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「どうする家康」第19回「お手付きしてどうする!」 摩利支天像と「おなごの戦い方」の関係とは?~お万に願いを託される瀬名の運命~

はじめに
 
第19回は、第10回「側室をどうする」同様、ユーモアを交えながら瀬名たち女性に焦点が当てられた話でした。
 嫁姑問題、愛人問題、どれも負担の大きい問題ですが、瀬名の場合、奥向きを預かる正室の立場という社会的地位と一人の女性の心、双方との折り合いをつける難しさが加わります。
 まして、基本的に他人を慮る優しい瀬名ですからその気苦労もいかばかりか。そんな揺れる瀬名の心情を有村架純さんが細やかに演じ、ますます彼女を魅力的にしています。

 また相手役、お万にはそのあざとさに賛否両論がありそうですが、可憐さを逆手に取る芯の強さを松井玲奈さんが印象深く演じたと言えるのではないでしょうか。

 しかし、そんな女性たちの物語でありながら、何故か冒頭アニメーションは摩利支天でしま。たしかに前々回から彫りかけたままになっていた像が実は摩利支天であったことが、数正の台詞とその完成によって明らかにされました。一方で、その摩利支天と今回の女性たちの話とはどうつながるのでしょうか。本作の冒頭アニメーションは、その回のテーマと密接なつながりを持っています。ですから、今回も何やら意味がありそうに思われます。


 そこで今回は、女性たちの物語と摩利支天の関係から、第19話の「どうする家康」のテーマを考えてみましょう。



1.「男ども」の三方ヶ原合戦始末記
(1)黄泉路に旅立つ信玄の憂鬱
 
いよいよ、最強のローマ人…ではなくて、武田信玄に最期のときが訪れました。これは、信玄中心に回っていた東国の政情の潮目が変わることを意味しています。

 さて、そのルシウス信玄、ゴードン勝頼に対して「わしが全てを注ぎ込んだ逸材」「そなたの器量は、このわしを、はるかにしのぐ」と最大限の讃辞を送り激励します。その後、家康をかなり苦しめた勝頼ですから、信玄のこの言葉自体は半ば本気と言えます。また、以前の回では、勝頼が「誰よりも厳しく鍛えられている」という家康の義弟、源三郎の証言もありました。

 しかし、わざわざ信玄が、勝頼の才を口にして励ますということは、励まさなければいけない勝頼だからです。つまり、その言葉とは裏腹に武田の未来に不安がある。だからこそ、自身の死を3年間伏せる指示をし、自分の真似をするなと勝頼の気負いを諭し、今際の言葉に「黄泉にて見守ろう」と残してしまいます。
 信玄の死を3年間伏せる遺言は「甲陽軍鑑」の逸話からのものですが、この遺言から信玄の不安を読み解き、シナリオに組み込んだのが巧いですね。信玄は後継者として勝頼に十二分な才があることを認めながらも、その若さに不安を抱いていた。信玄は、彼を後継者に育て上げるための時間が欲しかったのです。そのために必要な時間が3年なのです。

 そもそも、武田家は国衆の利益に応えることで盟主になりました。裏を返せば、油断すれば、国衆たちはいつでも利のあるほうに寝返るような強かな面々ばかり。そんな油断ならぬ者たちを家臣としてまとめあげられたのは、知勇を兼ね備えた信玄の才覚と部下を惹きつけるカリスマがあればこそ。「どうする家康」の信玄の懐深い圧倒的な人物像からは、それが窺えます。 
 しかし、果たして若き君主、勝頼が老獪な家臣たちに抗することができるのか。すぐには無理でしょう、少なくとも3年を要すると判断したのです。伏せている間に内政をまとめあげよというのが、彼の遺言です。言い換えれば、勝頼が甲斐の内政で3年持てば、武田家に相応しい当主となり、盤石になるとも思っている。期待すればこその3年間なのです。

 更にアドバイスとして「わしの真似をするな」とも言っています。父、信虎を追放して、自分のやり方で甲斐を治めてきました信玄ならではの言葉です。信玄の影を追えば、その巨大なカリスマに卑屈になってしまう。ミニ信玄では甲斐を御することはできません。だから、勝頼なりの道を模索することを要求しているのです。
 そして、このことは図らずも、「どうする家康」における甲斐という国が、武田ルシウス信玄という個人の力のみをエンジンとして動いていた組織であることを暗示しています。孤独な信玄は、その役割を他のものに委ねることをしてきませんでした。そのツケは、勝頼が払うことになります。

 信玄は、甲斐の優秀な政治×経済システムと武田軍団という強大な軍事力、この二つの大いなる遺産を、勝頼に遺しました。しかし、この遺産は信玄だから機能していた代物、使い方を誤れば、自身を滅ぼすものです。第19回のラストを見れば、勝頼は信玄以上に狡猾さを持っています。しかし、この遺産を自分なりに駆動させる才覚はあるのか。案外、荷が勝ち過ぎた、重すぎるものを引き継いだのかもしれません。


 そうなると、信玄が身体の無理を押して西上作戦を決行したのは、甲斐の民の死活問題の解決と同時に、勝頼、ひいては将来の武田家のために信長、家康などの不安要素を潰しておきたかったというもう一つの目的もあったと察せられますね。

 第16回「信玄を怒らせるな」の記事で、信玄が、西上作戦前に、勝頼に自身が老いてから立つしかなかった地政学的不利を嘆き、天下統一を「お前に託す」と述べたことは、信玄が見せた唯一の弱気と読み解きましたが、それだけではなく、弱気な本音を話し「お前に託す」と勝頼に期待することで彼に自信を持たせる親心も秘められていたのでしょう。
 その後に続いた「これが我が生涯、最大の戦となろう」の言葉は、息子と武田家の将来にできる最後の戦いへの静かな覚悟だったと言えますね。 
 しかし、その思いが叶わぬ今、「黄泉にて見守ろう」との言葉には、それしか出来ない信玄の、武田家の将来に対する未練、慙愧、憂鬱、無念といった執着が透けて見えます。

 信玄の辞世の句は「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流(訳:この世は世相に任せるもの。 その中で自分を見出して死んでゆく。本音で生きるのが一番楽である)」とされています。果たして、信玄、本音で生きられたのでしょうか。そして、自らの宿命を天運と受け入れられたのでしょうか。勝頼への遺言に見える不安とは真逆な、泰然自若の辞世の句は、武田家存続のため、最後まで甲斐の巨人、武田信玄を演じきっただけなのかもしれません。

 そう考えると、その死に呼応する琵琶奏者の音色と歌の無常の響きが、心にしみてきますね。


(2)信長の求める男たちの絆の過酷さ
 
さて、信玄逝去の噂を聞きた信長の動きは電光石火。既に将軍:足利義昭に刃を突きつけています。最早、何を言っても空虚な義昭の「わしが将軍じゃ~」という遠吠えに対する信長の「俺の側にいればな…」の一言が印象的です。これは、信長の語る「天下一統」の正体が、表れています。
 それは、かの浅井長政が恐れた「信長に逆らう者すべてが蹂躙される過酷な天下統一」です。そこでは、人並みに生きていくことが許されるのは、信長と深い絆を結ぶ者たちだけです。つまり信長の世界とは、信長を中心とした揺るぎない絆の世界ということです。その絆の強固さだけを誇りとするだけに、約束を破り、絆を脅かす者は粛清される運命にあります。

 しかも、その絆を結べるものは限られています。思えば、「清須でどうする」の時から、黒一色の男たちで構成された織田家はお市を除けば、女性の気配が全くありません。正室の濃姫(帰蝶)すら出てきません。意図的に排されています。これは、かなり戯画的に誇張されてはいますが、信長の目指す世界が男性ホモソーシャルであるということなのでしょう。


 ホモソーシャルとは、女性及び同性愛を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する社会学の用語です。男同士の共犯関係に依存して、自分の存在価値を確保し安心する男社会のあり方とでも言いましょうか。そして、男性たちは、この結びつきによって公的な社会(政治や経済)を独占してきました。それは、男性だけの男社会に所属さえしていれば、永遠の安心が約束されると錯覚し、それを守ることを軸にその他の価値観を排除し、自分たちに都合の良い公的な決定を繰り返して来たという歴史でもあります。

 さて、これまでの『どうする家康』では、本作の戦国時代が男社会であると顕著に表現してきました。お市の「男ならば面白き世」との嘆きは象徴的ですし、また本作の今川家では政治的な実権を握っていたはずの女性、寿桂尼の存在が抹消されています。
 そのホモソーシャルな男社会の最たるものが指定暴力団:織田家と、体育会系武闘派集団:武田家なのでしょう。ここでは信長の役に立つという極めてシンプルな信賞必罰のルールだけがあります。


 因みに信長が、徹底的に男性だけしか側におかず、ホモソーシャルな世界を築き、そして家康や長政との兄弟関係にこだわる背景には、おそらく信長自身のトラウマがあると思われます。以前の記事でも触れましたが、信長は実母の土田御前に忌み嫌われ、家督争いでは弟の信勝を殺しています。身内に命を狙われた過酷な半生でした。
 竹千代に会った頃から「この世は地獄じゃ」(第2回)から嘯いていたことから察すると、母に忌み嫌われたことは大きかったと察せられます。とすれば、根本にあるのは、マザコンに端を発する女性不信の可能性がありますね。いずれにせよ、歪なトラウマに支えられた彼の理想とする男だけの社会とは歪なものにしかならざるを得ません。


 さて、この信長の歪な信賞必罰の男社会に適応しようとする人たちとして、出てきたのが秀吉と明智光秀です。

 まず、光秀ですが、今回、彼は義昭を自ら足蹴にし、改めて信長へ忠誠を誓います。どんなに使えてもその気分次第で足蹴にしてくる義昭(第18回)よりも、成果を出せばその忠勤に報いる信長のほうが自分のプライドを満足させられると判断したと思われます。勿論、胡乱で愚鈍な義昭より即決即断の果断な武人、信長のカリスマに惹かれたというのも大きいでしょう。

    光秀の織田軍団に加われたときの喜びは、信長に「励め」と言われたときの恍惚の表情が全てを物語っています(酒向芳さん、絶品の芝居!)。そして、これが男社会に所属している男性の安心感と気持ち良さそのものです。光秀の表情を気持ち悪いと感じられたなら、この社会の歪みを感じたと言えるかもしれませんね。

 しかし、光秀は、この信長の望む男社会、その気持ち良さには裏があることを自覚していないか、あるいは自分なら大丈夫と思っている節があります。それは、この社会に属したら、倒れるまでこの社会に奉仕し続けなければならず、役に立たないものは排除されるということです。この場合は、信長の期待に応え続けるという過酷な運命が待っています。彼の期待の過酷さは、家康が金ヶ崎、姉川で体感していますが、光秀にそれに答え続けられたかどうかは、既に歴史が知っています。つまり、あの光秀の幸せに満ちた恍惚の表情こそが、彼の本能寺フラグの立った瞬間かもしれません(苦笑)



 そして、もう一人、信長の期待に応え、嬉々として動き回るのが羽柴秀吉です。彼にとっては、信長が敷く信賞必罰の男社会は、自らの欲望を満たす最適のシステムでしかありません。その才覚、そして人たらしの能力、これらがあれば、どれだけでも欲しいものが手に入れられる。その自信と成功が彼を傲岸不遜にしていますね。
 踊るようにお市の前に現れ、「猿」となじられても薄笑いを浮かべ、茶々を抱きかかえて平然と去っていきます。それは、信長の命に従う社会に属し、そこで力を発揮できるという背景があればこそ、です。信長の妹すら、信長の役に立たなかった以上、織田家の男社会の理屈の元で虐げられます。そして、後に織田家の「天下一統」を引き継いだ秀吉が茶々をどうしたのか、それすら暗示させる振る舞いになっていましたね。

 因みに、光秀がプライドの担保を欲していることに対して、秀吉はもっと現実的で即物的な利益を欲しているという二人の違いも押さえておいてよいでしょう。失敗したとき、プライドを失うほうが、心の行き場を失います。ここでも、光秀の末路は見えたかもしれません。


 さて、問題は、この信長の敷く男社会に家康が組み込まれているということです。第17回「三方ヶ原合戦」を思い出しましょう。信長に「俺とお前は一心同体。ずっとそう思っておる」と熱く語られたとき、家康は半歩進んで信長ににじり寄り、膝を着いてしまいました。わずかに信長より視線が低くなるこの瞬間が、家康が心から信長の弟になることを選んだときであることは、第17回の記事で触れました。
 この瞬間から、これまで以上に清須同盟の維持を要求され、そのために多くの信長からの無理難題に応え続けなければならなくなったのです。そして、このことが、瀬名と信康のその後の運命に大きくかかわってくるかもしれないのです。

 このように、劇中での描写は長くありませんが、ここに信長の動向が挿入されたことは大きな意味を持っているように思われますね。



(3)癒されぬ傷心に苦しむ家康
 
さて、肝心の家康ですが、そのファーストカットが、表情が全く読み取れないレベルの陰影の深いショットになっているのが秀逸です。これだけで、三方ヶ原合戦で受けた心の傷の大きさ、そして悪夢のようにリフレインされる武田軍団と頭に響いた「弱き主君は害悪なり」という信玄の言葉、その闇にむしばまれている、家康の心象が全て表現できていますね。
 そんな闇落ちをしそうな不安を掻き立てるショットが連なる中でも、信玄の死を喜ぶ元忠に不謹慎を𠮟りつけていて、まだ彼が本来の優しさを失っていないことも説明されます。もっとも、こうした良心的な彼だからこそ、三方ヶ原合戦での傷心と懊悩が深まるのですが。


 さて、何はともあれ、信玄の死により自分たちが助かったのもまた事実。それゆえに次の対策を取るべく、家臣たちはそれぞれ「なすべきことをなす」ために動き出します。家臣団の思いと結束力と行動は、三方ヶ原合戦をとおして高まったままのようです。
 その去り際、数正が家康に生き延びた天運について「「いつも懐に忍ばせている摩利支天のおかげかもしれませんな」と声をかけます。家康が戦神である摩利支天を念持仏としていたのは有名で、また静岡浅間神社内の八千戈神社などそれ由来の神社もあります。その逸話が数正によって言及されたことで、前々回から彫りかけであった像に焦点が当たっていきます。


 家康は作りかけだった摩利支天を彫り進めます。それは三方ヶ原合戦を生き延びた彼の自問自答であったことは、湯殿で思いがけずお万に語ってしまった「何故、生き延びているのか?」という問いにも表れています。これは、現代で言うところのサバイバーズ・ギルト(戦争や災害で奇跡的に生き延びた人が、自分だけ生き残ってしまったと抱く罪悪感)、ある種のPTSDになっているのですね。
 しかも、家康の場合は明確に家臣たち「皆に生かされた」身ですから尚更、その思いは強い。前回の台詞「決して無駄にはせん」ためにはどうすべきなのか、そもそもその資格が自分にあるのか、そう追い詰められていると察します。
 勿論、「なすべきことをなす」のだということはわかっていますから、とりあえず家臣たちに切り取られた遠江の内情を探らせてはいます。しかし、それは家康自身が直接「なすべきこと」ではありませんから、一人懊悩するしかないのです。


 そんな家康に湯殿で彼の髪を梳く神職の娘、お万が、彼に寄り添う発言をする中で生き延びたのは神仏のおかげだと、一つの答えを示します。やはり、数正の言うとおり、摩利支天の加護、天命なのでしょうか。
 勿論、それもあるでしょう。しかし、その天命を引き寄せられたのは家臣たちがそれぞれ「なすべきこと」をなしたからこそです。ですから、お万のこの言葉は、神仏の加護という台詞が重要なのではなくて、身近な家臣たちを多く失い、今まで以上に死というものを自覚した家康に対して、「多くのご家臣を亡くされてお心が疲れ切っていた殿をお慰め申し上げ」(お万)るための方便「皆の死は殿のせいではない」という意味と考えたほうが無難でしょう。神職の娘であれば、説得力もありますし、家康の信心にも響きます。


 また、家康の傷心を神仏が助けないことは、摩利支天像を彫り上げたにもかかわらず家康の三方ヶ原合戦での傷心が全く消えないことからも明らかでしょう。ここには、「どうする家康」には神仏はいない、あくまでその時代を足掻き生き抜こうとする人間ドラマなのだという信念が見え隠れします。ただ、ここは、その像が戦神、摩利支天像であることから、その信念とは別の側面もありそうです。見方を変えて更に掘り下げて考えてみましょう。


 完成した摩利支天像が映されるとき、家康は、ナレーションの「勇猛果敢」に合わせたようにひたすら武芸の稽古に打ち込んでいます。摩利支天の加護のもと、心身を鍛え、武人として健やかにあらんとする、あるいは身体を動かすことで身に救う邪念を払おうとしているのかもしれません。
 しかし、そんな彼の視界は一変し暗転します。その脳裏に繰り返されるのは、三方ヶ原合戦で無残に死んでいく家臣たちの姿です、そこに信玄の「弱き主君は害悪なり」が響きます。そう、彼の命を守るため、彼の判断ミスのため、家臣たちは死んだのだと信玄の台詞が、家康を苛みます。これは、摩利支天が象徴する武芸、戦、つまり男として主君として強くあらんとすることが、何一つ家康の心を救わないことを表しています。


 もう一点、考えておきたいのは、第17回「信玄を怒らせるな」から、この像を彫り続けていたことです。第17回では、自らの弱さ、優しさとして兎の木彫りを瀬名へ預けていきましたが、摩利支天はそれに代わるもの、つまり「強き主君」となるための指標と覚悟として彫られていたのです。
 しかし、元来、優しい性質の家康は木からその像を明確につかみ出せないままでした。これは、彼に信玄と戦う覚悟が定まらなかったからではありません、家康が本当の意味での戦場を知らない、真の戦人ではないからなのでしょう。だから、輪郭のみで未完成なまま、三方ヶ原合戦となりました。


 そして、三方ヶ原合戦をとおして、戦の真の無残さを知ったとき、家康は摩利支天像を掘り出し、完成させます。つまり、それは弱肉強食を生きる戦国大名として一皮むけたことを意味しています。しかし、一皮むけたことで家康は何を手に入れたのでしょうか。彼が得たのは、多くの人間たちの惨たらしい死、そして、その死に支えられて生き延びる主君の孤独と罪悪感、戦場の恐怖、癒しようのない苦しみと孤独感だけです。
 戦国武将として一人前になるとは、この孤独と恐怖と罪悪感を手にすることだったのです。秀吉のごとく徹底的に利己的でどこか壊れている人間であれば、あっさり受け入れられるかもしれませんが、家康にとっては耐え難いものだったでしょう。


 そして、家康が手にしたこの負の感情は、戦国大名全てが持っているものです。小心ゆえに慎重で用意周到だった信玄も、恐らくトラウマから歪んだ男たちの絆の世界を望む信長も、皆、家康同様、闇を抱えています。戦国大名とは男らしさの頂点に立っていながら、その実は臆病者なのです。

 そんな彼らが信奉する戦神たちが、彼らの闇を深めることはあっても、その心を救うことなぞできるはずがありません。結局、傷心の家康を救ったのは武芸の稽古でも自らを鼓舞するために完成させた摩利支天像でもなく、「男ども」が軽んじたお万の慈しみだった点は重要です。お万がその癒しで、家康を「イチコロ」(瀬名)にしたことで彼は救われるのです。お万に子をなさせてしまってからの家康からは戦の影が急速に消えていくのは象徴的ですね。
 まあ、瀬名や家臣に知られるのを恐れ、別の意味で肝を冷やしていますから、彼自身はそれどころじゃなかったんですが、そこに思考を回せる呑気さが戻ってきているとは言えます(笑)


 したがって、本作での摩利支天は、そんな「己の欲しいもの手に入れるために戦をし、人を殺し、奪」(お万)う「男ども」の弱肉強食の理屈を引き受けるものとして描写されていると考えられます。そして、男たちの弱肉強食の理屈の矛盾、儚さ、愚かさをも明らかにしたのが、今回の摩利支天の役割なのでしょう。
 勿論、本来の摩利支天は戦だけでなく安産の神でもあり両義的です。仏敵を調伏するための戦いの神ですから、人間の醜い戦とは違うのでしょうね。



2.おなごたちの三方ヶ原合戦始末記

(1)岡崎城の奥向きをめぐる主導権
 
岡崎城では、信康夫妻が瀬名を呼び出します。用件は、家康を支える正室として浜松へ行ってはどうか、ということでした。勘の良い瀬名は五徳の目論見を察し、本音を述べるよう伝えます。要は岡崎城の奥向きの主導権を自分に寄越せということです。
 この際、五徳が瀬名を邪魔に思う理由を「優し過ぎるから」と述べたことが印象的です。このことは、様々なことを指し示しています。

 まず、何故、家康が瀬名の元に白兎の木彫りを置いていったか、です。それは家康の弱さを優しさとして受け入れ、それを愛する優しさを瀬名が持っているからです。その優しさは家康以上の懐の深さでしょう。勿論、それは瀬名の元来の性格だけでなく、父母を亡くした経緯、岡崎で生きていかなければならなかった覚悟、母としての思い、そうしたものが彼女を慈悲深い人柄へと成長させていったことは、これまでの「どうする家康」で描かれていますし、以前までの記事でも触れてきました。
 そして、その中で大きく育っていった戦のない世の中を望む気持ち、これが信康や亀への養育にも影響しているようです。「どうする家康」における元康の優しさは、両親譲りとその養育にあるのでしょう。

 しかし、それを歯がゆく感じているのが五徳です。彼女は幼いころから、事あるごとに「織田信長の娘」であることを言い、それを誇りにしています。彼女の理想は信長です。金平糖を土産に手に入れた家康に「義父上もなかなかやりますな」と上から目線だったことも象徴的です。ですから、心優しい戦国武将などあってはならぬのです。だから、彼女は「わたくしが、信康さまを織田信長に匹敵する武将にしてみせまする」と力強く明言します。 
この時代なれば、当然の理屈と言えますが、その根拠なき自負には他を拒絶する危うさもあります。
 しかし、この理屈、お市が清州で家康に言った台詞とよく似ていますね。あのとき、瀬名を捨て、お市を迎えていたら、こういう関係になったでしょうか。いや、彼女は家康の優しさすら察する才女でしたから五徳にはならなかったでしょうね。それだけに、五徳の毅然とした雰囲気は禍根を残す感じがあります。

 だからこそ、瀬名は二人が心配なのですが過干渉で波風を立てることも好まないため、浜松に伺いを立てる旨を伝えますが、「なるべく早く」「義父に悪い虫がつかないとも限らない」とどこまでも譲りません。信康が強くなる邪魔をしているのは瀬名との不満は余程に大きいようです。
 嫁姑問題は、瀬名の居場所と立場を奪おうとしていますが、流石に家康がお手付きをする可能性までは頭にありませんから、この時点では、瀬名自身はあまり危機感を覚えていません。


(2)浮気発覚と瀬名の主張
 
そんな瀬名の心をざわめかしたのは、家康の予想外のお手付きでした。信康の「父上を見損なった」も効いていますね。明らかに今後、父親を尊敬しなくなるという…。更に背筋をぴっと伸ばし「ほら見たことか」という態度でいる五徳の感じの悪さも苦笑いです。

 自身の油断が招いた動揺と衝撃の強さが、亀の持って来た生け花を思わず「ペキッ」と手折ってしまう仕草に表れていますね。本作の家康は奥手で、そういうことをしない性質でしたし、お葉以降、瀬名が積極的に側室を持つことを勧める様子はありませんでしたから、どこかで自分だけの家康という若いときの気分はあったかもしれません。

  しかし、この問題、幾分かは嫉妬があるでしょうが、致命的なのは家康が、正室の立場をないがしろにしたことにあります。当時の武家において血筋を残すことは至上命題です。一方で寿命も短く、医療も整わないこの時代であれば、生まれた子どもが夭折する可能性も比較的高い。となると、なるべき多くの子女がいたほうが賢明であり、安心というのが当時の理屈です。ただし、あまりに多くの子女がいたり、あるいはご落胤として外にできた子がいたりすれば、家督相続の火種となります。そのため、正室には、別妻や妾として承知するどうかの権限を持っていたのではないか、というのが近年の説です。あくまで「家」を守り、次の代へつないでいくのが正室の役割であり、権利なのです。

 以前の側室問題を乗り越え、更に年数を経た瀬名ですから、そうしたことへの理解と正室としての自覚はあるでしょう。ただでさえ、岡崎城から追い出されそうな雰囲気の中に、当の家康が瀬名の正室の立場を危うくしたのは相当な心労になったはず。
 それでも、何とか落ち着いて事を収めようと笑顔で家康のもとへ出向いた瀬名は健気ですね。そんな瀬名に対して、家康は動揺を隠しながら「やあ」と取り繕う不誠実な態度ですから、遂に「あほたわけ」と激昂するのは致し方ありません。家康が悪い。

 この囲炉裏端で物を投げつける修羅場、忠勝は逃げる家康を食い止め、康政は籠を差し出して投げるものを提供し、来訪を告げた小姓は驚きながらも膝をついたまま動こうとせず、と誰一人、家康の味方をしようとていないのが可笑しいですね。夫婦喧嘩は犬も食わぬと言われますが、こいつらは不敬にも主の夫婦喧嘩を楽しんでいますね(笑)
 これより前の場面では、いつも哀し気な渋面の服部半蔵が、耐えきれず吹き出しまくり、画面外に消えても快活な笑いが響いていました。事の重大さに気づかない彼らには笑いの種でしかないのでしょう。
 まあ、家臣らが、こういう男の勝手な浮気に際して、男の側についてホモソーシャルさを出したりしないところだけは、結果的に良心的かもしれません。

 ともあれ、瀬名は「殿に子が生まれることは喜ばしい」ということを前提として、「正室の立場をないがしろにされたこと」「信康と亀姫の立場を危うくし、お家の一大事になりかねない事態を招いたこと」その二点で家康を責めます。お万妊娠の件を伝えたとき、数正が「何をしとるんじゃぁ!」と唾飛ばしながら怒り、忠次が呆れ果て、両名揃って瀬名の側に着いたのは、瀬名と同じ理屈です。武田軍に対峙するというお家の一大事に、女性問題でお家の一大事を招くなど自覚が足りないと言われても仕方がないのです

 その上で彼女の立場から家康の問題点をもう少し見てみましょう。まず、お家(血筋)を守るという意味では正室は、君主と対等のパートナーと言えます。だから絶大な権利が与えられている。その彼女の職業的立場とその権利を侵害したのです。まして、有能で、自分なりに政治を学び、家康や信康をサポートしようとしてきた瀬名です。その努力すら家康は傷つけてしまいました。

 そして、信康と亀姫に関する言葉には、お家の問題だけでなく、母としての想いも含まれているでしょう。世の多くの夫はいつまでも若い時の恋愛気分が変わらないまま妻が夫を思っていると思いがちですが、子どもを持ち、彼らに愛着を持てば、自然に愛情の比重も形態も変化していくものです。彼女が何のために家康のもとではなく、岡崎に残る選択をしたのか。彼女の親としての想い、家を守りたいという想いがそこにあるのです。そこを理解していないとしか思えない家康の安易な行為に立腹したのです。

 以前の記事から度々、触れていますが、瀬名は家康に守られるだけの弱い女性ではありません。頼りない家康を影日向となり支え、奥向きも滞りなく行い、家臣の気持ちも慮り、家康たちに助言もできる有能なパートナーです。ある面においては、家康以上に強い意思の持ち主です。家康は、瀬名のそうした側面をあまり理解せず、ただただ守るもののように思っている節があります。ですから、今回も自分が悪いことは分かっているのに、好きなだけ殴れとかトンチンカンな謝り方をして瀬名を余計に怒らせています。この鈍感さが時には良いのですが、二人の間にどことなく横たわり続ける溝になっているように感じられます。

 一方で瀬名は、自身が浜松にいなかったことで、家康の深く深く傷ついた心について全く無頓着。その想像が出来なかったことは優秀な彼女にしては落ち度と言えるでしょう。勿論、だからといって家康が浮気をしていいという理由にはなりません。それにしても、お互いを思っていても、理解し合うというのは難しいですね。

 

(3)お万が瀬名に託した「おなごの戦い方」という希望
 
ところで、お万という女性は賢く、そしてとてもミステリアスです。その目的は明らかにはされましたが、どこから計算だったのか、家康をどう思っていたのか、その辺りはぼやけたままです。それを考えるのも今回の面白いところかもしれません。

 例えば、湯殿で働く選択をしたところから全て計算づくのことだろうと想像してみましょう。最初から家康を籠絡し、子をなし、生活に十分な金子を手に入れるために。
   積極的に毎回、髪を梳きに行っていますし、そもそも湯殿が最も家康に理由なく密着できる空間です。また当時は蒸し風呂です。家康がお万を意識した最初、その直前に湯が注がれるシーンが挿入されています。つまり一気に中に蒸気が沸き上がったということ、テレビですから感じ取れませんが、若いお万の身体が匂いたったのだと想像できますね。匂いから籠絡したとすれば、ますます巧妙ですね。
    他にもかの雛人形を湯殿に忘れていたり…ああ…なんてあざとい…でもそれがわかっていても引っかかりにいく世の男は多そうです(苦笑)まして、内心、救いを求めている家康ならば尚更です。

    その上で神職の家の娘ならではの「殿は天に守られているのです」という言葉で、その傷ついた心の隙間も埋めていきます。家康は、心身共に癒されていきます。

 また彼女は周りもすっかり騙せています。湯殿の人々は男も女たちもお万をドジだけれど一生懸命働く気丈な娘として可愛がっていた気配があります。最後に逃そうとする好意にもそれは現れていますね。意思の強い女性であることは隠しおおせています。能ある鷹は爪を隠すです。
    また、忠勝ら家臣たちも「あのおっとりした」「よりによってあのお万と」と完全に見くびっていました。お万がわざと「うかつ者」を演じ家康の懐に入り込んだことに気づかぬ彼らは、家康と同等以上に愚かです。最初から彼ら、無骨な「男ども」は相手にされていません。繊細な家康だからこそ、自らの癒しを与えることにしたのです(真心半分打算半分ですが)。金子も一番ありますし(苦笑)
    はっきり言えば、家康がお万に手を出したのではなく、お万が家康を選んだのです。彼女にだって男を選ぶ権利がある、そうこの作品では描いていますね。

 そう考えていくとお万が望月千代女の配下だったり、恨みを抱く復讐者でなくて良かったですね。万が一そうだったら、それこそ「イチコロ」で殺されています(笑)


 さて、そうした彼女が家康と子をなすことを望んだのは、それこそが男にできない「おなごの戦い方」だからです。それを象徴するのが、彼女がつくっていた親子雛でしょう。「男ども」のように「戦をし、人を殺し、奪」うだけではない女性だけの能力。もとより、女性は子を産む道具ではありません。ですから、ここではあくまで破壊と死を招く「男ども」への彼女の静かな怒りと抵抗として扱っているのでしょう。「男ども」に全てを壊されても、なんとしても強かに生き延びてみせようとしたのです。
 因みにお万の方には、息子(結城秀康)が亡くなった際、家康の許可を得ることなく出家をしたが、家康は咎めなかったという逸話があります。 自分の想いに従う…そんな強さは、こちらのお万とも通じる部分があるかもしれませんね。
    そして、この強い意思を見ると、この親子雛、鬼子母神にも見えてくるのが、やや怖い…まあ、これは邪推ですね←

 さて、彼女の強かと賢さが最大限に発揮されたのが、湯殿の仲間に頼み、木に縛りつけられ折檻されそうな雰囲気だけを作ったところです。ここで同情を買えば、優しい瀬名には許されるだろう、そしてお腹の子は責めないだろうという彼女の優しさを考慮した策略です。
   この木に縛りつけられて折檻されたという逸話は、「柳営婦女伝叢」に載るものですが、その出どころをお万の自作自演でしたというオチにしたのは、なかなか捻りもありました。まあ、温情解決をしたはずが、後年、嫉妬深い築山殿として悪く言われる瀬名には気の毒ですね。

 この自作自演をあっさり見抜いた瀬名が貫録です。彼女は女性の生きづらさを両親の死、岡崎へ来てからの苦労、築山に寄せられる話などでよくよく感じている人です。だからこそ、彼女は金子を殿から沢山もらい、願いを叶えるよう伝え、更にそれもおなごの生きる術じゃ、私は嫌いではないぞ」と伝えます。
 瀬名は、頑張って生き抜こうとする才能ある女性たちの味方です。思えば、側室に選んだお葉も才人でしたし、それを選ぶ彼女自身も才人ですね。そして、こうしたあざとさを非難する者たちがいることもよく分かっているので(きっと視聴者の中にも生理的に許せないと思った方が男女問わずいるでしょう)「恥じる必要はない」と免罪符的に添える入念さ、お見事としか言いようのない正室ぶりです。
    そして奇しくも弱者の庇護者たらんとする瀬名のあり方は、信玄や信長の対極に位置していますね。だから、次週以降、悲劇が始まるのです。


 ここまでの真心を見せられたからこそ、お万も誠意に応え、本音を語ります。この際の長台詞が、お万の見せ場です。それは以下のとおり。


恥じてはおりません。
多くのご家臣を亡くされてお心が疲れ切っていた殿をお慰め申し上げたまで。
男ども、己の欲しいもの手に入れるために戦をし人を殺し奪います
おなごはどうやって?
人に尽くし、癒しと安らぎを与えて手に入れるのです。
おなごの戦い方のがよほどようございます。
わたくしはずっと思っておりました。
男どもに戦のない世など作れるはずがないと。
政もおなごがやれば良いのです。
そうすれば男どもにはできぬことがきっとできるはず
お方様のようなお方ならきっと…

 私が選んだ道だから恥じない、とお万は言います。
    一応、家康への癒しは真心とは言いますが、それ以上に、何度も言及される「男ども」と吐き捨てるような言い方に、男らの欲望で動く戦国の世に生きざるを得ない女性たちの哀しみと怒りが凝縮されていますね。同時に彼女がこれまでに失ったものの大きさも察せられます。だから、家康への想いがぼやけるのですね、君主たる家康はまさに「男ども」の上に立っていますから。

 「どうする家康」は、社会的弱者となる人々への眼差しが強く意識されている作品です。三河一向一揆編もそうですし、度々、焦点が当てられる女性たちの生き方もそうです。彼らのような人々の日々の生活こそが、世の中を支えているのですが、弱肉強食の論理をかざす男たちのホモソーシャルな社会はこれらを虐げることしかしません。
 一体、何のための「天下統一」であり、誰が救われるのでしょうか。そのことを「どうする家康」では、常に問いかけているように思われます。それが、合戦のカタルシスを極力、避けている理由の一つではないでしょうか。


 今回は、摩利支天に象徴される「男ども」の目指す社会とその理屈が、欲望は満たしても傷ついた人の心を、それで動く戦国大名の孤独や傷心すら癒すことのない空虚なものであることをはっきり明示したのが特徴です。これは、凄惨な三方ヶ原合戦を描いた後だからこそ、家康にも、視聴者にも厭戦感が漂う今回だからこそ、効果的と考えられたシナリオでしょう。
 では、何が人の心を救済するのか、それは他人を想い、そのために尽くして、癒しと安らぎを与える…つまり「奪う」のではなく「与える」、その心のあり方にこそ救いがあるとお万に説かせます。

 彼女の文言は更に続き、「奪う」ことしかしない政治に未来がないことも看破しています。だからこそ、「政もおなごがやれば良いのです。そうすれば男どもにはできぬことがきっとできるはず。」というのです。しかも「ずっと」思っていたというところに、お万の苦しみの深さも伝わってきますね。
 因みに「男ども」の政治は、武力による武断政治です。そして、彼女が言う人を慈しみ、癒そうとする「おなごの戦い方」を、「徳」による徳治政治と言います。今川義元が成せなかった王道は、まさに徳治政治のほうです。つまり、政治の理想が、お万の台詞には込められているのですね。


 ただ、戦国の世を蹂躙する弱肉強食の論理を、市井に近い女性(お万が従姉妹に当たる血筋という説は取られていないようです)が抗い、物申す…正直、これは出来過ぎです。また直接、人生訓をキャラクターに話させてしまうのは、山本周五郎的でやや古い演出です。
 そこで、今回は、お万にメッセージを代弁させながらも、焦点はお万ではなく、それを聞く瀬名に当てました。彼女のメッセージを瀬名がいかに受け止めるか。瀬名というキャラクターの今後の能動的な動きに託そうとします。あくまで、「どうする家康」の世界で生きるキャラクターたちの物語へと落とし込もうとしたのでしょう。ですから、お万を演ずる松井玲奈さんよりも、受ける有村架純さんの瀬名の表情の場面が多めになっています。

 そもそも、瀬名は地理的な問題があるにせよ、家康の苦しみに気づくことが出来ませんでした。つまり、瀬名自身が人に尽くし、慈しみを与えることを忘れていたことをお万の言葉は気づかせてくれます。だから目を伏せ、後悔の念の表情を滲ませます。更にその言葉をゆっくりと思案しています。そして、「政もおなごがやれば良い」「お方様のようなお方ならきっと…」という願いを託す言葉に、はっとしたような表情をお万に向けます。瀬名のあり方の根本は、五徳に非難された「優し過ぎる」です。しかし、これが瀬名にあるから、お万は瀬名に想いを託すのです。先にも述べましたが、彼女は弱者の庇護者だからです。

 そして、第11回の記事でも述べましたが、彼女は家康の理想を共に叶えるパートナーでありたいという願いを秘かに抱いています。その一端が築山の解放による領民の声を聞くことでした。そして、家康が浜松へ移るときには信康をサポートするため、政治の書物を取り寄せてしていました。そして、こうした彼女の努力、そして民を救済したいという優しさの行き先を、図らずもお万は指し示したと言えます。



 さて、女性たちの話し合いが終わったあと、瀬名は家康に心の傷を気づいてあげられなかったこと、癒せなかったことを素直に詫びます。そして、家康がやはり浜松に来てほしいと伝えると、もう少し岡崎にいると返し、家康に残念な顔させます。しかし、瀬名は「いずれ二人で暮らしましょう」と未来への希望、いつも心は家康の側にいることを笑顔で添えます。
 この言葉に、傷心の家康は、また頑張ろうと決意します。ここでようやく数正と忠次が「気を緩めている暇はありませんぞ」と諭しにくる、そのタイミングが家康の立ち直りを意味しています。結局、傷心の家康が完全に立ち直るのは、瀬名の優しさだけなのですね。

 

 因みに瀬名が岡崎にしばらくいる選択をしたのは、信康たちがまだまだだからです。彼女が家康の元へ安心して二人で暮らす前に、お万から教わり、自身も自覚した「徳」による政治のあり方を心優しい信康に説くことなのかもしれませんね。終盤、信康が槍をもって武芸の稽古に勤しむ姿が見られます。この稽古は家康のそれを対比されていますね。若い信康はそれだけでは心を救うことにならないことをまだ知りません。ひたすら強い武将にならんとしているのです。だからこそ、瀬名には「まだまだ」なのでしょう。

 こうした真意は、女性たちの会話を聞いていない家康は知りえません。「優しさ」こそ、弱者への救済。これを知っていたら、家康は木彫り兎を取り戻さなければならないことに気づけたでしょうか。そして、あのとき、木彫り兎を預けてしまった、二人の決定的な断絶は防げたのでしょうか。穏やかな夫婦の会話であるにもかかわらず、二人は断絶したままです。だから、すぐ迫る二人の危機が気がかりになりますね。



 そして、それを象徴するかのようにラストは締められます。信玄の具足を前に瞑想していた勝頼が、父の「黄泉にて見守ろう」を反芻しながら、遂に自らの今後の方針、「三河を取る」という意思を固めたからです。この際、信玄譲りにして、それ以上に狡猾なのは、攻める機軸を瀬名と信康にしたことです。三方ヶ原合戦に家康を引きずり出せたのは、岡崎を攻めるかもという恐れを家康に与えたからです。つまり、依然、岡崎城は家康の弱点です。そこを見逃さず、二人を心理的に調略しようとするところに勝頼の並々ならぬ、油断の出来ない才能の一端が見られます。

 ただし、これは信玄の遺言には恐らく反することです。「甲陽軍鑑」によれば、勝頼には謙信を頼るよう遺言しています。それは武田の弱体化を恐れているからです。内政も固めないまま、動くことは成功すれば、一気に甲斐と家臣を掌握できますが、失敗すれば求心力を失います。若いだけに失敗はすぐに見限られます。その意味では、勝頼の動きは諸刃の剣かもしれませんね。
それは勝頼の場面の後に入った信玄入滅時に映った不動明王像の元にある白骨と武田菱の小刀の映像が意味を持ちます。勝頼が雌伏を肥やした時間の経過か、それとも武田家滅亡の暗示か…


 ともあれ、冒頭が信玄の死で始まり、最後は後継者、勝頼の動向で閉じられました。その物語の構成は、今回、語られた女性たちの想いや願いは、戦国を支配する弱肉強食の論理に挟まれて、所詮は叶わぬ夢であるという哀しい現実を示しているようにも思われます。
 「おなごの戦い方」が「男ども」の理屈の中で押しつぶされていきそうで哀しいですね。


おわりに
 
第19回は、摩利支天像が象徴する戦国を支配する男たちの弱肉強食の論理が世の中を救わないことが改めて示されました。そのことはつまり、家康に必要なのは瀬名に預けたままになっている優しさだということです。それは「徳」とも言って良いもの。それこそが、家康にとって大切なものであることに気づいているように思われるのが、井伊虎松(直政)です。

 今回、浜松城下で領民が家康のあることないことを放言し、その悪口を言い立てているシーンが印象に残りますが、それは家康の小豆餅と銭取、焼き味噌話の逸話の出どころが遠江の民が流した家康評だったというオチにしたからです。そして、この仕立てが巧かったのは、それを聞く虎松の憤懣やるかたない表情につなげたこと。
 戦場の真実を見た虎松だけが、武田軍が勝っていたらその弱肉強食に蹂躙され大変なことになっていたことを知っています。彼らがここで言いたい放題言っていられるのは、家康が生き延びたからです。だからこそ、自分を許し、民がバカにするのも放ってある懐の深い家康が生き残ったことの意味を考え始めていますね。家康の懐の深さこそ、家康が瀬名のもとに預けてある弱さと優しさです。


 そして、家康と同じ「優しさ」という「徳」を瀬名も持っていることは、これまでも暗示されてはいました。しかし、今回のお万の言葉「お方様のようなお方ならきっと…」で更に確かなものとして明らかにされました。
    もしも家康と瀬名の二人が手を携え、「徳」による政治が行えたら…「厭離穢土欣求浄土」の実現は早かったかもとすら思わせます。


 しかし、家康は現在、その心を手放しています。それどころか、今なお、信玄の「弱き君主は害悪」にとらわれています。
    しかも、彼は既に織田家の理屈に従う弟の立場を明確にしてしまいました。これも信玄の言葉に屈した結果かもしれませんね。今後、彼は織田家との密接な男の絆を金科玉条としながら、同盟を維持し、武田と戦っていかねばなりません。家康の本心はともかく、彼は瀬名の想いや理想とはかけ離れていく判断をせざるを得ない状況に追い込まれていきます。それは、瀬名との哀しい別れの始まりとなるでしょう。
 二人を引き裂く直接の原因は勝頼の調略だろうと思われますが、それを決定的にするのは、家康と信長の義兄弟の絆です。あのBL風にも見える一心同体発言は、笑って見て良いものではなかったのかもしれませんね。

 家康が、彼の心を救ったのは摩利支天ではなく、本当は瀬名やお万といった女性たちの慈しみに助けられていたと自覚したと気づくのはいつになるのでしょうか。気づいたときには手遅れなのですが…


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