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大河「べらぼう」第8回「逆襲の『金々先生』 蔦重の成功が炙り出す過酷な現実とは?
はじめに
ビジネス用語でよく聞く言葉の一つが「報・連・相」です。「報告・連絡・相談」をほうれん草にかけたこの言葉は、1980年代初頭に生まれたそうですが、2020年代の今も広まっているのは、伝え合うことがいかに重要かということでしょう。一方、ある会社は、この「報・連・相」は、意味がないと否定的です。理由は、それを徹底したところで、1~2割しか情報が伝達されていないからだとか。それも一理ありますね。
しかし、重要視する側も否定的に見る側も総じて、伝え合いというものは完璧であるべきという幻想があるように思われます。小中学校などで行われる伝言ゲームにも象徴されますが、最後まで正しく伝わることはほとんどありません。口頭で話すことは、言った先から消えていきますから、発信者ですら正確に記憶していません。また聞いた話を思い出すとき、また変質します。
では、本や文書など書き上げたものであれば、発信者の意図通り正しく伝わるのかと言えば、そうはなりません。発信者が上手く書けていない、あるいは思った以上のことが書けてしまうことは、文章を書いた経験がある方ならよくあるでしょう。SNSで思わずバズった、炎上してしまった…というのも同じことです。また、小説やマンガなどを読者が作者の意図通りに読むことはありません。因みに国語科の授業で、小説の作者の意図を問う先生がいたら、それはその先生が間違っていると言っておきましょう(笑)
つまり、伝え合うとは、全部が伝わらないことが前提なのです。ただ、それはマイナスとは限りません。伝わった部分は重要なこととしてクローズアップされます。もしも重要なことが書けていた場合は、それを補おうと考えるのが人間です。また、全部が伝わらないから、相手のことを考え、思い遣れるのです。つまり、伝え合いは、伝わったり、欠けたりすることをとおして、何か新しい考えがが芽生えていくことでもあるのですね。
ただ、そうは言っても、大切な人とは大事なことは通じ合っていたいものです。言わなくてもわかってほしいというのも人間の真理です。そのあたりの兼ね合いが、コミュニケーションの難しさかもしれません。今回の蔦重と瀬川のすれ違いも、そんなもどかしさが窺えますね。そこで今回は、「籬の花」の成功がもたらした負の部分を追いながら、それが二人の間に横たわるどんな問題を炙り出したのか、また蔦重は版元になるためにどんなハードルがあるのかを考えていきましょう。
1.吉原繁盛の表と裏
(1)蔦重と瀬川の二人三脚
此度の物語は、「重三の細見が上手くいきんすよう、お頼みんす」と、「籬の花」が倍以上売れることを願い、九郎助稲荷に手を合わせる花の井の必死な面持ちから始まります。つまり、第8回でメインに据えられるのが、花の井及び瀬川の心情ということが端的に示されます。念入りに願掛けするものの、伏し目がちなその目には蔦重を案じ、落ち着かない気持ちが滲み出てしまいます。
「吉原のため」は、蔦重と花の井をつなぐ共通の志です。一人の女郎として、朝顔の死を憂う妹分として彼女の思いは嘘ではありません。ただ、この願掛けからは、その比重が、吉原よりも蔦重が「吉原のため」に奔走しているから、彼の夢のため、といった理由にあることが窺えますね。
不安げな花の井の背後にかかる「うっす!」という陽気な声…思わず振り返った花の井の前に現れたのは、空の風呂敷をぶんっと振り回す蔦重です。蔦重の前に出ると強気になる花の井、内の不安は押し隠し「なんなんだい?その風呂敷…」と、何してんだかと問います。すると、待ってましたとばかりに蔦重、おどけるように風呂敷を広げ「風呂敷の中身はぁ…何もねぇ…」とニヤニヤします。
訳が分からず首を捻る花を見て、満足げに「ふ…」と笑うと、そのこころは「売り切れだ!」と種明かしをします。「売り切れ?!」と目を丸くし、素っ頓狂な声をあげる花の井に「おぅ、評判よくってよぉ…みんな、どんどん仕入れってって、この調子でいきゃあ、倍なんてすぐ。お茶の子サイサイよ」と豪語、「ありがとよ、お稲荷さん」と九郎助稲荷に礼をかけます。
花の井、ほっとして肩の力が抜けるのですが、口をついて出るのは「はぁ…」というため息。「あん?」と振り返る蔦重に、花の井は「それ、本屋が仕入れてくれたってだけだろ?町の人に売れたわけじゃないんだろ?」と調子に乗るなと嗜めます。短くない時間を苦界に身を沈めてきた彼女は、ある意味では蔦重よりも人の浅ましさを見ています。蔦重ほどには楽観的にはなれないのです。ですから、蔦重と共に喜ぶより、案じて釘を刺すのですね。それが蔦重に役立つ一番ですから。
ただ、そうした危惧だけでの発言ではないようにも思われます。売り切れの礼を自分よりもまず九郎助稲荷に言ったこと、それが面白くない…そんな気持ちもあったのではないでしょうか。内心の安堵を隠し、想い人に苦言を呈した女心は複雑です。
花の井の思い詰めた不安も露知らず、蔦重は「…ちぇ…お前が喜んでくれると思って一番に言いに来たのによぉ」とふて腐れてしまいます。「一番に言いに来た」…その言葉に自然と微笑が漏れてしまう花の井。聞きたかった言葉が聞けたその表情は、柔らかく、そして幸せそうです。惜しむらくは、一番魅力的なその顔を、拗ねて横を見ている蔦重が見ていないことですね。
蔦重の反応に満足した花の井は「ま、わっちもせいぜい助太刀いたしんすよ」と仕方ないねぇという体で気軽に返します。花の井曰く「瀬川をふらりと物見に来る客もお出でんしょう。その方たちが思い出の品としてと細見を求めたくなるよう気合いを入れんす」と。つまり、吉原の看板を背負う覚悟を語る花の井は、まだ本屋に並んだだけの「籬の花」を「わっちが売れるようにしてんやるよ」と言うわけです。
相変わらず男前甚だしい花の井改め瀬川に「無理すんなよ…」と蔦重が声をかけるのは、吉原を背負う重圧とただでさえ過酷な客相手の夜伽がますます忙しくなる…そう想像したからでしょう。とはいえ、それは想像するだけで解っているということではない、と思われます。女郎という当事者ではなく、また吉原のルール内で生きている蔦重には自ずと限界があります。
ただ、蔦重に惚れ抜く花の井改め瀬川には、そのささやかな労いと自分だけに向けた気遣いだけで、頑張ろうと出来てしまう…涼やかにふっと笑うと「あい」と、蔦重の前では意地を張る彼女にしては、最大限かわいく応じます。想い人の夢を叶えてやりたい…当たり前の健気さが、過酷な客への「勤め」の決意につながってしまうのが悲劇的ですね。
無論、蔦重も瀬川の覚悟に寄りかかり、彼女に負担をかけるのは本意ではありません。また鱗形屋孫兵衛にくだった処分が、「節用集」の板木のと摺本2800冊の召し上げのみという軽いものだったことに、多少の危機感を覚えたことも、「籬の花」が地本問屋たちへの売り切れを楽観視させなかったでしょう。蔦重を心配して蔦屋で待ち構えていた駿河屋市右衛門がわざわざ鱗形屋について言及したこと、その意味は留之助の助言もあり蔦重にも伝わったようです。「町の人に売れたわけじゃないんだろ?」という花の井の苦言に従い、蔦重は念には念をと、市中にて大々的なプロモーションを仕掛けます。
西村屋の「新吉原細見」売り出しイベントは、金屏風を立て、今で言うキャンペーンガールまで使ったそれは、華やかさもあり盛況です。その様子に満足した西村屋与八は子飼いの手代へ「別に負けちゃいねぇのさ」とうそぶきます。内容的には蔦重のそれと劣るのはたしかですが、蔦重に触発された小泉忠五郎が真剣に改(あらため)を行い一定の水準は保たれています。そして上等な小川紙を作った装丁は見てくれもよい。その装丁に見合った華やいだプロモーションをすれば、十分客の心に届く出来と言うわけです。
その時、ドドンと太鼓を響かせ、派手な呼び込みが橋に現れました。蔦重です。大きな立札を担ぎ「♪細見、細見、新しい吉原細見~、吉原細見だぁ!」と、西村屋の前で「新吉原細見」に湧く人々へ声を張り上げます。橋の中央に来ると、立札を立てます。太い棒の先にあるのは、ライバル商品「新吉原細見」の外観そっくりに見立てた箱。「う…うちの?」と与八が驚くのも無理はありません。
「こちらはそちらの「新吉原細見」!だが、うちの細見「籬の花」はぁ~」と高らかな蔦重の口上に続き、チロチロチンと軽やかな鈴の音…すると立札の「新吉原細見」、くす玉よろしくパカッと割れます。中から紙吹雪と共に現れたのは「籬の花」2冊!パフォーマンスに目を奪われ、歓声をあげた客へ一言、「1冊の値で2冊買えるってんだから驚きだ!」と見栄切り。再び、「細見、細見、新しい吉原細見~」と練り歩き始めます。
蔦重が、「籬の花」を売るための最後のダメ押しは、一般客へ向けた視覚と聴覚に訴えたエンタテインメント性の高いデモンストレーションでした。前回は、地本問屋という玄人へのプロモーションでしたから、中身の充実から話を始め、十二分に商品価値を理解させた後に価格の話をしました。しかし、今回は情動的な一般消費者が対象。日々の生活にあえぐ消費者の心に一番届くのは、「安さ」につきます。そして大衆を動かす上で大切なことは「分かりやすさ」です。
それをクリアするために、蔦重が取ったのは、二つです。一つは、視覚と聴覚に訴える派手なパフォーマンス。もう一つは、比較広告です。現在でも見られる、洗剤の威力を他社の従来品と比較する形で実演するCM。あれが蔦重の戦略に近いところでしょう。もっとも他社商品を名指しにした比較広告という点は、現在の日本では誹謗中傷として嫌がられる傾向がありますけどね(アメリカでは普通で、日本もかつてはよくやっていましたが)。
さて、蔦重の策は見事に人々の心をつかみます。自分の欲に忠実な客とは冷淡なもの、手にした「新吉原細見」を与八本人に突き返すと、我先にと蔦重の元へ殺到していきます。集まってきたところへ「あの大名跡「瀬川」が襲名、「瀬川」が載っているのはうちだけだぁい!」と、とっておきの情報で人々を煽り、客の購買欲をガッチリと確保します。今回は瀬川襲名を移り気な消費者の心を押さえるトドメに使おうというわけです。
後は彼らの熱狂と共に市中を賑やかに練り歩き、宣伝を続けるばかり。市中に店を持たない蔦重には店頭イベントは出来ませんから、それを逆手に移動広告を打ち出します。所謂、チンドン屋の始まりは江戸期の終わり頃の大阪とされますが、本作の蔦重はいち早く似たことをしていたということのようです。ともあれ、蔦重のターゲットに合わせ、そのニーズを理解した宣伝戦略には、ぐうの音も出ない西村屋与八、「外道め…」と歯噛みし、地団駄を踏むしかありません。地本問屋から更なる恨みを蔦重は買うことになります。
「籬の花」が2倍以上の売上を出したある夜の仲の町、人々は「籬の花」片手に五代目瀬川の花魁道中を見ようと待ち構えている男たちでごった返すようになっています。そこへ、外八文字を描きながら、しゃなりしゃなりと歩く瀬川が、貫禄たっぷりに現れます。その悠然とした、輝かんばかりの美しさにたちまち沸き上がる歓声…これが、今の新吉原なのです。まさに九郎助稲荷「蔦重が細見を売り、瀬川が客を引き寄せる。二人は吉原繁盛の立役者となったのでした」との言葉どおり、二人の二人三脚で吉原は、かつての活気を取り戻したのです…表向きは…
この成功により、蔦重は忘八楼主たちの寄合に招かれて、歓待を受けます。恐縮する蔦重に扇屋宇右衛門は「ドーンとしとけ。もうおめぇはいっぱしの本屋の主なんだからよ」と褒め称え、大黒屋の女将りつも「吉原に地本問屋が出来る日が来るなんてねぇ」と手放しで喜びます。興味深いのは、自分が喝采を浴びることには遠慮がある蔦重が、皆が嬉しそうにしている様子を見るときは心からの笑みを浮かべるというカットが一つ挟まれることです。彼の仕事のモチベーションは、皆が楽しく過ごし、喜んでいる姿を見るところにあるのでしょう。彼がエンターテイナーとして江戸の出版を盛り立てていく人間性が、この1カットに表れているように思われます。
そして、駿河屋市右衛門すらも、今後を危惧しつつも、とりあえずの成功になみなみと酒を注ぎ、仕事ぶりを労いました。たらふく飲まされ、階下に降りてきた蔦重を「随分、飲まされたようだねぇ、耕書堂さん」とからかったのは、駿河屋女将ふじです。嬉しさゆえの軽口を叩いたふじは「皆、嬉しいのさ。吉原が自前の地本問屋を持てるなんて思ってなかっただろうし。これからはせいぜい頼りにするといいよ」とアドバイスをします。彼女は、強面の市右衛門のもう一つの本音です。市右衛門が、蔦重のこの先を心配するからこそ、こうした助言をするのです。
一方、蔦重は、この成功を自分の手柄とは考えていません。丁度、吉原を訪れた源内と新之助に蔦重は人手を見ながら、「こりゃあみんな、瀬川を見に来てんですよ。細見で人が来てんじゃなくて、あいつが瀬川を背負ってくれたからこうやって人が出てるわけで」と答えています。そもそも、「籬の花」の決め手の一つは、花の井の瀬川襲名にありました。自身の細見の売り上げすら、彼女のおかげだと深い感謝をしているのです。ただ、それは、これまで以上に花の井を夜の世界の過酷な生活へと誘うことになります。ですから、蔦重の言葉に、源内も言葉はありません。あいつにばかり頼っている…そんな自覚がある蔦重は「俺ぁ、何をしたらあいつに報えんのか、考えるときがあります」とぽつり、口にします。
花の井の頃の彼女と一夜を過ごした(身体の関係なし)源内は、その夜、蔦重との仲を聞いた際の「重三が誰かに惚れることなど…ござんすのかねぇ…」「どの子もかわいや、誰にも惚れぬ。あれはそういう男でありんすよ」という彼女の返事を思い出します。心の機微もわかる源内は、それだけで瀬川が誰にも明かさない蔦重への恋心を察してしまいました。ですから、「じゃあ、いっそおめぇさんが身請けしてやりゃどうだい?」と言ったのは、口調こそ軽口めいていますが、実は真剣なものでした。彼が提案しているのは、遊女一般の幸せとしての身請けではなく、瀬川が惚れ抜いた蔦重に身請けされる…つまり恋愛の成就の話なのです。
しかし、蔦重は、前者の一般的な身請けの話と受け取ります。ですから「どんなに安くても100両、200両…瀬川なんて1000両超えになるんじゃねぇすか?」と答え、とても自分の稼ぎで何とかなるものではないとします。しかも、蔦重にすれば、瀬川との仲は、幼い頃から、強気できっぷのいい彼女に叱咤されっぱなしで、色めいたものはなかったと言います。もっとも、この思い出は後日譚があり、瀬川のほうは、その後日譚で蔦重に幼い頃から一途な恋心を抱いているのですが…
ただ、それ以上に問題なのは、新之助の質問に答えた「吉原もんはその手の心根を抜かれちまうんすよ。女郎には死んでも手ぇ出しちゃなんねぇって叩き込まますし、誰かをてめぇのもんにするとか、考えたことはねぇっすね」との言葉でした。これがいかに問題かは、後述しますが、恋愛経験自体を考えたことのないという半生には、さすがの源内は呆れ返り、「虚しい話だねぇ…どうも…」と暗澹たる思いになります。「んー、そうすっよね」と軽い調子で答える蔦重に対し、「お前さんじゃねぇよ~」と答える源内の脳裏にあるのは、瀬川のきっぷのよさとそれとは対照的ないじらしい乙女心です。男一筋の源内をしても、あの健気に応えないのは哀れに思うのです。
その瀬川が抱えたものは、蔦重の想像を絶するものでした。昼から夜まで。何人もの男たちと分刻みで対応しなければならないのは忙しさは無論のこと、数が増えれば当然、粗暴な客たちも増えてきます。ある日の夜明け、客が高いびきで寝ている隣で、目覚めた瀬川は、「ちくしょう…めちゃくちゃしやがって…」と愚痴りながら、節々に痛む身体を引きずりながら、ようやく煙管で一服します。この客は、強蔵(精力絶倫男)というタイプ、瀬川の身体や心も構わず、自分の欲望のまま、精魂尽きるまで相手をさせたのでしょう…
疲れ果てた彼女の手元に見えたのは、客が持ってきた「籬の花」…脳裏に浮かぶは隣の客ではなく、売り切れたと喜ぶあの人の顔…ため息をついて仰いだ彼女は、再び奮起します。あの日、「わっちもせいぜい助太刀いたしんすよ」と涼やかに言った瀬川ですが、それは蔦重に気遣わせないための芝居で、裏ではこうなることを静かに覚悟していたということです。「一番に言いに来た」…その言葉が嬉しかった、それだけで彼女は、地獄へと身を沈めるのです。
そんな彼女の事情を蔦重が知ったのは、貸本業の伺いで松葉屋に来たときです。強蔵の相手をさせられたと聞き、女将のいね、そして松葉屋半左衛門に「何でそんな客付けてんすか」「あいつは今、誰よりも忙しいんすよ。親父さま、そんな客つけねぇでくだせぇ」と抗議の声をあげます。しかし、それを止めたのは、半左衛門でもいねでもなく、同僚の花魁、松の井。「ならば、わっちなら構わぬと?」「うつせみなら構わぬと?瀬川でないのならよいと?」と矢継ぎ早に問い詰めた松の井は、煙管を胸に突きつけると「誰かが相手をせねばならぬのでありんす」と…この事態をつくったのは、「籬の花」を大当たりさせ、客を呼び込んだ蔦重のせいだと責めます。
さすがに心優しいうつせみが、「花魁、お止めなんし」と割って入りますが、その彼女の首元に客が狼藉を働いた生々しい傷痕が見えます。慌てて隠すうつせみですが、蔦重は、ようやく自分のしでかしたことが、何なのかに気づきます。「女郎たちが食えるようにするには客を呼ぶ以外にない」…彼女らを救うことだと信じてやってきたことですが、客が増えればその分、彼女らの仕事の負担は過酷なものになります。後に蕎麦屋の半次郎が「客が来ねぇのも困りもん、来たら来たで困りもんか」と喩えましたが、それこそが吉原というシステムの実態です。そんな単純なことに気づけなかった己の迂闊さに、蔦重は暗澹たる思いになります。知ったような気になっていた…このことでしょう。
おかげでますます、瀬川に何としてでも報いなければならないとの気持ちを強くします。しかし、恋をしたことのない彼には、女心がわかりません。そこで次郎兵衛と半次郎に「女郎ってなぁをどうやりゃ報われんだ…?」と聞きます。「そりゃやっぱり身請けじゃねぇの?」と言う次郎兵衛に対して、半次郎は「身請けより間夫(まぶ:遊女の恋人)だろ。間夫は勤めの憂さ晴らし」と笑います。それを聞いた蔦重は「間夫か~、いなそうだな、あいつ」と勝手に得心。と言って、身請けも簡単なことではありません。本屋の自分に出来ることとすれば、お礼に子供の頃のように本を贈ることだと思いつきます。
それは、幼少のみぎり、瀬川が井戸に落とした根付を蔦重が取れなかったときのこと。困り果てた蔦重は、代わりに宝物の本「塩売文太物語」を差し出し、許してもらいました。その懐かしい思い出を、同じ頃、瀬川も思い出していました。その手にあるのはそのときの「塩売文太物語」。擦り切れた古ぼけた表紙からは、彼女が何度も目を通したことが窺えます。幼少のときから、蔦重からのこの贈り物を支えに生きてきたのです。
彼女に間夫がいないのではなく、幼い頃から一途に恋する蔦重が間夫なのです。ただ、それを誰も知らないだけです。懐かしみ、蔦重への想いを確かめた瀬川は、再び客商売へと向かいます。それまで疲れを見せていた彼女ですが、鏡を覗いたとき、名跡「瀬川」の顔に戻ります。蔦重は、このいじらしさを知らぬままです。
因みに「塩売文太物語」とは、塩売文太夫婦の娘、小しおが陰湿な大宮司の求婚を受けるものの、和歌を通して知り合った助八と相思相愛となり、駆け落ちをするという話です。つまりは、想い人と添い遂げる話…これを繰り返し読み、心の支えになったそれは、彼女の叶わぬ願望が詰まっています。何故なら、小しおが助八と幸せになれるのは、実は助八の正体は商人ではなく、貴族だったからです。「塩売文太物語」は、言うなればシンデレラストーリーなのですが、好き合ったものが添い遂げるには、一途な想いだけでなく、先立つものもやっぱり必要であることも仄めかしているのです。まさに、蔦重と瀬川の将来を暗示するものでもあるのですね
(2)吉原の犠牲者~女郎と若衆~
さて、吉原繁盛、即ち瀬川の評判が広く知られたことは、御大尽のなかでも特に大物を引き寄せることにもなります。この夜、瀬川の初会(1回目)の場が設けられた鳥山検校もその一人です。検校(けんぎょう)とは、荘園や寺社などの監督を担う盲人の最高位で、幕府より手厚い保護を受けた彼らは「座頭金」という高利貸しをすることを公認されていました。貧乏旗本らを相手に暴利を貪る…まさに本作の舞台である強欲の世の中を代表する人々です。
鳥山検校は、そうした検校、盲人たちの頂点に立つ人物です。こう説明すると、いかにも傲岸な印象です。瀬川が「「金の山」が座っておると思いんしょ」と、振分新造と禿たちに割り切ろうとわざわざ声をかけたのも頷けます。
しかし、意外にも鳥山検校は品がよく、まるで目が見えているかのような所作に驚く瀬川にも「すまぬ、驚かすつもりはなかったのだが…」と、息を飲む音で心中を察し、気遣います。さらに鏡、細工物などを持参して場を和ませますが、そのなかにはたくさんの本がありました。いねが理由を問うと、初会、花魁は口をきかないしきたりだから、花魁への退屈しのぎだと答えます。
検校の思いやりの見える計らいに、瀬川も吉原一の花魁として「もしよろしければ…一冊読みんしょうな」と、しきたりを破り声をかけ、礼を申し出ます。盲(めしい)の検校は「花魁の姿を楽しむのが初会」を楽しめない。だから「代わりに声をお楽しみいただいて何の罰が当たりんしょう」と言うのです。そうして、手にした青本は、恋川春町「金々先生栄花夢」…読もうとしたそのとき…表紙にある鱗形屋の紋に気づきます。
同じ頃、須原屋から戻った蔦重は、本嫌いの二郎兵衛が本を読んで笑っているのを見て、不思議に思います。三味仲間から勧められたと次郎兵衛が語り、見せたその本もまた「金々先生栄花夢」…表紙に見える鱗形屋の紋を見た瞬間、蔦重はあることを察して、ページをめくり始めます。
金々野郎を主役にした話…それは鱗形屋孫兵衛が捕まる直前まで、蔦重と二人で暖めていた「新しい青本」の企画でした。放免された鱗形屋は、蔦重に気づかれぬよう、彼抜きでそれ完成させたのです。しかも蔦重が企画した狙いどおり、次郎兵衛のような本嫌いを新しい読者層として開拓できています。
表向きは店を閉じながら、裏では「新しい青本」を完成させ、売り始めていた。また、花街の様子を面白おかしく書いたこの本のネタは、かつて蔦重が走り回って集めたもの。完全に出し抜かれた蔦重は「ち…」と舌打ちするしかありません。とはいえ、孫兵衛の居ぬ間に細見を出す不義理をしたのは自分が先。文句が言える筋合いではなく、その「めっぽう面白い」出来には感心するしかありません。
ただ次郎兵衛が話題にするほど、既に売り広められつつあるということは、既に鱗形屋は勢いを取り戻していることを意味しています。それは、即ち、蔦重の地本問屋への仲間入りの約束が潰される可能性を示唆しています。そちらのが問題です。
そのことは、「金々先生栄華夢」を朗読し、物語の魅力を体感してしまった瀬川も気づいています。翌朝、そのことに思い悩んでいると、九郎助稲荷で物音が…蔦重と察した彼女はたまらず飛び出します。「重三、これ見たかい?」と慌てる彼女に対して、「どうだった?」とあまり驚くふうでもない蔦重。「わっちは…初めて青本が面白いと思ったよ」との答えに「だよなぁ…俺もあっという間に読んじまったよ」と、てぇした(大した)もんだぁと同意し、その出来を素直に喜び、感動したと返します。
この本が出たことによる今後についての危惧は別として、この感動も蔦重の偽らざる思いです。「金々先生栄華夢」の成功は、皮肉にも蔦重自身の企画が正しかったことを証明していますし、集めた話が上手く使われていたことも納得出来ます。そして何よりも、孫兵衛と青本づくりで意気投合した時間は、たしかに楽しかったのです。面白い本をつくるのは楽しい…蔦重の出版人としての本念はブレてはいません。正しく本を評価します。
しかし、そんな蔦重の出版人らしさは、瀬川には呑気のの之助にしか見えません。「鱗形屋は早々に持ち直したってことかい?!」「あんたの仲間入りの約束は守ってもらえんのかい?!」と、矢継ぎ早に詰問を畳み掛けてしまいます。ついつい蔦重を責める口調になるのは、いつもの癖と、蔦重の将来が心配で心配でたまらなかったからです。この場面は、朝方に思い悩む瀬川のカットから始まっていますが、それは蔦重を憂いて一睡もしなかったかも…ということを仄めかしています。
ですから、「落ち着けって」と宥められても「呑気なこと、言ってる場合じゃないだろ!」と高ぶりは収まりません。蔦重は、一呼吸すると「そこは…親父さまたちと話をしてよ」とニヤリとします。蔦重は、駿河屋女将ふじの助言どおり、すぐにこの件を楼主たちに上げたのですね。思ったらすぐ動く、使えるものは何でも使う。この機敏さは蔦重の持ち味の一つですね。
「親父さまたちが?話に乗ってくれんのかい?」、信じられないと返す瀬川に「おう、いざやるとなったら山のように妙案くれてよ。腹括ったら、さすがってか、商いわかってるってか…」と、感心しきりで返します。瀬川が、この蔦重の言葉に嬉しがるのではなく、呆然とした表情になってしまうのが印象的ですね。忘八楼主らの協力は、蔦重のこれまでの努力と成果の結果です。花の井だった頃の瀬川の手助けも大きかったでしょう。瀬川も蔦重が楼主らに一角の人と認められることを望んでいたはずです。しかし、いざ、そうした現状が訪れたとき、彼女はそれを受け入れることが出来ません。
自分だけが蔦重の理解者、自分だけが蔦重の夢を助けてやれる…その気持ちだけが、男たちに痛めつけられてきた心と身体を支えてきたのでしょう。そんな彼女にとって、自分以上に力を持つ者たちが蔦重の力になれるということは、自分の支え、自分の立ち位置を失うことに他なりません。また、楼主たちの協力を喜べない自分に気づいたことも、彼女にはショックだったかもしれません。彼女は自分が思っている以上に、蔦重に惚れ込み、その深さを頼みにして過ごしてきたということです。
瀬川の戸惑いを知りようもない鈍感者に「あん?どうした?」と問われ、我に返った彼女は「…ああ、忘八は味方になれば、そりゃあ頼りになるよね…」は辛うじて、彼に話を合わせて、その場を繕います。瀬川の様子を楼主らの厚待遇に驚いた程度に思ったのでしょう。「扇屋の親父なんて、地本問屋をみんなまとめて吉原漬けにして首回らないようにしちまえって…忘八だよな」と笑い話を振ります。
聞いた瀬川、「あははは、良かったねぇ…」と愛想笑いを振り撒きますが、身体は正直なもの、楼主らと組めるまでに成長した蔦重は、手が届かない…無意識の思いからか、蔦重から離れ、少し距離のある場所へ座ります。口をついて出る「吉原を何とかしたいと思ってんのは、もうわっちら二人きりじゃなくなったってことだねぇ」との言葉。すかさず、お~、仲間が増えたってことだな」と額面どおりに返す蔦重は、野暮天です。彼女の言葉は、仲間が増えたのではなく「わっちら二人きりじゃなくなった」ことへの愚痴なのですから。
それても味方が増えて喜ぶ想い人に水を差せない瀬川は、寂しげに苦笑いしながら「ありがたい話だねぇ…まったく…」と精一杯、蔦重に合わせますが、思ってもいないことを口にするのは、心の負担。すぐに俯いてしまいます。自分の後ろ暗い気持ちを蔦重に悟らせないためでもあるでしょう。いじらしい限りですね。
すると、蔦重は「お前のおかげだよ」と実感が籠った労いをかけると、立ち上がり彼女のもとさへ近づいていきます。「今までお前が助けてくれたから、親父さまたちもこうなったんだよ、ありがとな」と、真心からの深い感謝を言葉にします。想い人からの改めての真摯な感謝にドギマギしたのでしょう。待っていた言葉なのに「別に…あんたを助けるためにやったわけじゃ…」とツンツン返すのは照れ隠しです。
内心テンションが上がっている瀬川、その彼女へ蔦重が、万感の謝意を表して「これ、もらってくんねぇか」と本が差し出されます。蔦重から本をもらう…それは、彼女が大切にしてきた幼き日の出来事と重なること。その顔は幸せに溢れて、綻びます。しかし、それは一瞬のこと。差し出されたのは、「女重宝記」というタイトルだけがドンと書かれた素っ気ない実用書とわかった瞬間、その表情は暗転し、戸惑いへ変わります。何故、こんな女性の教訓書を今ら??というところでしょう。幼い日の彼女をときめかせた「塩売文太物語」とは、あまりにも落差があるのです。
瀬川の戸惑いに気づきもしない蔦重は、これまで彼女に無理をさせてきたことへの詫びも含めて、「俺、お前にはとびきり幸せになってほしいんだよ」と自分の願いを口にします。思わず「幸せ?」と返すのは、すがるような切実なもの。今まで考えないようにしてきた蔦重の幸せに私はいるのか、そのことを聞いているのですから。しかし、色恋の経験値ゼロの唐変木が、微妙な女心に気づくことはありません。至極真面目に「身請けされて…それこそ名のある武家の奥方やら商家のお内儀やらになってほしいんだよ」と、一般的に遊女の幸せと呼ばれるものを幸せと思い込んで語ってしまいます。
痛いのは、これが蔦重が考え抜いた言葉であることです。次郎兵衛と半次郎とのやり取りで間夫はいないなと思い込んだ彼は、それならば瀬川が幸せになるには金持ちに身請けされるしかない。なら、その身請けに役立つものは何かと、須原屋へ向かったのです。実入りの少ない彼が、瀬川に報いてやれるのは、それぐらいしかないと考えた…「女重宝記」は善意と真心の産物です。お前ならなれると思う」と肩を叩くその手に籠る心遣いが、かえって瀬川の乙女心を深く深く抉ります。
蔦重が真剣に幸せを願っていることは伝わります。しかし、それはとどのつまり、蔦重の傍に瀬川がいなくなっても構わないと言っているも同然です。女郎の幸せが、間夫か身請けかとするなら、間夫は蔦重ですし、身請けして欲しいのも蔦重、彼女の幸せは蔦重抜きにはあり得ない。だからこそ、彼のために身を粉にしてきたし。それなのに…彼は…不満が募ります。
蔦重の筋違いの心遣いに言葉を失う瀬川に、「女郎は世間知らずで苦労したり、それが元で追い出されたりすることもあるっていうじゃねぇか。そうならねぇようにら、これ読んどきゃいいらしいんだよ」と、「女重宝記」は、婚姻後に必要な知識が学べると話す蔦重。隣に座る瀬川は上の空です。話せば話すほど、思いとは裏腹に刃として彼女の心を傷つけます。
ため息混じりの笑いしか出てこなくなった瀬川は「重三にとって…わっちは女郎なんだねぇ…」とポツリ。訝る蔦重に「吉原に山といる救ってやりたい女郎の一人…」と呟き、失望を隠しません。なるほど、蔦重の言う「幸せ」は、凡百の女郎たちにとっては、最大の幸福かもしれません。ただ、瀬川もそうに違いないと当てはめるのは、彼女にとってはあまりにも残酷でしょう。それは蔦重が、瀬川を凡百の女郎と同じと思っているようなものだから。一人の女としては、少しも見てくれていなかった…瀬川にはそうとしか思えません。
ただ、女として見られたい一方で「どの子もかわいや、誰にも惚れぬ。あれはそういう男でありんすよ」(第2回)と、蔦重が自分に振り向くことを半ば諦めていた節もある彼女です。決して多くを望んではいなかったでしょう。ただ、蔦重の傍でそっと彼の夢を支えられたら、それが許される対等な存在でいたい。そうであれざ、恋人や夫婦となれずとも一人の人間として、自信を持って生きていられる…そんな切なる願いだったのではないでしょうか。蔦重の心から御礼の品は、皮肉なことに、瀬川のささやかな希望を踏みにじってしまったのです。
しかし、瀬川は知りません。強蔵(精力絶倫男)に玩具にされ、動けなくなっているとあやめたちに聞かされた蔦重が、「そんな客つけねぇでくだせぇ」となりふり構わず抗議し、松の井から瀬川以外なら構わないのか、と窘められたことを。思わず、他の女郎たちのことを忘れて、蔦重は瀬川を庇おうとした。これは、蔦重が無意識のうちに瀬川を特別視していたということに他なりません。松の井が、激しく蔦重を詰問したのは、その心中を見抜き、嫉妬したのかもしれませんね。
今、早く身請けを…と願い、「女重宝記」を渡したのも、自分の「籬の花」のために、瀬川になったことで、自分が思う以上に心身共に痛めている彼女を苦界から早く救いたいと願ってのことです。瀬川だけを思い、須原屋に相談し、早朝からここにいるのですね。
そうとは知らない瀬川。カメラはそんな彼女の表情を、手前の蔦重をナメる形でバストアップで捉えます。こうすることで、瀬川の蔦重に対する落胆、虚しさが際立ちます。同時にピンボケしている蔦重から「とりわけ幸せになってほしいと思ってんぜ。ガキのころからの付き合いだし、えらく世話になってるし…」という言葉が、瀬川の心で上滑りしている表現にもなっています。
ですから、どんなに言葉を尽くしても、瀬川の顔は冷めていきます。やがて軽く仰いだとき、蔦重の「心から報いてぇと思ってるよ」という言葉が被さります。蔦重の「報いたい」の裏には、女郎である彼女への憐れみがあります。感謝されば嬉しく、心の底では報われたい気持ちもあるでしょう。しかし、彼女の望みは、惚れ抜いた男と対等でいること。万が一、パートナーとなってもそれは変わらぬことでしょう。憐れまれるのは、違うのです。
蔦重の言葉が真剣であればあるほど、自身の叶わぬ気持ちを突きつけられ、虚しさばかりが募ります。「はぁ…」と浅いため息をつき、ふいっと横を向き、蔦重から顔を反らしたのは、沸き上がる虚しさから込み上げてきた涙を隠すためでしょうか。「ふふふ、ばからしゅうありんす…」と自嘲気味に笑うと、深い吐息が漏れます。蔦重に惚れ抜いて、彼のために誰よりも役に立ってやろうと、歯を食い縛って生きてきました。
しかし、肝心の彼には、彼と対等に、共にありたいという願いは、伝わらないばかりか、憐れまれる始末。一人の人間として、一体、何をしてきたんだか…ただただ空費してきた女郎人生が情けなくなってくるのです。
しかし、それは蔦重のせいではなく、自分が勝手にしたこと…おそらく瀬川はそう思ったのではないでしょうか。彼を責めるのは筋違いですし、そもそも、対等な関係でいたい想い人、間夫に無様な姿を見せたり、泣きつくことは出来ないのが、瀬川という人であり、吉原花魁の矜持。すっと立ち上がると、精一杯の笑顔で「ありがとうありんす、せいぜい読み込みいたしんす」といなせを装うと、さっとその場を去ります。蔦重の顔をろくすっぽ見ないあたり、そこまでしか出来なかったのでしょう。
さすがに様子がおかしいと気づいた蔦重は、九郎助稲荷に「なぁ?なんか、あいつ怒ってね?」と訝ります。彼自身はどこまでも誠意だからですが、瀬川の健気な恋心を見てきた視聴者の大多数の逆鱗に触れそうな一言…いい加減モヤついていたところに…九郎助稲荷が「バーーーーーーカ!バーカ、バーカ、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ!」と、皆を代弁してくれました。
この場に源内がいたら、瀬川のために蔦重を小突き回したかもしれません。しかし、源内はおらず、視聴者の声も、九郎助稲荷の声も聞こえぬ蔦重は「俺なんかしたか?」と首を捻る始末。せめて「せぇの、このべらぼうめ!」、九郎助稲荷の罵倒がなければ、瀬川の哀しい気持ちと釣り合いが取れないでしょう。
ただ、それは瀬川に同情すればこそ。蔦重が、瀬川の想いに気づかぬのは、彼が鈍感であるからばかりではありません。蔦重には、恋愛経験どころか、人に惚れたことがありません。蔦重曰く「吉原もんはその手の心根を抜かれちまうんすよ」と。これは、つまり吉原の若衆たちは精神的に去勢されているということです。
女郎を「籠の鳥」と表したのは、花の井だった頃の瀬川ですが、女郎は性的に身体を搾取されますが、一方で瀬川は蔦重に惚れ抜き、うつせみは新之助を間夫と思うなど、心の底だけは自由です。一方、肉体は自由ですが、性的に精神を去勢された蔦重たち若衆は、人を好きになるという自然な感情がなく心は牢獄の中です。
痛ましいのは、惚れる心根を抜かれている自覚はあるにも関わらず、大事な人間性を損なわされていることには、蔦重はまったく無自覚だということです。蔦重の「吉原のため」、即ち「女郎たちが生きていくため」に奔走する、過剰なまでの献身と私欲の薄さは、ある意味では歪なものにも見えます。それは、この吉原という性搾取による利潤を生むシステムの結果なのかもしれません。何にせよ、吉原というシステムが、そこに生きる女性たちだけではなく、男性たちに対しても過酷だったというのは、「べらぼう」という作品の眼差しとして興味深いところです。
身体は搾取されるが心は自由な女郎たち、身体は自由だが心は去勢される若衆たち、どちらが不幸なのか、その答えは「べらぼう」では示していません。ただ、吉原システムが産み出した蔦重と瀬川は、その対照的な状態ゆえに、互いを思いやりながらもすれ違うしかない…その悲劇性から、新吉原という場所の非人道的で過酷な世界観が炙り出されたのが、第8回の側面の一つと言えるでしょう。
2.忘八たちの逆襲
(1)鶴屋喜右衛門の暗躍
蔦重たちが忘八楼主たちと手を組んで対応せざるを得なくなった鱗形屋による恋川春町「金々先生栄花夢」の大当たり。作品の根幹に関わる吉原の情報を収集したのは蔦重です。そして筋立ては、鱗形屋孫兵衛と蔦重の競作。それを恋川春町に白羽の矢を立て、絵も文も書かせ、書物として「めっぽうおもしれぇ本」に仕立てたのは孫兵衛です。ですから、「金々先生栄花夢」の中身については、鱗形屋孫兵衛の名プロデュースによるものと言えます。しかし、それが大当たりしたことについては、裏で鶴屋喜右衛門が糸を引いています。
孫兵衛が奉行所から放免になって暫くしたある日、鱗形屋を訪れた鶴屋は、須原屋市兵衛の尽力で軽い処分で済んだことを一通り孫兵衛から聞くと、「ところでこれは…もうごらんになりましたか?」と早速、蔦重の作った「籬の花」を差し出します。それまでにこやかにしていた喜右衛門が、わたす一瞬だけ真顔になるところに彼の本音が透けて見えますね。訝る孫兵衛に「蔦重が出した細見です。鱗形屋さんがお留守の隙に…」と、飼い犬に手を噛まれましたよとわざわざ告げ口するような口ぶりで話します。「作った」ではなく「出した」と言ったのも、蔦重が版権を侵したということを強調したということでしょう。
須原屋市兵衛が偽板の件は、小島松平家の裏切りであったと話しています。ですから、つかまったときに蔦重を疑った孫兵衛も密告が蔦重の仕業ではなかったことは分かっているはずです。ですから、このとき孫兵衛が「ちょ…!」と驚き、確認するように「籬の花」をめくったのは、純粋に驚いたと思われます。もしかすると、暫くしたら蔦重に詫びを入れて、再び青本づくりの協力を頼む腹づもりもあったかもしれません。
ところが、現実は自分がいなくなった隙に、蔦重は、確信犯的に細見の版権を掠め取りました。どのみち今年の細見は鱗形屋が出せる状況にありませんでしたから、他の地本問屋が出したはずです。ただ、それは一時的なものになったでしょうし、蔦重を擁する鱗形屋版を上回るものになるとも考えなかったでしょう。しかし、蔦重が出したとなれば話は別です。孫兵衛が嫉妬するほどの才に溢れた彼が、地の利を生かした出した細見の出来は最上のものとなります。その上、彼にそれをさせた以上は細見の出版権は恒久的に握ることが想定されます。吉原の出版権を丸抱えにして、利を貪ることを企んでいた孫兵衛の目論見は、脆くも崩れたと言えそうです。
慌てる孫兵衛の心を見透かしたように喜右衛門は、「鱗形屋さん、あれは、吉原の引札屋(ちらし配り)です」と静かに無頼の吉原者に狼藉を働かれたと諭します。それを聞く鱗形屋孫兵衛の表情は、苦悶に歪みます。カメラが捉えたその顔のアップに浮かぶのは、牙を抜き飼い慣らしたと思い込んでいた吉原者に出し抜かれ怒り、恐れていた蔦重の才覚を世に出してしまったことへの口惜しさ、そして貴重な定期収入だった細見の版権を掠め取られた焦り…そんなところでしょうか。
その顔へ「とても本屋なんてもんじゃない」という喜右衛門の吐き捨てるような蔦重の侮蔑が覆いかぶさります。前回、鶴屋喜右衛門は、蔦重の無理筋としか思えない挑発を失敗すると踏んで、乗りました。しかも、西村屋与八によりよい細見づくりをさせる念の入れようで、蔦重の希望を完全に摘んでしまうつもりでした。しかし、結果は彼自身が、その出来に太鼓判を押さざるを得ないという惨敗。彼が一杯食わされたのは、蔦重を吉原者と甘く見た己の慢心であり、自業自得です。
しかし、地本問屋たちを仕切る彼にとって、その屈辱は耐え難いものだったのでしょう。「とても本屋なんてもんじゃない」…細見の成功は本屋の知見ではなく、山師のしたことだと貶めることで自尊心を保っていると思われます。喜右衛門が狡猾なのは、その自分の思いを使い、「鱗形屋ともあろうものが、吉原者に負けたままでよいのか」と、彼の口惜しさを突き、けしかけている点です。案の定、孫兵衛は口惜しさに火が着いたか、「籬の花」をぐしゃぐしゃになるほど握り潰してしまいました。そして、その手がクローズアップされて、この場面は幕を引きます。鱗形屋が総力を挙げて、新たな本によって逆襲する…そんな決意をしたことが窺えます。
それにしても、鶴屋喜右衛門は、蔦重を罠に嵌めた鱗形屋孫兵衛と西村屋与八以上に卑劣な人物として描かれていますね。今回の偽板事件、実際に穏便に事を収めたのは、須原屋市兵衛ですが、彼が鱗形屋に助け船を出したのは、江戸から始まった本屋は須原屋と鱗形屋だけという古くからのよしみと江戸っ子の矜持だけでした。利益抜きで大阪の版元、柏原屋へ別の偽板で訴え返すと脅しまでかけて、軽い処分で済むよう図ったのです。
対して、鶴屋喜右衛門はどうか。彼は地本問屋の寄合で、鱗形屋の捕縛と今後で話題持ちきりになったときも一言も口を挟まず、黙っていました。また、その後の細見の版権を誰が引き継ぐかということも、あっさり他の版元たちに譲るように議案として諮り、興味を示しませんでした。当然、地本問屋の仲間内として、鱗形屋を助けようとすることもまったくありませんでした。結局、喜右衛門が鱗形屋を尋ねたのは、すべてが収まってからです。これらの言動からは、鶴屋にとって、鱗形屋の存続はどうでもよかったことが察せられます。
にもかかわらず、さも心配してる体でやってきたその目的は、一重に孫兵衛の復活が蔦重の地本問屋仲間入りを防ぐ最も有効な手立てだからです。市兵衛と喜右衛門は対照的と言えるでしょう。蔦重が「倍売れる細見」という条件を予想以上に確かなものとして仕上げてきたこと、それをそう認めざるを得なかったことは、鶴屋喜右衛門にとっては屈辱的なことでした。そのことは、第7回のラスト、一人うつむき「倍売れるかもしれませんが…」と言葉を震わせたことが象徴しています。適当にあしらって、排除すればよいと思っていた吉原者が、思わぬ才覚を持っていたことで、蔦重への冷淡な侮蔑が明確な敵意となった瞬間だったと言えるでしょう。
しかも、その敵意は、地本問屋の利権を守るといった商売上の理由ではありません。「雛形若菜」の一件(第4回)のときから、彼がその回りくどい物言いで匂わせてきたことは、吉原者に対する蔑みです。第4回noteでも触れましたが、駿河屋市右衛門と扇屋宇右衛門は鶴屋のその態度に最初から気づくところがありましたね。だからこそ余計に、蔦重の地本問屋への仲間入りという話を心配したのです。
思えば、鱗形屋孫兵衛が蔦重を罠に嵌めたのは、その才覚に嫉妬しつつも、彼を取り込み、あわよくば吉原を自分の利として手中に収めることが目的でした。その尻馬に乗った西村屋与八も、元手無しで錦絵をつくって実入りになる旨味の話だから加わりました。謂わば、二人とも欲の皮が突っ張った結果として阿漕なことをしたのです。これはやり方はともかく、利益第一の商人としては、欲望に忠実であるのは自然と言えるでしょう。
しかし、喜右衛門の蔦重排除の動機は、吉原者が仲間内に入るのは生理的に我慢ならない、本屋のプライドが許さないという差別意識だけです。強欲から来る損得勘定ならば交渉の余地がありますが、生理的な差別意識にあるのは拒絶だけです。喜右衛門は、蔦重にとって、かなり厄介な相手だと言えるでしょう。
さらに喜右衛門の狡猾さは、決して自分の手を汚さないことです。「蔦重の細見がさほど売れぬよう良い細見を出すという手もありますよね」と方針を示しながら、実行は欲に目がくらんでいる西村屋を煽って、自分は何もしません。こうしておけば、万が一、失敗したとしても、それは西村屋与八の手落ちであって、自分に実損もなければ、店の名に瑕がつくこともありません。無論、名うての地本問屋である西村屋が、負けることは予想もしていなかったでしょう。ただ、負けた場合を担保しておく姑息さは、彼の商人らしい打算なのかもしれません。
今回の蔦重への仲間入り断りも、終盤の吉原の楼主たちとのやり取りからすれば、蔦重を潰したくて仕方ないのは、恥をかかされた形の孫兵衛や与八ではなく、喜右衛門自身です。にもかかわらず、「籬の花」を使って鱗形屋孫兵衛を煽り、彼に売れる本をつくらせることで、間接的に蔦重を潰す手段を講じています。実行役は、自分ではありません。無論、これは孫兵衛の信頼を得、地本問屋たちの結束も促せますから、一石二鳥、いや三鳥という打算もあるでしょう。
ただ、細見のときのように完全に人任せにしては、結果は西村屋の二の舞になりかねません。蔦重は予測不能であることは、学習済みです。一方で鱗形屋の放免のような格好の蔦重潰しの機会は早々ない。この好機を逃さないため、今回ばかりは鶴屋喜右衛門も裏方として動くことにします。それでも、あくまで出版は鱗形屋に任せます。そもそも、鱗形屋に老舗としての実力がなければ、この策は効果がないのですから、当然でしょう。ただ、偽板に手を出すほどの財政難が今の鱗形屋です。資金繰りについては、鶴屋が支援しているのではないでしょうか。出来上がった本を喜右衛門に検分してもらう際の神妙な孫兵衛の様子からは、そんなことも察せられます。
さて、元々、孫兵衛は、既に捕まる前に青本の件は恋川春町から執筆の快諾をもらっていました(第5回)し、蔦重とのネタ合わせの詰めもほとんど出来ていました。「めっぽうおもしれぇ本」を作る準備は、とうに整っていたのです。後は、孫兵衛のやる気ですが、老舗の復興させる意気込みに、喜右衛門に煽られた蔦重への屈辱感が加わります。死に物狂いだったでしょう。そうして出来上がった渾身の作品が、青本改め黄表紙本の始まりとなった恋川春町「金々先生栄花夢」です。
その仕上がりに満足した鶴屋喜右衛門は「鱗形屋さん、まずは敢えて少なく撒きましょう」と笑顔で販売戦略を語ります。今回、喜右衛門が裏方として動くのは、この方面です。商品開発と販売戦略は、商品でつながっていても次元の違うものです。「籬の花」が、「新吉原細見」を押さえ、倍以上売り上げたのは、最終的には「籬の花」の中身が優れていたことですが、一般人への売り上げの決定打になったのは、西村屋の「新吉原細見」販売の店頭イベントの場にわざわざ表れて行った蔦重の派手なプロモーション活動です。細見目当ての客の面前で行われた比較によって、「新吉原細見」は霞んでしまったのです。良いものをつくったのであれば、売り上げるまで手を抜かない。販売戦略の重要性は、第8回の冒頭で示されています。
鶴屋喜右衛門は、そのことを重々理解しているのでしょう。逆に鶴屋の言葉に「では、あまり売れそうもねぇってことですか?」と狼狽えた鱗形屋は、「良い品が出来れば売れる」という素朴な考えのだったのかもしれません。鶴屋は「いえ、これは必ず大評判を取ります。故に本好きの飢えを煽りに煽り、頃合いを見て一気に売り出し、やはり青本は鱗形屋さんと評判を高めましょう」と、その広報戦略の所以を語ります。まずは評判が口コミで広がる。しかし、供給が抑えられているので興味があっても読むことが出来ない。読ませてくれ!という需要が最大限に膨れ上がったところで、一気に供給するというわけです。
2020年代ならば、受注生産商品に転売ヤーが高値をつけ始めるような頃合いに、一般販売をかます…といったところでしょうか。昨年から今年にかけて大当たりした映画があるのですが、10年以上前の前作の出来もよいとの口コミが広がった結果、あらゆる通販サイト、オークションサイト、中古屋からBlu-rayが売り切れ、入荷未定となりました。販売元の増産が間に合わず、入手には1ヵ月以上先になるという事態に。結局、見られないという飢餓感の末、最終的には某通販サイトにて1ヵ月で600本以上が増産分の予約が入りました。いつの時代も同じなのですね(苦笑)
ただ、鶴屋の販売計画は、青本のベストセラー化は通過点に過ぎません。飢餓感が最大級になったところで本が供給されれば、人々は鱗形屋の店頭へ殺到します。その様子自体が更なる口コミとなり、今度は「面白い本を探すなら鱗形屋だ」という評判も獲得するようになります。つまり、この販売戦略の最終目的は、鱗形屋のブランド力も上げることにあるのです。そこまでしてこそ、老舗、鱗形屋の復活です。喜右衛門の説明に、孫兵衛の心にもこうした青写真が描かれたのでしょう、その顔が喜色に満ちます。その表情を確認してから、喜右衛門は「そうすれば、皆思いましょう。このような本は誰にでも作れるものではない」と、彼の自尊心をくすぐります。
実際は、「金々先生栄花夢」の要となる色街の描写のリアリティは蔦重がいなければ出来なかったのですが、孫兵衛はもう失念しているでしょうし、喜右衛門はそもそもそれを知らないでしょう。孫兵衛を大いに満足させた上で喜右衛門はとどめに「大事にすべきは鱗形屋さん。吉原の引札屋などではないと」と、喜右衛門自身の吉原への侮蔑を吹き込みます。頷く孫兵衛は、すっかり鶴屋喜右衛門の手の内のなかです。
(2)底辺と蔑まれる吉原という出自
こうして鱗形屋から出された「めっぽうおもしれぇ」画期的な青本は、鶴屋の販売戦略という助力によって、言うも言われぬベストセラーとなります。鶴屋喜右衛門がそこまで意識したかはわかりませんが、当初、販売数を少なめにし、秘かに売り広めたことは、結果的に蔦重の耳に「金々先生栄花夢」の噂が入るのを遅らせる効果もあったように思われます。蔦重が「これは…まさか…」と驚いたときは、既に本嫌いの次郎兵衛にまで話題が広まっていました。こうなっては、蔦重一人では手の打ちようがありません。
つまり、喜右衛門は、今度は蔦重を見事、出し抜き返したと言えるでしょう。しかし、「金々先生栄花夢」のベストセラーなどは、彼にとっては蔦重排除という計画の一環に過ぎません。そこまでして、初めて「籬の花」での失点を取り返し、溜飲を下げることができます。ここからが本番です。ある日、鶴屋喜右衛門は、鱗形孫兵衛、西村屋与八など主だった地本問屋たちを引き連れて、吉原を訪れます。遺恨の残る蔦重と孫兵衛の緊張感のある挨拶をよそに、鶴屋は話があると切り出します。
蔦重始め、忘八の楼主連も彼らが「先手打って仲間入りを断りに来た」(大文字屋)ことは察しがついています。そもそも、鱗形屋の復活からそれを警戒していたのですから。まずは打たれた先手を取り返すべく、扇屋宇右衛門が、一同が揃ってしまう前に酒宴にしてしまおうと、地本問屋たちに笑顔で酒を勧めます。酒宴になり、へべれけになってしまえば話し合いなど成り立ちません。曖昧にして、この場をやり過ごそうというわけです。
扇屋の笑顔に地本問屋たちは、酒を受けようとしますが、鶴屋はその手には乗らぬとばかりに「どうぞおかまいなく…」と扇屋をいなすと、いの一番に盃を手にした与八に「西村屋さんも、今日は遊びではありませんから」と窘め、他の地本問屋たちも牽制します。最初から対決姿勢の鶴屋に扇屋は「まあそうおっしゃらず、今日はこちら持ちにいたしますんで」と、努めて事を構えないよう柔らかく対応するのですが、「女と博打は麹町の井戸、嵌まれば…底が知れぬと聞きますので」と、今度は忘八たちと慣れ合うつもりはないのだと言外に明言します。これには、窘められてもなお一献、飲みかけていた西村屋与八も盃を置くしかなくなります。老練な宇右衛門の手管を捌き、仲間の統制を図る鶴屋喜右衛門のさまには、大文字屋市兵衛も「隙のない」と舌打ちするしかありません。
一同が揃ったとことで、鱗形屋孫兵衛、おそらくは喜右衛門とのかねての打ち合わせどおり「実はこの度、このような青本を出しまして、ことのほか評判もよく…店先には客も詰めかけております。これからはなお一層本屋として精進していく心づもりでおります」と、歌舞伎よろしく口上を述べます。
それを受け、鶴屋喜右衛門「私たちとしては、やはり長い付き合いのある鱗形屋を力の限り支えていきたい。それが仲間内の総意となりまして…申し訳ありませんが耕書堂さんの仲間入りの話はなかったことに」と表情はにこやかですが、はっきりと断りを入れます。そもそも、仲間入りの約束は、鱗形屋の抜けた穴に耕書堂が入るということでした。ですから、鱗形屋が復興するのであれば、そもそも耕書堂が入る枠などないというわけです。この理屈を立てるために、鶴屋喜右衛門は、鱗形屋の出版に手を貸したのです。
ただ、ここでも、「私たち」「総意」という言葉で、自分自身の本音を煙に巻くのが、喜右衛門のやりようです。元より、本の増えすぎによる共倒れを防ぎたい地本問屋たちは、仲間を増やすことには消極的です。一枠あったとすれば、新参より馴染みというのは人情でしょう。ですから、この「総意」を得ることは比較的簡単だったでしょう。加えて、「新吉原細見」を潰された西村屋の顛末は、彼の愚痴と共に地本問屋たちの耳に入っているでしょう。その同業者をあからさまに押しのける遣り口も、自分たちの商売の妨げになるとの考えもあるやもしれません。ともあれ、彼らも基本的には、既得権益を守りたいという損得勘定で「総意」に賛同しているのです。
しかし、蔦重からすれば、こうした地本問屋たちの強欲ぶりは、鱗形屋の罠に嵌められたことで身に染みています。予想の範囲内でしょう。蔦重は、鶴屋の体のいい拒絶に然して驚く様子も見せず、「うちが出すのは吉原に関わるものだけと考えております」と返し、逆に地本問屋たちを驚かせます。そして、意外な発言に虚を突かれた地本問屋一同に「鱗形屋さんが出すような青本、芝居絵本、往来もの類には一切手を出しません。皆さまが案じなさっている本の増えすぎによる共倒れは防げるかと」と静かに続けます。
蔦重が仲間内に加わることを地本問屋たちに切り出したのは、共倒れを恐れて仲間に加えないという彼らの理屈を逆手に取ったものでした。ですから、此度もまずは、その既得権益を保証する意思表示をしたのです。しかも、蔦重の出版に縛りを設ける申し出ですから、随分下手に出ているように見えるはずです。先にも述べたとおり、相手が損得勘定であるならば、交渉の余地があるのですね。案の定、「どうですかねぇ」と、鶴屋の言葉とは裏腹に揺れ始めた地本問屋たちに目を細めた蔦重は「そんな取り決めで私を仲間に加えていただけませんでしょうか」とあくまで低姿勢で頼み込みます。
そこへ「だが、細見を出すんだろうが!」と詭弁だと返したのは、彼に出し抜かれた駿河屋孫兵衛です。既にお前は、古くからの地本問屋の既得権益を侵犯していると指摘し、その手には乗らないと言うのです。彼は、蔦重の出版人との才覚を利用したいほど恐れています。ですから、「うちが出すのは吉原に関わるものだけ」という縛りを設ける申し出に対しても、言葉の裏にある「吉原にかかわる出版物を出させたらうち以上のものはない」という蔦重の自負を嗅ぎ取ったかもしれません。実際、彼は「籬の花」で自信を深めていますし、またそれが「吉原のため」なんでもやるという気概を支えてもいます。
しかし、孫兵衛の追及にも「細見はこちらで作り、ただでお譲りするという形でいかがでしょうか?」と、自分のつくった細見の利益を手放すどころか、自分は赤字になっても構わないという提案に、またまた地本問屋たちは呆気に取られます(鶴屋だけはその意図を値踏みする顔つきですが)。「それなら元手はかからず、売った分すべてが実入りとなります」と答え、既得権益の侵犯には当たらないどころか、そちらの利益になると仄めかします。
この提案をした蔦重の心中は、複雑なものがあったように思われます。一つは、ずっと彼自身の心に引っかかっていた鱗形屋孫兵衛を偽板事件で見殺しにしたという後ろめたさです。それを振り切り、地本問屋になる夢のため、彼の抜けた穴を上手いこと奪おうともしました。結果、「籬の花」をつくり、吉原を繁盛させたのですから、そのことに後悔はないでしょう。
ただ、自分を嵌めたことへの怒りはあっても、須原屋に「鱗の旦那に潰れて欲しかったわけじゃないんで」と言ったとおり、そこまでの罰を望んではいない。何故なら、本つくりが好きという孫兵衛の側面も知っているからです。ですから、「金々先生栄花夢」を読んでも、自分の集めたネタを使われたと臍(ほぞ)を噛むよりも、寧ろ、楽しむことができたのです。そう考えてみると、彼の提案の裏には少なからず、孫兵衛に対する罪滅ぼしが含まれていたようにも感じられますね。
無論、それが出来るのは、細見の利益を捨てることで退路を断ち、地本問屋としてこれから出す出版物だけでやっていくのだと自負と決意があってこそです。また、その赤字を背負ってでも、市中に自由に吉原を宣伝することが可能になる地本問屋という立場を手に入れることが、中長期的に自分たちの利益になるという算段もあります。「鱗の旦那」への罪滅ぼしと夢と将来のためにここは譲れないという決意のせめぎ合いが、彼の提案を支えていると思われます。
さて、蔦重に随分な譲歩をされ、思いも寄らぬ濡れ手に粟な儲け話まで付けられた地本問屋たち。もとより、自分の得る利益のことが第一。仲間内の結束なぞ二の次。「それなら」と心が揺らぎ始めます。すかさず、酒を勧める扇屋宇右衛門のアシストが良いですね。酒宴によって融和ムードをつくり、後の交渉を円滑に進めようというわけです。この展開に目を剥いたのは鶴屋喜右衛門です。せっかく、地本問屋の一致団結をもって、蔦重の仲間入りを拒絶しようというのに、他の版元は、蔦重にかがされた鼻薬にあっという間に籠絡されてしまいました。
これだから蔦重は油断がならないし、またこの版元たちの体たらくはアテにできないと理解しました。焦った喜右衛門は、「わかりました!」と強く切り出して、和みかけた空気を断ち切ると、同行していない者の意見もあるから後は自分が話すと申し出て、他の地本問屋たちを退席させます。寄合を見れば、彼の発言権は極めて大きく、大店だけに信頼も厚い。彼なら悪いようにはならないと考えた地本問屋たちは。大人しく退席します。
「随分とこちらにも儲けがある話をお考えいただいたようですが、この世には金で動くものと動かぬものがあるんですよ」と切り出した鶴屋喜右衛門は、遂に自分の手で、損得勘定ではなく、感情論で蔦重を排除することを告げざるを得なくなっています。しかし、それでも「名前は申し上げられませんが、吉原物を市中に加えるのかとおっしゃる方が少なからずおられます」と述べ、自分ではなく他の者の発言とすることで、言質を取らせないようにしています。そもそも、そこまで頑強な抵抗をする版元がいたかどうかはわかりません。よしんば賛同していたとしても、喜右衛門に言い含められた者たちで、この場にいれば、松村屋同様なびいたかもしれません。
「何ですかそれは?」と敢えて理由を問う蔦重に「吉原者は卑しい外道…市中に関わってほしくないと願う方々がいるということです」と吉原への侮辱をあっさり口にします。「吉原者は卑しい外道」という言葉につい力が入っているのは、これが彼の本音だからです。ただ、狡猾な彼は「市中に関わってほしくないと願う方々がいる」と、あくまで自分はそう思っていない体を装います。
あからさまな侮辱に短気な大文字屋が「何抜かしてやがる…てめぇらがのさばってる日本橋は元は吉原のあったとこじゃねぇか」と真っ先に反応すると、「おうよ、元々は俺ら吉原もんの土地やろうがよ」と丁子屋がそれに呼応して、怒りを向けます。因みに、本来の吉原があった場所が日本橋葺屋町、明暦の大火(1557)を機に今の場所になったのです。それゆえ、今の吉原を新吉原と言いうのです。さて、鶴屋喜右衛門、大文字屋の怒りに、さも痛ましげな顔つきで「私もそう言ったんですが…こんないかがわしいもの、市中には要らぬと追い出されたんじゃないかと…」と発言をいなすついでに、痛いところを突く、嫌がらせをします。
「こちとら天下御免ですけどねぇ」と、今度は大黒屋女将りつが、幕府公認の遊郭ゆえに「要らない」とは御幣があるのでは?と理屈で返します。これにも「ええ、そう言ったんですが、お上が僻地へと追いやった者に市中の土を踏ませては、お上に逆らうことになると…」と事もなげに応じます。これまた難癖もいいところなのですが、実際のところ、市中の認識は喜右衛門のような考え方をしています。
第1回noteでも触れましたが、この後、大文字屋市兵衛が、神田の屋敷を購入しようとして手付金まで払ったにもかかわらず、売主は名主にその売買を差し止められるということが起きます。大文字屋が訴えたところ、妓楼の楼主などという卑しい職業の者が江戸城付近の土地を買うなど「甚だ不届き至極」と逆に叱責されたのです。
そういう市中の眼差しを承知している忘八楼主たちは、返す言葉がありません。とはいえ、一々「自分はそう思っていないが」と前置きするような物言いをして、自分が彼らに向ける侮辱を臆面もなく口にする喜右衛門の姑息さは、事を収めるというよりも挑発でしかありませんね。忘八楼主たちを相手に丁々発止の喜右衛門、一見、豪胆に見えますが、そういうことではなく、心底、吉原者を軽蔑し、馬鹿にしているということなのでしょう。卑しい身分の者たちがどれだけ集まってこようが、恐くはないし、堅気に手は出せないだろうという傲慢の表われです。
頭のいい扇屋宇右衛門は、既に諦めモードに入ったのか、一人酒を口にしながら、「そういう方たちは女もお買いにならないんでしょうなあ」と、清廉潔白でもなかろうにと揶揄します。言質を取らせていない喜右衛門は「さあ、どうでしょうか。私はそこまでは…」とすっとぼけるだけで、これをかわします。まあ、彼自身はここまで嫌うのですから、縁がなかったかもしれません。因みに駿河屋市右衛門は、これらのやり取りの横でじっと耐えています。
忘八楼主と鶴屋喜右衛門が険悪のなかとなっていくなか、一人冷静なのは、蔦重です。両者の話が一段落したところで「あの…鶴屋さん、吉原毛嫌いなさっている旦那さまたちと話させてもらえねぇでしょうか。たしかに俺たちは忘八だ。わかってもらうために…話し合って親しみを持ってもらうしかねぇんですよ。お願いします」と、どこまでも低姿勢を崩さず、懇願します。地本問屋になる…強い志にブレるところがない彼は、あくまで交渉を粘り強く行います。また、人たらしの蔦重です。話せばわかってもらえるという自信もどこかにあるのでしょう。
しかし、鶴屋喜右衛門にしてみれば、まさに蔦重のそういうところが嫌いなのです。現に地本問屋たちを率いて乗り込んでみれば、鱗形屋と西村屋はともかく、他は簡単に気を許してしまいました。ですから、譲るわけにはいきません。答える喜右衛門「私もそうしてみませんかと申し上げてみたんですが、皆さま…」と、ここまでは薄笑いを貼りつけていましたが、急に伏し目がちになると「吉原の方々とは同じ座敷にもいたくない!」と、この場で彼らの対応をしていること自体が汚らわしいとの本音を窺わせると、また薄笑いに戻り「って具合で」と取って付けたような物言いをします。にべもない言葉に呆然とする蔦重、言葉を失います。
さすがに忘八楼主たちの表情が怒りにひきつります。堪忍袋の緒が切れたにもかかわらず、それでもじっと耐えているのは、堅気のものに手を出すことへのためらいがあるからです。すると、それまでずっと何も言わず黙っていった駿河屋市右衛門が、突如、「ハッ…」と笑います。静かに立ち上がると、すたすたと鶴屋喜右衛門へ進み出ます。不穏な空気を読んだ蔦重「親父さま?!」となりますが、構わず喜右衛門の横に立つと見下げたように改めて笑います。
負けじと薄笑いを返す喜右衛門に、ついにキレた市右衛門、「嘘くせぇんだわ、お前!」と、声を荒げると、その身体を掴みあげると畳の上を引きずります。蔦重が止めるのも聞かず、「グダグダ理屈並べやがって!!」とさらに激昂します。まあ、回りくどい屁理屈、いるかいないかわからない地本問屋にかずけて言質を取らせない物言い、薄笑い、何もかもが自分の吉原への差別意識を誤魔化す詭弁であることは、明白でした。
侮辱だけではない、その不誠実な人間性は、最早、交渉するだけ無駄です。市右衛門の動きに素早く、襖を開ける大文字屋という連携の後、鶴屋喜右衛門を座敷から引きずり出すと、階下にぶん投げました。まともに受けた西村屋与八が、クッションとなり大事には至りませんでしたが、与八のほうが腰を痛めた様子です。
蔦重はなおも、市右衛門を止めようとしますが、それをふじがそっと止めます。ここまで来たら、耕書堂と地本問屋たちの争いではなく、吉原と地本問屋との対決になってしまったからです。出る幕ではない…ということでしょう。偉そうに詭弁を並べ立てていた鶴屋喜右衛門は、階下で転がったままになりました。その無様を傲岸不遜に見下ろす駿河屋市右衛門は「わりぃけど、俺らもあんたらと同じ座敷にいたかねぇんだわ」と言い放ちます。脇にいた大文字屋市兵衛は「出入り禁止だ、あんたら」と地本問屋の連中の吉原への出禁を告げます。
そこへニヤニヤと笑う松葉屋半左衛門が現われ「ってことは、もう皆さんは吉原の本は作れない」と、一昨日きやがれとばかりに巾着を投げつけます。汚い地本問屋どもの銭など要らぬというわけです。相槌を打つように「あらまあ、今後は重三しか作れないってことになるねぇ」と高笑いする大黒屋りつ。二人は、喜右衛門が下手な交渉で、吉原を侮辱したことがどういう利益の損失になるのかを突きつけます。
損得の問題ではない…とうそぶき、交渉の場で自分の差別意識を撒き散らした鶴屋喜右衛門ですが、それは吉原が強硬に出ないと踏んだからでしょう。「雛形若菜」と同様、利益のために蔦重を切り、孤立する蔦重を見ることになるという下卑た目論見があったと思われます。
しかし、一度は自前の地本問屋を手に入れられるかも…という夢に触れ、その可能性を感じていた今の楼主たちには、脅しや揶揄だけでは通じるはずもない。相手にとっての利益を提示しなかった時点で、喜右衛門は冷静な交渉人とは言えませんでした。その挙句が、この決定的な決裂です。
「黙って大門くぐりゃあいいなんて…考えんなよ!」と念押しをする大文字屋の横で「そうですよぉ、二度と出ていけなくなるかもしれますからねぇ」と凄みのある笑顔で柔らかな物言いの恫喝をする扇屋宇右衛門。久々に忘八の本領です。主要メンバーの割台詞が終わったところで、駿河屋市右衛門が「覚悟しろや、この赤子面!」と、地本問屋に喧嘩を売って締めます。
初めて鶴屋のすまし顔が、屈辱に歪み、鱗形屋も緊張の面持ちに…事態が全面対決の様相を帯びるなか、蔦重だけが、この結末に苦悩の表情を浮かべています。それにしても、「赤子面」は、明らかに鶴屋を演じている風間俊介くんの童顔に対する当て書きですよね。
おわりに
蔦重の「籬の花」の成功は、吉原繁盛を招きました。しかし、そのことは、前回noteで危惧した通り、新たな敵をつくることにもなりました。その結果、起きた吉原と地本問屋たちとの全面対決…そこに窺えるのは、市中と吉原との間にある差別意識という大きな溝です。
また、これまで二人三脚で協力しあってきた蔦重と瀬川、互いを想い合いながらもすれ違いが生じたのも、「籬の花」の成功がもたらしたことです。そして、すれ違いの背景にあるのは、女郎と若衆、それぞれの吉原での搾取のされ方の違いでした。つまり、蔦重が版元として自立していくには、吉原の中にあるヒエラルキーの問題、吉原と市中の関係にある差別の問題、二つが横たわっていることが仄めかされたのが第8回だと言えるでしょう。
そう考えていくと、多くの人が、その頼もしさに溜飲を下げた忘八楼主たちの逆襲も手放しで喜べるものではありません。蔦重がこの結果に苦々しい顔をしているのは、地本問屋たちと決裂してしまっては、市中に売り広めるという頒布の問題がまったく解決できないからです。利益をあげるためには、市中での購買が必須です。また、地本問屋の仲間内になれば、万が一の失敗があっても仲間内での互助が受けられるでしょう。
しかし、それが手に出来ない今、利益ばかりを求める強欲な忘八たちを前に失敗の許されない出版を求められています。今は味方になってくれている楼主たちは、蔦重が利益を生まないとなれば、容易に切り捨てるでしょう。市右衛門は、養子のよしみで多少は助けてくれるかもしれませんが、結局は駿河屋の跡継ぎへの道です。実は、蔦重、極めて難しい立場に立たされているのかもしれません。
加えて、瀬川との仲も微妙です。二人の仲が進展するとすれば、それは蔦重が無意識へと封じ込めている瀬川への思い遣りが、実は恋心であったと自覚することなのですが、それが果たして良い結果を生むか否かはわかりません。鳥山検校による身請けという史実の問題だけではなく。職場恋愛が御法度の吉原、身請けするだけの金もない。「塩売文太物語」とはいかないのが、この世の常。このハードルをどうしていくのか。蔦重は恋に仕事に前途多難です。