現在における5年余りのことだけを指しているわけではありません。恋文のやり取りもなく、偲んできたあの日、倫子は嬉しかったけれどその性急さに戸惑った部分もあったでしょう。その戸惑いは、後年、彼の文箱にあった漢籍の文を女性のものと直感したときに不安となったはずです。にもかかわらず、彼女はその不安と不満を胸に収め、今、道長の妻であることに幸せを得ようと努力してきました。
また、名家の出である倫子は、元よりプライドの高い人です。道長が高松殿から帰宅するときも嫡妻として鷹揚に振る舞いつつも、対抗意識が見え隠れしました。また、道長がまひろの看病で朝帰りしたとき、倫子は道長の心に住むもう一人の女を直感しますが、それを問い質すことはせず、物心の両面で彼の政治を支え、彼のためとなろうとしました。道長はそんな倫子に深く感謝はしています。
しかし、果たして彼女の心に報いたと言えるでしょうか。相変わらず、何を思っているのか、その心の奥底を開いて相談をすることはありません。倫子がそれをずっと待っていたことは、第26回で描かれています。勿論、まひろを愛する道長が、ひたむきに彼女だけに愛情を向けることもありません。それどころか、悩んだ際に甘えるのは明子女王です。それゆえ、彼が倒れた場所は高松殿だったのですね。
こう考えてみると、倫子が子どもたちを大らかに育てるべく、愛情を注いだことは、彼女の生来の優しさと穏やかさだけではなく、報われぬ道長への思いを慰める要素もあったのでは…ということに行き当たります。ここに、彰子への盲目的なまでな愛情の根深さが見えそうです。つまり、彰子入内…それは、道長に愛されぬ思いを注ぎこみ育てた愛娘を、その道長に取り上げられることでもあったのかもしれない…ということです。だから、「殿はいつも私の気持ちはお分かりになりませぬ」と言うのです。
さて、妻の思わぬ言葉に「え?」という顔で振り返る道長ですが、既に手遅れ。目を逸らし、踵を返した倫子は、道長を置いて去ります。おそらく、一番言いたくなかった言葉を発してしまった今の自分の顔を、道長に見られたくない…そんな女心もあったやもしれません。もしも、ここで道長が「どういうことだ?」と、倫子を引き留めて、彼女の積もりに積もった感情を彼女が満足するまで聞いてやったのならば、夫婦間は修復することができたやもしれません。これは、ラストチャンスだったかもしれない…
しかし、道長は、最後通牒とも言える倫子の言葉を、夫への不満をぶちまけた単なる捨て台詞としかとらなかったようです。道長にすれば、中宮彰子の問題は、親心などという個人的な感情で済まされるものではなく、極めて政治的なものです。「枕草子」が脅威となるなか、彼なりに心を砕いて、バランスを保ち、帝と彰子の関係が深まる機を窺っていたのが、倫子の余計な言動で台無しになったのです。早急に立て直しをしないと政局は危うい…ただでさえ旱魃をようやく乗り切ったばかりの大変な時期、「枕草子」、問題は山積みです。
こうしたなか、まさか、彼の足を引っ張るのが、他ならぬ賢妻、倫子であったとは…疲弊した道長の心は暗くなるばかりです。うんざりするような気持ちが一気に湧き上がってきたのでしょうか、道長は倫子の頑な態度に「勝手にしろ」と言わんばかりの顔つきになると、倫子とは真逆の方向へと立ち去ります。こうして道長と倫子の関係は、決定的な亀裂が入ってしまいました。
ふと思い出されるのは、石山寺で「偉くおなりになって、人の心を読めるようになられたのですね」(第27回)とまひろは言われ、「偉くなったからではない」と返したことです。これは、想い人のまひろの気持ちは、離れていようといつも考えているから察するところがあるという意味でした。
ですから、長年、一緒に過ごしていても、本気で愛してはいない嫡妻のことになると、肝心なときにその言動の裏にある女心を汲もうともしていません。妻たちを都合よく扱い、彼らに報いる努力をしてこなかった怠惰のツケが、遂に回ってきたのです。伊周の呪詛などなくとも、道長の権勢は、左大臣家という家庭の内側から危機が訪れているのです。
妻との亀裂と「枕草子」…これも内憂外患というものかもしれませんが、政という公と夫婦という私の双方に問題を抱えた道長は、心理的に追い詰められていくことになります。
(4)まひろへ通ずる道が開かれるとき
倫子の帝への直訴を余計なことだと感じている道長。そのため、かえって政として、一条帝と中宮彰子の関係を形だけでないものにする算段を急がねばならないと思います。しかし、無理やり、それを進めることはしたくありませんし、それは効果的とは言えません。それで済む問題であるなら、倫子の遣り方にも一理あったということになってしまいます。いかに自然にそうすればよいのか、まるでわかりません。夫婦仲が拗れた倫子に相談することはできませんし、また明子にそれを話すこともできません。
考えあぐねた道長は、晴明の元を訪れます。薬須麻が薬湯を持って、外で控えているのを見ると祈祷後、急速に衰えた彼の体調は思わしくないようです。脇息を支えにしないと話せない状態になりながらも「たしかに。あなたさまは今、闇の中におられます」と相談に応じます。晴明の言葉に、額に手を当てうつむく道長「まさに…闇の中だ…」と独り言ちます。
帝の心を彰子に向けさせたいですが、何も浮かびません。未だに続く帝の定子への執心を解く方法も、地味なだけで何もない彰子へ気を惹かせることも、ひたすらにハードルが高い。人の心を操る晴明であれば、何か助言はないかというわけです。
しかし、晴明は「お待ちなさいませ。いずれ必ずや光がさします」と今は我慢しかないと答えます。しかし、彰子が中宮になって既に3年です。十分に待っているという意識がある道長は「いつだ?いつだかわからねば、心が持たぬ」と弱気と焦りを滲ませます。
国家安寧のために彰子を入内させたのです。にもかかわらず、旱魃は起こる、帝は相変わらず無気力、伊周が「枕草子」を使い逆恨みを拗らせている、と政情が落ち着くことが在りません。まったく彰子の入内は功を奏していない。その上、プライベートでは夫婦仲に溝ができている有様。「心が持たない」と言ってしまうのも仕方ないでしょう。彼は、具体的な実行案で安心したいのです。
いつになく気弱な道長に「持たねばそれまで」と突き放しつつも「されどそこを乗り切れば、光はあなたさまを煌々と照らしましょう」と、自分の読みを信じろと諭します。具体策が欲しい道長には、抽象的な助言はあまり意味がなく、俯きながら「全てが回れば、私なぞどうでもよいのだが…」と、自己犠牲っぽいことを口にします。国家安寧のために、自分の寿命をかけた、あの覚悟とは似て非なるもの。早く楽になりたいという不安と焦りの言葉です。
道長の様子を重症と見たのか、晴明は「今、あなた様のお心に浮かんでいる人に会いにお行きなさいませ。それこそがあなたさまを照らす光にございます」と具体的な行動を示唆します。とりあえず、行動の指針を与えないと今の道長は納得できない、そう晴明は見たのではないでしょうか。
ただ、晴明の言葉に「ん?」となった道長の胸に誰が閃いたか、そこまでは、言及されていません。まひろという可能性がないではありませんが、それは胸の本当に奥の奥のことでしょう。晴明の問いかけは、そこまで踏み込んだのが真意にも思われます。が、いくら道長が弱気になっているとはいえ、晴明とのドラスティックな政の将来についての指南の中、まひろが即浮かぶとは考えにくい気もします。
たしかにまひろのことは、ずっと気にかけ、宣隆、為時、惟規を通して間接的な支援はしているものの6年、逢っていません。また、道長が求めるのは、事態打開の具体的な解決策です。それが、まひろへとダイレクトにつながるようでは、逆にいよいよ道長も焼きが回った、お花畑となるでしょう。まひろが道長の胸を掠めたというのはドラマチックですが、ここはドラマの展開に素直に従い、公任、斉信、行成といった気の置けない同期の友たちが、胸に閃いたということで進めていきましょう。頼れるのは男同士の友情というのも、皆さん、嫌いではないでしょうし(笑)
頼れるのは旧友ということで、道長は公任、斉信、行成を招き、瀟洒な宴を催します。風流ですが、話題は一条帝の目を中宮に向けさせる相談です。早速、斉信が「左大臣も苦労が絶えないようだな(笑)」と茶化します。これは、泰然自若とした雰囲気の道長が弱気になり、自分らを頼ってきたことを半ばからかい、半ば嬉しいといったところ。皮肉屋な彼にしては素直な反応というものでしょう。
風流人で人の心の機微に長けた公任は「帝の気を引くのは難しいな」と率直に答え、「亡き人の思い出は美しいままだ」と問題の根深さを指摘します。蔵人頭として帝の側にいて、それを実感する行成もまた「枕草子の力はますます強まっております」と現状を憂います。行成は連絡係として内裏を忙しく駆け回る毎日ですから、宮中の空気にも敏感なのでしょう。
昔を懐かしむこと、個人的には構いませんが、それが内裏に蔓延するとなると、それは干魃など天災に見舞われた政情不安の裏返しへとつながります。道長政権は見えないところで軋んでいるのです。「一矢報いたい」と言った清少納言の目論見は、伊周の手助けもあり成功したと言えるでしょう。
一つの書物が政の潮目になる…それもこれも清少納言の定子への強い情念と教養豊かな文才があればこそ。「ききょうめ、あんな才があるとは思わなかった…」と恨めしく斉信が言うのも、「枕草子」の内容に感心したからでしょう。「手離さければ良かった」というのも、逃した魚の大きさを思う本音ですが、本作では斉信がどんな手管を使ってもなびかなかったでしょう。定子と少納言の間柄は強固で余人の入る余地はありませんでした。劇中でも少納言は斉信のしつこさをいなす、定子から離れろという助言も従わない描写がされていました。
何にせよ「枕草子」が力を持つということは、対抗策も自ずと見えてきます。つまり、「枕草子」と同等の雅やかなものをぶつけるしかないないのです。だから、公任は道長に酒注ぎながら「皇后さまがなされていたように華やかな後宮を藤壺に作ったらどうだ?」と提案するのですね。登華殿サロンに招かれ、それを堪能した公任らしい提案です。
「枕草子」の舞台装置ともなっている登華殿サロンそのものを打ち消す一大サロンの形成することで、根絶治療を行おうというわけです。最終的に彰子のいる藤壺は、紫式部、和泉式部ら才女が集う平安期最強のサロンとなりますから、公任の提案自体は妥当なものと言えるでしょう。
ただ、行成が「それは難しいと存じます」と言うように時期が悪い。旱魃が長引き、民の暮らしぶりが大変な今、余分な支出をする余裕はありません。道長は「帝は所持倹約を…と常々仰せだ」と行成の言葉を補足しますが、民を救う政を志す道長自身も帝の意向に賛成だということです。
その昔、登華殿の設えの買い換えを公費で賄うことにしつこく反対し、道隆から「お前は実資か」と言われた道長です(第16回)。自分が権力の座についたからと、同じ手を打つことはしないでしょう。
行成は「帝は書物がお好きなので、「枕草子」を超えるおもしろい読み物があれば…お気持ちも和らぐのではございませんか」と、ダイレクトに「枕草子」に対抗する書物を提案しますが、道長は「そのような面白い書物を書く道長者がどこにおるというのだ」と苦り切った返事をします。非凡な才を持つ者を探し出すことは、金さえ積めば何とかできる公任の案よりもはるかにハードルが高いからです。
すると公任が「我が妻敏子がやっておる学びの会に面白い物語を書くおなごがおるようだ」と世間話混じりの話を始めます。非凡な才女などそうそういるものではありませんから「帝の御心を捉えるほどの物語なのか?」と道長は呆れたように訝しみます。元より戯れ言の域を出ていないことも承知している公任は「それはどうかな…」と笑いますが、「されど、四条宮の女たちの間では大評判」と侮れないかもと言い添えます。
才女と聞いて、興が乗った斉信の「どういう女なのだ?」との問いに「前の越前守、藤原為時の娘だ」と答えます。覚えがあった斉信、「ん?」と首を捻るも、直ぐに「あ、あの地味な女だ!」と思い出します…って、地味だとか「ありゃダメだ」とか好みでないことを明言していたのに、覚えていたとは逆に驚きです(苦笑)それほどに強烈な地味さ…いや、それは地味と言うのか??様々に余計なことが頭をよぎりますが、どのみち、まひろが聞けばトラウマを抉る発言…この辺りにしておきましょう。
斉信の素頓狂な発言の裏で、微妙に顔色を変えたのは道長です。まさか、この席で、しかも公任の口からまひろの近況を聞くとは思わなかったからです。それにしても、まひろは毎度毎度、道長に先回りして思わぬところからひょっこり現れ、彼を驚かせますね。帝の口からその名が出たときなぞは心底驚いていましたからね(第20回)。以前、note記事で、こうしたまひろのことを奇襲攻撃と評しましたが、変わりませんね(笑)
まひろの「カササギ語り」を直接読んだことはない公任は「所詮、女子供の読むものだが」と一応、期待しすぎないよう削った上で「妻は先が楽しみだと心奪われておる」とその訴求力の可能性に言及します。道長は「ふーん…」と気のない様子で返しますが、そのすっとぼけた様子に反してその表情は思案下です。
いつも彼を驚かせるまひろですが、今回は格別です。まひろは、今、道長の求めるものを書いています。詳細はわかりかねますが、まひろをよく知る道長は彼女の才覚がわかっています。公任が言う以上には、彼女のそれが当てになるかもしれないことを理解しています。これは縁という他ありません。しかし、それはまひろを政に巻き込むこと…それで良いのか。背に腹は代えられないとはいえ、逡巡するのではないのでしょうか。
一方で道長は、自分が真に逢いたい人、即ち晴明の言う「心に浮かぶ人」がまひろであることに思い当たったと察せられます。そもそも、彼の志はまひろとの約束にあります。もっとも胸襟を開けるのは、やはりまひろしかいない。巡り巡り、二人の宿縁がまたも交錯しようとしているのです。
2.創作者として過渡期にあるまひろ
(1)四条宮でのまひろの充実とあかねの奔放さ
まひろは、四条宮(公任の屋敷)にて、公任の嫡妻、敏子主催の学びの会にて、女房たちに和歌を教えるようになっていました。6日に一度ですから、結構な頻度ですね。「先生」と呼ばれるようになったまひろは「人の心を種として、それがさまざまな言の葉になったもので、この世で暮らしている人の思いを見るもの、聞くものに託して歌として表します」と和歌の心を説きます。これは、「和歌(やまとうた)は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」という紀貫之の「古今和歌集」の仮名序を念頭において説明しているもので、まひろのオリジナルの発想というわけではありません。
まひろの説明に「難しい…ねぇ…」となる女房たちですが、まひろはにこやかなまま「心があってこその言葉、もののあわれがわからねば、よい歌は読めないということです」と今度はかみ砕いて、話をします。その言葉に頷く敏子…この学びの会が和やかなものであることを窺わせます。若い頃の土御門殿サロンでの空気の読めない発言の連発にヤキモキさせられたのが最早懐かしいですね(笑)
そして、仮名序を書いた紀貫之の「古今和歌集」からの一首、「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香(か)ににほひける(意訳:あなたは、さてどうでしょうね。他人の心は分からないけれど、昔なじみのこの里では、梅の花だけがかつてと同じいい香りをただよわせていますよ)」を一例として挙げるのも、一貫性があって上手いですね。また、に貫之の有名な一首だけあり、生徒である女房のなかにも「あ、それ知ってます」と嬉しそうに言う者もいます。知っている生徒もいる例というのは、馴染みやすいので例としては適切だったと言えるでしょう。
因みに、この一首には「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家の主人、「かく定かになむ宿りは在る」と言ひ出して侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める」との詞書があります。つまり、昔、初瀬の長谷寺に参るたび宿泊していた宿にしばらく行かず、しばらくぶりに訪れたら宿の主人に心変わりをなじられた貫之、傍にある梅の枝を一指し手折り、返答した一首です。
詞書を踏まえ、まひろは「この歌は、変わってしまう人の心と変わらない花の香を対にして歌っています」と、人の心と花の香をどう組み合わせているのか、その対句的な工夫の妙について、丁寧な説明を加えていきます。ただ、説明の末尾に劉希夷「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わって)という七言古詩の一節「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(来る年来る年、花は同じように咲いている。されど、それを愛でる人は、毎年毎年同じ姿ではいられない。)」という対句を引き合いに出し、紀貫之の教養深さにまで言及してしまうのは、漢籍に造詣の深いまひろ先生の美徳的悪癖でしょうか(笑)
その難易度の高い漢籍の説明が入ったところでタイミングよく、「先生は歌を詠むとき、そんな難しいことをお考えなんですかぁ?」とマイペースな口調で話の腰を折ったのは、大遅刻の末やってきたあかねです。このあかねが、後に恋多き女性として知られるようになる和泉式部です。
遅刻にも話の腰を折ったことにも悪びれる様子もなく、あかねは「わたしは思ったことをそのまま歌にしているだけですけれど」と持論を返すと、有言実行。そのまま「声聞けば暑さぞまさる蝉の羽の 薄き衣は身にきたれども(意訳:蝉の声を聞くと、暑さも一段とまさって感じられる事だ。蝉の羽のような薄い衣は着たのだけど)」と、熱い最中の今の気分をさらりと読んでみせます。直感的に言葉を巧み操る天才肌の本領と言ったところでしょう。
一方で、歌に詠んだとおり、その恰好はシースルーのような着物、生絹(すずし)です。本来は、上半身裸の上に羽織る部屋着で、「陰陽師0」(2024)で板垣李光人くん演ずる村上帝が羽織っていて、この使い方が正しい羽織り方です。ですから、あかねが袴などを着けた上で生絹を羽織っているのは、何とか節度(とNHK内の放送基準)を守っているとも言えますが、学びの場でのドレスコードとしては「お洒落」と「はしたない」のギリギリを攻めている感じになるでしょうか。つまり、あかねは、和歌のセンスは天才的だけれど、それはその性的な奔放さと表裏一体であるということになるのですね。
呆れる敏子の様子にも構わず、あかねは「蝉の声を聞くと暑苦しくてやんなってしまいますわね。皆様も薄着におなりなさいませ」と他の女房を恥ずかしがらせます。確認するように「今日もまた朝寝されましたの?」と敏子が聞きます。この場合「朝寝」というのは、「夜半まで遅く」あるいは「早朝」も男女の睦み合いをしていたということですから、「お盛んなことですこと」とそのはしたなさを揶揄しているのです。
しかし、あかねにはまったく痛痒も感じず「親王さまとお話しておりましたら、つい…」と嘯きます。ここで言う親王とは、東宮居貞親王の同母弟の敦道親王です。因みに彼と付き合う前に付き合っていたのが、敦道親王の同母兄である為尊親王です。為尊親王の死後、敦道親王と付き合い始めたというところです。因みに夫、橘道貞との婚姻を解消しないままの関係です。後年、紫式部に貞操観念がおかしいと言われるのは、こうした奔放な男性遍歴にあるのでしょう。
こういう人ですから、あかねに釣られた女房が「お話?あかねさまがお離しにならなかったのではありませんか?」と下ネタで返すと「あなた、上手いこと言うわね(笑)」と喜んでしまいます。恥じらう気配もない彼女の様子に敏子は「どちらにしても、そのようなお姿はいかがなものでしょう」と今度はわかりやすく、はしたないことはおやめなさいと忠告します。
しかし、あかねは、パタパタしながら「だって暑いんですもの。いっそのこと、何もかも脱いでしまいたいくらい」と開き直り、「皆様もそうしません?皆で脱げば恥ずかしくありませんわ」と誘う始末。突拍子もないけれど、あけすけな言動の面白さで、周りの空気をつかんでしまう…これがあかねの能力なのでしょう。
その矛先はまひろにも向けられますが、先生という立場を上手く使い「それはちょっと…」と笑顔ではぐらかします。あかねの振る舞いは、お堅いまひろとは真逆にも見えますが、不実の果てに夫の子ではない道長の子、賢子を産んでいるまひろも人のことをとやかく言えた立場ではありません。あかねの自由さを呆れつつも決して嫌ってはいないだろうと思われます。違うのは、その思いに正直に振る舞えるか、振る舞えないかだけでしょう。
(2)四条宮での評判に見える「枕草子」の特性
まひろのつれない反応に「動くとますます暑うございますわね」と、つまらなそうに答えますが、すぐに敦道親王から貰った「枕草子」を袱紗から取り出し、「内裏で大流行なんですって。先生、ご存じ?」と披露します。数年前、ききょうから直接、読ませてもらっているまひろは「ええ」と答えます。
まひろは、ききょうから道長に一矢報いたいという強い恨みを聞いているはずなのですが、その笑顔からは、「枕草子」が道長の政治生命を脅かすとまでは思い至っていないように思われます。後宮の華やかさを描いた美しい「枕草子」が、まひろの中では復讐心とはつながらないのかもしれません。
しかし、まひろが敬意を持つ白楽天「新楽府」がそうであるように優れた文学とは、政治や社会に対する批判的視点を持つものです(日本の近代文学はそこを避けて発展した傾向がありますが)。ですから、まひろは文学が政治的な武器になることをどこかでわかっているはずですが…ききょうとの友情がそれを忘れさせているのかもしれません。
さて、あかねは、まひろが「枕草子」を既読と知り「さすが」と言いつつも、「でも、私、読んでみましたけど、さほど面白いとは思いませんでした」と肝心の草子の感想はバッサリ、辛辣なものでした。皇后定子の影が描かれないことへの物足りなさを感じ、それを正直に口にしてききょうの不興を買いましたが、その内容は楽しく読んだまひろです。あかねの反応に「軽みのある文章でよいと思いましたが…」と不思議そうに問い返しますが、これには、あかねではなく、敏子が「面白いと言うなら、先生の「カササギ語り」のほうがはるかに面白うございますよ」と応じます。
「カササギ語り」は、「光る君へ」オリジナルで作られたまひろの創作物です。「カササギが人間界で見聞きした事を語る」という設定の物語で、まひろはそれを女房たちに聞かせていました。おそらくは、四条宮サロンの一番の楽しみとなっていたのでしょう。
それ以前の「カササギ語り」がいかなる話かは劇中では語られていませんが、カササギは七夕の日に牽牛と織姫のために橋をかける鳥だということを踏まえると恋愛話が多かったのではないでしょうか。なにより、あかねの奔放さに眉をひそめていた敏子が、あかねと同意見という点が興味深いところです。身分、価値観にかかわらず、人々を惹きつけるのは、恋愛物語なのかもしれません(私は不得手ですが)。かのハーレクインロマンスという世界的レーベルの隆盛が、それを象徴しているかもしれませんね。
そして、今回も男女のお話…「昔々、あるところに男と女がいました。男は身体が小さく病がち。女はふくよかで力持ち。私の見立てでは、いつの世も男というものは女よりも上でみたいもの。もしこの男と女が一緒になったら一体どうなるのだろうか。是非、見てみたいと思った私は…」と朗々と読み進めるまひろの口ぶりに、敏子もあかねも、他の女房たちも興味津々です。
敏子に「枕草子」と比較されて褒められた際は恐縮したまひろですが、その語りぶりを見ると、まひろは「カササギ語り」という物語を書くことに確かな手応えを感じていることが窺えます。宣孝を失った3年前、ふとしたことから書き始めた彼女の物語執筆は、まひろにとってなくてはならぬものになっていると思われます。読者の好意的な反応ほど執筆意欲を掻き立てるものはありませんからね。私のnoteも例外ではありません(笑←
ところで、あかねや敏子は何故、「枕草子」よりも、まひろの「カササギ語り」のほうが面白いと感じたのでしょうか。先に言っておきますが、「枕草子」が優れたエッセイであることは言うまでもなく、これは、そのことを貶める考察をするのではありません。あくまで、「光る君へ」本作における「枕草子」の扱い方から見えるものについての話です。
先の一条帝と伊周のやり取りからもわかるように、「枕草子」は一条帝を過去へ捉えるためのアイテムとして使用されています。そもそも、本作の「枕草子」は、清少納言の「定子を忘れさせない」という強力な過去への執着が込められています。傷心の定子を慰めるためだけの草子は、いつしか読む人を過去に縛りつけるものへと変質していきました。つまり、「枕草子」とは美しい過去を封じ込めた、謂わば終わったものだと言えるでしょう。このエッセイには残念ながら、先はありません。どこまでも過去に向いたものだと言えるでしょう。
対して、まひろの「カササギ語り」についてはどうでしょう。公任によれば「妻は先が楽しみだと心奪われておる」とのこと。つまり、「カササギ語り」は、まだ見知らぬ先の展開があります。先のことをあれこれ考えるワクワクした気持ちがあります。またたとえ完結したとしても、創作の物語の世界観は余韻として想像の余地が残されます。そこが、一つ、「枕草子」に長じたところとして、女房たちの関心を引くのでしょう。
また、恋愛という卑近な題材であることも大きいかもしれません。「この世のものとも思えぬほど華やかだった後宮のご様子」は、憧れを抱きはしますが、身近なものではない。さらに、影を描かないがゆえに、その描写は奥行きを失いリアリティがないと感じられるかもしれません。読者にとって遠い世界…これもまた現実に生きるあかねのような人には面白みに欠けるやもしれません。下ネタも平気な人ですしね、あかねは。
ただ、まひろの「カササギ語り」にも問題は出てきます。それは後述しましょう。
(3)あかねの奔放に触発される執筆の意欲
さてある日、まひろが四条宮サロンの学びの会を終えたとき、渡りの向こうから、あかねがフラフラとよろけながら現れると、まひろにもたれかかります。どうやら酩酊状態にあるようで、その酔いぶりからまひろは「親王さまと喧嘩でもなさったの?」と察して話しかけます。図星のあかね、「そうなの…何故わかるの?」と崩折れかかります。理屈っぽいまひろ先生が、意外にも自分の気持ちがわかるとわかり、気が緩んだのでしょう。
まひろに介抱されたあかねは「親王さまが私を疑うようなことをおっしゃるの」と事情を話し出します。あかねによれば、あかねが代理で詠んだ和歌を見た敦道親王が、別の男に懸想してその男に送ると誤解したのだとのこと。「扇の取り替えっこをして、私の心は親王さましかいないと言っているのに…」と、何故、信用しないのかと嘆きます。扇を交換し合うというのは、深い仲になった男女が別れの際に、互いの形代としてかわし合うということで、相手に身体を預けるということを意味しています。ですから、あかねが「何故、そこまでしたのに」と思うのですね。
因みに扇の交換は、「源氏物語」では朧月夜と光源氏、源典待と光源氏がやっていますね。朧月夜は奔放な女性でしたから、もしかしたら、本作では、朧月夜のモデルはあかね…ということもありそうな気がしますね(笑)
さて、話を聞いたまひろは「親王さまは、余程、あかねさまにご執心なのね」と微笑します。誤解して嫉妬してしまうほどに愛されているというのです。まひろは、ここまで大きな誤解をされた経験はありませんが、道長のひたむきで苦しいほどの情熱的な愛情も知っていますし、まひろを手に入れるためなら手を汚すことを厭わない宣孝のような執着心も知っています。そして、今となっては、そのどちらの愛情も、まひろにとっては愛おしいものでした。まひろは、愛するということが、その激しさゆえに綺麗事ではないことが、今はわかるのです。
ですから、「私だって親王さまに負けないくらい親王さまが好き」と言ってしまえるあかねの純情に「そうやって誰の目も憚ることなく、恋に身を焦がされるのは素晴らしいことです」と返すまひろの言葉にも力が入ります。思いのほか真剣なまひろの表情に、あかねは「まひろさまは、そういう人いないの?」とまひろの顔を覗き込むように問います。あかねは、いつも小難しい理屈をこねるこの女性にも、そういう相手はいるのだろうかと素直に思ったのかもしれませんね。
あかねの言葉に、自分の想いを悟られたような顔をして止まってしまうまひろ。瞬間、かつて想いのまま道長の胸に飛び込んでいけなかったあの日が蘇ったのではないでしょうか。しかし、それも遠い過去…すぐにいつもの自分に戻ると、あかねに微笑みかけます。
今なお秘めたる大切な想いゆえに詳しくは語らず、ただ「私は…あかねさまのように思いのまま生きてみたかった…」と寂しさと懐かしさと羨ましさを込め、正直に言います。勿論、この言葉には、あかねに対する励ましもあるでしょう。まひろは、あかねの奔放さの内にあるストレートな強い愛情に、かつての自分と同じ真心を見たのではないでしょうか。
まひろは、一見真面目な常識人に見えますが、それはたまたま関心が深かったのが漢籍などの学問で、その知識が彼女を律するところがあったからです。実際は、頭でっかちな理屈っぽさ、意思を曲げない頑なさ、周りの空気の読めなさ、そして、当世の女性たちの常識にとらわれない発想と、聡明さゆえのトラブルメイカーというのが、彼女の本質でしょう。
それは、言い換えるなら、自分の想いのまま、自分の才を活かし、生きてみたいというということです。かつて、道長に告げた「私は私らしく自分の生まれてきた意味を探して参ります」(第12回)や、「今度こそ、越前の地で生まれ変わりたい」(第21回)といった自分探しとも取れる台詞は、彼女の生き方を自分で選びたいという想いを象徴していますね。私らしく生きたいまひろと「、なりふり構わず恋愛に生きるあかね、二人は質こそ異にするものの、実は似た者同士と言えるでしょう。まひろも、たぶんに感情的で奔放な人物なのです。
まひろのそうした情熱は、宣孝との幸せな家族生活によって、生きる道が定まり、収まったように思われます。しかし、思わぬ不幸で寡婦となり、為時と共に家計を支えるようになって3年…再び、自らの生まれてきた意味というものへの考えが、頭をもたげているのではないでしょうか。あかねを励ますような、この場面のやり取りは、道長との恋愛に生きたかったというかつての想いを郷愁的に思い返す一方、あかねの奔放な生き方に無意識のうちに響き合い、影響されているという面もありそうです。
自分の生きる意味はどこにあるのか、そのことです。恋愛に生きるあかねとは違う何かが、あるはずです。そして、それは、今、目の前にある「物語」を書くことが、大きく関わってくるのではなないでしょうか。というのも、まひろの「物語」執筆への想いは、生き甲斐と自信として、彼女のさまざまな言動の節々に表れているからです。
まひろが、執筆というものに取り憑かれていると疑われることは、第30回の前半でちらりと垣間見えるように思われます。物語冒頭の旱魃は、為時宅の井戸も完全に干上がらせます。干上がった井戸を前に「この夏、我らの命も持たぬやもしれん…」とため息をつきつつも、賢子の頭を撫で「賢子だけは生き延びさせたいが…」と為時は、かわいい孫娘を思い、呟きます。まひろ自身も、乙丸を連れて往来を出たのは、乾きを癒す果物を探してのことで、為時と思いは同じでしょう。それほどに水がない、切羽詰まった状況だったのです。
こうした旱魃が続く中、晴明が雨乞いをすることになります。その最中、都に雨雲が広がりつつあるそのとき、為時宅も移されます。そのとき、まひろは、何かを書き付けるという作業していました。勿論、このシーンは、制作側としては特に狙ったものではなく、単にわかりやすく、まひろの日常を映し出しただけなのかもしれません。
しかし、飲み水すら事欠くなかで、まひろは、わずかとはいえ、その貴重な水を使い、書をしたためることに余念がないとも言える描写です。日記か、書写か、あるいは「カササギ物語」なのか、何を書いているかまでは定かではありません。もしも、無意識に書くことに勤しむ状態にあるとすれば、賢子だけは生かしたいという親心とは齟齬を起こすような執筆への執着があるようにも見受けられます。
そもそも、まひろにとって「書くこと」は大きな意味を持っていました。代筆業をしていたとき、父にそれを咎められたまひろは「代筆仕事は私が私でいられる場所なのです。この家では死んでいるのに、あそこでは生きていられる。色んな人の気持ちになって歌を読んだりするときだけ6年前のことが忘れられるのです」(第2回)と苦しい胸の内を明かしています。あるいは、直秀の「おかしきことこそめでたけれ」に触発されて、彼らの散楽のシナリオを書き、客たちの反応に充実した気持ちを抱いた体験もあります。
また道長の恋に破れて後、自分の生きる道を見失っていたとき、まひろに指針を示唆したのは、石山寺で出会った「蜻蛉日記」を書いた寧子です。彼女の「「私は日記を書くことで、己の哀しみを救いました」との言葉は、彼女のなかで反芻されるほどのものでした。その後、起きたさわとの諍いも、解決に導いたのは、まひろの書いた真心の籠った手紙でした。まひろの文を書写することで、さわは自分の心を救いました。
「書くこと」に関するさまざまな経験と実感。まひろのなかに眠るそれが、書くことで呼び起こされているのではないでしょうか。例えば、「カササギ語り」は、まひろが学んできた学識やそれを通して考えたことが反映された物語と言えるでしょう。それを執筆し、女房たちに読み聞かせることは、自分のこれまでの経験が報われる悦びと自信なるのではないでしょうか。おそらく、「カササギ語り」は女房たちの楽しみであり、まひろ自身にも生き甲斐と自負になりつつあるのです。だから、彼女は、旱魃で干上がろうとも、筆を止めることができないのでしょう「。
(4)独り善がりな考えを娘に押しつけるまひろ
ところで為時は、前回、まひろに懇願され、依頼された道長の息子、田鶴…いや、今は元服して頼通となった長男の指南役を務めています。このことは、彼に経済的な救いだけではなく、思わぬ喜びをもたらしました。思えば、為時の生徒と言えば、嫡男の太郎(惟規)と師貞親王(花山院)です。つまり、怠惰で逃げ回る息子と話を聞かない悪童の東宮だけ…教え甲斐のない者たちばかりでフラストレーションが溜まっていたことは想像に難くありません。
しかし、頼通は、打てば響くような優等生。「ご聡明のほど驚くばかりでございます」と道長に言うのは世辞ではありません。道長も「ははは、私の子とは思えんな~」と笑う道長に得意げな顔をするところに、田鶴の面影はあるようですが、頼通はすっかり成長したようです。そんなわけで、任官こそないものの、ようやく見込みのある教え子に出会えた為時は、それなりに充実しています。
そのように一家の家計を支えつつ、まひろが四条宮へ先生として出かけるときは、まひろが賢子の面倒を見るというのが、この3年間で定着した為時宅のルールです。為時が充実しているように、 まひろもまた、四条宮で先生として教授し、物語を語る生業によって、自信もついてきたようです。ですから、賢子とおはじきで楽しく遊ぶ為時にも「父上、賢子に読み書きを教えてやってくださいませ」と敬語を使いつつも、やや上から目線で釘を刺しています。
為時は「遊びに飽きたらやらせるよ」と生返事のまま、賢子との遊びに興じています。それを爺バカぶりと見たまひろは、「読み書きが出来ないとつらい思いをするのは賢子でございます。あまり甘やかさないでくださいませ」と、再度念押しをします。
その際に「賢子、お爺さまにしっかり教えてもらうのよ」と娘にも声をかけますが、賢子はおはじきを見つめたまま母に答えません。あきらかに嫌がっている娘の様子に困った顔になったまひろは、仕方なく「行って参ります」とだけ告げ、四条宮に出かけます。まひろは、自分の教育は正しいと信じているため、娘の拒絶を見ても譲る気はありません。母の強い意思を感じるからか、賢子もまた頑なに下を向いたまま、見送りもしようとしません。「見送らぬのか」と気遣う為時の言葉にもだんまりでしたが、まひろの姿が見えなくなると、にっこりと笑顔を向け、おはじきを再度、せがみます。
ここまでのやり取りで、この3年間、まひろが娘とどう接してきたかが窺えます。まひろは、あのときのまま、「蒙求」を吟じ続け、そして数えで6歳の子に無理矢理、読み書きをやらせているのでしょう。今どきは胎教時から英才教育を施す方もいるようですが、それが絶対的ではないのは、結局は学ぶ子ども側の心持ちが大きく作用するからです。そして、賢子の態度を見れば、読み書きの練習を嫌っていることは明らかです。まひろの教育方針は、上滑りしていると思われます。
また、賢子がまひろの顔を見ず、見送りをしないことには、もう一つ理由が考えられます。ただ、読み書きがやりたくないだけであれば、さっさとまひろを気持ちよく送り出してしまうほうが楽です。どのみち、祖父は自分に激甘ですから、遊びに興じられます。にもかかわらず、賢子は、頑な態度を見せて、かえってまひろを心配させるのです。
おそらく、賢子は、そもそも、まひろが自分の相手をせず、自分を置いて出ていくことが気に入らないのではないでしょうか。ですから、心配させて、まひろの気を引くようにしているのかもしれません。つまり、それは、母を慕う気持ちも強く持っているということを意味しています。ただ、その母は、母と遊びたい自分の気持ちには答えず、自分の大嫌いな読み書きを無理矢理教え込もうとする、そうでないときは四条宮に行ってしまう…これでは、賢子は母を慕う気持ちを持て余し、その遣り場がなくなってしまいますね。
娘の思いを知ってか知らずか、まひろは頑な娘を心配し、後ろ髪を引かれながら、曾祖父兼輔「人の親の心は闇にあらねども子を思う道に惑いぬるかな」の言葉を浮かべ、子どもを育てることの難しさを痛感していますが、まひろは、娘の心と向き合っていないという根本的な問題を抱えているのです。
その根本的な問題は、賢子への読み書きの手ほどきと言う形で、具体的に描写されます。手本となるのは「あめつちの詞」ですが、賢子は、早々に「つ」の字で間違えてしまいます。為時は、まひろの留守中、特に読み書きを教えていないのが丸わかりですね。それを知ってか知らずか、まひろは即座に「違う…こうでしょ?」と手本を見せます。
しかし、その口調は教えるというより叱るというもの。一生懸命にやっているつもりの賢子は頭ごなしに叱られ、不満げになるのは当然です。しかし、まひろは娘の様子に気づくこともなく「何度言えば分かるの?さあ、もう一度…」と、逆に娘の物覚えの悪さに対して苛立ち、それを隠そうともしない始末。賢子にしてみれば、母がこうも感情的では、自分の罪を責めたてられているような圧迫感を味わっていることでしょう。部屋にやってきた為時の元へ逃げ出します。
ここで思い出されるのは、まひろが百姓の娘たねに文字を教えていたときのことです。あのときも、今回と同じく「あめつちの詞」を教材にしていましたが、あのとき、まひろとたねの間にあったのは笑顔です。教える楽しさ、学ぶ楽しさがあったのです。まひろ自身、宣孝に「楽しゅうございますし、やりがいもあります」と心底、嬉しそうに語っていましたね(第13回)。楽しさがあったから、たねはすんなりと文字を覚えていったのです。
しかし、今のまひろは、そのときのことを忘れていますね。「教えなければならない」「覚えなけれ不幸になる」という強迫観念が、まひろを怖い教育ママにしているようですね。他人の子にできたことが出来ないところが、まさに「人の親の心は闇にあらねども子を思う道に惑いぬるかな」です。我が子の心を見ていない、このことに尽きるのですが、自身の信念を信じるまひろは、それが理解できず、賢子がワガママを言っているだけにしか見えていない。この有り様ですから、自分の分別のなさ自覚しながらも、どうにもならないのですね。まひろの教育は、袋小路に入ってしまいました。
このままでは、賢子は学問嫌い、特に漢籍は大嫌いな子になるでしょう…まあ、ある意味、頼通よりも道長の血を強く引いているのかもしれませんね(笑)まひろも、この子があの三郎(道長)の子でもあると思い出せば、多少は諦めて、もう少しゆったりと教える気になれるでしょうか。それにしても、頼通の優秀さに「私の子とは思えんな~」と笑っていた道長も、認知していない自分の娘が自分によく似ているとは思いも寄らないでしょうね(笑)
遂に見かねた為時は、「あっちで遊んでおいで。母上には爺が詫びておくゆえ」と賢子を柔らかく送り出します。まひろは「父上、爺などと仰せにならないでください。お爺さまと呼ぶようしつけておりますのに」と渋い顔をします。読み書きのみならず、言葉遣いなど生活態度に至るまで厳しくしていることが窺えます。「賢子のため」を免罪符に幼子に随分と窮屈をさせているのです。
為時はまひろに気を遣い「お前の気持ちもわかるがの…学問が女を幸せにするとは限らぬゆえ…」と柔らかく苦言を呈するのですが、それがNGワード。かえって「それ、私のことでございますか?」とまひろの気持ちを逆なでしてしまいます。失言に気づいた為時は「あ…いや…」と娘を慮り、一寸、誤魔化そうとしますが「それは…少しあるな」と控えめに認めます。
為時が、何故、まひろに気を遣っているか。それは、母ちやはの死の問題があったことが一つありましたが、彼女が大人になるにつれ、それ以上に苦しい家の状況など多くの苦労をかけているからです。その根幹にあるのは、学問を授け聡い子にしたがゆえに、多くの悩みを与え、余計な苦労を抱え込ませたのではないかという疑念が払えないからです。
特に道長との関係については、思うところは大きいようです。前回、道長の息子の指南役を断ったのも、二人が結ばれなかったことに少なからず後ろめたく感じていたことの裏返しです。教養があり道理がわかるゆえに、道長の将来、我が家のために身を引いたのではないか。そのことです。
勿論、娘は黙して何も言いませんし、為時を責めることはありません。それだけにかえって、学問が娘の月並みな幸せを奪ったのではないかと感じざるを得ないのでしょう。たしかに、まひろが、彼の将来を思って逃避行を断り、身を引いたのは、彼女が学問に通じ、民を救う政に対する志があったからですから、為時の懸念はかすってはいますね。
また、もう一つの理由もあるように思われます。為時は、まひろの学才を自分より秀でていると思っています。かつて、惟規のために道兼への恨みを忘れてくれと言ったとき、為時は「お前が男であれば、大学で立派な成果を残し自分の力で地位を得たであろう」(第5回)とまで言いました。そして、惟規の不甲斐なさを見るにつけ、つくづく、まひろが男であったなら…と思うのです。それは、女性であるまひろが才を活かせる世の中ではないから。まひろの学才を買うだけに、そのことが残念でならないのですね。
つまり、男であればできたことができない理不尽を娘に背負わせたと思うのです。そして、この点についても、まひろは惟規が擬文章生になったとき、琵琶を弾きながら「不出来だった弟がこの家の望みの綱となった…男だったらなんて、考えても虚しいだけ…」(第15回)と自身に学問があってもどうにもならないと内心、嘆きました。おかげで琵琶の音は哀しい色を帯びたものです。学問さえ知らなければ、感じることがなかったでしょう。
このように為時から見えるまひろの人生は、月並みな幸せも学才に優れた者の幸せ、そのどちらも選べないものに見えたのではないでしょうか。少なくとも男である為時は完全ではないものの、そのどちらもある程度は手にしています。それだけに娘には、何もないように見えてしまうのでしょう。まして、まひろが一度は手に入れた月並みな幸せは宣孝の死で失われ、それが再度、手に入れられる気配がないのですから。
だから、彼は反論したまひろに「それなら良かったが…宣孝どののようにそなたの聡明さを愛でてくれる殿御はそうはおらぬゆえ…」と、将来を心配もしているのでしょう。
しかし、そんな親心はつゆ知らずのまひろは「父上が授けてくださった学問が、私を不幸にしたことはございませぬ」とまなじりをあげます。まひろの側からすれば、父の憐れみこそは、自分の半生を否定する見当違いも甚だしい無用のものと映るでしょう。実際、為時は自身の後ろめたさから、まひろがこれまでの人生で得た喜びや楽しみを知らなさすぎます。
まひろの半生は、自分のせいで母が死んだと思い込むところから始まり、多くの失敗、苦悩、哀しみ、後悔、辛い現実が立ちはだかったものでした。しかし、これらの苦難を乗り越えさせ、あるいは救ってきたのは、為時が授けた学問です。
また、まひろが得た縁は、学問がもたらしたものであるということも注目したいところ。最愛の道長との出会いも「蒙求」ですし、ききょうとの出会いと友情も漢詩の会がきっかけ、寧子から知見を得たのも「蜻蛉日記」を幼い頃からたしなんでいたから、倫子との友情も他の姫より抜きんでた学才と度胸があったから、さらには帝と話せたのは「新楽府」があればこそ…ですから、まひろはトラウマも後悔もたくさんある一方で、起きた結果を受け入れて、生きていく強さを持っています。
したがって「私を不幸にしたことはございませぬ」とまひろが言い切るにはそれなりの理由があり、また自分の歩んできた人生にそれなりの手応えもあるということです。そして、今、四条宮での学びの会は、哀しく辛い出来事はたくさんあっても、自分の人生は決して間違ってはいないと思われる自信にもなっていると思われます。だからこそ、娘への教育においても、「書物を読み、己の生き方を己で選び取れるようになってほしい」と言い、学問こそが大切との信念を貫こうとしているのです。
ここで、丁度、為時宅を訪れた弟の惟規が、この騒動に参戦します。まひろの「書物を読み、己の生き方を己で選び取れるようになってほしい」という信念を「それも姉上の押しつけだけどね」と、親のエゴとしてバッサリ切り捨てます。一見、ただまひろを否定しているだけのように見えますが、そうではありません。まひろが道長との哀しい恋愛に敗れた姿も、その強情さで宣孝に浮気された様も見てきた惟規は、彼なりに辛さに耐えるまひろを心配してきた一人です。彼からすれば、結果的に上手く乗り越えてきたのは、まひろの強さと運でしかないでしょう。
そして、惟規は「賢子は、姉上みたいに難しいことを言う女にならないほうが良いですよ。そのほうが幸せだから」と、いかにも有害な男らしさを内面化させた発言をしてしまいます。しかし、これはミソジニー的な要素は外形的なもので、あくまで、まひろの親としてのエゴを揶揄することに主軸があるでしょう。惟規は、自分基準で娘に理不尽な世の中との折り合いの付け方を、幼い頃から強要ことを危惧しているのです。誰もが、まひろと同じ強さを持っているわけではない…惟規はそれを言っているのではないでしょうか。
まひろは、惟規の言葉にムッとした表情になると剣呑な表情のまま押し黙ります。無論、納得はしていません。こうした惟規に対する態度、為時の言葉にまなじりを上げ、反論する配慮のなさを見ると、まひろの理屈は正しい反面、まひろと賢子の親子仲を心配する二人の思いを汲み取れていないことが気掛かりです。
そもそも、まひろの人生が、傍から見れば危なっかしく、哀しく辛いものだったことを視聴者の皆さんがよくご存じでしょう。為時と惟規の危惧と心配は、決して杞憂なわけではありません。一方で、まひろが「私を不幸にしたことはございませぬ」と言い切れる人生を歩め、起きた出来事を受け入れ強く生きているのも確かなことです。
ただ、それが出来たのは、周りの理解やサポートなど恵まれていたことは重要でしょう。例えば、為時は、いとがどんなに危惧しても、まひろがやりたいことを止めることはしませんでした。弟、惟規も基本的に優しく姉を見ています。道長や直秀は、大切なときにまひろを物理的に守ってくれました。あるいは、学識ゆえに孤立しかねなかった土御門殿サロンでまひろが楽しく過ごせたのは、倫子が柔らかく温かく守ってくれたですね。彼女に憧れてくれた親友さわの存在も大きかったはず…まひろは多くの人に支えられてきたはずです。
現に、惟規の話によれば、閑職とも言える内記(蔵人にその仕事をほぼ奪われてしまっています)に就く惟規が、それなりに職務をこなしているのは、「これでも左大臣さま直々に位記(叙位の旨を記して授与される証書)の作成を命じられたりしている」から。このことに、まひろは少し驚いていますが、宣孝の死後3年経っても、道長は陰に日向にまひろを支えています。
つまり、先に述べたように、彼女の得た人の縁、そのきっかけは学問ですが、まひろを救ったのは学問だけではなく、友人・知人たちの思いそのものでもあるのですね。ですから、学問だけに傾倒して、賢子の心を見ず、為時や惟規の忠告に耳を貸さないまひろの姿は、周りに支えられていることへの感謝を忘れているようにも見えてしまいます。彼女は、独り善がりになってきているのでしょう。
(5)自己満足に留まる「カササギ語り」の出来
まひろの独り善がりは、「物語」を書くという行為にも影響しているようです。その日の四条宮サロンで語られた「カササギ語り」は、前にまひろが語っていた「身体が小さく病がちな男」と「ふくよかで力持ちの女」、この二人の物語です。その顛末は、「女のふりをしていた男は、ふりをしていたわけではなかったのです。心から女になりたいと思っていました。そして、男のふりをしていた女もまた男になりたいと思っていたのです。私は嘘をついていた二人に試練を与えようと思っていたのですが、やめました。この二人がどうなったかカササギの知るところではありません」というものでした。
トランスジェンダー的な内容は、平安期後期に成立した「とりかへばや物語」(作者不詳)を先取りしていますね。まひろの作った話が伝聞で変形していくうちに「とりかへばや物語」になった…と想像するのも面白いですね。
さて、「とりかへばや物語」の男女逆転を使った重層的な物語構成は、現代では特に評価され、新海誠監督の「君の名は。」(2016)など、さまざまな翻案作品がありますが、四条宮サロンの女房たちの反応は「何だか今日は難しい話でした」「私は男になりたいと思ったことはないですわ」と、楽しんだもののあまり芳しくない様子。
まひろは「男であったら政に携われるかもしれないのですよ」と諭すような台詞には、彼女がかつて抱いた思いが込められています。かつて、直秀が理不尽な死を迎えた頃、情けない惟規に「お前が男であったらと今も思うた」という為時に、まひろは「男であったなら勉学にすこぶる励んで内裏にあがり…世を正します…」と言いました(第9回)。直秀の死は、今も色濃く、いや、血肉となってまひろの一部となり、この物語となったのでしょう。
しかし、まひろの言葉にも、一人の女房は「でも偉くならないとそれもできないでしょ」と現実的な答えを返します。その偉くなることが大変難しい…男たちが内裏で政争に明け暮れている理由の一つ。そのような争い、そして政は難しいという思い込みから、結局、彼女たちから聞こえた結論は「面倒なことは男に任せていればよいではないですか」というものでした。
まひろは、自分の考えとはほど遠い女房たちの認識に、遠い目にならざるを得ません。彼女の信念「書物を読み、己の生き方を己で選び取れる」ことは、遠い理想であることを思い知らされます。
この書き手と読み手の意識のズレは、「カササギ語り」が、まひろの教養と文才、奇抜な構成で女性たちを楽しませることはできても、登場人物たちの思い、作品に込められた願いまでは、読者の心に刺さってはいかないことを仄めかしています。読み手の教養の程度が低すぎるなどというのは傲慢というものです。もし、まひろが自分の想いを物語に載せたいのであれば、物語の面白さとして、その想いを今以上にわかりやすく消化し、昇華しなければならないでしょう。
つまり、まひろは、書き手としては有望ですが、読者が明確に見えた形で書けていないのです。それゆえ、彼女の書くものには、まだ独り善がりの自己満足が残っていると思われます。何故、そうなってしまうのか。
終盤、賢子が「カササギ語り」の執筆に勤しむまひろに「おはじきやろ!」とせがんできたとき、執筆に夢中なあまり「後でやるから。今はちょっと忙しいの。許してね」と謝りますが、賢子を見ようともしません。普段、娘の将来を思い、読み書きを強引にでも学ばせようとしているにもかかわらず、娘を優先することはありません。
旱魃のとき同様、やはり彼女は、書くことに取り憑かれているのでしょう。それは、一種の狂気と呼べるものかもしれません。娘をも無意識にないがしろにしてしまう、狂気的な執筆欲…それが、「カササギ語り」を自己満足の域に留めてしまうのではないでしょうか。
さて、賢子を無意識のうちに邪険にしてまで「カササギ語り」執筆に夢中になったまひろは、しっぺ返しを食らいます。母に拒絶され、哀しさと寂しさ、思い通りにならない悔しさ、それらすべてを抱え込んだ賢子の心は限界でした。癇癪を起こした賢子は、まひろが水差しに水を汲もうと部屋を離れた隙に部屋に入り込みます。そして、「カササギ語り」が書かれた1枚に火を付けると書き溜めた原稿に投げ捨て、逃げ出します。まひろが気づいたときにはもう手遅れ、すべては灰となりました。不幸中の幸いは、その火が家にまで燃え移らなかったことだけです。
当然、まひろは「自分がやったことがわかっているの。母が相手にしないからって火を付けるとはどういうこと?家に燃え移ったらどうなったと思っているの?」と怖い顔で叱りつけます。娘の言い分はもっともですが、泣きじゃくる賢子が可哀想でもある為時はおろおろ…まひろの剣幕にいとも黙って様子を見るだけです。「恐ろしいことをしたのですよ。賢子は。謝りなさい、悪かったとお言いなさい」となおも詰問しますが、6歳の賢子は泣くばかりです。
見かねた為時が、賢子を庇って割って配りますが、ここはまひろ、譲りません。理由が問題なのではありません。火付け自体が問題なのです。叱るべきときに叱らねば、人としてダメになってしまいます。心を鬼にしてでも言うべきときというまひろの判断は間違っていません。再度、「思い通りにならないからといって、火を着けるなど、とんでもないことです。人のやることではありませんよ」と、自分のやったことが許されないことであることを印象づけるよう、しっかり言って聞かせ、ようやく賢子に「ごめんなさい」と言わせます。
まひろは賢子を叱りつけるとき、きちんと母親に戻ったことは興味深いところです。原稿が失われたことは、四条宮の学びの会にも影響することですから困ることですが、まひろは、そのことについては触れていません。「火付けという危険なことをした」ということのみに絞って叱っているのですね。原稿を失ったことについての自分の怒りや哀しみを、賢子にぶつけるということはしていません。
あくまで叱っているのであって、怒っているのではない…その姿勢を賢子の前で示しています。まひろは、親として最低限のことを守っているのです。独り善がりな教育方針を持つ母ですが、一方で賢子を真っ当な人間に育てようとする愛情と責任感は本物なのですね。つまり、賢子という娘の存在が、執筆に取り憑かれているまひろを現実、正気に戻したのだと言えるでしょう。
ただ、原稿が失われた衝撃は抑えがたいものです。賢子から謝罪を引き出したところで、賢子をあやす為時に任せて部屋を出たのは、その喪失感が耐え難いからです。書くことはまひろの一部です。そして、書きあがった物語は、まひろの経験、知識、それらが注ぎ込まれた彼女の分身とも言うべきものです。ですから、目の前にある消し炭になったそれは、自分自身が燃やされたも同然なのですね。まひろが泣くに泣けないのは、今、彼女が感じているのは哀しい、寂しいという負の感情ではなく、純粋な喪失感だからです。
しかし、この事態を招いたのは自分自身です。まひろは、賢子をいつも厳しく躾けています。実は、その分、同じくらいに娘を可愛がり慈しまなければいけません。しかし、まひろは執筆にかまけて、娘の気持ちに応えようともせず、傷つけ寂しい思いにさせたのです。賢子を散々に傷つけた結果、原稿が燃えて無くなった…どんなに喪失感を味わおうと自業自得なのです。賢い彼女は、ようやく冷静になれたのではないでしょうか。ポッカリ胸に空いた穴に呆然となるのを、息を飲み、必死で抑え込もうとする…その葛藤は、喪失感と娘への申し訳なさの表われでしょう。
おわりに
「カササギ語り」は灰となりました。しかし、翌日、まひろは紙に向かいます。四条宮の学びの会のこともあるのでしょうが、それ以上に、それでも彼女は書くことを止められないのだと思われます。まさに書くこと、「物語」を綴ることは、彼女がこの半生のなかでようやく見つけた、彼女の生きる道…宿業なのだろうと思われます。どんな苦難にあろうと、書かずにはいられないのです。
日本の近代文学の作家、特に戦前の作家たちは、作品を書かないと自分自身の精神も存在も保てないという狂気を抱えた人が多くいますが、まひろも似たところがありそうですね(笑)
紙を前にするまひろを横目に為時は賢子を賀茂の社へ連れ出し、「お前は書きたいだけ書け」と気を利かせます。学問に長じた為時だけに、賢子の寂しい気持ちも、まひろの喪失感も、どちらもわかるのでしょう。せめて、衝突しない環境を整えてやることしかできないのです。しかし、為時の気遣いにもかかわらず、一人になるとまひろはかえって何も書けません。気もそぞろ…というのも、あるのですが、一度書いて失われたものを再度、書くことができない…というのなのではないでしょうか。
小説でもエッセイでも論文でも、長い文章を書いた経験のある人は、わかるかもしれませんが、一度、消えてしまったものを再度、書き起こすことは、おそらく一から書くよりも労力と気力が必要なものです。書き上げられた文章とは、書き起こされた形だけでなく、そこには書くときに生じたさまざまの瞬間の感情、思考が載っています。しかし、残念ながら実体として残るものではありません。ですから、どんなに正確に書き起こしても、それは魂のない入れ物のようになってしまうのですね。
しかし、まひろが作家として一皮剥けるには、実はよいことかもしれません。先に述べたように「カササギ語り」は作品としては、まだ不十分なものでした。ですから、それを書き足し続けても、よい作品にはならなかったかもしれません。燃やされた事実、そして、そのことで味わったさまざまな思い。それを踏まえた上で新しい物語を紡ぐことのほうが新しい道になりそうに思われます。
娘の存在すら忘れさせる執筆意欲を、彼女の蓄えた学識をより清廉させ、読者を意識して物語と紡ぐことでコントロールしたとき、彼女の体験と見聞きしたものが、誰が読んでも楽しめる「物語」へと昇華する…それこそが「源氏物語」ということになるかもしれません。
そして、その新しい物語を与える人物が、お忍びの狩衣を着て、まひろの前に現れました。6年ぶりの再会となる道長です。寡婦になったとはいえ、一度は人妻になったまひろと逢うのは、初めてです。なんとなく落ち着かない、恥ずかしそうな様子がおかしいですね。一体、どんな話をかわすのか…興味深いですね。
しかも予告編で、まひろがつぶやくのは「桐壺」の冒頭。「源氏物語」が、どこから書き始められたかは、諸説あるのですが、どうやら本作は一番最初の「桐壺」からのようです。どうしてそうなるのか…2週間後が楽しみですね。