「どうする家康」第18回「真・三方ヶ原合戦」 天運を引き寄せる家臣の力~徳川家臣団が決めた天下の行く末~
はじめに
第18回は一に夏目広次、二に夏目吉信、三に本多忠真と三方ヶ原合戦で散り逝く者たちにフォーカスした涙無くしては語れないものでした。
特に夏目広次が本作開始当初からずっと(劇中の時間で言えば約四半世紀に渡り)抱えてきた苦悩と後悔…そして、それが遂に報われる瞬間は強い印象に残りました。描かれたのは彼らの死にざまではなく、生きざま。彼らは自らの人生を生ききったのです。
三方ヶ原の戦いは、多くの戦死者を出したことで知られています。その中には、殿(しんがり)の軍で奮戦した鳥居元忠の弟、忠吉、その忠吉と三方ヶ原の戦い前夜に喧嘩し、合戦では家康本陣を守った成瀬正義(二人の喧嘩は後に講談「湯水の行水」となりました)など家康の近臣とも言える若き武将たちも含まれています。しかし、「どうする家康」でフォーカスされた戦死者は、広忠の代からの古参の家臣である本多忠真と夏目広次の二人でした。
何故、特別に彼らに焦点が当てられたのでしょうか
また、このところ成長著しかったはずの家康も、この三方ヶ原の戦いの中では何も出来ませんでした。例えば、通説では浜松城の空城の計は家康の指示であり、彼の非凡さと教養の高さとして描かれるのですが、これも忠次と数正の発案に差し換えられています。今回、家康はとことん無能に描かれます。
言い換えれば、無能になりさがった主君を夏目広次は何故、命がけで守ったのでしょうか。しかも、三河一向一揆にて裏切ろうとした主君を、です。彼の忠義はどこから湧いてくるのか。そこに第18回のテーマが秘められているように思われます。
そこで今回は、古参の家臣たちの決死の行動から家臣団の絆と第18回のテーマについて考えてみようと思います。
1.天下分け目の三方ヶ原合戦
まず今回、目を引いたのはいきなり始まったオープニングですね。今までの白と金を基調とした明るい色合いから、一気に暗雲が立ち込めるような色調へと変わりました。第18回における大敗おける近臣らの戦死という悲劇に合わせた今回限りのものなのか、はたまた今後も使われるものなのか。それ分かりませんが、もし後者だとしたら、純真無垢ではいられなくなった家康の今後を占うようなものとして興味深いです。
そして、存外に黒と金が合うことにも気づきますね。実は金は煌びやかな色に見えるのは明るい場所にあるときだけです。谷崎潤一郎は、その著書「陰翳礼讃」(いんえいらいさん)で、金色の本質を「金は闇に溶け込む」「闇の中の灯りにぼうっと反射する」と看破し、その鈍い光沢の魅力を捉えていますが、今回のオープニングの色調はそれを体現したかのようです。
それは、まるで家康が人生の酸いも甘いも嚙み分けた後に、その象徴たる黄金が色としての深みを増していくようにも思われます。この見立ては根拠のない直感に過ぎませんが、どちらにせよ、家康という人物の転換点として三方ヶ原合戦が置かれていることを象徴的に表すオープニング映像になっていそうです。
それにしても、今回のサブタイトル、どういう点が、「真」三方ヶ原合戦なのでしょうか?三方ヶ原合戦そのものの真実?それは当然、あるでしょうね。ただし、広次、忠真らの多くの死は、この合戦に関する知識を多少なりとも持っていれば、どのような奇抜な物語を組み込むにせよ予定どおりとも言えます。ですから「真」と名づけるからには、戦った彼らの真実以外に、更に今まではあまり描かれなかった三方ヶ原合戦の見方があると考えられます。
そのきっかけが序盤にあります。序盤では徳川勢敗退、家康死亡の報が各陣営に届きます。息子信康のいる岡崎城、同盟関係にいる信長は分かりますが、便宜上の天下人、将軍足利義昭の元にその一報が届けられたことが興味深いところ。京まで報が届くのが早すぎないか?というツッコミはしたくなりますが、これによって信玄VS信長の構図が一気に広がりを見せます。将軍義昭が信玄に上洛を要請したとする説自体は近年、疑義があるようですが、「どうする家康」ではこの説を匂わせていますね(信長と義昭が決裂した理由は不明ですが)。そして、この説を採用したことで、信玄VS信長の戦いが、中央の政治の支配権をかけた天王山となったのです。
その上で、将軍義昭は、信長唯一の味方、家康の死をもって信長は終わりと断じます。つまり、最早、戦う前から信玄VS信長の決着を宣言しています。そのことは三方ヶ原合戦こそが、天下の趨勢を決める天下分け目の合戦であったことを意味しています。
これまでの回では、家康が領土を守る局地戦として三方ヶ原合戦を描いてきましたし、実際、その意味合いは強い。しかし、家康は知らず知らずのうちに中央の政治抗争の中に巻き込まれているのです。
だから、家康視点からではなく、大局的な視点から三方ヶ原合戦を見た場合、この戦いを徳川勢がどう切り抜けるかによって、天下の趨勢が決定するのです。そして、そのことは、今後の彼の政治的立ち位置まで明確にすると示唆しています。それほどにこの合戦は重要であると本作は捉え直したのです。
つまり、天下の趨勢をいかに家康とその家臣たちが決めたのか、それを描くのが「真・三方ヶ原合戦」であり、「真」の名を冠する理由だと言えるでしょう。
2.何故、半日前に巻き戻ったか
信玄が討ち取られた家康の首の首実検をするところで、突如、時間は半日、巻き戻ります。時代の流れを見せる歴史ものとしては荒業だけに演出意図があるのは明白です。時間を巻き戻してまで何を見せたかったのか、ということです。
この際、前回からカットされたのは、全軍で三方ヶ原まで騎馬で疾走する一連のシークエンスですが、逆に繰り返されたもの、そして付け加えられたものが重要です。
繰り返されたのは、三方ヶ原行きを決定する評定の場です。ここで地の利を説いた家康に三方ヶ原奇襲の献策をするのが、今回の主役、夏目広次です。いかにも目立った働きをした彼と義父とも言える久松長家に留守居を命じるのですが、その際、いつもの夏目広次の名前を間違える鉄板ネタが挿入されています。
この間違い、今回も顕著ですが、彼の慰霊碑に残る「吉信」の文字にかかった形ばかりなんですよね。結局、最後まで間違えられて間違えた名前のまま名が残ってしまうというネタなんだろうか…しかし、広次の最期は笑いで済ませられる話ではないし、どうするのか…と半ば心配していました(という内容のツイートをしていたぐらいです)。
そして、毎度のごとくの「なぜワシはそなたの名前を覚えられんのじゃ」という言葉が続くのですが、この台詞、三河一向一揆編の前と後で松本潤くん、微妙にニュアンス変えて演じていますよね。以前は「あ、間違えた」的な軽い感覚で、明らかに夏目広次を軽んずるものでした。しかし、三河一向一揆編でその罪を不問にして以降は、大切だと思っている家臣の名前が覚えられない申し訳なさと不甲斐なさがちゃんと混じった言い方をしています。
また、三河一向一揆編で許された広次はますます忠勤に励み、影日向と家康を支えます。その実直さを認めるからこそ、近臣として近くに置いている。詳しくは言及されませんが、二人の距離感を映像的に見せることでその関係性の改善が描かれています。その上で、まだ覚えられないのです。
それに応える広次の「それはそれがしの影が薄いからでございましょう」と諦めに似た寂しげな答え方が印象的です。その甲本雅裕さん演ずる切ない表情ゆえに、この件に関しては「家康、ひどすぎる」と秘かに思っていた視聴者も多いのではないでしょうか。
とにもかくにも、広次の最期に向けて、彼と家康の関係を印象付ける演出がまず一点、ありました。
そして、実はもう一点、注目すべきポイントがあります。それは三方ヶ原出陣を鼓舞するときの「戦は多勢無勢で決まるものではない。天が決めるんじゃ!」という檄が繰り返されたことです。この台詞、「三河物語」の三方ヶ原の戦いのくだりの家康の言葉「戦は多勢無勢によるものではなく、天道次第である」から拝借されたものです。「どうする家康」での芝居がかった台詞は「三河物語」からの引用ということがよくありますが、今回は第17回と第18回でわざわざ繰り返し、そして終盤、信長がまた「天が決める」と同じこと言います。そこには、やはり意図があると思われます。
また、家康のこの檄は、この時点では、全くもって間違いです。寡兵で戦をすること自体、無謀ですが、その上、武田軍の軍略は単に圧倒的な数の軍勢ではなく、信玄の緻密で広範囲にわたる軍略に支えられています。ですから、「天が決め」はしない。信玄が、戦の趨勢を決めているのです。だからこそ、前回の信玄の台詞「戦は勝ってからするものじゃ」なのです。戦は人の力によるものという信玄の信念が見えますね。しかし、その信玄も寿命の天運には勝てなかったことは、歴史が証明しています。では、天運と人の努力とは何なのでしょうか?その疑問を、この半日の巻き戻しは投げかけています。
3.古参の家臣たちの決断~何を守るべきか~
(1)若き家臣たちへのメッセージ~本多忠真の願い~
さて、三方ヶ原の戦いは、『三河物語』『甲陽軍鑑』を初めとする通説では、大敗したものの徳川勢の勇猛果敢さが称えられています。例えば『三河物語』では不十分ながらも鶴翼の陣で迎え打ったとされ、また家康は撤退にも動じることがなかったと美化されています。また戦死した徳川勢が全員、雄々しく戦った結果、信玄側を向いて倒れていたという逸話もあります。
果たして…「どうする家康」は…
大軍による魚鱗の陣(これも『三河物語』によります)を見た徳川勢、一も二もなく「撤退じゃ!」でした(苦笑)やはり、神君家康公神話をことごとく潰していきますね。しかし、極めて現実的な選択です。まさに「三十六計逃げるに如かず」の言葉どおり。因みにこの元は、「孫子・三十六計」を元にした檀道済「兵法三十六計」の最後「走為上」です。トラブル回避の最善策。
前回、孫子を引いたのは信玄ですが、それが脳裏に聞こえた家康が、元忠の進言で孫子絡みの策で逃げ出す…そこまで意識したか分かりませんがなんとなくニヤリとさせる演出です。
さて、撤退の混戦を果敢に戦い抜く徳川勢の各将が描かれますが、『甲陽軍鑑』でも撤退戦が見事だったと評されるのが本多忠勝です。その忠勝と榊原康政、今や名コンビとなった二人の阿吽の呼吸の大立ち回りは、合戦の少ない本作では久々の見せ場。とはいえ、多勢に無勢。窮地に追いやられます。逸話どおりにはいきません。
この窮地を救うのが、叔父忠真です。最早、槍働きは不可能と言われた彼に若い二人は救われるというのは意図的です。一服の間すらなく大将首を狙う武田軍の雑兵に対して、忠真は自ら盾になることを申し出、二人を逃がそうとします。知恵が回り、利に聡い康政は意図を察し逃げますが、情の深い忠勝は動けません。
忠真は忠勝を一喝します(これが二人の最後の「あほたわけ」なのが哀しいですね)。
「お前の死に場所はここではねえだろうが」
「お前の夢は殿を守って死ぬことだろう」
この言葉は
「人にはそれぞれ役割がある、その役割を果たすことが生きるということだ」
「自分の役割のため、逃げて生き延びるのも勇気である」
この二つを説いています。
似た言葉を第6回「続・瀬名奪回作戦」で巴(真矢ミキ)が瀬名に向けて言っており、この作品に底流するものとして響き合うのが上手いところ。
「どうする家康」では同じ台詞が違う人物によってリフレインさせる演出がよくなされ、今回は特に強く行われます。
それでも抗う忠勝に、忠真は更に「お前は殿が大好きなんじゃろ!」「殿を守れ、おめえの大好きな殿を」と彼の一番の本音を突きます。
逃げ出す家康を連れ戻し、切腹せんとする家康を介錯しようとし…彼の情けない姿を一番腹立たしく見たのが忠勝ですが、一方で主君とこれほど腹を割り、本音で語り合った家臣も彼だけです。
これまで積み重ねて出来てきた二人の絆、当の本人たちは素直ではないので認めないはず。だからこそ、身近な年配者である忠真が「お前の忠義がそこにある」と指摘し、忠勝の行くべき道を彼と、そして視聴者にも再確認させてくれます。
忠真は若者たちに「自分の役割を果たせ」という明確なメッセージと、その役割を果たす生きざまを伝える役割が与えられているのです。とはいえ、二人の絆は親子以上の深さ。忠真とて割り切れるものではありません。もっと忠勝を見守ってやりたいはず…それだけに今生の別れに抱き合うときの忠真の万感の表情が心に迫ります。忠勝には見えないからこそ見せる、忠勝への情溢れる忠真の表情を、波岡一喜さんが見事に演じてくれましたね。
(2)主君への信頼と詫び~夏目広次の託したもの~
その後、追い詰められた家康と元忠の元に、前段の忠真の言葉を受けた忠勝と康政が辿り着きます。とはいえ、敵に包囲され、八方塞がり、ほぼ絶体絶命の状況となりました。寺院の陰に潜むしかありません。そこに留守居をしていた夏目広次が助けにやってきますが、そこで家康は不自然な既視感を覚えます、同じ形で救われた過去があるからです。
助けにきた広次は絶体絶命の窮地を抜け出すため、第1回から目立ち過ぎること指摘されていた「金陀美具足」を着た影武者作戦をひねり出します。三方ヶ原奇襲、謙信への書状への反対意見などの献策から広次が知将であることは説明済みですので、この展開は自然ですね。そして、その意図に真っ先に気づくのが同じく知将の片鱗を見せている康政で、行動に移して家康を抑え込むのが殿大好き忠勝というのが、実に彼ららしい。二人の阿吽の呼吸で殿を守る動きは、忠真が彼らに託した思いが正しかったことを示していて、これまた感慨深いですね。
そして、殿の身代わりは自分がと進み出る忠勝を、広次は「すまん、お主はまだ先じゃ」と制して、迷うことなく自ら具足を身に着けていきます。やはり、彼もまた若者たちに託す思いがあるのです。忠勝も康政も元忠もこの先の家康に必要な家臣なのです(そこには何が何でも家康を生還させるという強い意思も見えます)。
ただし、広次の胸中にあるのはこれだけではありません。かつて罪を許された過去の清算です。無論、その場の誰もが、そして視聴者も三河一向一揆での裏切りを思い浮かべたことでしょう。
しかし、その明かさなかった真の胸中は、家康の思い出した一言「お前は…吉信!夏目吉信じゃ!!」で全て氷解していきます。実は、彼は竹千代時代の家康を最も優しく接し、遊んでくれ、そして今川家へ人質に行く際に供をしていた家臣でした。
そして、あの浜辺で織田勢に強襲され、竹千代を奪われたばかりか、一人生き残ってしまった。そんな彼を広忠は改名させて存在を消し、新たな人生を生きるよう促します。それが「吉信」から「広次」へと変わった真相でした。
この本作オリジナルの展開は、実に見事でしたね。
夏目広次は吉信以外にも正吉という名前も知られていて、そちらは山岡荘八「徳川家康」で採用されています。そして今回の大河ドラマでは、一次史料に残る名は「広次」だけなので、その名が採用されました。
しかし、広次なのにどうして、一番流布され、碑が残るのは「吉信」の名なのか、という疑問が残ります。「どうする家康」は、その疑問を「家康が竹千代時代に慕った男の真の名前を残すため」と組み換えてみせたのです。
そして、彼の真の名前「吉信」を残すことは、改名せざるを得なかった彼の罪と悔恨の思いを濯ぐことにもなります。流布された「吉信」の名に家康の広次への深い感謝の念が伝わってくるという仕掛けになっています。
同時に名前を間違え続けた理由も「思い出せないが引っ掛かる幼少期の思い」が作用していたということも判明します。回想でのやり取りを聞く限り、広次は、竹千代の優しい心根を受け止め「きっと大丈夫」と促しています。つまり、竹千代の心根を受け止める広次の優しさが、後々の家康の人物形成の一端を担っただろうことも匂わせているのが巧いところです。
また、広次が名前を間違い続けるたびに見せていた微妙な表情も単に残念さや諦めなどではなく、「自分は本名を呼ばれる資格がない」「自分があの時の吉信と知れたら、竹千代時代の恐かったことを思い出してしまう」「目立たないように、でも罪滅ぼしはしなければ」という罪の意識だったという側面が見えてきます。名を呼ばれるたびに、罪を突き付けられていたとすれば、その思い、察するに余りありますよね。
因みにこの種明かしを唐突に感じた方もいらっしゃるかもしれません。おそらく急に挿入された既視感が理由だろうと察します。しかし、今回の場合は「思い出す」ということが鍵になっているため致し方ないところです。
また、名前間違いに「吉」「信」の字を入れるなど、常に「吉信」の通称を気になるように描かれていました。
そして、竹千代が襲われる海岸シーンに夏目がいた場面が後付けのように挿入されましたが、つなぎに違和感はありませんでした。つまり、あのシーンは、第2回に放映された竹千代が襲われる海岸シーン撮影時に同時に撮影されていたのでしょう。ロケ撮影は天候の問題もあり別日に改めて撮るのは、リスキーですし、時間の無駄です。大河ドラマの撮影スケジュールはかなりタイトなので、同時撮影は間違いないかと思います。
つまり、序盤から入念に、そしてオチに気づかれないよう計算されて作られていたということになります。問題は、1クール以上をかけて作ったほどのこの仕掛けの狙いです。
ここで考えておかなければいけないことは、竹千代襲撃事件における強い罪の意識がありながら、何故、三河一向一揆に際して、広次は家康を裏切ったのかということです。つまり、彼は二度も主君の期待を裏切った男なのです
しかし、それはよんどころない事情でした。以前の考察記事「「どうする家康」において、三河一向一揆とは何だったのか」でも触れましたが、三河の家臣団にとって最も大切なことは自らと自身が抱える家臣(領民)を支える信仰と生活です。そして、家康の不入の権の侵害は、家臣や民の生活そのものが脅かされたのです。
だから、家臣と領民の死活問題と忠義の間で苦悩した結果、前者を選ばざるを得なかったのです。それほど、家臣も民も貧しく、辛い生活をしていたのです。それは、言い換えれば、「どうする家康」において、主君と家臣・領民の関係は「生活の保証」という現実が大前提であることを三河一向一揆編で示しました。
したがって、あの時の家康の当初の対応は、自分たちの命を預けるには足らないワガママで優柔不断な暗君と映ったのです。しかし、あの苦難を乗り越え、家康は「家臣と民を信じ抜く」「家臣と民を守る」と改めて誓いました。それゆえに、家康は広次を許します。三河一向一揆編の記事でも触れましたが、このときの広次の「温情への感謝」と「許されてはならないという悔恨」の葛藤が良かったですね。思いが溢れすぎて「それはなりませぬ」の一言が音声にならないのが彼の本心を伝えています。
実は、第9回にこの表情を観たときは、やや「許されてはならない」という感情が勝ち過ぎているように感じていましたが、本来は余程の忠義の士なのだろうと深く考えないままにしていました。
が、実は家康に対する二度目の裏切りであり、それを広忠、家康の親子二代にわたって許されたという事実に対しての想いだったのですね。そう考えると、甲本雅裕さんのあの時のあの芝居は絶妙なバランスだったと改めて気づかされ、その巧さに脱帽となりますね。
さて、一向一揆後の家康は、未熟さゆえに決断への経過に難はあるものの、最終的には家臣らが納得できる判断をくだしてきました。それは視聴者が見てきたとおり。その結果、「あのぐっちゃぐっちゃ」(石川数正)を抜け出し、ようやく今川支配時代を含む以前よりもまともな生活を家臣たちに保証できるようになったのです。そのことは、今回の三方ヶ原合戦で家臣たちの甲冑が全員アップデートされて立派になっていることにも窺えますね(忠勝がヤクの毛をつけているなど、考証はしっかりされています)。
だから、甘く情けないがその根幹にある優しさが、自分たちを救うかもしれないと思えるようになっていったのだと察せられます。その元に徐々に結束力を高めていったのでしょう。
そうした、彼らの思いは第16回、信玄との戦を決断する評定の場での言いたい放題にもよく表れていますよね。家康の情けなさを揶揄しながら、それでも「あのぐっちゃぐっちゃ」に戻らぬため、それを切り抜けた殿を信じようとしているのです。直接的な描写こそ少ないですが、家康は彼らを信じ、与えるものを与えていることは節々の言動に表れています。
当然、広次の中にも大きな変化はあったでしょう。竹千代を守ることは主君の嫡子を守る、幼子を守る、そういう想いが強くあったでしょう。しかし、ここに来てその竹千代が名実共に主君に相応しくなっていくにつれ、彼個人の忠義の心も育っていったのではないでしょうか。
こうした家臣の変化が示すもの、それは何故、家臣たちは主君のために命を投げ出すのか、という命題の答えです。自分たちが死んでも、この主君が生き延びれば、残った家族、家臣、領民の生活を守ってくれる、そう信じるからなのです。家康は暴君ではありません。必ず、家臣に徳をもって報いてくれるだろうと。
だからこそ、「殿さえ生きていれば、徳川は滅びませぬ」と広次は断言が生きてきます。そして、これは、前回、瀬名の元に預けていった弱さと優しさが、実は家康にとって必要不可欠であることも暗示していますね。弱さと優しさを捨てずに預けたという家康の判断はぎりぎり正しかったかもしれません。
ともあれ、竹千代にかけた言葉「きっと、大丈夫」を送り、広次は…いや、吉信は死出の旅へと出陣します。家康の身代わりとなって奮戦する最中、名前を間違え続けられた場面が走馬灯のように思い出されていきます。先に触れたように、その度に感じた罪の意識のリフレインです。そして、最後の最後、幼い竹千代にかけられた「吉信、ありがとう」で、四半世紀近く抱えてきたその罪の意識がようやく昇華されていきます。
ずっとずっと呼ばれたかった言葉を胸に穏やかな笑顔で倒れていく姿に哀しさが募ります。転がる竹千代お手製の虎、それを持ち続け、苦悩した男の半生に思いを馳せるとたまりませんね。それしか、彼に生きる道がなかったとしてもです。
こうして二人の老臣はそれぞれの役割を全うし、家康を無事、浜松城への帰還へと導きます。
そして、今度は忠次と数正と宿将二人が空城の計で迫る武田勢を追い払い。遂に家康の命を守り切ります。因みに徳川勢の空城の計は逸話どおりですが、これも孫子の「兵法三十六計」の一つです。三方ヶ原合戦は孫子を引いた駆け引きになっていて面白いですね。
彼らの計略について、前回、「城を攻めるは下策、心を攻めるは上策」という『三國志』の馬謖の策を取った信玄らだけにあっさり、『三國志』の諸葛亮の計だと見破っていましたね。ただし、勝頼はそれに気づかなかった。「古典に学ぶとはいい心がけじゃ。それに免じて」と嘯く信玄に反対すらします。この無教養が、信玄と勝頼の差、あるいは家康と勝頼の違いになってくるかもしれません。何故なら、逸話どおりなら、空城の計に引っ掛かるのは山県だから。わざわざ、勝頼が引っ掛かるとしたところに今後の展開のヒントがあるようにも見えますね。
余談ですが、この空城の計について山県たちが「実際に使った奴は初めて見た」と爆笑していましたが、「三國志演義」ではない陳寿『三國志』には諸葛亮がこれを行ったとの記述はありません。ということは、「どうする家康」の歴史の中では本当に空城の計を行った史上初の人物が坂井忠次ということになります(爆笑)
4.生き延びて後~なすべきことをなす~
さて、こうして終わった三方ヶ原合戦の勝敗ラインはどこにあったのでしょうか。奇しくも、義昭が家康の死をもって信長は終わりと言ったその台詞に答えはあります。そう、家康の生死です。思えば、信玄が浜松城を放置し、わざわざ家康を三方ヶ原まで引きずり出したのは、遠江の切り取りにおいて家康自身の殲滅は不可欠だと判断したからです。そして、家康が生き延びたことで、同盟者信長の命脈もぎりぎり保たれました。
つまり、天下の趨勢を握っていたのは、家康本人の生死であったというのが、「どうする家康」での三方ヶ原合戦の意味、意義なのです。
第16回の考察記事で「家臣団の熱い絆の真価は、彼らの知恵でどこまで勝率を上げられるか、どこを最低防衛ラインとするかにかかっています。」と書きました。これに照らすと、当初の目的は失敗したが、家康だけは守りきり、相手の目的はくじいたことになります。だから、最低防衛ラインを維持した点では勝者であり、結局、信玄とはほぼ敗北に近い痛み分けにできました。そして、それが天下の趨勢を決めます。
しかし、徳川家臣団は特別なことをしたわけではありません。そのことは、泣きじゃくるばかりの家康に、忠次と数正が浜松城を撤退した後の状況について報告する場面に表れます。ここでは、大久保忠世が参戦した犀ヶ崖の戦いなど、三方ヶ原合戦の大敗に一矢報いたとされる戦いが淡々と報告されます。相変わらずカタルシスのある戦いは描きませんが、こうした報告をした後、数正は「殿、皆、なすべきことをなしております」と添えます。特別なことではないから淡々とさせているのです。
数正の言葉は、家康への静かな叱咤ですが、これこそが忠真、吉信(広次)が三方ヶ原合戦で見せた活躍であり、後進の若い武将たちに伝えたことです。ひたすらに怠ることなく、日々、自分の役割をしっかりとおこなっていく…なすべきことをなす以外にやれることはないのです。
その積み重ねの結果が、絶望的だった家康の生存を実現させ、果ては信玄VS信長の結果も左右することになる。つまり、天運とは、小さき者たちの努力の賜物が結果的に引き寄せるものなのです。
家臣団の地道で必死に「なすべきことをなした」結果、生き延びた家康は「わしは皆に生かされた。決して無駄にはせん」と涙を拭いて、決意を新たにし、自身が生き延びたことを触れ回るよう伝えるのです。因みに殊に吉信に助けられたことは大きいはずです。結局、自分は竹千代時代からずっと守られてきて、今もまた救われたのですから。
「なすべきことをなす」しかない。実は強大な信玄も同じです。だからこそ、家康を討ち取れなかった時点で、浜松城を諦めます。そして、一時的に無力化したことで良しとして、本来の目的、西上作戦を続行するのは、死期の近い信玄が「なすべきことをなす」にはあまりにも時間がないからです。
そして、そんな信玄の時間という天運をきっちり奪ったのが、取るに足らない徳川家臣団の必死の努力であったのが皮肉なところです(信玄との暗闘は実は長く、彼が遠江を攻めるに至るまで3年かかっています)。
以前の記事でも触れましたが、「どうする家康」の信玄は、圧倒的な武勇と知恵と財力を持ちながら、それゆえに孤独です。もしも家臣団に委ねていたら、もっと悠々と事をなし得たかもしれませんね。
終盤、信長が、迫る信玄の恐ろしさを重々認識した上で「己をなすべきこと全てをなせ。さすれば信玄か俺かは天が決める」と、数正の言葉以上に徹底した物言いで、第18回のテーマをまとめていくのが、流石、天下人になるべき男ですね。彼は序盤で「やはり桶狭間は二度も起きんか」とも発言しており、天運、奇跡を信じていません。まして、桶狭間は信玄に知られており、同じ轍を踏むはずがない。だからこそ、どこまでも現実的な人の努力こそが全てなのです。さて、信長の発言に気を引き締める家臣団の中、一人自分の才覚を存分に振るえることに嬉々とする秀吉の笑顔が相変わらず怖いですね(笑)
その秀吉にもたらされる一報。秀吉は「天はもう選んでまったのかもしれません」と述べ、信玄VS信長が直接対決を待たず、終焉を迎えたことをほのめかします。このときの一報が「信玄、甲斐へ引き返す」の報であったことは間違いありませんが、その前の場面で家康が、自分が生きていることを言いふらせと発言していますので、両方込みの報告だったのではないかと察します。秀吉ならばその程度の情報網はありますし、またその両方であるほうが秀吉のにやけ顔も納得できる気がします。
こうして、家康が生き延びたことで、天下の趨勢は信長に傾き始めました。新たな展開を予感させますね。
おわりに
先にも述べた通り、今回の家康は何もできないまま終わりました。しかし、一方で多くの犠牲を払いましたが、彼を支え、守る家臣団との絆がどのようなものかは、見えてきたように思います。彼らが己の役割を知り、なすべきことをなすことで、天運を引き寄せ、物事は実現していきます。
では、家康の「なすべきこと」はなんでしょうか。家臣とその家族の生活の保証は当然であり、これはやっています。彼に求められているのは、この「なすべきことをなす」人たちをどこへ導いていくのかという将来的なビジョンではないでしょうか。
第13回以降、常にそのことが家康の足りない者として指摘されています。さて、それを家康はいつ、どのようにして見出すのか、そこがこれからの見どころかもしれません。
しかし、次回、第19回は「お手付きしてどうする!」です。いきなり、サブタイトルから叱られていますね、家康(笑)皆が「なすべきことをなして」いるときに、ショックから立ち直れぬまま、いよいよ出てくるお万の方に惚けてしまうよう。彼が「なすべきこと」を見つけ出すのは少し先のようです。松井玲奈さんのお万の方、公式では神秘的で妖艶とまるでファム・ファタール(魔性の女)扱いですが、魔性の女というのはとかく男性目線の匂いがありますから、そういう女性を「どうする家康」は単純に描かないような気もします。実際は哀しいものを抱えているかもしれません。ああ、それよりも瀬名との一触即発が気になります。逸話だと瀬名がお万を折檻しています。流石にこの瀬名はやらないと思いますが…
それにしても、家康、生涯を左右する危機の後は、必ず女性問題が起きますね。女難の相でしょうか?まさか、この先にある伊賀越えの後も…いやいや、それはないか。