「光る君へ」第20回 「望みの先に」 何が花山院闘乱事件を政変へと変えたか
はじめに
長徳の変のきっかけとなった花山院闘乱事件、中関白家を贔屓目に見る「枕草子」ファンでも花山院を矢で射て、二人の者を死なせたこの事件だけは庇いようのない失点でしょう。しかし、この一件を悪化させたのは、伊周、隆家の二人だったのでしょうか?
一見すると、事態の深刻さに怯え、喚き、駄々を捏ねる伊周の子どもっぽさが悪目立ちしています(事の発端、隆家は怯える兄にしぶしぶ付き合うといった体)。が、検非違使に出頭しない、帝の配流の命に応じないといった悪手はあるものの、この件が「長徳の変」という政変に至るまでのプロセスには大きく絡んでいません。せいぜい、泣く泣くすがるというくらいです。
勿論、これまで権勢を欲しいままにし、専横を重ねた中関白家への恨みつらみ、伊周の人望の無さが、この結果を左右したのもたしかです。しかし、花山院襲撃に呪詛の疑いが重なったのは、彼らが直接的にしたことではありません。この件を政争に利用しようとした者たちの企みです。一般的には、この機会を逃さず、中関白家を排斥したのは道長だというのが通説ですが、「光る君へ」においては彼にその意思はありませんでした。それでは何がこの一件を政変へと変貌させたのでしょうか。
それを考える上で注目したいのが、第20回における女性たちの活発な動向です。息子を守らんとする詮子と貴子、兄弟の情と帝への愛に揺れる定子、父の任地替えを目論むまひろ、政争に巻き込まれ立場を危うくするききょう。それぞれの動機や言動のレベルはまったく違いますが、彼女らが裏で事態を動かす描かれ方をされています。
そこで今回は女性たちの言動を見ながら、それらがどう道長自身都関わるのかを考えてみましょう。それは道長の今後を占うことかもしれません。
1.花山院闘乱事件の事後処理を巡るそれぞれの思い
(1)斉信の野心
花山院闘乱事件の原因は、斉信の妹、四の君儼子(たけこ)のもとに通う花山帝をそれと知らぬばかりか、自身の妾である三の君光子に通っていると勘違いし、あからさまな落胆を見せたことです。伊周の落ち込み様があまりにひどかったことから、隆家が気を利かせて正体を暴き、脅してやろうとしたのです。隆家の行為は浅はかですが、兄の女々ししい姿を見ていられなかったのでしょう。また伊周が止めるのも聞かなかったのは、そんな弱々しさでは女性との関係も失うぞと発破をかけるような励ましもあったと思われます(乱暴ですが)。
第20回終盤、隆家が帝の配流の命にギリギリまで従わなかったのは、兄に付き合ったからです。そういう点で、兄の情けない面を不甲斐なく感じながらも、兄を見捨てることができないのでしょう。
とにもかくにも、この一件は、伊周の勘違いによる嫉妬と隆家の勇み足によるもので、その私的な事情を含めて弁解の余地はありませんが、彼らにとって不幸だったのは、事件の現場が、斉信の屋敷であったことでしょう。「光る君へ」の斉信は、当初から出世欲があからさまな人物として描かれています。例えば、花山帝の御代、病に臥せる妹忯子の見舞いにかこつけ、「斉信は役に立つ男」と伝えるよう、あからさまな猟官活動をしています(第6回)。妹の病よりも自身の出世というあさましさが垣間見えた瞬間です。
また、香炉峰の雪の宴でも彼が最も積極的に中宮たちに媚びを売っていたが斉信です(第16回)。無論、内心は伊周の傍若無人な態度を苦々しく思っていますが、時勢に従うのは仕方ないと割り切っています。
そして、道長が内覧右大臣に就任したのを機に、急速に道長に接近しようとしています。斉信は、こうした権力者になびく風見鶏の姿勢を、「家」の繁栄に尽くす貴族の嗜みとして悪びれるところはありません。ですから、花山院と四の君の関係も、伊周と三の君の関係も黙認していたのではないでしょうか。いつ何時、時流が変わるかわかりませんから、各方面とそれなりにつながっておいたほうが、間違いは少ないでしょう。斉信自身は道長に接近しつつ、妹らをつかってリスクヘッジをしているといったところでしょうか。つまり、彼の出世欲による人のつながりが、結果的に花山院襲撃のお膳立てを整えていたとも言えるのです。
通説では、斉信は、兄の誠信に比べて、人望もあり政治的なセンスがあったと言われますが、時勢を読む目端が利き、そうした人々と上手くつながる世渡りに長けていたのかもしれませんね。
このように常に出世の機会を窺う斉信にとって、目の前の花山院の危機は何としてでも救わなければならない事態であると同時に、それをどう自身の出世に有効に使うのか算段するべきものです。
因みにこの一件、勘違いによる嫉妬から事を起こした伊周たちも恥ずかしいのですが、出家して法皇にまでなった上皇が、俗世を捨てきれず女通いをしていたことになる花山院もかなり恥ずかしいことになっています。ですから、命の危機、死者が出たことに肝を冷やしながらも「私はここに来てはおらぬ!」と体裁を気にするのですね。
出家してなお漁色家な花山院の身から出た錆ですが、四の君儼子(たけこ)への通いは、かつて寵愛したその姉、忯子の面影を追ってのことだったかもしれません(出てきたら井上咲良さんが二役だったかも)。もっともこの儼子、花山院の死後、何故か、道長の妾になるのですが…いやはや、複雑怪奇です。
話を戻しましょう。つまり、花山院闘乱事件は、当事者双方が隠しておきたい、なかったことにしておきたい事件だったのです。しかし、斉信は花山院の意向は汲まず、早速、深夜の土御門殿に内々に訪れると、「院が何者かに射かけられた」と報告します。花山院は無傷で大事なかったとはいえ「院の従者が乱闘で2人死んだ」との言葉に、道長は「死人まで出たのか!」と驚き、放っておけない、隠せない事態と考えます。
そこへ、斉信は「捕らえた者は二条邸(二条北宮)の武者であった」ととっておきの情報を漏らすと、花山院への襲撃が伊周と隆家であったと推察します。おそらく斉信は、襲撃が伊周たちだとわかった時点で、伊周が勘違いしたことも含めて事情がおおよそ飲み込め、道長に恩を売る機会だと判断したのでしょう。
ですから、「その二人が院のお命を狙ったのか?」と確かな情報であるかを確認しようとする道長に「だとしたら、伊周と隆家は終わりだな…」と斉信は、ほくそ笑みます。「嬉しそうに申すな!」と道長に苦言を呈されても「フフフ」と笑いが止まらぬ斉信には、自分の出世が見えたのかもしれません。政敵の排斥よりも、事態の重要性を問題視し、苦々しい口調になる道長とは対照的です。そもそも、道長は敵愾心剥きだしの甥に困ってはいても、身内は身内。こうした排除までは、まだ考えてもいなかったのでしょう。
因みに斉信の「捕らえた者」との報告は、検非違使庁にその者たちを引き渡したという意味になります。また、内々とはいえ、こうして報告された以上、道長としても目をつむるわけにはいかず、この件を公のものとして処理せざるを得ません。右大臣として公正に扱わねば、他の公卿に示しが着かないのです。そして、斉信が指摘するように、この問題は政争へと発展する可能性があることもわかります。つくづく伊周たちはバカなことをしてくれた、というのが、道長の本音であり、追いつめられ困ったというところでしょう。
勿論、斉信の取った手続きは、事後処理としては至極、真っ当です。しかし、花山院の意向を汲まなかったことからしても、その動機に不敬罪への憤りも死んだ者への哀惜も正義感もありません。ただただ、これをツテに道長政権下に加わることだけが、彼の目的です。このように、花山院襲撃が、公のものとして大ごとになっていく背景には、斉信の出世欲が大きく絡んでいるのです。
以降、斉信は、貴子から依頼された帝への執り成しも「残念ながらここに至っては最早、私が預かれることではありません」とさりげなくかわすと、気に入っている清少納言に中宮を裏切るよう唆し、彼女の立場を危うくするなど、道長寄りの姿勢を鮮明にしていきます。
ここでふと考えるのは、前回、道長が斉信を参議にすることを見送った件です。これまでの描かれ方を見ても、斉信は道長の同僚の中では取り分け、出世欲の強い人物です。穏やかな性質の行成は、出世欲は薄く、あるとしても道長の役に立つための出世しか望んでいません。また道長最大のライバルだった公任は、小野宮流という出自への自尊心と自らの才覚への自負に重きがあり、出世はそこについてくるべきものでした。身の丈に関係なく、出世を望むのは斉信の特徴です。
そんな彼が同じ蔵人頭でライバル、俊賢に先に参議になられ、後塵を期することになったことは面白くありません。また、自身よりも下位であった行成が蔵人頭となりました。優秀な彼が帝の信頼を得るのは時間の問題です。となると、斉信は一刻も早く参議になろうと、内心焦っていたことでしょう。
道長の俊賢を先に参議へと昇進させた人事は、その理由と俊賢の実力を総合的に考えた、公正で妥当なものでした。しかし、その公明正大さと人の心は別です。斉信の心は穏やかではなかったのです。道長の慰めは、口約束とはいえ、嘘ではない。それがわかっていてでもです。つまり、斉信が独断専行的に花山院闘乱事件を政争の具とした、あるいは売ろうとした背景には、自分の有能さを認めなかった道長の人事への不満、出世への焦りがあると考えられます。
勿論、斉信の心底を読めなかったとはいえ、道長に落ち度があるというわけではありません。ただ、人の運命を決める大きな決断をすることは、必ず意図しない大きな反動が伴うという当たり前のことに、道長はまだ自覚的ではないということです。
(2)若き一条帝の義憤
この時期の検非違使別当は、全公卿のなかでも最も職務に忠実な実資でした。当然、真面目な実資はこの一件を取り調べようとするのですが、「死人も出ておりますので、真ならば疑わしき者は直ちに捕縛し、取り調べるが常道でございますれば、なにぶんにも中宮さまのお身内ゆえ、帝のご裁可を仰ぎ奉りたく奏上しました次第にございます」と、流石の彼も一条帝の御心を慮り、躊躇があります。
実資という人は職務に忠実で曲がったことを嫌いますが、杓子定規な人ではありません。道長の志に心動かされるなど機微も理解できる。だからこそ、晩年まで多くの帝たちの信頼が厚かったのですね。
しかし、帝は「肝心の綱紀粛正。高貴な者たちの従者たちの乱闘を禁ずる旨、厳命したばかりだと言うのに…」と甚だ不快との表情をします。従者たちの乱闘はしばしばあったことで、兼家の生前には、道長も時の右大臣為光とやらかしているくらいです。ですから、新しい徳治的な親政を行うために、和を尊ぶ方針を打ち出したのでしょう。陣定を重視し、議論を尽くす政を目指すのであれば、私怨を挟むような事態は避けるべきです。にもかかわらず、それをないがしろにされたのですから、不愉快になるのも仕方がありません。
つくづく、伊周たちは間が悪いのですが、これは、彼らが普段から政に対して、志が薄いことを露呈していますね。帝の政への熱い思いなど、まるで理解しようとはしていなかった点は自業自得です。帝が「事もあろうに院に矢を放ち、死者まで出すとは。許し難し」と厳しく断じるのも致し方ないですね。
とはいえ、寵愛している定子の兄弟、自身も昵懇にしていますから「何故そのようなことが起きたのだ?」と理由を問います。問われた実資は、みっともない勘違いの原因を淀みなく答えます。おそらく、斉信とその臣下たちは実資の取り調べに実に協力的だったのでしょう。そのあらましに間違いはありません。
正当な理由なら百歩譲れたとしても、勘違いの逆恨みでしでかしたこととなれば庇いようがありません。心配そうにききょうは定子の顔を窺いますが、あまりの情けない事情に呆然、肩を落とした定子は無言で顔を背けるしかありません。後宮に上がって以降、彼女なり中関白家の力となってきましたが、すべてが無に帰していく…そんな無力感が襲ったのではないでしょうか。
「そのようなことで院のお命を危うくし、更に二人の命が失われたのか!」と一条帝が激高するのも無理はありません。ここで失われた命は身分高き者ではありませんが、そうした命も等しく無駄に失ってよいものではないと考えているあたりは、彼の政の志の高さを感じさせます。が、それだけに、それを一番の身内である中関白家の人間が理解していなかったことは、自身の思いを踏みにじられた気持ちはより強かったでしょう。
「右大臣、伊周と隆家の参内まかりならず。当面謹慎させよ!」と即座に厳命します。それでも謹慎という処分保留、「これより除目ゆえ、後ほど沙汰する」と言ったあたりには、激高しつつも一条帝には一定の冷静さが窺えます。いっときの感情に任せて、やるべき物事の順序を間違えたりはせず、またクールダウンしてからこの件は当たろうと判断しているからです。この問題を重視する帝は「検非違使別当は詳しく調べがつけば逐一、朕に注進せよ」と情報収集に事を当たらせ、更に去り際に「中宮は身内の者に一切会うべからず」との命も加えます。
聞いた定子は帝の怒りの大きさに衝撃を受けていますが、これもまた帝が定子を寵愛するがゆえの冷静な配慮でしょう。この事態が政争の具となるのは明らかです。また、状況によっては定子も罪を問われかねません。できる限り、この不祥事からは遠のかせておくことが、あらぬ疑いや噂を防ぐことになるからです。
道長はこうした帝の意向におとなしく従うのは、今、その激高を収めようとするのは得策ではないこと、クールダウンすれば、余程に伊周たちに温情をかけるだろうとの見通しがあるからと思われます。とはいえ、若き一条帝の親政の欠点も見えて隠れしています。一条帝は、政に対して高い志と熱い情熱を抱いています。それ自体は、彼の美徳であり、魅力となるでしょう。しかし、時に熱い思いは激情として判断を誤らせます。一条帝の一途な思いは、諸刃の剣なのです。したがって、この一件は彼の激しい感情の行方次第で最悪の展開を迎えかねないということなのです。
このように前回、一条帝と道長の政で見られた美点の反作用の可能性が仄めかされているように思われます。
(3)息子を庇う貴子の必死さ
謹慎という帝の決断は、蔵人頭斉信によって「このたびの騒動にかかわり、おそれ多くも帝を悩ませ奉ったこと不届きの極み」という叱責と共に、伊周と隆家に正式に伝達されます。この勅命に愕然とするのは、伊周も隆家も、そしてその後ろに控える母貴子も同じなのですが、勅命を拝すときの兄弟二人の態度に人間性の差が見えることが興味深いですね。伊周は終始、使者である斉信から目を逸らし、伏し目がち。一方の隆家は正面を向いて、堂々と斉信からの言葉を受けます。
これは度胸や自信といったものではなく、起きた現実を受け止めることができるか否かの差でしょう。事件直後、ほうほうの体で逃げ帰った二人、特に怯え切った伊周に対して貴子は「まだ誰がいたかわかっていないのでしょ?」とひたすら慰めます。これに対して、現実的な隆家は、あっけらかんと「院の従者もおりましたゆえ顔は見られていますよ」と言いますが、一方の伊周は「行かねば良かった…」と怯え切っている有様です。前回、光子が変心したと誤解したときもこの世の終わりのごとく落胆していましたが、伊周は失敗に対して極度に耐性がないようです。逆に後悔しきりの伊周を情けないとばかりに「今さら言うな」と鼻で笑う隆家のほうは、ジタバタしても起きてしまったことは変わらないと事態を冷ややかに捉える余裕があります。
こうした兄弟の両極端な反応に対し、貴子が関心を向けるのは期待の嫡男、伊周です。「それにしても牛車に当たっただけならば大したお咎めにはならないわ」と宥め、「今度こそ中宮さまを頼りましょう」と伊周を落ち着かせようと懸命に声をかけます。既に内大臣になった息子に対して、この過保護ぶりには、幼い頃から伊周がどう育てられたかが垣間見えるような気がします。
貴子は、定子に対しては、入内したときに強くなければならないと転んだときも手を貸さず、自力で立ち上がらせ、厳しく育てていました(第2回)。しかし、嫡男の伊周に対しては、そうではなかったようです。以前、定子が貴子の伊周への溺愛ぶりを「母上は兄上が大好きで手放したくないのね」とからかっていました(第13回)が、婚姻も伊周の意思ではなく、貴子の手で行ったところを見ても、その指摘は妥当だったようです。また、伊周自身も母からの教えを一心に守るお母さん子のところがありました。
ですから、おそらく、中関白家の嫡男、兼家の嫡流を守る者として蝶よ華よと大切に育てられた伊周は、なにかトラブルが起きると、今回のように貴子が宥めすかし、お前は大丈夫と守り続けてきたとのでしょう。また、常に彼を褒めそやし、褒めて伸ばすという方針だったのでしょう。常に親の過干渉の中で育ってきた彼は、肝心のところで他人任せです。疫病対策を問われれば父任せ、関白になれなければ妹のせい、失恋すれば弟に泣きつく…一事が万事、周りが自分を守ってくれるのが当たり前になっているのでしょう。だから、自分自身の現実を受け止めようともしません。
また道隆もまた伊周には過保護でした。伊周に政務の実績もないまま、摂政あるいは関白の威光によって、次々と昇進と官位だけ与えました。彼に政のなんたるかを、実感させないまま、病で逝ってしまいました。夫婦そろって、伊周の教育は過保護だったと言えるでしょう。
一説に過干渉や過保護は、子供に対して「信頼してない」というメッセージを送ることになると言われます。結果、自己肯定感の低い子に育つのだと。言い換えるなら、子どもを信じて自力でやるのを見守る…定子に対して施していた教育が「信頼」を感じるやり方ということになりますね。したがって、伊周の本質は、自信過剰の裏にある自己肯定感の低さにあると考えられます。
そう考えると、伊周のこれまで見せてきた、相手構わず、やたらに相手のマウントを取りたがり、誰からも嫌われてしまう言動をしてしまうことも腑に落ちます。彼は文武において一流の教育を施され、それなりの能力をもっていながら、それを頼まず、常に相手よりも優位にいる自分を創り出すことで自分を保とうとしていたのでしょう。ですから、その優位が少しでも崩れると、自身を保てず、狼狽し、暴れ出すのです。前々回の定子に対する自分可愛さの罵倒は最たるものでしょう。
こんな伊周ですから、貴子の中宮を頼るという慰めも、効きません。「中宮さまは頼りになりません!私を関白にすることさえできなかったぁ!」と泣きじゃくり、子どものように地団駄を踏み始めます。伊周については、「栄花物語」にて「心が幼い人であった」と記されていますが、この様子はまさにそれでしょう。
呆れ果てた顔の隆家をよそに、貴子は「あのときは女院さまがいらしたからですよ」と定子を庇いつつ、お前は大丈夫と根気よく説得をします。そして、指を噛む幼児性を隠しもしない伊周に「帝とて中宮さまの身内を裁いたりは、なさるまい。さあ、安心して今日は休みなさい」と笑顔で就寝を勧めます。
亡き道隆も純粋培養で汚れを知らずに育ったがゆえに、想定外の事態に対応できない弱さがありましたが、伊周のような心の弱さはありませんでした。厳しく育てた定子はしっかり者に、放任主義で好きなようにさせた隆家は危なっかしいが肝の据わった者に育ちましたが、嫡男伊周だけは虚勢を張る傲慢な子に育ってしまいました。せっかくの才能も宝の持ち腐れです。
とはいえ、それでも伊周を溺愛する貴子は可能な限りの手を打ちます。帝の命で定子との接見は既に禁じられた挙句、最終的に二条邸へ定子は宿下がりを命ぜられました。既に定子を頼みにはできません。打つ手を失った貴子にできたのは、帝とのつながりが深い役職、蔵人頭である斉信に、執り成しを依頼することだけでした。事件の被害者側とも言える斉信に頼まざるを得ないところに、彼らの追いつめられた状況が窺えます。
因みにこの依頼が、伊周の主導ではなく、貴子の意図であることは、斉信を上座に置き、酒を注ぐ貴子自身が、息子の罪状を軽くしてくれるよう頼みこんだところから察せられます。同席していた伊周は、力を落とし放心状態で斉信と目を合わせることもできません。「今はどうなっておるのでしょうか」と現状を問うことが精一杯です。
既に中関白家は終わりと見切った斉信は、依頼をやんわりかわしただけでなく、現在、伊周らが右大臣と女院を呪詛した証拠が上がり、「帝は大層お怒りだ」と告げます。定子を宿下がりさせた理由であることにも言及し、手遅れだと伝えます。斉信のことです、内心、いい気味だと思っているかもしれません。寝耳に水、言われなき呪詛の話に、伊周もさすがに「呪詛などしておらぬ」と怒りを露わにし、貴子も絶句…自分自身に打つ手がなく追いつめられたことを知ります。
思えば、中関白家が一時とはいえ、栄華を極められた裏には、貴子の尽力がありました。そもそも、道隆に嫁いだときから、彼女はそのときのために備えてきたのだと言っています(第13回)。それは、子どもらの教育や人脈づくりなどさまざまなものがあったことでしょう。貴子の実家、高階家は、家格も低く、資産が多いわけでもありません。道隆は、ただただ純粋に貴子に恋して、彼女を嫡妻にと望んだのです。
貴子は道隆の想いが嬉しい反面、夫の後ろ盾となる力を自分の「家」が持っていないことに、後ろめたさもあったろうと思われます。なればこそ、彼女はその知恵をもって、道隆を頂点に立てるべく力を尽くしたのではないでしょうか。これだから家柄の悪い女は…と言われることは、道隆が非難されるようなものだからです。家格が低いゆえに、道隆に知られぬところで彼女が苦しみ、必死になったと考えると、切ないですね。
実際、本作では、定子の登華殿サロンも貴子の発想でしたし、そのために目をつけていたききょうを参内させたのも貴子です。これは、文化的な融和政策として、中関白家の政権安定に効力を発揮しました。道隆の専横を和らげようとする内助の功のにもなったでしょう。また、我が家の繁栄のため、伊周に良縁に嫁がせたのも貴子です。
権勢の裏を支える貴子に道隆の専横の問題点が見えなかったのは、立場上仕方のないところとしても、ただ嫡男を溺愛しすぎたということだけは大きな失敗となってしまいました。ここまでになっては、貴子は最早、事態を見守ることしかできません。
終盤、潔く去っていく隆家を見ていることも、わめき散らし見苦しく抵抗する伊周を見ることも、そして、娘定子の落飾の瞬間を見ることも、貴子には耐え難いものであったはずです。それまで果たした努力と苦悩を思えば、その残酷さは自業自得では片づけられないでしょう。
2.呪詛騒動の顛末
(1)詮子の危機意識と不満
先に見たように、花山院闘乱事件が公のものとして大ごとになってしまったのは、斉信の野心と帝の怒りが大きく作用しました。そして、伊周たちの愚かな対応にも問題があったのも事実です。ただ、この問題が抜き差しならぬことになってしまったダメ押しは、やはり、伊周たちに道長と詮子を呪詛した嫌疑がかけられたことです。この呪詛の件を仕掛けたのは誰なのか、今回の描写のされ方では、状況証拠のみで明確な真実は語られていません。さまざまな可能性がある、という含みのある描き方だと言えるでしょう。
もっとも、通説の道長黒幕は除外してよいでしょう。本作の彼は、まだそうした権謀術策に頼るところまできていませんから(笑)
そして、呪詛の真犯人は、今後も語られることなく、有耶無耶のまま物語は進んでいく可能性が高いように思われます。というのも、終盤、晴明が語ったように、花山院襲撃も呪詛騒ぎもその裁可も「そのようなこと、もうどうでもよい」からです。大切なのは、この一件で政敵を排斥した道長政権が盤石になった、この事実だけなのです。
しかし、それで終わりでは、ややもの足りなく感じる方々も多いでしょう。そこで、劇中で描かれたことから、いくつかの可能性に目配せしながら、呪詛事件を流れで整理してみましょう。
まず、注目しておきたいのは、詮子の言動です。彼女も真犯人の可能性が高い人物だからです。もし、彼女が呪詛の黒幕であった場合は、自作自演ということになりますが。
さて、除目が終わった後、詮子と道長の元に越前守の国司となった源国盛が挨拶に来ます。この国盛、前回、詮子が「この人を入れておいて」と頼んだ人物です。公平、公正、人物の能力で登用するつもりの道長は、この縁故採用を拒否するのですが、性懲りもなく詮子は、帝にゴリ押ししたのです。得意げに語る詮子に「左様でございますか」とつれない返し方をするのは、取り合っても仕方ないという諦めと、この人事で帝が申し文に感心しており、人事的には問題なさげに見えたからです。
しかし、国盛は悪びれもせず「あれは文書博士に代筆してもらった申文でございまして、実は私、漢文は苦手でございます」と答え、呆気に取られた道長は「漢文が苦手?」とおうむ返しに応えながら、おい!とばかりに姉を見ます。すると姉も言葉なく凍りついた状態…(苦笑)
「真に面目ないことで」と国盛は呑気ですが、前回、話題になったように、若狭に着いた宋人70名を、館のある越前に移したばかり。道長は「今、越前は交易を望む宋人が来て厄介なことになっておる。漢語が得意な者を…ということで、帝はそなたを選ばれたはずだが?」と問い質しますが、あれれと惚けた様子。国盛は、単に格が高く、利益に旨味のある越前守になりたかっただけでしょうね。まったく困った様子も見せず、よい通訳を紹介してほしいとい道長に頼む始末。自分で何とかしよう、勉学に励むなどそうした姿勢がまるでない人物でした。
さすが詮子も呆れ果て「あんなにうつけと思わなかったのよ。あの人の母親は聡明な人なんだけど…」と取り繕います。彼の母については知られていませんが、父は三十六歌仙の源信明ですから、両親は優秀だったということになるのでしょう。とはいえ、まったくその資質を継がなかったようです。「あれでは越前守は務まりませんな…宋人の扱いを間違えれば国同士の諍いとなりかねない…」と応じる道長は、その口ぶりからして実際、悩ましいとことでしょう。
道長の速やかな進言と帝の英断で、越前に送りはしたものの、彼らが若狭に現れたことで陣定に動揺が走ったことを忘れてはいけません。まして、宋とは正式な国交を結んでいるわけではないから余計に厄介です。デリケートな問題だけに早急に対応せざるを得ません。
道長の言葉に「そうね…」とわかったようなこと抜かすを詮子の言葉は聞き捨てならず、道長は、誰のせいでこうなったとムッとしながら振り返ります。その顔に「怒ってる?あー、怒ってる」と口を尖らせると「許して」とお願いします。しぶしぶ「なんとかいたします」と許す道長ですが、仲がよいとはいえ、強引な姉には少々手を焼いているようですね。
この一幕には、詮子の笑顔で悪びれずに謀を巡らせる怖さと愛嬌が見え隠れしています。まず、彼女は、国盛に限らず多くの人脈を抱えているようです。貴族だけでなく、その妻にも手を伸ばしているようです。元々は父、兼家と別の力を持つためと始めたことですが、あれから何年も経っていますし、道隆とも権力を争ってきたその経験ゆえにその策謀は侮れなれません。兼家の策略家の側面を誰よりも色濃く受け継いでいます。
ただ、その一方でうつけの国盛を推挙してしまうなど、その手管は詰めが甘いというか、杜撰な面もあるようです。兼家よりも冷酷になれず、感情的な面が強いせいでしょう。そのため、彼女の権謀術策は、迂闊に乗ったら火傷をする危うさもあると思われます。詮子は基本的には道長の味方ですが、その言動に対して道長は注意深くなければなりません。
さて、話題が一段落したところで「ね、伊周たちの処分はまだ決まらないの?」と目下、彼女の最大の関心事について、道長を問い質します。道長は、伊周の失脚を今か今かと待ちわびる彼女に「除目の後で処分を決めると仰せになりましたが、伊周は大した罪にはならないと思います」とその期待を否定します。「何故?」と訝しむ彼女に「帝は中宮さまのお身内に厳しいことはできないかと」と答えます。
第一報を聞いて激高したあのときですら、彼はとりあえず詳しい調査が終わるまで謹慎を命ずるに留める冷静さを忘れませんでした。まして、その激高が過ぎ、クールダウンした今であれば、尚更、そんな厳しい咎めだてはできない、というわけです。
相変わらず、中宮に首根っこを押さえられているように見える帝を思う詮子は「情けない、お前はそれでよいと思うの?」とけしかけるのですが、道長はこうした帝のやり方に「ただただ厳しく罰すればよいとは思いません」「お情けをもって事に当たられる帝こそ、私は尊いと感じます」と、その徳治を目指す姿勢に心から同調しています。民を救いたいと願う彼ならば当然の答えで、彼の目指すところを実現してやりたい、というのも道長の偽らざる想いなのでしょう。
しかし、仲がよいとはいえ、こうした政への志、理想というものは道長と詮子は共有したことはありません。ですから「わからないわ、伊周や中宮はお前の敵でしょう?」と不思議そうに問い質します。かつて、父にその想いを蔑ろにされ、ただ一人の殿御であった円融帝に毒を盛られた詮子にとって、政とは命がけのものです。薬断ちもそのためです。
生き残るためには、徹底的に敵を排斥し、再起不能にしておくことが肝要です。わずかでも油断し、隙を見せれば命取り。ですから、不倶戴天の敵である伊周一派を排除する千載一遇のこの機会を逃すことはあり得ない。どんな理想を語ろうと政争で生き残らなければ、絵に描いた餅に過ぎません。だから、道長の言うことは、理解不能なのです。
それでも道長は「敵であろうとも…です!」と、寧ろ、そこに価値があるかのように力説すると詮子を残し去っていきます。
気になるのは、この後、詮子が甘い理想論を語る道長の背中を思い詰めたように厳しい表情で見つめていることですね。繰り返しますが、詮子は内裏の政争の中にずっと戦っている人間です。しかも、その相手は父であり、兄でした。父兼家には煮え湯を飲まされ、兄道隆からは内裏から追い出されるなど、戦績は芳しくない詮子ですが、それでも影響力を残しているのは、人脈づくりなどに余念がなく、身内であっても政敵には心を許さないからです。そもそも、彼女にとっては、身内こそがもっとも信用のならない存在でした。
例外は道長だけです。彼の優しさと誠実さは、彼女にとって救いです。ですから、彼一人の前だけでは女院ではなく姉の顔になり、会話も砕けています。そして、私利私欲に抑制的で公正な彼が帝のサポートに徹してくれている。そのことに対する信頼も持っています。前回note記事で触れたように、姉としても、政のパートナーとしても道長に期待し、彼のよさは活かしたいと思っています。
とはいえ、物事には限度があります。政治は綺麗事だけではすみません。ときには政敵を排除できる冷徹さがなければ、理想論をどれだけ唱えても実現はできません。多くの失敗をしてきた彼女からすれば、ここ数年の宿敵であった中関白家の芽を完全に潰しておくことは譲れないところでしょう。
そもそも、定子が寵愛されるがゆえに、潰しにくいその実家を堂々と排斥する機会は早々ありません。また、兄道隆の冷酷さを継ぐ伊周に温情をかけたところで感謝などするはずもなく、恩を仇で返すのが関の山とも思っているでしょう。
ですから、定子に甘いだけの帝の意向に乗ってしまう道長の深謀遠慮のなさが腹立たしくなるのです。ただし、その誠実さに道長の価値があるとすれば、無理強いをするのも得策ではありません。となれば、道長の知らないところで策を講じ、自分が帝と道長のために泥をかぶる…そう決心をしたようにも見える場面として演出されています。
(2)土御門殿を守る倫子の奮闘
こうした会話の後、帰宅した道長は「女院さまが昼ごろから気分が悪いと仰せになって伏せっておられます」との報告を倫子から受け、慌てて見舞います。立て続けに兄を失ったことに心を痛めた道長ですから、姉まで続かれたらたまらないと恐れるのはわかりますね。見舞われた詮子は「道長には伝えるなと言うたではないか」と力なく倫子を叱ります。
「もうようなった…」と起き上がる彼女は「つまらぬのう…やっと我が世の春が来たと思ったら身体が効かぬ」と愚痴ります。このときの詮子が仮病か、真に病かはわかりませんが、詮子は度々、病に臥せっているので、ここで吐いた思い自体は嘘でもないでしょう。いつもの姉らしくない言動に道長は「なにを弱気な…姉上はまだお若くお美しくあられます」と励まします。純粋に彼も倫子も、詮子を心配しているのです。
その言葉に「心配かけてすまなんだ。倫子はよく出来た妻だが、いささか口が軽いの」と応じます。即座に「申し訳もございません」と自分が誤り、妻を庇う道長が、彼らしくてよいですね。丁寧に「お許しくださいませ」と謝る倫子ですが、ここで詮子の顔を怪訝そうに見るのが意味深なのですね。はっきりはしない何かを感知した…そうした表情なのです。
ここは、あくまで推察の域を出ませんが、詮子の「倫子はよく出来た妻だが、いささか口が軽いの」との言葉に揶揄、あるいは軽口といった感情が乗っていないことが妙だったのではないでしょうか。ただ、倫子の性質を事実として確認しただけのような…この言葉を発したときの詮子の表情は無表情です。無論、それは病疲れのせいかもしれません。
その後も詮子の病状はよくなりません。倫子が用意した薬湯か重湯かも受け付けません(もっとも薬断ちをしているので薬湯はそもそも飲みませんが)。胸を上気させる苦し気な様子を見ながら、彼女は屋敷の空気に不審と違和感を覚えます。そして、秘かに女房や下人を集めると「悪しき気が漂っておる。調べよ」と命じます。この辺りは、さすがは土御門殿の主人です。テキパキとした差配ですね。
結果、下男が呪詛の札が入れられた壺を縁の下から発見します。その異常事態に「女院さま、少々お部屋を拝見してもよろしゅうございますか?」と、自ら部屋を調査した倫子も、縁の下と同じ呪詛を発見します。そして、それは屋敷のここかしこから発見されます。
呪詛を確認した詮子は「ひぃ…」と狼狽えると「中宮は私を嫌っておる。伊周は道長を恨んでおる。あやつら私と道長を呪っておるのだ!」と決めつけ「おそろしやおそろしや」と怯えたのちに目を血走らせ「許すまじ!」と叫びます。しかし、倫子は、こうした詮子の決めつけに対して、応じることはなく、静かに考えを巡らす表情をします。
因みに倫子が屋敷の異変に直感的に気づけたのは、彼女が生まれてこの方、土御門殿以外の場所に出向いたことがほとんどないということにかかわるでしょう(劇中でも外出したのは打毬のときだけ)。ほぼずっとここで過ごし続ける彼女だからこそ、ちょっとしたことで屋敷の変化、違和感を覚えるのでしょう。身体の髄まで土御門殿の主なのですね。
この事態には「まさか、この屋敷に伊周の息のかかった者がいるということか!」と道長も驚きます。既に姉の発言を信じてしまっていますね。これは普通に姉を信じているからですが、それだけではありません。
前回、道長は伊周より内覧右大臣になったことについて、姉を利用した行為だと揶揄されています。伊周が自分と詮子を恨んでいることを直接、知っている。そのことも、姉の言葉を信じる心にささやかに作用しているでしょう。そして謹慎中の伊周は追いつめられた状態、起死回生にバカをしでかさないとは限りません。
しかし、衝撃を隠せない道長と対照的に落ち着いた様子の倫子は「殿、このことは私にお任せいただけませんでしょうか?」と申し出ます。意外なことに目を丸くした彼に倫子は、「屋敷内で起きたことは私が責めを負うべきことにございます。此度のことも私が納めとうございます」と余裕をもって、理路整然と説明すると「殿はどうぞ内裏のことにご専念くださいませ」と笑顔ながらもきっぱり言いきります。
この倫子の言いようには、前回、穆子が伝授した「大臣の妻としての心得」が活かされていますね。「大臣の妻としての心得」とは、要は屋敷内を平穏にしておくことで、夫が政務に専念できる環境を作るということでしたから。政治を家庭に持ち込まないことも、また家庭を守ることだというのです。
しかし、事の重大さを懸念する道長は「されど女院を呪詛するは帝を呪詛するに等しいのだぞ」と、このままには捨て置けないと言いますが、これにも倫子は「それゆえに間違いがあってはなりません」と返し、「私にお預けくださいませ」と強く進言します。
彼女には珍しい強い言葉に「ん?」とその意図を探り始め、やがて…「あ…そうか…」と得心すると「では、そなたに任せよう」と頷き、「このことは帝にも申さん。それでよいな」と、妻の意向を確認します。言葉がなくても以心伝心できたことに満足そうに「ありがとうございます」と笑う倫子と「ん」と答える道長には、夫婦にしかない信頼が窺えますね。
この会話は二人だけで通じ合ってしまったため、周りには意味不明ですが、土御門殿で呪詛が仕込まれていたということは、誰かの間者が屋敷内に潜り込んでいることは間違いありません。ですから、道長と倫子は会話を盗み聞きされている可能性を意識しながら、隠語的に話しているのです。まず倫子は、道長にこの件を自分に任せるよう言います。これは、この件は公にせず、内々で処理しましょうという提案です。屋敷内のことは私の責任というのは方便で、「殿はどうぞ内裏のことにご専念くださいませ」との言葉のほうが重要です。これは、この件を政に絡ませるのは得策ではないという意味です。
だから、道長は「帝を呪詛するに等しい」、つまり「政治問題だろう」と返すのです。そして、その答え「それゆえに間違いがあってはなりません」で、道長は、そもそも、この呪詛を伊周の仕業だと決めつけてやしないか、ということに気づき、「あ…そうか…」となるのですね。わかっている事実は、呪詛が見つかったことだけです。伊周の仕業と言ったのは、詮子だけ。詮子がそう誘導しようとしたのか、思い込みか被害妄想なのかはともかく、これは証拠ではありません。
幸い、呪詛を発見し除去し、その効力を気にすることもないのですから、証拠のないことで騒ぎ立てなくてもよかろうということです。
騒ぎ立て、伊周が犯人でなかった場合、責められるのは道長です。前回、俊賢のおかげで未然に防いだ右大臣が内大臣を蔑ろにしている噂が生まれ、評判を落とすことになります。土御門殿が、道長の評判を下げたら、それこそ穆子直伝「大臣の妻としての心得」に反します。
また、これが伊周による呪詛でなかった場合、誰が呪詛したのかが問題になりますが、伊周を罠にはめるためであれば、それは道長の味方である可能性が高くなります。手口は褒められたものではありませんが、みすみす味方を真犯人としてあげるのもバカバカしい話です。というわけで、どう考えても、この件を公にすることによる利益は薄いのです。だからこそ、「そなたに任せ」、「このことは帝にも申さん」ことにしたのです。私的にでも帝に言えば、若く母親思いの彼が激高するのは明らかですから。
ただ、この隠語めいた会話のなかで、二人は一つの可能性を気にしたかもしれないと思います。それは、この呪詛が、詮子の自作自演であるという可能性です。そもそも、詮子は、道長の中関白家の弱腰に危機意識を持っていました。なんとかせねばという焦りもあるでしょう。
そんなとき、病に罹り、倫子の人の好さゆえの口の軽さを知りました(そもそも、この夫婦、道長の過去女に関わること以外はオープンなのですが)。そこで、詮子は、今度は呪詛騒ぎを仕込み、倫子の口から道長に、道長から大きく問題にされることを狙ったという仕掛けを考えた可能性があるのです。この夫婦の人の好さを利用しようということですね。
また、広い土御門殿には、赤染衛門のような昔から倫子たちに仕えているものもいれば、女院付きの女房たちも出入りしています。呪詛を仕込むことは容易です。更に薬断ちをしている彼女は、病に対しては祈祷を頼る傾向がありました。裏を返せば、呪詛を入手する人脈も持っているのです。
そして、仮病で我が子すら欺いた兼家の策を知っています。詮子は兼家のそれを「恐ろし過ぎない?」と当時は否定的でしたが、知っている使える手段というのは使いたくなるものです(苦笑)兼家に一番似ていますからね。
もしも、この可能性に思い至ったのであれば、道長と倫子の会話の最後が二人以外は要領を得ない以心伝心になったこともわかりますし、その危うい策を潰す必要から、帝に話さないのも余計にわかる気がします。因みに仕込まれた呪詛が、偽物か本物かどうかは重要ではありません。ただ本物であった場合は、一時的な自分の身の危険を冒してまで、中関白家を排斥しようとしたことになり、その思いは執念めいたものになりますね。
勿論、道長たちを恨む他の者の可能性もありますし、あるいは晴明あたりが道長に取り入るために自作自演したという可能性など、さまざまな可能性が考えられます。とはいえ、そのどの犯人であっても、道長にとっては利益にはなりません。
また、伊周を強く罰したいと道長は願っていません。そうした人間性を知る倫子は、土御門殿を陰謀や政争の舞台から遠ざけ、噂すら立たないよう始末し、道長と土御門殿を守り切ったのですね。あくまで土御門殿は、道長の癒しの場であるべきなのです。
こうした機転と差配を見ると、道長の嫡妻は倫子以外になかったことが実感できますね。穏やかに涼し気に事を収めていく鷹揚さと賢さは、まひろの学才で何とかなるものではなさそうですから。
(3)懇願する定子の哀しさと帝の葛藤
土御門殿から呪詛話が出ることは倫子の機転で防ぐことができました。しかし、倫子の手に負えるのは、土御門殿の中だけのこと。それ以外の、まったく別の方面から上がってきた呪詛の証拠には対処しようがありません。それは検非違使の正当な調査の中ではっきりしたことです。
帝の御前で、検非違使別当の実資は「調べの途中にわかったこと」として、伊周が祖父である高階成忠に命じて右大臣と女院を呪詛したこと、伊周自身が3/21に太元帥法をもって右大臣を呪詛したことをあげました。実資は「証言は得ております」とのことで証言者も揃えられているようで、こうなると伊周の立場は相当に悪くなるかもしれません。
伊周が、呪詛話に真剣に驚いていることから濡れ衣と考えると、この証拠の件の黒幕もさまざまに考えられます。まず、詮子であった場合です。この場合、詮子は土御門殿の呪詛騒ぎと外部の呪詛の証拠という二段構えで、伊周たちを罠にかけようとしていたことになります。その場合、本来は「土御門殿の呪詛騒ぎ→証拠として外部の証言」という流れだった可能性がありますね。もしも、詮子が黒幕であった場合、倫子と道長は土御門殿内では詮子の陰謀を阻止できたものの、人脈の広い詮子のもう一つの策は封じられなかったということになりますね。
また、土御門殿の呪詛とは別個という可能性もあります。例えば、この一件で出世を目論む斉信のような人物が、伊周を陥れるための証拠を各地でばら撒いたということも考えられます。無論、実資は実直ですからこうした陰謀には加担しないでしょう。しかし、誠実なだけに、用意された証拠や証言を正しく集めて、伊周の犯罪を立証してしまうのですね。黒幕に実資は利用されたことになりますね。
さて、真相はともかく、ただでさえ「伊周と隆家は何故、出頭せんのだ?」と捜査に協力的ではない二人に不審を抱き、苛立っていた帝に、この報告は致命的でした。寝耳に水の道長も目を剥くだけで、咄嗟の対応ができません。実資から「証言は得ておりますので間違いはございません」との言葉が添えられたこともあり、帝は「女院と右大臣を呪詛するは朕を呪詛すると同じ。身内とて罪は罪。厳罰に処せ」と怒りを露わにします。
道長、かろうじて「お待ちください」と浅慮を止めようとしますが、「実資、速やかに執り行え」と問答無用の勅命をくだしてしまい、更には寵愛する定子をも内裏から出し、実家の二条北宮へ下がらせる処置を取り、その意思の強さを明示します。帝としての立場、尊厳を守るのも、彼の仕事のうち。純粋さゆえに、こういうときは苛烈な処断をくだすこととなります。定子も諦めたように内裏を去ります。
斉信から、自分が右大臣と女院を呪詛したことになっていると聞いた伊周は、最後の手段と謹慎中でありながら、宿敵道長のもとを訪れます。「謹慎中のはずだが」と言いつつも、目通りを許したことから、道長が、実資が持ってきた証拠や証言を鵜呑みにしているわけではないことはわかります。一方で、疑ってもいるのでしょう。ですから、まずは伊周の弁明を聞いてやりたいと思ったのです。
さて、伊周「院を脅し奉るために矢を放ったのは弟にございます。その責めは私が負います」と弟の罪さえ被るという殊勝さを見せます。おそらく、母貴子の矢が当たらなければ大した罪にはなるまいという助言もあってのことでしょうが、いつも人のせいにするばかりで自分を省みない彼にしては珍しいことです。それだけ、必死であることが窺えます。
その上で、悔し気に「されど呪詛はしておりませぬ」と絞り出すように言うと「どうか、そのことをどうか帝にお伝えくださいませ」と懇願します。そして「なんとか内裏に戻れますよう、右大臣さまの格別の力を賜りたく」と道長へ最敬礼をします。「私も過酷なことは望んでおらん」と応じる道長自身は、伊周の呪詛していないという言葉を信じたいと思われますが、一方でネックなのは、実資が持ってきた証拠を覆す反証がないことです。いくら甘い道長でも、確たる証拠もなく、伊周の弁明を100%信用することはできません。疑念は残らざるを得ません。
さらに帝は、怒り心頭です。ですから、「されど、お決めになるのは帝」としか言えないのですね。それを聞いた伊周は「帝に私をお信じくださりますよう…何とぞ…」と執り成しを願い出ます。繰り返す「何とぞ…」の2回目には落涙まで見せます。
情にほだされた道長ですが、激高する帝の心を動かすのは容易ではありません。そこで一計を案じます。帝にとって、この処断のなかで心残り、気がかりがあるとすれば定子のことだけです。道長は、定子を秘かに内裏にあげる算段をします。詮子が聞いたら怒り狂うでしょうが、疑いを捨てきれない彼としてはこれでもかなり消極的な協力です。
帝は道長の推測どおり、定子の件を気に病んでいます。夜。一人、誰もいない登華殿に来ると闇の中、定子の面影を追いかけています。この寂しさと哀しさと恋しさが、彼の本音です。そこへ「お上…」と呼びかける声が聞こえます。振り返ると、いるはずのない定子がそこにいます。「お上が恋しくて来てしまいました…」と言う彼女の気持ちは嘘でありません。
しかし、彼女が内裏に来た一番の目的は兄たちの助命でした。ですから、帝の思いを聞くより前にひれ伏すと「どうか兄と弟の罰を軽くしてくださいませ」と叫び、「お情けを…」とすがるように懇願します。そんな定子を見下ろし、呆然と立ち尽くす一条帝…このとき画面は、真横から二人を影絵のようにロングショットで捉えます。
一条帝と定子の仲は、彼が幼かったこともあり、対等でそれゆえに仲睦まじいものでした。お互いの想いも伝え合っでいたでしょう。しかし、その関係は壊れてしまいました。愛する定子は、兄弟らの罪のため、罪人のように彼の前でただただひれ伏し、へりくだっています。あきらかな上下関係と、二人の間にできてしまった埋めがたい溝…自身のくだした苛烈な裁可の結果に言葉が出ません…といって立場上、許すこともできない。このロングショットは立ち尽くす一条帝の葛藤そもものと言ってよいでしょう。
やがて、黙りこくった彼を見上げた定子は、一条帝の複雑な心中を察してしまい、このひれ伏したことが彼を深く傷つけてしまったことに気づきます。彼を愛する彼女もまた、実家と帝の間に挟まれ苦しんだ末のこととはいえ、この懇願はしたくはなかったことです。ですから、帝の心中を思い遣り、すがるのを止め、立ち上がると「下がります。お健やかに…」と静かに別れを告げます。これ以上、帝を自分や兄弟たちで苦しめてはいけないと思ったのでしょう。
肩を落として去っていく定子の自分への思い遣りを感じた一条帝は、結局、彼女に追いすがると後ろから抱きすくめます。二人はただただ恋人のごとく、いたかっただけなのですね。
こうして定子を内裏にとおす道長の配慮もあり、帝も裁可を和らげる判断をします。伊周と隆家は罪一等を減じられ、隆家は出雲権守、伊周は大宰権帥と左遷させられる形で落ち着きます。これは一条帝の温情であり、道長の配慮…つまりは二人の徳治と慈悲の政の結果だったのですが、駄々をこねるだけの伊周が、これを受け入れなかったばかりに、事態は最悪の形で終焉を迎え、そのことに絶望、悲観した定子は落飾してしまいます。道長にとっては、自分の政権にとって最初の苦い結果となるのです。
3.まひろの「型破り」が道を開くとき
(1)宣孝との関係性
内裏での政変とは、ききょうを通じて以外はさっぱり関係ないまひろですが、道長政権の影響は少なからず受けることになります。それが、道長推挙の従五位下の昇進と、申し文どおりの為時の淡路守への任官です。この流れは、前回のまひろの帝への言動が大きく作用しましたが、そもそも帝へ目通りできたこと自体が偶発的なものですから、単なる奇跡と言ってよいでしょう。
しかし、今回起きた為時の淡路守から越前守への国替えは、まひろの自発的行動が道を開きます。内裏と直接関わることのないまひろも、新しく始まる世の中で選択をしていくのです。
さて、任官の朗報に沸く為時宅です。4年の任期を「無事に務めあげたいものだ」と心新たにする為時。祝いにかけつけた惟規に「姉上も行くのでしょ?」と問われ「勿論、知らない国を見てみたいもの」と応じるまひろ。それを見る、涙ぐむいとと笑顔の乙丸。一家が喜びに満ちていきます。「淡路は下国だけど魚は上手いし、冬は暖かそうだし」と羨ましがる惟規は、大学寮での学生生活に飽きているのがありありで、為時に精進するよう小言を食らいますが、こうしたやり取りも為時一家の仲のよさと寿ぎ方でしょう。
ただ、「十年こらえて、これが最後と申文を出したが、これも神仏のご加護に相違ない」とまひろを意味深に見やる為時は、これが自分の実力による任官ではなく、まひろと道長との並々ならぬ縁によるものと思っています。それでも「神仏のご加護」と括り、話題にしないのは、まひろが話さない以上触れまいという為時の娘への配慮でしょう。
ただし、この後、持仏に一家で祈るシーンは真摯なものです。この持仏は、妻ちやはが毎日花を手向け、祈っていたもの。今、その役割は娘のまひろが引き継いでいますが、この持仏には、ちやはの思いが込もっています。つまり一家で持仏に祈るのは、ちやはへの報告でもあり、彼らの心が今なおちやはと共にあることを意味しているのでしょう。
その夜、珍しく酒を過ごした為時は祝いに来てくれた宣孝の前で酔い潰れてしまいます。「ほっとしたのであろうな」と胸中を察する宣孝の言葉は、為時の万感そのものでしょう。宣孝が「官職を取り上げた兼家さまのことも恨まず淡々と生きてこられた」というように、人を憎まず恨まず、貧窮の中、愚直に学問に打ち込む為時でしたが、生活を支える乳母いとの苦労、婚期を逃し切ったまひろのことはやりきれず、自分の不甲斐なさを嘆くこともあったでしょう。
そう察するからこそ、宣孝は「お前が父上に優しくなって良かった」と言うのですね。この言葉には、大人になったまひろへの誉め言葉と労いも含まれています。
さて話の流れでまひろは宣孝から、大学の学生だったときに単身、宋に渡ろうとして船に潜り込み、結局、身ぐるみ剥がされ、海に放り捨てられたという若き日の父の武勇伝を聞かされます。
真面目な堅物な面しか知らなかったまひろは、初めて聞く話に驚きますが、宣孝は「人には意外な面があるもの」と人の不可思議を言いつつ「そのような型破りなところは、お前が引き継いでおるではないか」とからかいます。兼家に為時任官を直訴、民に文字を教えるなどまひろの無鉄砲は今に始まったことではありませんが、自覚のないまひろは「型破り…?」と怪訝です(その自覚のなさが一番恐ろしいのですが)
「船に乗って宋にでも渡りそうな危うさがある」と先日の事例を上げる宣孝に「宋の国には行ってみとうございます」と答えてしまうまひろ。「…であろう?危ない危ない(笑)」と二人笑い出します。
既に二人の会話には、阿吽の呼吸のようなものがあるのが興味深いですね。
話が宋に及んだことから、話題は自然と越前守に移るのですが、宋への興味関心が止まらないまひろは、「身分も低くて、望むべくもありませんが」と諦めつつも、為時であればその学識が活かせるのにと未練たらたらです。父の置かれた境遇は、まひろ自身の鬱屈と重なり、身分の問題がより意識されます。そして、その意識は身分関わりないとされる科挙、それを採用する宋への強い憧れへつながります。
宣孝は、まひろのこうした鬱屈と憧憬までは知る由もありませんが、異国に焦がれるまひろの気持ちだけは理解できます。慰めるように「帝が為時どのの学識の高さをしっておれば」と返し、帰り際には「まだ機会はあるやもしれん。除目の後に任地が変更されることもたまにはある」と希望を持つように励まします。彼のまひろを見る優しげな眼差しには、既に含むところを感じなくもありません。
そもそも、先の阿吽の呼吸のような会話といい、二人の間には気づかぬうちに通い合うものがあるように思われます。これは道長と倫子もそうなのですが、かわす言葉以外の部分で自然と通じあってしまう慣れ、空気感のようなものがあります。その安心感やある種の信頼こそが、夫婦関係にはできるということでしょうか。恋人ならば燃えるような恋慕の情が必須かもしれませんが、夫婦はそうではないことを仄めかしているように思われます。果たしてまひろがそれに気づけるでしょうか…
(2)まひろの秘策と道長の動揺
ともあれ、気の置けない宣孝とのやり取りは心に残ります。特に若き頃の父の武勇伝は、越前守を「途方もないこと」と諦めた発言をしている為時の本心は、宋人と会う機会のある越前守にあると、まひろに確信させます。型破りが血筋というならば、似た者父娘の願いも一致するでしょう。
また、どんなに仲が悪くなろうとまひろの為時の学識に対する敬意は揺らぐことはありません。それだけに、彼がそれに相応しいことにも確信があります。
となれば、後は宣孝の言うように「帝が為時どのの学識の高さを知って」くれればよく、そのための猶予は今しかありません。大胆な一計を案じたまひろは、たまらず筆を取ります。それが除目の申し文を勝手に再提出するというものでした。
先に述べておくと、為時の淡路守から越前守への国替えについては、為時が漢詩を奏上したという話が「今昔物語集」に載っています。その漢詩は次のようなものでした。
苦学寒夜 紅涙露袖 除目春朝 蒼天在眼
(意訳:寒い夜に耐えて勉学に励んでいたが、人事では希望の官職に就けず、失意と絶望で血の赤い涙が袖を濡らしている。もし人事の修正がされれば、青く晴れ渡った空(帝)の恩恵に感じ入り、更なる忠勤を誓うだろう)
これを読んだ帝がいたく心を動かされ、国替えが決まったと言います。帝の心を動かす為時の文才を示す逸話ですが、この漢詩を作ったのが、まひろというのが「光る君へ」の解釈なのですね。
本作の為時は愚直で自己主張は苦手、世渡り下手と来ています。逆にまひろは突拍子もないことを思いつく猪突猛進タイプ。加えて為時が、男であれば自分よりも上手くやれたと言うほどの才です。そう考えると、まひろ作の漢詩という解釈も面白いでしょう。
思いつきが「型破り」とはいえ、まひろが漢詩を使った申し文を提出した策には、それなりの算段があると考えられます。一つは、為時が漢籍に通じた学才の持ち主だと帝に伝えることです。漢籍を読むより、漢詩を詠むことのが難しいですから。もう一つは、志の高さを伝えることです。以前、劇中で行成が道長に説明したように「和歌は気持ちを、漢詩は志を詠む」のです。だから、漢詩でなければならないのです。
そして、前回、まひろが一条帝に謁見できたことも大きいでしょう。あのときまひろは一人盛り上がって喋り倒すオタクぶりを発揮してしまいましたが、帝はそれを穏やかに聞き、話をしてくれました。ここで、帝の学識の豊かさ、下々の意見を聞こうとする器の大きさを感じたはずです。こういう帝ならば、この意は通じるに違いないと思ったのではないでしょうか。
勿論、為時を従五位下に昇進させてくれた道長が、それを邪魔することはあるまいと信じている、その安心感もあるはずです。すべての出来事がつながっての、漢詩による申し文ということですね。
ただ、いくら漢詩を今も保管しているとはいえ、さすがに自分の字と気づかれることは想定していないかもしれません。そこまで考慮していたら、かなり狡猾な印象になってしまいますから。
さて、まひろの代筆申し文もまざった申し文の束が、行成によって道長に届けられます。渋い顔で「多いな」と愚痴をもらす道長に、行成は代わりに読んで選り分けようかと気を効かせますが、「いや、いい」と断り、自らが目を通すことにします。
除目は貴族たちにとって死活問題です。その申し文にはさまざまな思いが宿っています。国盛のような代筆で誤魔化すうつけ者が混ざっていたとしても、その多くは無碍にはできません。
また、有能な人材はどこに隠れているかわかりません。そのような人材を探すのも、為政者の役割です。少なからず、前回の帝との会話から為時を昇進させた件も影響があるかもしれませんね。
とはいえ、夕刻まで一人、申し文を読み続けるのは過酷。世の人事担当、新卒採用担当の苦労が偲ばれる映像です。因みに学生の答案を採点し続けるときの私もこんな顔をしているかもしれません(苦笑)
そんな疲れきった彼の目に飛び込んでくる漢詩…その見覚えある字体に目が止まります。そこには為時の名…もしや…とピンときます。
土御門殿に帰宅、自室の文箱から大切に保管してあったかの日のまひろの漢詩の文を取り出し、筆跡を見比べるまでの慌てぶりに、文を見た道長の動揺が表れていますね。というか、前回は帝の口からまひろの名、今回は申し文の中からまひろの文字…って思いがけない、予想外のところから、彼を先回りするように彼女の痕跡が出てくるんですから、道長にすれば気が気じゃありませんよね。最早、奇襲攻撃に等しい彼女の痕跡に翻弄されっぱなしです。
別件で来たとはいえ、倫子が背後に忍び寄ることにも気づかないほどの動揺ぶり(苦笑)「源氏物語」の夕霧と雲居雁が連想されるシーンでしたが、ドリフの「志村うしろ、うしろ」のほうが近かったかもしれません(笑)
それはさておき、何故、道長はまひろの筆跡に瞬時に気づいたのでしょうか。彼は文箱にまひろからの三通の文を大切に保管してあります。それは道長にとっては恋文のやり取りでしたが、一方でそれはまひろの願い…ひいては「民を救う」約束の原点。道長は別れの夜から一人、あの約束を秘めて生きています。しかし、それは心情的に辛い道のりです。おそらく、心折れそうなとき、約束と決意を思い出そうと人知れず何度も文を見返してきたのではないでしょうか。
そして、平安期は写真という気の利いたものはなく、男女関係も文のやり取りで募らせたもの。かつての若き道長は、まひろを想い、その筆遣いをなぞることもしたに違いないと思われます。
つまり、文字は人となり、あの筆跡はまひろそのものなのですね。初恋の想い人を、間違えるはずも、気づかぬはずもないのです。したがって、このシーンは、改めて道長のまひろへの覚めぬ想いが切なく描かれたと言えるでしょう。
それだけに道長は、「越前守を為時に」という文の目的を察しただけでなく、まひろ自身が越前へ行きたい、宋人に会いたいという志を持っていることにも気づいたような気がします。漢詩は、書いた人の志であることを、道長は知っていますから。
そして、幸い、うつけ者を越前守に任じてしまい困っていたところ。さまざまな都合と思惑が噛み合い、道長はこれを帝に奏上します。果たして、帝は聡明ゆえに、まひろの読みどおりに読んでくれ、道長の助言のもと淡路から越前への国替えが決定します。淡路守の任官と違い、今回ばかりは正統性に、私情も加味されていますね。
(3)娘を思う為時の決意
越前守への転任に、使者の前で一礼しながら「してやったり」と一人ほくそ笑むまひろですが、そこに道長の想いがあったかは知るよしはないでしょう。
逆に、ここまでの唐突な昇進と任官、そして大国越前への急な国替えに不審を抱く為時のほうが、その真相が見えています。為時の問い質しに「博学である父上のことが帝のお耳に入ったのだと思います」とすっとぼけるまひろですが「誰が帝に伝えてくださったのだ?右大臣道長さまであろう」とズバリ言い返されると、目が泳いでしまいます。
「従五位下の叙爵も淡路守の任官も越前守への国替えも…すべて道長さまのお計らいだ。そしてそれは道長さまのお前への思い、としか考えられん」と訥々と語る為時の言葉に、まひろは黙るしかありません。そして、その視線の先が遠いですね。
道長に未だ自分への想いがあるように感じられているし、自分の想いも色褪せてはいない。されど、最早、結ばれることはない。そう確信するからこそ、視線は遠くあの日へ行き、語るべき言葉もないのではないでしょうか。また、あの夜の約束は、それこそ途方もない、語れるものではありません。
吉高由里子さんが、X(旧Twitter)で道長を「最果ての人」と表現されたことがありますが、言い得て妙ですね。
対する、為時も娘を思い「父はのう…お前の生き方をとやかく申さん。道長さまとお前のことは、私のような堅物にはかり知れぬことなのであろう。そこに踏み込むこともせぬ」と慎重に言葉を選びます。娘が強情さだけではなく、身分違いの恋の困難や苦悩を察するからです。
その上でまひろを正面に見据え「ただ何も知らずに越前へ赴くことはできん。真のことを聞かせてくれぬか」と懇願するのは、恋愛として報われぬ二人の気持ちに、ただ乗ってしまうことが忍びないからです。せめて、娘の、あるいは二人の気持ちをわずかばかりでも分かちあおうとする父の真心です。
二人の対峙は真横からのロングショットですが、目線の高さも含めて対等に向き合っており、為時の真摯さが窺えます。こうなっては、まひろも「道長さまは、私がかつて恋い焦がれた殿御にございました」と正直に話すより他ありません。わずかに滲む寂しさの色に、為時は息を飲み聞き入ります。
まひろは「都にいては身分を越えられない。二人で遠くの国へ逃げていこうと語りあったこともございました」と、本当はそうしたかった逃避行についても語ります。為時は、娘がそこまで悩み抜いたことがあることにも気づきませんでした。伏し目がちになるのは、衝撃と自身の不甲斐なさが混じるがゆえかもしれません。
ただ、最後にまひろは「されど、すべて遠い昔に終わったことにございます」と嘘と真実がない交ぜになった一言を言います。字面どおり、二人の恋愛関係は約10年前に終わりました。しかし、そのときの約束は今なお二人の生きる糧であり、「進むべき道」の指針です。また、互いへの想いも忘れてはいません。
それでもそう述べたのは「越前は父上のお力を活かす最高の国。胸を張って赴かれませ」。このことが言いたいからです。たしかに自分と道長のつながりが任官の起爆剤になったかもしれないが、そもそも為時に実力があったからこその任官なのです。それをまひろはわかってほしいのです。万感を込めて「私もお供いたします」と微笑むまひろ。
おそらく為時は「すべては遠い昔に終わった」というほどまひろが吹っ切れていないことは察したでしょう。だからこそ、辛く、寂しく、苦しい道を選択しながら自分を後押ししてくれる娘と道長に応えたいと思うのです。為時は、まひろの言葉に目を潤ませながらも力強く頷きます。
こうして、まひろは自ら動くことで念願を一つ叶え、父との絆を深め、新しい一歩を踏み出すことになりました。
おわりに
長徳の変に対する帝の裁可がくだったとき、道長は土御門殿にて兎歩を行い、祓いをする晴明に「帝のご判断はこれで良いのであろうな」と問いかけます。この言葉には、事件の真相を冷静に捉え、判断へと持っていけなかったという忸怩たる思いがあります。しかし、晴明は「そのようなこと、もうどうでもよいと存じます」と答えます。自身の感傷と後悔をバッサリ断ち切る晴明の言葉に「なに?」と絶句してしまう道長。
そんな道長を振り返った晴明はニンマリと笑うと「大事なのは、いよいよあなた様の世になるということでございます」と待ちかねていたと言わんばかりの言葉をかけます。この嬉しげな顔を見ると呪詛騒動に晴明も一枚噛んでいそう(その場合、この兎歩による祓いはマッチポンプですね)ですが、それもまた真相は闇の仲です。それはともかく晴明の言葉は重要です。
物事の真実とは、大半において曖昧ではっきりしないものです。真相がはっきりしてスッキリすると言うのは凡百のミステリーだけでしょう。だとすれば、政において重要なことは、真相ではなく、くだした裁可によっていかなる結果が生まれたかという事実だけです。
政治とは結果なのです。晴明の言葉は、それを示しています。そして、この長徳の変がもたらした結果とは、政敵の完全な排斥です。だからこそ、晴明は「あなた様には誰もかないませぬ」とも言います。これは褒め言葉ではなく、晴明からの「なんでもできるようになりましたよ、さあ、どうしますか?」という問いかけでしょう。
あの日、晴明は道長に兼家の息子らしからぬ何かを見取り、笑いました。こいつなら、「この国の未来」のため、兼家とは違う何かを描けるかもしれない。それを見届けたい、楽しもう、そんな思いがあるのかもしれません。もっとも、晴明の期待に応えるには、道長は政の本質がなんたるかをさらに知らなければならないでしょう。
花山院闘乱事件が長徳の変という政変へと転じていく経緯…第20回で描かれたことの意味するところ。それは政の本質の一側面です。それは、いかに高い理想、清い志の政治理念だろうと、優れた政治判断だったとしても、すべてにおいて、よい結果が表れるわけではないということです。
前回、道長は公卿のトップに立ち、陣定を重視し、議論を大切にする政を掲げ、人事においては縁故よりも能力での登用を図ろうとしました。「民を救う」ための政の方針としては、まずまずのところで減免などよき結果を出せました。
しかし、当然、その反動も起きるのです。何故なら、人の思いは、政の善し悪しとは別のところにあるからです。例えば、道長の遣り方に異を唱える伊周・隆家はその鬱屈から事件を起こします。道長の公正な人事によって、出世が据え置かれた斉信が、出世のために伊周たちのしでかしたことを大事にしてしまいました。
さらにもしも呪詛騒ぎの黒幕が詮子だった場合、帝と道長の政敵への温情が、彼女の危機意識を煽った結果とも言えるでしょう。
因みに有能な為時を国替えで越前守に任じたことは、政治的な判断としては正しかったのですが、国替えさせられた国盛はこのことを苦にして病死してしまいます。政は成果と反動のバランスの上に成り立っている…そのことを端的に表したのが第20回だったと言えるでしょう。
そう考えていくと、花山院闘乱事件を長徳の変という政変にしてしまったものが何かと言う答えも見えてきます。それは、一条帝と道長の政です。彼らの善政の反動の必然として、伊周たちは排斥されざるを得なかったのだと言えるでしょう。ですから、道長は、今後、自らの政によって生じる清濁を知り、それを飲み込んでいかなければならなくなるのかもしれません。
道長は晴明の言葉に「は…年若き帝の激情さえ押さえられんと言うのに」と自嘲しますが、晴明は悠然と「そのうちお分かりになりましょう」と答えます。絶大な権力がどんなものなのか、自らの政が織り成す清濁のさまざまな出来事、それを知ったとき、道長が今までどおり初志貫徹だけで、まひろの願い「民を救う」を実現できるのか。それとも兼家のような政治家へ変質していくのか、あるいは他の妙案に行きつくのか。これから、道長は握った絶大な権力に翻弄され、試されることになるのでしょうね。
まあ、どう転んでも晴明には「お楽しみなことでございます」ですが(笑)
もっとも道長には、そんな先のことは見えません。「伊周と隆家はこの先どうなると思うか」と彼らの近い将来のことを問いかけます。隆家については、「隆家さまはいずれ貴方さまの強いお力になるでしょう」と即断します。
隆家は、都に戻って以降、出世し、刀伊の入寇においては戦功をあげますが、晴明にそこまで具体邸的見えているのかはわかりません。しかし、彼のもとに集まっている人となりの情報から、役立つ可能性は感じるのかもしれません。
前回のnoteでも触れたように、隆家は無鉄砲ですが、その一方で冷静で豪胆なところもあります。ですから、今回も左遷配流の沙汰がくだって後は、兄につきあいはしたものの、最後には兄を見切り、潔くその命を受け入れます。母、貴子への去り際の一言「お健やかに」の爽やかさが印象的ですね。
そう言えば、隆家は、このとき捕縛に来た実資とは昵懇になり、実資は相当、彼を可愛がります。もしかすると、このときの清々しいほどの潔さに感じ入ったのかもしれません。いずれにせよ、彼には人徳があるようです。
そして、「伊周は?」との問いには、晴明は「貴方さま次第にございます」と答えます。まずは次回、長徳の変のエピローグ的なものがどう描かれるかというところでしょうか。さっそく、道長は試されることになるのかもしれません。
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