団子で表現されたもの~田鶴の悲劇と家康の覚悟~
はじめに
第11回「信玄との密約」は、武田信玄の圧倒的存在感と田鶴の方の悲劇が印象的でしたが、ユーモアと骨太な満ちた前半の密約と情緒的な田鶴の末路が語られる後半はどんなふうにつながっているのでしょうか。今回は、そこからテーマを読み取ってみましょう。
まず、側室問題で陰に隠れたようにもなっていた前回までの三河をめぐる政治状況を簡単にまとめておきましょう。
(1)三河統一の結果、国力疲弊、今川とも武田とも和睦を模索する家康。
(2)今川との交渉窓口になるはずだった飯尾連龍が妻:田鶴の密告で謀殺。
(3)武田は駿河侵攻のために家康へ会談を要請。
三河統一に伴い軍制改革が行われ、三河家臣団は石川家成を旗頭とする西三河衆、酒井忠次を旗頭とする東三河衆、直参の旗本の「三備」という体制になりました。それを踏まえて、劇中で東三河旗頭と言及された酒井忠次がこれらの折衝に携わっていたようです。
しかし、結果的に家康の知らないところで、彼の意思に反して今川領に侵攻するしかない状況に絶賛追い込まれ中で終わったのが前回です。側室問題の裏側で大事は着実に進んでいます。
第11回は、その武田との会談の裏側や背景を描くことから始まります。
1.三河統一の仕上げである徳川への改姓
遂に松本潤くんの家康が徳川姓になり、オープニングの役名も徳川家康になりました。相変わらずナレーションの言う由緒正しい家系という神話を現実は崩していますが、戦に積極的ではない家康に忠次がこの件を必死に献策したのには訳があります。
この改姓の特徴は「家康たった一人のみに許された」ものであり、松平家全体に対してではないということです。つまり、従五位三河守の任官だけでなく、改姓もまた他の松平との格の違いを示し、朝廷の権威をもって家康が三河の主であるとする。ようやく実効支配をした三河統一の総仕上げの意味合いがあったのです。それによって、まさしく「戦をせずに済み」(瀬名)、「民のため」(登誉上人)になりました。
ところで、この改姓に際して公家衆に金300貫を毎年支払うことになりましたが、この件について瀬名が大局的に見れば周りが従い「戦をせずに済みます」から最終的に「安いものです」と先の見通しと算段をしていることが興味深い点です。未来を見据えたこの現実感覚こそが、瀬名の三河で今を生きていく姿勢そのものだからです。このことは三河に来てからずっと積み上げていることですから、言動には説得力がありますよね。
こうして名実共に三河の盟主となったがゆえに、家康と瀬名は、武田会談と引間城調略という事態に迫られます(盟主でなければ武田には相手にもされなかった)。
2.リアリストを体現する武田信玄
(1)信玄の強さとは何か
武田会談の裏に信長の両者への調停があったという史実から会談に至る背景が語られます。
まず駿河攻めの合議をする信玄が映されます。地図上では、今川方の家臣の多くが既に武田方に寝返り、駿府が丸裸になっています。これは物語後半、たった7日で駿府を陥落させたことの伏線です。家康たちは武田軍団の強さに震撼していましたが、実は武力を最大限生かし、被害を最小限にするために徹底的な調略や謀略を張り巡らせてある。
つまり、外交と諜報戦こそが信玄の強みなのです。
また、前回、信玄が金を床に湯水のように撒き散らす場面がありましたが、これは武田家の力の源が経済にあったことを端的に示す演出です。
信玄は鉱山開発によって質の高い甲州金を作り上げ、それを元に四進法の貨幣制度を整えます。これは江戸時代の貨幣制度の基礎になったほど優秀なものです。更に信玄の施策として知られる信玄堤という堤防の建設は公共事業です。この辺りに他の武将と一味違う経済に明るい信玄の一面が見えます。
資金を調え、外交と諜報を駆使して、必勝の状況を整える…信玄の用意周到さが窺える一幕になっています。
この後の信長の密書を見て「信長の顔を立ててやるのも悪くない」と宣うのも同時期に信長の嫡男と信玄四女の婚約がなされたことと無関係ではなく両者の駆け引きを感じさせます。
(2)栗と団子
このような信玄に対し、何の策もなく浮き足立つ家康に勝ち目がないのは仕方のないところですが、その追い詰められ方が、前段の信玄の用意周到さを反映しています。
忠次・数正任せにして実質、会談から逃げ出した家康ら三人は、瀬名が好きだという栗を拾い始めますが、全て中身が取られたものばかり。何故、中身が空なのか。その答えは、会談の最後に信玄に「奥方に」と栗を渡されることで判明します。
ここからは、既に信玄は正室:瀬名の好みを知っていること、更に家康が小心と短慮からこの場所に来て栗を拾うだろうと心理面も読み切って先に回収していたことがわかります。これは、武田の今川配下の調略成功が、情報収集の賜物であることを端的に示しています。会談中、彼らの頭上の風魔衆らしき間者たちが見えますが、これ見よがしにいる彼らがその要であることは明白です。
家康に「いつもお前を見張っている」し「いつでも殺せる」、だから「抵抗して無駄だ」と脅迫しているのです。しかも、忠次や数正ら重鎮からわざわざ引き離しての圧迫に入念さが窺えます。
こうまで度量と格の違いを見せつけられては、家康は信玄の言う「武田が駿河、徳川が遠江」という提案を飲まざるを得ません。この際、団子を食わせる演出が分かりやすいですね。家康が渋々、逡巡しながら少しだけかじり、信玄が残りはペロリと平らげるさまに信玄の欲深さと躊躇いの無さが見えます。察する方も多いでしょうが、団子を領土に見立て、それを平らげ欲望を満たすこと、それは戦国武将の支配欲と弱肉強食の論理そのものを示しています。信玄はその論理の元に生き抜いてきた人間です。ですから、迷うことがなく、欲望のままに生きる。
一方で家康が圧倒されながらも躊躇いがあるのは、その論理の現実的な正しさを知りながらも抵抗する人間性があるからです。会談自体は信玄の完勝ですが、無力ながらも抵抗があったことは家康がまだ信玄に呑まれ切ってはいないということです。
因みに家康に遠江に出兵させることは、今川方の意識を分散させること、今川方と三河を戦わせて双方を疲弊させることが信玄の利点ですが、駿河侵攻においてはあくまで補助的なものです。
にもかかわらず、格下の家康に対して、穴山、山県といった重鎮を動員し、手の内も見せて入念に潰しにかかったことはやり過ぎにも見えます。いかなる相手にも手を抜かない「獅子、欺かざるの力」といったところですが、一方で確実に落とせる自負と「三河の小童」と侮る油断もあります。この入念さは、信玄の体験から来る無意識の慎重さなのでしょう。このあまりにも過ぎる慎重さからは、武将の豪胆さと小心は紙一重ということも見えてきます。
後年、家康は故・信玄を師と仰ぎます。信玄が小心ゆえに豪胆になれたとしたら、この信玄は老年期のあの老獪な家康の姿かもしれません。想像が膨らみますね。
まあ、松本潤くんが阿部寛さんみたくローマ人になれるかは神のみぞ知るところです(違←
もう一点、気にかかるのは、信玄が瀬名の好みが栗と知っていた件。これは、風魔衆など武田の間者による情報収集の賜物ですが 、前回、瀬名が「誰でも来られる」場所として築山に庵を結んだ結果、既に色々入り込まれている可能性も暗示しているように見えます。
逸話どおり、彼女の元を「歩き巫女」が訪れるならば、前回同様、その地ならしがされているのかもしれません。
2.今を生きる瀬名と過去に求める田鶴のすれ違い
(1)滅びるしかなかった田鶴の選択
いよいよ、引間城攻略をせざるを得なくなった家康。その一方、以前より田鶴の引間城と戦わずに済むよう恭順を勧める手紙を書いている瀬名は、その返信がないことで焦燥に駆られています。
二人は幼馴染にして親友です。瀬名は、彼女への思い出を綴り、彼女を想って椿を植えたことを知らせ、かき口説きますが、その概要は平たく言えば、「未来を見据えて、田鶴と手を携えて生きていきたい」というものです。田鶴がこの手紙をどんな気持ちで読んでいるか、逆光で悟らせないように撮っているのが巧いですね。本心はともかく、直後の行動は手紙を焼き捨て、今川方の人間として忠義と信念を貫く決意を示しています。
この信念はどこから来るのでしょうか。それを示すのが、城下見回り中に団子を買う件です。ここで彼女は「そなたたちの暮らしは私が守る」と力強く語り、喝采を浴び、その烈女ぶりを見せますが、一方でその団子を眺めながら、彼女は瀬名と無邪気に過ごした過去に想いを馳せます。民への言葉とは裏腹に彼女の心は過去にあります。美しい駿河の城下町を瀬名と駆け巡った楽しい思い出、瀬名との微笑ましい恋バナ、椿にかかわる逸話…今も鮮やかな過去の良き時代。
この回想で興味深いのは、団子です。家康と信玄の密約では領土と欲深さの象徴として描かれた団子ですが、美しき過去、瀬名と田鶴の想い出では団子は互いに与え合う、分け合うもの、つまり分かち合う幸せのあり方として描いています(回想では田鶴が遠慮なく瀬名に与える姿だけが出てきますが、互いの家を行き来している二人ですから逆もまた然りと言ってよいでしょう)。戦国武将の弱肉強食の支配欲の論理とは真逆のものです。
さて、この回想に表れるのは瀬名と田鶴の共通の思い出ですが、ただ、これをひたすらに回想するのは田鶴だけです。今川義元が倒れ、ひたすら分裂、謀反が起こる過酷な現実を前に、田鶴は過去にすがっているのです。それは、田鶴の本心を綴った返信の手紙の一節「もう一度あのころのような世にせねばならぬ」という言葉に象徴的に表れています。彼女は過去に生きているのです。
これは瀬名とは真逆です。両親を殺され、命からがら逃げ、三河で生きていく覚悟を決め、そのために今自分がやれることを一生懸命やっていく。それが第7~10回まで一貫して描かれた瀬名の姿です。
つまり「今」という現実に生きる瀬名と美しかった「過去」という夢に戻ろうとする田鶴とでは、互いへの思いはあれどもすれ違うしかありません。そして、過去へ帰ることができない以上、どちらが生き残るのかは決まっていました。田鶴は滅びるより他なかったのです。
ただ、一方で過去にすがればすがるほど「瀬名に会いたい」気持ちもまた募ったことでしょう。その揺れと葛藤が、最後の返信の文を書かせます。
しかし、あの文を書き、想いを綴る中で、あの美しい過去には戻れないことも、そして今という現実に自分の生きる場所がないことも確信したに違いありません。何故なら、彼女の元にも駿府陥落の報は伝わっていたからです(城に火をかけたのは死を覚悟したから)。
そして、それを身に着け瀬名に想いを届けるか悩んだ末に彼女は文を届けない選択をします。それは、今を生きる彼女へ負担をかけない思いやりだったかもしれないし、書くうちにますます信念に準ずる覚悟が固まったからかもしれない…そこは視聴者の思いに委ねられるところですね。
かくして彼女は完全武装の鎧という死装束に身を固め、死出の旅路へ突撃し散っていきました。後世、吉田松陰などから烈女、烈婦として語られる彼女ですが、果たして彼女は烈女だったのでしょうか。文が焼かれた今、その本心はわかりません。ただただ親友との遠い過去に想い馳せる一人の乙女だったのかもしれないと話は結ばれます。
(2)田鶴を理解できてしまう親友の瀬名
届かなかった田鶴の文ですが、聡明な瀬名は寒椿の様子からそうした田鶴の運命を直感的に悟る哀しい表情をするシーンがその後に挿入されます。有村架純さんの言葉にならない想いを秘めた愁いを丁寧に演じてくれています。道は違えども想いは通じている、やはり二人は親友だった…その事実がただただ哀しい。しかも、瀬名を喜ばせるため、生きて会うために植えた椿が、信念を貫く彼女の生きざまと死を悟らせるものへと反転するのが巧いですね。
ここでふと思うのは、瀬名は田鶴を説得できると思っていたのかということです。ここまで通じ合っていた親友であり、なおかつ聡明な瀬名です。恐らく心のどこかで、信念に殉ずる彼女が心変わりするように思えなかったでしょう。一縷の望みを込めて、そして口説きの材料として植えた椿は、田鶴をなんとかしたい瀬名の必死さの表れでしょう。
そして返信が来ない焦りから更に必死になる、終盤、彼女の文机の床に書き散らされた紙の数々にその思いが表れていますね。どこまでも哀しい女性たちの友情の物語だったと言えます。
それでは、二人の友情を哀しい結末に導いたものは何だったのでしょうか。まずは瀬名が未来を見据え今を生きようとしたことに対して、あくまで過去に生きることにこだわり信念を曲げなかった田鶴の選択があげられます。
しかし、何故、美しい過去に生きるしかなかったのか、それは彼女たちの過去にあった「分かち合う幸せのあり方」が、戦国武将の弱肉強食の支配欲の論理に蹂躙されてしまったからです。
武田会談と女性の友情のそれぞれで対比的に描かれた団子に託されたもの、それが女性たちの哀しさを描く道具立てになっていたと分かります。まさに「信玄との密約」が象徴する弱肉強食の支配欲の論理が、彼女たちの幸せを蹂躙したと言えるでしょう。
三河一向一揆もそうでしたが、戦国時代の過酷な論理は弱者を最も虐げるということが改めて示されましたね。
おわりに
前回に引き続き、今回もまた戦国に生きる女性たちの過酷さを扱った物語になった「どうする家康」。あるべき幸せを失った彼女たちに出来ることは何なのか、そして過酷なこの時代に生きる人々が目指すべきものは何なのか、家康が三河国の盟主になったからこそ、改めてそれを投げかけた内容でした。
そう考えると、駿府陥落の報を受けた家康たちの反応は注目ポイントです。家臣たちは「俺たちの育った駿府が…」とショックを受けます。彼らもまた瀬名や田鶴と同じ思いを持っているのです。そして、それは駿府で幸せな人質時代を過ごし、大好きな幼馴染と結婚した家康も同じ。だから、彼はどうすべきかを一夜を明かして考え抜く。
そして、自分の大切なものを破壊されないため、あるいは守り抜くには、「信玄との密約」が示す弱肉強食の支配欲の論理にまずは乗って戦い抜く以外にないことを悟ります。それが、次の日の朝、引間城総攻撃に頷く家康の悲壮な決意に表れていますね(今回の松本潤くんの一番の見せ場です)。
家康が戦国乱世の論理に従い、信玄や信長に匹敵する武将になりながら、それでも彼らと違う道を歩み「あのころのような世」(田鶴)、「厭離穢土 欣求浄土」を改めて、新しく築けるのか。三河守という三河国の盟主になった最初の試練、そして覚悟を促す展開を、女性たちの友情の悲劇を通して描いたと言えるでしょう。