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「光る君へ」第23回 「雪の舞うころ」 身を焦がす情熱の行き先は?

はじめに

 情熱を持っていますか?今、まさに持っている方もいれば、過去持っていたという人、縁がない人もいるでしょう。また、持っていたとしても、静かな情熱、狂おしいほどに燃え上がる情熱、など、そのレベルはさまざまです。さらには、恋愛、志、夢、趣味、推し活…情熱を傾ける対象もさまざま。その対象が、いわゆる人間の生き甲斐となってきますね。つまり、情熱の在り方は個々に違うものであり、自身の人格を反映したもの、あるいはそのものとも言えるでしょう。


 ただ、感情に直結する情熱は、その扱いについては、極めてデリケートものではないでしょうか。自分の理性でコントロールできる、あるいは社会のルール、人様の助言に従えるうちはよいです。問題なのは、情熱が、心の底から湧き上がる、押さえきれない、狂おしいまでの激しい、手に余るものになったときです。それは、常に暴走の危険を孕んでいます。勿論、プラスに働けば、何か事を成し遂げるための大いなる原動力になるでしょう。

 一方でマイナスに働けば、我が身を滅ぼし、周りを不幸にし、負の連鎖を際限なく生み出していくことも起こり得ます。


 「光る君へ」の登場人物たちも狂おしいまでの情熱に身を委ねる者、抱え込み耐え忍ぶ者、ないふりをする者、解放させる者、爆発させる者などさまざまです。例えば、道長を欲する情念に身を焦がそうとする前回の明子女王は自身の情熱に身を委ねていると言えるでしょう。また、一条帝の定子への想いは一人抱え込むものでしたが、それは定子の懐妊を機に一触即発になっているという状況です。そして、それらが、道長の政の不安要素であることは、前回触れたとおりです。


 それでは、本作の主人公であるまひろはどうでしょうか。彼女は越前に出立するにあたり、宋への感心と憧れに心躍らせていました。勉強家である彼女の本分は、好奇心です。道長との恋愛も、民を救う政という志も、さまざまなことへ関心をよせ、その興味の赴くまま動いていった先にあったものです。道長との関係がポジティブな形で一区切りつき、新たな地に来た今、彼女はその好奇心に身を委ねます。その好奇心は多くを学ばせる一方で、それが様々な人たちの他の情熱と絡み合い、思わぬ方向へ行こうとしています。


 一方、道長は、まひろへの想いを抱え込みながら、志と約束によってそれを律して動いています。しかし、多くの者がかかわる政では、自身の理性だけではどうにもなりません。そして、彼自身が狂おしい情熱を抱えるがゆえに、触発されることも多々あるでしょう。彼の場合は、周りによって、自身が政のレベルで、あるいは個人的な感情のレベルで揺り動かされているようです。

 そこで、今回はさまざなな情熱の絡み合いが、どんな人間模様を生み出すのか、あるいは登場人物たちの心情を掘り下げていくのかについて考えてみましょう。


1.通詞殺害事件の顛末が、為時にもたらしたこと

 アバンタイトルは、前回の続きです。通詞の三国若麻呂の殺害犯として捕らえられた宋人たちの長、朱仁聡、その無実を証明するために周明が証人を連れてきました。さすがに為時は、「国府の偉いお人に朱さまが通詞を殺したと言えと脅されました。言わねば仕事を取り上げると」との訴えに「国府の偉い人とは誰のことか」冷静に問い質し、脅した相手が越前介の源光雅であるとの言質を取ります。

 慌ててやってきた光雅と大掾の大野国勝は、証人の口を遮り、また抗議の声をあげますが、為時はそれも一喝。証人の「人殺しを見たので訴え出た」との言葉を聞き逃すことなく、「お前は通詞を殺した者も知っておるのか」と改めて問い、武生の商人、早成が犯人であることを聞き出します。


 早速、早成を呼び出し、問い質すと、あっさり白状。宋との商いのため、朱に取りなすよう通詞の若麻呂に賄賂の砂金を渡したところ、若麻呂は砂金ならば五袋と法外な要求。もめて争っていたところ、転んだ若麻呂は打ちどころが悪く死んだというのが真相ということのようです。通詞は、ここ越前において絶対的な優位な立場であることは前回noteでも触れましたが、若麻呂はそれを利用し懐を肥やしていたようで、自業自得の死と言えるでしょう。

 事の真相以上に問題なのは、光雅が朱仁聡を陥れるためにその死を利用したことにあります。兼ねてより為時に対して不遜かつ不穏な振る舞いをしていた光雅です。為時は「そなたも、この男と共に宋と商いをして懐を肥やそうとしておったのか」と静かに問います。
 しかし、光雅、心外とばかりに「懐を肥やす気はございませぬ!」と断言すると「越前にお越しになった国守さまにはお分かりにならないのでございます」と目を剥いて訴えます。赴任当初から、暗に越前を知らない国守は何もするなという態度を取ってきた光雅は、そもそも都から来た国守というものを信用していないのだということが窺えます。


 光雅、共に苦労をしてきた腹心の国勝と目を合わせ、うつむきながら「我らはこの一年、ずっと宋人を見て参りました」と宋人が越前に移ってからつぶさに観察してきたと語ります。そして、その結果、「彼らは膨大な数の財宝を持ち込んでおり、それを出し渋ることで物欲のある公卿や朝廷を煽り、国同士の商いを開かせようと企んでいると私は思っております」との結論を得たと訴えます。
 興味深いのは、光雅の洞察は的を射ているということです。その証拠に、光雅が熱弁を振るう中、時折、周明のカットが挿入されますが、その際、彼はその話を否定も肯定もすることなく、後ろ暗い顔のまま黙りこくっています。図星ゆえに要らぬことを言わぬようにしているのでしょう。

 光雅はなおも「そもそも宋人は日本を格下に見ており、我々のことなぞ取るに足らぬ国の田舎役人と侮って、松原客館でやりたい放題でございました」と、いかにこの一年、いかに宋人との対応に苦慮してきたかを端的に言います。為時が「やりたい放題…」と絶句して周明の顔を見るのは、真っ先に松原客館を訪れた際の朱仁聡たちが、為時を下にも置かぬ歓待をしてくれたことを思い出すからです。


 為時の絶句を察した光雅は「国守さまは都から来られたお役人さまゆえ、ころっと振る舞いを変えたのです」と断じます。おそらく、松原客館に寄ってから来たという話を為時から聞き及んだ時点で、光雅は為時が宋に懐柔されたと踏んだのでしょう。さらに、何かと国府に出入りし、為時の病の治療に当たっていたことも、為時と宋が昵懇であると思わせるには十分だったのではないでしょうか。

 勿論、道長からの密命を帯びている為時は安易にそれに乗ってはいませんし、彼らの願いにも応じず慎重に構えてはいます。しかし、その密命は、光雅にはあずかり知らぬことですし、また歓待や治療など心配りを受け、朱仁聡にどこかで気を許した面があったのも事実です。とにかく、光雅からすれば、国守が宋人に籠絡されたかもしれないということは由々しきこと、焦りが生じたことでしょう。


 ですから、光雅は「私が偽りの証言を頼んだのは、これを機会に朱の力を奪わねば、したたかな宋に越前はおろか朝廷も振り回され、害を被ると思ったのでございます」と、国難にあたってのやむを得なかったと正当性を主張するのです。興味深いのは、光雅が信用していないのは宋人だけではありません。都にいる朝廷の貴族たちが物欲にまみれた存在と見切り、まったくあてにしていないということでしょう。

前回、光雅が、為時に賄賂による懐柔策に出たのも、所詮、朝廷の人間は自己中心的で欲深い輩との認識があったからでしょう。自分たちだけで越前を守らなければならない、そして、それが我が国を守ることにもなる。その危機意識が光雅に過剰防衛とも言える冤罪に駆り立てたのでしょう。

 詳細は明かされていませんが、船の建造が滞っているのも、宋人たちに足を得て自由に動き回ることを防ぐための苦肉の策だったのかもしれませんね。


 光雅の熱弁が一段落すると、周明は「そんな話はいい」と宋人の目論見に関する話を打ち切ろうとします。その居丈高な物言いにおもむろに立ち上がってしまう光雅ですが、周明は意に介することなく、為時に「朱さまは無実です。早くお解き放ちを」と進言します。これを受けて、為時、思案する表情をしながらも「介、そのほうの言うことはわかった。されど、この一件において…」と一呼吸を置くと「朱に罪はない。朱を解き放て」と、国守として公正さを優先した最終判断をくだします。


 思わず色をなす光雅を諭すように為時は「左大臣さまもかねて、越前のことは越前で決めよと仰せになった。介らの意見は改めてじっくりと聴く」と確約します。道長が前回、文で送ってきた「越前のことは越前で何とかせよ」は、やや無責任な無策の策とでもいうような側面がありました。しかし、ここは怪我の功名、現地人たちの意向を朝廷が追認する道具立てとして、為時は使い信頼を得ます。
 光雅の「おお…」という表情からは、長年、こういう形でも話を聞こうとした国守はいなかったのでしょう。ですから、為時の裁きの公正さを認め、平伏します。ようやく、為時と現地役人との間に和解の兆しが見えてきました。

 また、朱仁聡が犯人という流れを変えようとし、介の光雅であろうと物怖じしない態度、そして、為時にあくまで正当な裁きを要求したことから、為時は、周明の気概と真面目さ、そして両国の言葉に通じている点も考慮し、「そのほう、通詞として力を貸せ」と周明の才覚を見出します。


 こうした為時の人の話をよく聞いたうえで。公正に裁くその対応の仕方は、それによって救われた朱仁聡の信用も勝ち取ります。その結果、朱は「私たちは越前を足掛かりにして、宋と日本の商いをはかるように命じられています」と真実を打ち明けます。
 朱が為時に期待するのは「あなたは話を聞いてくれる」と一縷の望みをかけるからですが、勿論、道長から彼らを速やかに帰国させる命を受けている為時は「いや、まだ話を聞くとは言っていない」と答えるのみです。しかし、この命が「果たさねば国には戻れない」という切実なものである彼らは「どうか、どうか力を貸してください。あなたが頼りです」とすがります。為時は戸惑うしかありません。


 そして、この一件を包み隠さず、光雅に語り、彼の推測が正しかったと伝えます。聞いた光雅は得心したように「やはりそうでございましたか。朱は宋の朝廷の命を受けた者にございましょう」と、朱の正体が官人であろうことも指摘します。宋人の目的を見抜く洞察といい、この光雅、なかなか優秀な人物であることが窺えます。

 そういう人物とわかったからこそ、為時は「そのほうの越前を思う心情はわかった。されど、無実の宋人を罪に陥れたことは許されぬ。こちらも筋を通さねば、宋人に立ち向かえぬゆえ」と理を説き、また我々の目的は「宋人に立ち向かうこと」だと明言します。これは、彼を認め、信頼するがゆえのことで、そのために形だけは罰するというのです。為時の意を汲んだ光雅は、喜んで「年内は国府に上がらず謹慎せよ」との命を受け入れます。これは、年が明けたら自分を支えて働いてくれ、という言外の言葉だからです。彼もまた、これまでの国守にはなかった為時の私欲のない実直さを認めたということでしょう。


 最初から報連相が出来ていたらと思わなくはありませんが、あまりにも信頼関係の素地がなさ過ぎた彼らにとっては、この回りくどい流れは必要だったのかもしれません。

 朱が真実を打ち明ける際、「前の国守は話も聞いてくれなかった。でもあなたは話を聞いてくれる」と為時を評しましたが、実は光雅ら国府の役人の為時評価も「前の国守は話も聞いてくれなかった。でもあなたは話を聞いてくれる」なのかもしれません。宋人に対しても、地方役人に対しても、為時の誠実さと公正さが功を奏したということでしょう。

 前回のnote記事にて、為時は「もっとうまく宋人らの思惑をつかみ、国府の人望を掌握」する必要がある旨を書きましたが、自らの才覚でそれを勝ち得たのが、この通詞殺害事件だったと言えそうです。無論、この先に待つ、双方の落としどころを図る舵取りはかなり難しいと言わざるを得ませんが、一先ず、スタートラインに立つことはできた安堵はあるでしょう。


 その安堵は、春が近づく折に為時は地域の巡察に出かける余裕ともつながっているように思われます(年明けていますから、光雅も介として復帰しているでしょう)。その際、為時は、彼の手伝いをしていたまひろを敢えて置いていく判断をします。
 「長い間、官職を得られず良い婿をとってやれなかったことすまないと思っておる」と改めて謝罪した為時は、宋語を学ぶ縁で仲よくなっている周明と結ばれるのも構わないと声をかけます。すかさず否定するまひろに「好きにせい」と言う為時は、ようやく心に余裕ができて娘を自由にしてあげたく感じているのだと思います。越前が、為時の身体に馴染んできたのかもしれませんね。


 ただ、為時が「骨がありそうだ」とまひろを託しても構わないと感じた周明の人となりの見立ては、問題がありそうです。彼が通詞を引き受けたのは、為時のためではありません。勿論、双方を上手くつなぎ、役立ちたいとの思いはあるでしょうが、あくまで彼は朱のために為時に取り入ろうという意図で動いています。彼の望むところまで、為時も、そして、まひろも人の好さゆえに見抜けていないのです。



2.まひろを巡る二人の男の思惑

(1)宋人でありたい周明の野心

 それでは、周明という人物はどんな人なのでしょうか。件の通詞殺害事件の後、まひろは周明を呼び出し、二人きりになると「あなたは宋人なの日本人なの?」と単刀直入に聞きます。まひろにとって事件の顛末よりも、日本語が通じない宋人と思っていた周明が日本語を話したことのが驚くべきことでした。彼が証人を連れて、国府を訪れたときに呆気に取られていたのは、そのためです。

 周明は「宋人だ」と即答します。日本語を話せる理由が「生まれは対馬」だからと聞いたまひろは「日本人ではないの?」と再度聞くのですが、それでも、ムキになったように「宋人だ!」と即答します。二度繰り返すあたりに、彼にとって、宋の人間であるという帰属意識はとても重要であることが窺えます。


 それは、「12の時に、親父は口減らしのために俺を海に捨てた」ことに始まり、拾ってくれた宋の国では家畜のごとく働かされ、そこからに逃げ出して、薬師の家に転がりこみ、見習いにしてもらった、その生い立ちに理由があります。薬師に出会うまでは、宋の国でも死ぬかもしれない苦労を重ねていますが、日本での生活も同等か、それ以下だったことでしょう。口減らしせねばならぬほどの生活だったのですから、飲まず食わずの生活は想像に難くありません。その上、いい加減、自意識もはっきりしている少年期に、父親に殺されそうになった。周明にとって日本は、自分を捨てた最悪の国であり、故郷と呼べるものではありません。


 一方、自分を見習いにしてくれた薬師については、「師は初めて出会ったいい人だった」と言っています。彼にとって宋は、過酷だったが、初めて彼を人間扱いしてくれた人もいた国だということになるでしょうか。そこで生きる術を身に着けた彼は、日本人であることを隠し、宋人として生きてきたのです。帰るべき故郷から捨てられた周明は、どんなに過酷でも、宋で人のつながりを持ち生きていくしかなかったのです。

 一方で父に捨てられたのが12歳だった周明は、自分が宋人ではないことも自覚しているでしょう。にもかかわらず、宋で生きていくしかない。となれば、余計に宋人であることに固執するでしょう。朱を「いい人」と呼ぶのも、彼が自分の鍼の腕を見込んで重用してくれるからです。朱の存在が、周明を宋人足らしめている。とすれば、彼が必死で朱を助けたのも道理というものでしょう。


 ただ、まひろにとっては、日本語の通じる宋に明るい周明は、単純に宋のことをわかりやすく日本語で教えてくれる入り口になりそうで、その点で興味津々です。ですから、自ら進み出るように周明に迫ると「もっと宋の話を聞かせてほしい。松原客館には宋から持ってきたいろいろな品があるそうだけど、書物もあるの?どんな書物?白楽天の珍しいものは、ある?」と矢継ぎ早に質問を投げかけます。好奇心の塊のような彼女に気圧されたように、宋の品について語りますが、あまりにも無防備なその様子に「不相信我(俺を信じるな)」と忠告します。お前の期待する人間ではないから、あまり近寄るなというのです。


 これは周明のある種の自己防衛の手段かもしれません。日本人にも宋人にも完璧にはなれない半端者である彼は、自身が何者でもないということを半ば恐れています。だからこそ、その自分の鬱屈を知られないよう、常に人との距離を保ってきたのではないでしょうか。その孤独に何事もないようにすっと入ってくるまひろに戸惑いを感じてしまった。それが、「不相信我(俺を信じるな)」と悪ぶるような発言になったと思われます。

 しかし、そんな鬱屈を知らぬまひろは「なぜ?」と不思議そうです。「宋人は信じるなと越前の役人が言っていたではないか」と揶揄するのですが、それもまひろには通じません。まひろにとって、宋は憧れの国になっているから。彼女は「宋の国は身分の低い者でも試験を受ければ官職が得られるのでしょう?そういう国にずっと行ってみたいと思ってきたわ」と、本音を語ります。


 好奇心だけで一喜一憂し、無防備に距離をつめてくるまひろに関心を抱いたのか、周明は「宋の言葉を知りたいか」と切り出し、「我是周明」と口にします。一瞬、不思議そうな顔をしたものの、まひろは「私は周明です」の意であると見抜くと、早速「我是まひろ」と応用してきました。その機転に「お前こそかしこい」と周明に誉めそやされたまひろは、照れ隠しのように「謝謝」と謝意を述べます。

 何故、周明が、まひろに宋語の手ほどきをしようと言い出したのか、その理由は、現時点では明確ではありません。まず、先に述べたとおり、好奇心だけで突き進んでくる無邪気さが、生きるためだけに必死だった周明には物珍しかったというのがあったと思われます。平たく言えば、変な奴と思ったと言うことですが、それは、眩しくもあり、危なっかしく呆れるものでもあったでしょう。

 そして、もう一つは打算です。期せずして、為時と朱の間を取り持つ通詞を任されたことは、周明にとっては大抜擢だったはず。このチャンスをものにするには、情報収集を欠かさないことと為時の信頼を勝ち得ることが重要です。国守の娘の相手をすることは、その両面で意味があることでしょう。


 まひろは、そんな周明の心中を察する余裕はありません。好奇心の赴くまま、彼から宋語のレクチャーを受けます。場所を選ばず、暇さえあれば、周明から丁寧に教えてもらうまひろ。発音は拙く聞こえますが、漢籍に通じているまひろは、その熱心さと物覚えの良さでするすると習得していっているようです。

 ある寒い日、火鉢を前に「風邪を引いたら鍼で治してよ」と軽口を叩くまひろに、周明はその場合は指の間に鍼を刺すのだと教えます。「こんなとこ刺したら痛そう…」と苦笑いするまひろに「だから風邪はひくな」と優しく諭します。軽口を叩く距離感、周明が見せるちょっとした優しさ(打算が含まれているかもしれませんが)、まひろが、短期間で周明に親近感を覚えていることが窺えます。まあ、何と言っても、丁寧で親切な教師と熱心で出来のよい生徒のマンツーマンです。語学学習を通じてとはいえ、それなりに親密になっていくのは自然なことでしょう。


 そこへ雪が降ってきます。寒いながらも目を輝かせるまひろには越前での暮らしの充実が見えます。そして、その思いを「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる(訳:ここ越前では、このように日野岳の杉の木立に雪が降り、埋もれんばかり。今日は都の小塩山の松に降り積もっているだろう雪と見紛うばかりだ)」という和歌に託し、越前和紙へ綴ります。
 この和歌には、北陸の深い雪に対する感動と、その一方で都へ思いを馳せる気持ちの両方が読み込まれているのですが、意味深なのは、この和歌が詠まれた直後のカットが、同じ雪を都で見ている道長であることです。つまり、まひろは越前での生活の充実を感じながら、それを叶えてくれた都の道長への感謝、そして自分は元気にしているのだという思いを綴っているのだということなのでしょう。

 後半、為時に周明との関係を問われ、男女の情ではないとまひろは答えていますが、その言葉に嘘はないようですね。このシーンのつながりを見る限り、まひろの心にいるのは未だ道長であろうと思われるからです。あくまで周明とは、語学の師弟、異国の友人といった感情なのでしょう。もっとも、第24回予告編を見る限り次回以降はわかりませんが(笑)


 さて、月日が多少過ぎ、為時が地方巡察に出て留守の折、まひろと周明は、友人として海岸デートを楽しみます。つがいのカモメを見たところから、「周明に妻はいないの?」「いない」とプライベートな話になりますが、その意図は色恋めいたものではなく、「他の人たちには、身寄りがあるでしょ。恋しくないのかしら」と宋人たちの望郷の念を気がかりにしてのことです。「帰りたい人は、帰るのがいいと思う。待っている人もいると思うし」と言うまひろに「俺に帰ってほしいのか。国守さまの仕事の手伝いか」と棘のある揶揄を返しますが、この言葉からは、為時が朱の交易の申し出に抵抗していることが窺えます。雨降って地固まるで、国府の役人たちは、為時のもと一丸となっているのでしょう。思うようにならない交渉への苛立ちが、周明の言葉にはあります。

 また、俺に帰ってほしいという聞き方には、俺が嫌いなのかというニュアンスも少なからず含まれているでしょう。これが、まひろへの好意から来た言葉かどうかはわかりませんが、日本に居場所はなく、宋人になりきれない周明にとって「ここから去ってほしい」と思われることは、複雑な気持ちになるでしょう。少し自虐めいた言葉であると思われます。


 勿論、まひろに他意はありませから、こうした揶揄にもひるむことはなく「あたしがどうしたいかは関わりないわ。宋の人たちがどういうふうにしたいかが大事だと思っただけ。父の力にもなりたいけれど、それが全てではないわ」とあくまで誰の味方でもないと強調します。

 それを受け、「朱様が帰ると言わない限り、俺たちは帰らない。なぜ、朝廷は宋と直々の商いを嫌がるのか」と素直な疑問を述べます。しかし、目まぐるしく国が勃興する大陸の情勢、外交の難しさも知らないまひろには答えはなく「わからない。なぜあの人がなぜそこまで頑ななのかしら」と逆に疑問を持っています。まひろの視野は近視眼的で狭いため、越前の宋人たちは悪い人に見えていませんし、交易による利益ぐらいしか感じないのでしょう。政の中枢にいる道長の左大臣としての思惑までは測れません。


 周明は、何げなくまひろの言った「あの人」という言葉を耳ざとく聞きつけます。あきらかに親しい関係にあるその呼び方の主が、左大臣のことだと知り、驚きのあまり周明は「左大臣?」とおうむ返しに聞き返してしまいます。周明のおうむ返しを、日本語を知らないせいと受け取ったまひろは「ええ、帝の次にえらい人」と説明するように答えます。これが致命的な一言になるかもしれないと知る由もありませんが、周明には天啓と映ったでしょう。

 為時との交渉が暗礁に乗り上げている今、朱仁聡たちは解決の糸口を模索しています。その手掛かりがここにあったのですから、急ぎ松原客館へ戻ると「国守の娘は左大臣とつながりがあります。もしかしたら左大臣の女かもしれません」と報告します。当事者以外は、為時と従者しか知らない二人の関係は、まひろの不用意で無防備な言葉で、日本ではなく宋人たちの間で広がってしまったことになりますね。


 そして、このことは宋人として成功したい周明の野心に火をつけます。周明は「うまく取り込んで左大臣に文を書かせます」と提案します。側近らは「こいつは、日本人であることも隠しておりました。信用できません」と言いますが、朱は「私は周明を信じる」と答えます。朱が本当に周明を信用しているのかはわかりませんが、どのみち八方塞がりなのです。「やってみよ、皆の信用を勝ち取れ」と周明の策に乗るしかないのです。

 そして、ここぞとばかりに周明は「事が成就したら、私を宰相さまの侍医にご推挙ください」と宋の都での安定した生活を望める地位を見返りに求めます。過ぎたる望みと言えなくもありませんが、居場所のない彼はチャンスを最大限に生かし、自分の居場所を勝ち取るしかありません。それが、彼がこれまでの人生で得た教訓でしょう。なりふりなど構っていられません。朱は、この願いに国益にかかわる重要な使命だけに成功すれば、望みのままだろうと答えます。


 こうして、まひろは朝廷と宋人の駆け引きの渦中に知らず知らずのうちに巻き込まれることになりました。しかも、彼らはまひろを道長の女である可能性を考慮しています。まひろが安易に道長に交易をするよう文を書くとも思えませんが、逆に上手くいかないときは、まひろが囚われ人質のような扱いになることもないではありません。こうなった場合、まひろは、道長自身を苦しめ、また朝廷を危機に陥れる可能性もでてきます。勿論、道長とまひろの関係が周囲にバレることもあり得ます。まさか越前から二人の関係がバレる可能性があるとは予想外でしたが(笑)


 しかし、なんにせよ、このことを招いたのは、まひろの留まることを知らない純粋な好奇心であるということが皮肉ですね。知識を得、見聞を広めたい、そのためなら破天荒なこともしてしまえる突撃娘の本領が、越前では発揮されています。その無邪気さと無防備と浮かれ具合が、周明に道長と自分の関係に気づかせ、さらには周明の、自分の居場所を渇望する野心に火をつけ、結果、道長と朝廷を危機に招こうとしているのです。

 また、もしも周明のまひろへの興味が、好意に変わっていて、まひろを妻に迎え宋に連れ帰ることが本気であるとしたら、ほとほとまひろの好奇心の強さと行動力は危なっかしいと言えるでしょう。とはいえ、好奇心は、まひろの原動力。そして、道長も、為時も、宣孝も、彼女の周りはこの点を面白がり、好いています。彼女の美点でもあり欠点でもあるこの情熱がどうなっていくか、その行く先も見どころになっていくかもしれません。


(2)宣孝の恋慕を募らせる焦り

 さて、海岸デートを楽しむまひろと周明を心穏やかならざる顔つきで見つめているのが、はるばる都より越前にやってきた宣孝です。ただ、先にも述べたとおり、まひろにその気はありませんし、周明もまた国守の娘に恩を売れば、朱の役に立つだろうという打算もあると思われます。勿論、日々、語学を通じ、忌憚なく話をしてきた二人に通じ合う信頼めいたものはありますから、傍から見れば親密な関係に見えるでしょう。

 ですから、乙丸はきっと毎度、内心ヒヤヒヤしているでしょうし、宣孝もまた二人の関係を男女のものとして疑いの眼差しで見てしまうのも無理のないところです。まあ、現代の私たちにしても、街中で男女が連れ立っているのを見ると恋人か夫婦かと勝手に思い込むのが常です。まして男女が並んで外を出歩くことが少ない平安期であれば、なおさら、そう疑うのも仕方ないでしょう。


 ただ、そこで居たたまれなくなって馬を降り、「宋人を見に参った」と割って入ったのは、そうした誤解よりも宣孝の嫉妬と焦りのなせる業です。やってきた宣孝に「ほんとにいらしたの?」とまひろが心底驚くのは、宣孝から為時へ届いた「年が明けたら宋人を見に越前に行くか」という文について、為時は「まあ、最初から来るまいとは思っておったが」と、まひろは「決してお見えにはならないと思うておりました」と二人、笑い合うほどに信じていなかったからです。
 為時に言わせれば「相変わらずいい加減な奴」ということですが、ものは言いよう。「愉快でお気楽なところが宣孝さまのよい所」とまひろからは好評価です。

 為時にせよ、まひろにせよ、根は真面目。それだけに思い悩むと臨機応変さがないため、出口がなく、深みにハマってしまいます。案外、為時家では問題児だった惟規のお気楽極楽は救いの面があったかもしれません。また、まひろの親友がのんびりとしたさわであったのも、まひろの性格に心安かったと思われます。また、いい加減そうな宣孝、惟規、さわの三人は、気遣いのできる性質であるのが特徴です。だから、まひろにとって宣孝の明るさに救われる点があるのですね。

 まひろと道長が、気質が似ているゆえに響き合うのだとすれば、まひろと宣孝は違うゆえに補完し合うのかもしれません。どちらがよいかは難しいところですが、まひろの美徳を活かせるほうが彼女にとっては幸せというところになるでしょう。


 話を戻しましょう。まひろは、突然親しげに現れた中年貴族を訝しむ周明に「遠い親戚で父の長年の友、藤原宣孝さま」と紹介します。逆に宣孝には、薬師を名乗る周明について「父の病もあっという間に治してくださった名医なの」と嬉しげに紹介します。
 実は、男と二人きりでいるまひろの邪魔をするのは、下男のふりをした道長といたときに続いて二度目です。あのときは、身分卑しき者に友人の娘が誑かされぬようにするという保護者目線の行為でした。また貧しい姿の道長を下賎と見て、高圧的な対応をし、体よく追っ払ってしまいました。

 しかし、今回は違います。あのときのまひろは裳着の儀を終えたばかりの13歳程度の小娘でしたが、今は当時としては老嬢と呼ばれるぐらいの年齢になった大人の女性です。その彼女に親戚のおじさんポジションとして周明に紹介され、逆に相手の男が宋人の優秀な医師と来ては、横柄に振る舞うわけにもいきません。嬉しげに周明を紹介してきたことが気になるものの、表向きは鷹揚に「それは世話になったの」と友好的に振る舞うしかありません。

 さらに宣孝がぎょっと目を見開いてしまったのは、帰る周明のまひろへの「再見(また会おう)」に、まひろもまたごく自然な挨拶として、同じく「再見」と返したことです。単なる挨拶に過ぎないのですが、宋語を話すまひろに瞠目する宣孝の顔には、二人の親密さを疑い、危惧する眼差しが窺えます。都を旅立ってわずかの間に、まひろが、自分の知らない言葉で外国の男と仲良くしている…旅立つ前にふざけて話していた、まひろが宋へ行く話が現実として迫っているように宣孝には感じられたかもしれませんね。


 ですから、まひろが、宣孝の「国守の仕事ほど楽で儲かる仕事はないと仰せになっておりましたけど、とんでもない。見込み違いでございました」と揶揄する言葉よりも「私も必死で父の手助けをしております」に反応し、「それで宋の言葉も学んだのかご苦労なことだ」とそこに紐づけ、感心するような、疑わしく思うような、妙な反応をします。安心したいけれど、できない心境が窺えます。

 そんな宣孝の男心など露知らぬまひろは、宣孝を楽しませようと、「羊も食べました、美味しくはございませんでした」と未知の体験について語ります。普段の宣孝ならば、驚きながらも笑って楽しむのですが、まひろから次々と出てくる珍事に「わからなすぎる、お前、何が起きておる」と戸惑うばかりです。まひろを驚かせ喜ばせるつもりが、まひろが急に遠くなり、自分が場違いなところに来てしまったかのような気分になってしまったのでしょう。


 しかし、近年は丁々発止の漫才のような会話をしている二人です。徐々に調子が合ってきます。都での役目が忙しいはずの彼が「物詣でと偽ってきた」との言葉に、真面目なまひろは食いつき、「そのようなことが内裏で明らかになれば父もお咎めを受けます」と咎めます。
 まひろの辛辣な物言いに調子に乗り始めた宣孝は「案ずるな明後日には立つ」と真面目に応じた後、おどけたように「長居して露見したらお前に叱られるゆえに」と冷やかします。当然、真に受けたまひろは、「またそのような…」といつものごとく、むくれます。

 こうなると、宣孝の知っている、いつものまひろです。やっと安心した宣孝は「そのぷんとしたような顔が見たかった」と大笑いすると、都からの土産を披露します。「都で流行りの肌油、お前のぷんとした顔がますます生きるぞ」と余計なことをつけ加えたせいで、せっかくのコスメをふくれて受け取っているまひとですが、為時のためと言って取り出した『玄怪録』には、猛然と飛びつき、くんかくんかと香りを嗅ぎ、満面の笑みで「都の香りがいたしますぅ~」と感動しきり、いかにもビブリオフィリア(愛書家)らしい振る舞いにはまひろの重度のオタクぶりが表れていますね(笑)

 普通ならドン引きされてもおかしくないところですが、笑っている為時を見る限り、最初からコスメよりもこっちを喜ぶことが分かった上で勿体ぶって『玄怪録』を出したのかもしれません。まひろとは長い付き合いです。彼女を面白がらせる術を十二分に心得ていると思われます。因みに『玄怪録』とは、唐の文人、牛僧孺により編まれた伝奇もの説話集ですが、宣孝が持ってきたものは宋からのものですから『太平広記』に収録されたものでしょう。『続玄怪録』になると芥川龍之介が短編小説として翻案の材とした「杜子春伝」が入っています。



 機嫌を直したまひろは、ウニなど越前の新鮮な珍味で宣孝をもてなします。手慣れた様子で、今朝取れたばかりというウニの殻を素手で割ってみせるまひろに「越前の女になっておるな」と返す宣孝は、またもまひろの変化に狼狽えているように見えます。しかし、生ウニを味わってしまえば「磯の香りがすごいの!このようなウニは、帝もご存知あるまい」と感動しきりになってしまいます。

 それにしても「こうやっていただきますの~」と嬉しそうに食べ、無心に食べるまひろ。番宣番組「光る君へ 越前紀行」でカニを美味そうに食べる吉高由里子さんを見た後だと、この姿も、演技でなくて素、まひろではなく吉高さんにしか見えなくなりますね(笑)トリスのハイボールが似合いそうなまひろになっています。


 珍味を堪能しながら、宣孝はしみじみと「会うたびに、お前はわしを驚かせる」とポツリともらします。いつものノリで美味そうにウニを味わうまひろは「この生ウニには私もはじめは驚きました」と、宣孝の感心の腰を折ります。
 苦笑いしながら「そういうことを言っておるのではない。わしには三人の妻と四人の子がおる。これはもう一人前だ。官位もほどほどにあがり、これで人生もどうやら落ち着いたと思っておった」と自分のこれまでの人生をしおらしく振り返ります。本作において、もっとも貴族社会に順応している宣孝は、今なお貴族らしい人生を謳歌しています。ただ50近い年齢になり、なすべきことが一段落したのは確かでしょう。


 もくもくと食べるまひろは、その言葉を別段気にかけるでもなく聞いていましたが「されど、お前と逢うと違う世界が垣間見える」と言われて、きょとんとしてしまいます。すかさず宣孝は「新たな望みが見える。未来が見える。まだまだ生きていたいと思ってしまう」と真剣な眼差しで言葉を連ねるのは、これが渾身の口説き文句だからです。要は、「自分の妻子との生活は一段落が着き、ある程度自由になった」「まひろの面白さは自分を若返らせてくれるようだ」「この先は、お前と共に未来を見たい」と言っているわけです。

 親戚の楽しいおじさんから恋をする一人の男性へと変化させる佐々木蔵之介さんの醸し出す色気はさすがですが、自分の老境を憂いて、それを変えてくれるのは若いまひろだという手口はいかにもアラフィフのおっさんっぽくていただけませんね(苦笑)これで若い女性が落ちると思っていること自体どうかと思わないでもありません。大体、今の自分に若い女性に応じられるだけの器量があると自負のある男でなかれば、若い女性を口説こうなどとはしません(笑)
 実際、当時の宣孝の官職は右衛門権佐。検非違使のナンバー2でした(だから、まひろは都でのお役目が忙しいと言ったのです)。つまり、宣孝は、出世も順調で幸運に恵まれていたので、今後も意気揚々とやっていけるという自信があったのです(笑)そうでなければ、資産のないまひろを四人目の妻にしようと思うはずがないのですね。

 宣孝の言っていることのうち、まひろと逢うと新鮮で楽しくて仕方がないというくだりあたりは嘘ではないでしょう。実際、好奇心旺盛なまひろに驚かされぱなっしになっているうちに、それが快感になってしまったことが、恋心の始まりだったのでしょう。そして、都から彼女が消え、その弾けるような快感が失われ、たまらず越前にやってきたに違いありません(為時が心配は方便でしょう)その一方で、こいつはプレイボーイ、老境の気持ちあたりは耳半分で聞き流すようなことだと思われます。


 果たして鈍感なまひろは、宣孝のじじむさい心境の部分だけを額面通りに受け取り、その奥にあるまひろへの熱い想いなどまったく汲むことなく「まだまだ生きて私を笑わせてくださいませ」といつもの調子で返します。そう言われては宣孝も臨機応変にいつもどおり「怒らせて、であろう」と茶化すしかありません。
 相変わらずのからかう言葉に「このおっさん、まぁたふざけたことを」と言わんばかりに「はぁ~」と大袈裟なため息をつくと「どちらでもようございますけれど。父とて国司を力の限り務めております。宣孝さまの人生が先に落ち着くことなどあり得ません」と、今度は老境を憂いた宣孝の言葉を真に受け、真面目に励まします。


 渾身の口説きの腰を折られて、自分の想いからすると頓珍漢な答えしか返してくれないのですが、宣孝はこういう鈍さも含めて、まひろとのやり取りが楽しく、そしてこういう時間を手放したくないと思うのです。ですから、琵琶を爪弾くまひろ(実は越前に行くあたりから彼女の琵琶の音から哀しさが抜けています)を笑顔でしみじみと眺みるのです。そして、せっかくの決意を折られてしまい、宙ぶらりんになった想いは、かえって募ってしまうものです。

 やがて、彼は意を決した表情を浮かべます。あまりにも長く親戚のおじさんポジションの関係が続き、会えば丁々発止の漫才的なやり取りになるその近さ。それゆえにかえって色恋の駆け引き的な回りくどいやり方は通じないと思ったのではないでしょうか。


 去り際、宣孝は「まひろ、あの宋人が好きなのか。あいつと宋の国など行くなよ」と牽制します。このことに関するまひろの真意だけが、越前に来てから宣孝がずっと抱いていた気掛かりだからです。しかし、まひろは、思わぬ言葉に「なんのことでございますか?」と驚きます。「前に言うておったではないか、宋の国に行ってみたいと」と出立前の戯言を出して、彼女の真意を計ります。すると「そんなこともございましたね」と一笑に伏すまひろを見た宣孝は、これならばと思い極めたのでしょう。ストレートに「都に戻ってこい。わしの妻になれ」とプロポーズをしました。


 男女問わず五十歳近い人間が、我が子に等しい人を口説き落とすことに、史実とはいえ、佐々木蔵之介さんが演じていても、嫌悪を抱く方もいるかと思います。昨今でも、自分も若い子と付き合えると勘違い、思い違いをしているおじさん、おばさんもちょくちょく見られますし、ハラスメントの温床になる場合もありますから、現代の普通の価値観では、それぐらいの危機意識で丁度よいでしょう。
 とはいえ、年の差夫婦も少なからずいて、円満にやっているところもあります。となると、結局は、男女のことはケースバイケースとしか言いようがないのかもしれません。
 まして、「光る君へ」は、平安期を舞台にしたフィクションです。宣孝に老害のレッテルを貼って目くじらを立ててしまうのは建設的ではないように思われます。大切なのは宣孝の年齢よりも、人物像がまひろに相応しい、妥当に描かれているかということでしょう。

 まひろの場合、好奇心旺盛で奔放と枠にはまらない性分が魅力です。雅やかでおとなしくしている女性が尊ばれた貴族社会で、彼女の存在は異質です。おそらく、凡百の婚姻では彼女の異才や魅力は潰されてしまうでしょう。あるいは、ききょうのように離縁して、我が道を行くしかありません。
 一方で、彼女の好奇心と無邪気さが危なっかしいのは、今回の周明絡みで危機が訪れそうにな件に限らず、散楽の仲間として検非違使に捕まりそうになったことなど、かなりヤバいことも多くありました。一人で生きるには、まだまだ危険というか安心できないところがあります。

 したがって、彼女の性分を受け入れ、それが存分に発揮できるよう整えられる人間と婚姻関係を結ぶことが現時点での彼女では一番、安全。そうなるように、本作は作られているように思われ、また宣孝はそこにハマる人物として造形されているようです。それなりに筋をとおし、気を遣って作られているのではないでしょうか。

 まあ、自信家の宣孝ですから、まひろを活かせるのは俺ぐらいしかいないと思っていそうですが(笑)



3.道長を悩ませる人の思い

(1)暴発寸前の一条帝

 蔵人頭の行成を前に、一条帝が螺鈿の箱を開けて取り出したのは、かつて香炉峰の雪遊びの日(第16回)に行成が献上した古今和歌集の写本です。一条帝は「行成、これを覚えておるか。中宮がそなたの文字を気に入って、朕と二人で見ておったゆえだいぶ傷んでおる」と宣い、思い出を愛おしむように広げます。定子が自身の文字を気に入ってくれていたということは、行成のような風雅の人にとってこの上ない喜びですが、残念ながら彼女は勝手な出家で遠ざけられた身、どう応えてよいかわからない行成は「中宮さまが…」と絶句するしかありません。


 帝は、行成に構わず、思い出に浸るように「中宮の好きな歌は…」と口にしますが、行成の心の隙を突くためのあからさまな言葉であるのは選んだ一首が、紀貫之の「夢路にも つゆやおくらむ よもすがら かよへる袖の ひちてかわかぬ(訳:夢の中での貴方への通い路であっても、夜の露がおりるのでしょうか。夜通し通っていた私の袖が濡れたまま乾かないのですから)であることからも明らかでしょう。帝の言葉に嘘はないかもしれませんが、この句は、定子に逢えない今の自分の身の上を嘆く気持ちそのものです。


 和歌の名手たる行成ですから、その一首が意図するところがわからないわけがなく、顔を強張らせます。その彼に向って「あの頃は、このようなことになるとは誰も思っておらなかった…」と哀しく笑うと、香炉峰の雪の頃の幸せを懐かしみ、その場にいた彼の思い出をも揺さぶります。あの日は、公任、斉信、行成の三人が参加していました。公任、斉信の二人は、あくまで自身の出世を見越して中関白家に接近したというのが本音で、それだけに伊周の横柄な態度が気に食わなかったのですが、帝の美しさに魅入られてしまった行成だけはうっとりした夢見心地の様子がありました。あの日を政治的な思惑を抜きにして、ただ楽しめた一人が行成です。


 楽しい思い出であるがゆえに「お上と中宮さまのお美しさを私は生涯忘れません」と苦しそうに答えるしかない行成の思いは純粋です。行成の自然な心遣いを引き出した帝は、「中宮は健やかに過ごしておるであろうか。そろそろ子も生まれよう。高階に秘かに行くことは叶わぬであろうか」と、一縷の望みを託すような笑顔ですがってみせます。

 前回、左大臣道長に「朝廷の安定を…第一にお考えくださいませ」と諭され、その正しさを理解できる聡明さを持つ一条帝は、自ら押し切って動くことはできません。また、左大臣に再度、それを問いかけても同じ答えしか返ってこないのは目に見えています。他の公卿らも同様でしょう。しかし、「もう二度と逢えない」という重しがあるからこそ余計に、若い帝の情熱はそれを跳ね返すがごとく、かえって胸の中で膨れ上がり、彼自身を苦しめるのです。抱えきれないほどの切なさが、一番の側近である行成にその思いを訴えさせているのです。


 しかし、一番の側近…蔵人頭も令外官とはいえ、立派な朝廷の役職。社稷に従うのが道理ですから、深く同情する行成をしても、さすがに「中宮さまは出家なされてございます」と申し訳なさげに応えるしかありません。その苦しそうな受け答えを察した帝は「そうではあるが…」と、なおも思いを告げたそうにしながらも、沈鬱な表情で引っ込めるしかありません。行成の情に訴える手に出たとはいえ、彼を苦しめるのも帝の本意ではありません。ただ、気持ちを理解してもらったことで、この場は引き下がります。


 行成は、御前でのこの一件を、「帝の御心の痛みが伝わってくるようで…苦しくなりました」と、気持ちのやり場のない哀しげな様子で報告します。うつむき加減で報告する行成の様子をじっと見つめる道長の表情も、暗く申し訳なさが窺えます。前回、定子から直接、「貴方の力で守ってください」「私はどうなってもよいのです!」と訴えられた道長です。そのとき、彼は、自身の政が招いた不幸、それをどうにもできない現状に苦悶の表情を浮かべています。帝と定子、そして産まれてくる御子を三人合わせてやりたいというのが、道長の本心でしょう。しかし、政の頂点に立つ左大臣の立場は、そんな道長の感傷を許しません。それが、帝への努めて淡々とした報告であり、苦言だったのです。官人としての立場は、そうするしかありません。


 ですから、行成の報告にも、帝の心痛、友人・行成の苦悩を察しながらも、報告を聞き終わったのちは表情を改め、敢えて冷ややかに「頭を冷やせ」と言い放ちます。道長は、彼の予想外の冷淡さに「は?」と驚く行成に近づくと、「帝の術中にはまってはならん。聡明な帝は行成の優しさを見抜いておられる。そして同情を買い、利用しようとしておられる」と諭します。一条帝がそこまで計算高く行動したかはわかりませんが、それが自然にできてしまう賢さを備えているのはたしかで、事実、行成は簡単に帝の心情に深く同情し、「何とかならないものでしょうか」と報告してしまっています。道長からすれば、帝の言動は、行成を使って、間接的に道長に意を伝え、再考を促す策にも見えるのですよね。

 帝の哀しみの部分だけを真に受けてしまっていた行成は、道長の言葉に「え?」という顔になるしかありません。まだまだ腹芸のできる人ではありませんね。その絶大な権力ゆえにみだりに言葉を発せない帝のほうが、若くても、そうした芸当ができるようです。


 行成の人の好さに、わざと「おいおい」と呆れるような仕草をすると「帝のお側近くに支える蔵人頭は、もっと冷静であってもらいたい」と苦言を呈します。これは役職を意識した当然の𠮟責ですが、一方で心の優しい行成だけにその板挟みに苦しむことを心配しての道長の言葉です。そして政の頂点に立ってしまった道長自身が、このことにずっと苦しみ、今なお悩み続けています。せめて、それが仕事なのだと、どこかで折り合いをつけないと、心が壊れてしまいます。人一倍優しい行成ならなおのことです。

 ですから、「は、何とも未熟でございました」と恐縮する行成を見たとき、道長は一寸、申し訳なさそうに表情を緩め、今度は「頼んだぞ…!…行成」と友人を気遣い、励ますような声掛けをします。かつての優しいだけで、手をこまねいていた青年、道長は着実に為政者の道を歩み、真心と政治的冷徹さの間のバランスを取っているようです。地位が人を育てるとは、このことでしょうか。



(2)土御門殿にて錯綜する情念

 定子懐妊の知らせからますます定子への想いばかり募らせる一条帝は、入内した義子にも元子にも見向きもしません。そのことは、夫婦の寝屋で、倫子が話題にするほどに広まっているようです。倫子の言葉に「そんな噂はもう聞こえているのか?」と返す道長からは、政に絡む内裏の話を不用意に家庭に持ち込むことはしていないことが窺えます。

 夫が存分に政に精を出せるよう、家庭を徹底して癒しの場とすることは、穆子から倫子に伝えられた土御門殿の家訓ですが、道長もそれが夫婦円満の秘訣と理解しているのでしょう。また倫子は道長を信じ、立てるため、道長から相談がない限りはあまり口を挟むこともしないのでしょう。そうした夫婦の暗黙のルールと気遣いが察せられます。


 ですから、今宵もこの話題は世間話的に振ったものでしょう。「中宮さまをお忘れになれない帝のお気持ちはわかりますけれど、入内された女御さまがお気の毒でございますわね」と語る倫子の関心は、帝の想いの深さより入内した二人の女御の立場と日々の哀しみです。彼女らの入内は、母詮子の意向が強く反映されたものですが、それもこれも、定子の唐突な出家が原因です。

 その結果、皇子のいない一条帝は、世継ぎをもうけるため、早々に新たな女御を迎えねばならなくなりました。詮子には望むところ、一条帝には望まぬものというズレはあったにせよ、朝廷、政の安定のためにも、その必要性については異論の余地はなかったでしょう。劇中、詮子の意を受けた道長も積極的に動く様子が描かれましたし、陣定を重視する彼ならば公卿らの同意も取りつけていたと考えられます。つまり、朝廷の総意による入内だったと言えます。


 しかし、定子を追放せざるを得なかった帝の後悔と苦悩は、他の女性へと気持ちを向かわせません。その上、御子がお腹にいると分かれば気が気ではありません。御子の誕生の期待よりも、定子の身体を気遣う心配のがはるかに上回っていると思われます。出産は命懸けですから。次第によっては遠くから眺めることもできなくなるかもしれない。となれば、他の女性に構う心の余裕はないでしょう。

 ただ、それが悲劇的で哀れに見えるのは、帝と定子の側に立った話です。定子の勝手によって入内した二人の女御からすれば、今さらどうしてと恨む思いになるでしょう。結果的に寵愛を受けなかったのであれば、致し方ない面もあるかもしれません。しかし、寵愛を受ける受けない以前に逢おうともしないのですから、彼女たちは存在しないのも同じです。何を寄る縁(よすが)にして内裏で生きていけばよいのか途方に暮れていると察せられます。


 そして、帝のお渡りのない女御が心ない陰口を叩かれるのも後宮の常。内裏の外にいる倫子に後宮の噂が伝わっているというのは、そうした陰口込みのことと考えられます。義子、元子には何の罪もないことですから、倫子の言うとおり「お気の毒」としか言いようがありません。
 たしかに定子の出家に至る経緯、抱えた苦悩と葛藤は彼女自身の罪の結果ではなく、哀しいことです。その一方で出家が、帝の心を苦しめ、政に混乱を招き、今また二人の女御を不幸にしているのも事実。残念ながら、中宮でありながら先を見据えなかった短慮に至った責任はあるということになるでしょう。

 ですから、道長も倫子の言葉に「まったくだ」とため息をつくしかないのです。道長は、帝と定子の悲劇も、またその余波に合う女御たちの哀しさも、すべては自身の政の結果と受け止めているでしょう。とはいえ、道長に他にやりようがあったのかと言えば、それもなく…彼のため息にはやりきれなさが窺えます。
 しかし、受け身で待つしか女御たちにはさらに打つ手がありませんから、倫子は「殿が帝と女御さまがたを結びつけるべく何か語らいの場でも設けられたらよろしいのに」と提案します。

 道長が「それは会を催すということか」と乗ってきたのを見計らうように「あ、そうですわ。ここで催しません?」とさも今、思いついたかのように話します。倫子も道長の側に乗り出すと「ここには女院さまもおられるんですもの。帝もお出ましになりやすいでしょ?それがいいわ。万事、お任せくださいませ」と、詮子も味方につけられるから不自然にはならない、後は土御門殿の主たる私にお任せを、と夫を口説き落とします。
 教養豊かな資産家である倫子であれば、難なくそれができるのは明らかです。土御門殿においては倫子は無敵です。あの謀略家の女院の策を封じて、心理的な圧をかけられる姿を道長は間近で見ています。呆れたように「頼もしいのう」と薄く笑うのは、こいつには勝てないと舌を巻いた証拠です。


夫の許可と感心をもらった倫子の口からは「うふふふ」が弾けます。「まずは入内されたばかりの元子さまからにいたしましょう。お二人鉢合わせは不味いですものね…ふふふ」と自分の妙案に満足げな倫子は、もしかすると最初からこの腹積もりで道長に話を振った気がしないでもありません。
 自身も入内を蹴り、望む相手と婚姻、娘の入内も望まない倫子にすれば、入内自体が「お気の毒」に映るでしょう。ただ、そうした女御たちへの同情もさることながら、それを進めざるを得なかった道長が、今の彼女らの境遇を為政者として心苦しく思っていることも汲み取ったのではないでしょうか。

 倫子の鋭い観察眼の持ち主で、道長に自分と明子以外の第三の女、しかも本命がいることを見抜いています。以降、彼女は、疫病対策の救い小屋への資金援助、呪詛騒ぎを家内で納め詮子に釘を刺す手管、道兼を失い放心状態を庇うなど寝食を共にする嫡妻にしかできない形で、道長を陰日向に支えています。まひろ(とは倫子は知りませんが)の存在が、道長を慕う気持ちに火を着け、嫡妻として成長させたと思われます。

 加えて、倫子は道隆の嫡妻、高階貴子の哀れさに思いを馳せています。彼女の顛末は、同じく為政者の妻となった倫子には示唆的なものがあったということではないでしょうか。貴子のように夫を助けながら、貴子の二の轍は踏まない…その繊細な思慮の上で、今回の提案を道長をしているのでしょう。


 土御門殿での音曲の会は、琴を得意とする元子が、帝の笛の音に合わせるというものでした。倫子の計らいもあり、上手くいくかと思われましたが、やがて帝は笛を吹くその手が止まってしまいます。訝しむ一同ですが、帝は音を合わせながら、かえって定子と合奏したありし日を思い出してしまったのでしょう。
 かつて、伊周が高圧的に迫ったため、隆家が舞を舞わねばならなくなったとき、帝は隆家の舞に即興で笛の音を合わせ、定子もまた帝の笛に合わせて琴を爪弾いたものです。心が通じ合っていたかの日の帝と定子ならではの、阿吽の呼吸、夫婦の睦み合いとも言うべき美しい調べでした。

 元子との合奏は初めてのこと、長年過ごした定子とのそれと違うのは仕方ないことですが、帝にはその違いばかりが気になり、かえって昔を懐かしむという逆効果になってしまったと察せられます。


 何をしても定子を思い出してしまう息子の姿に「帝の中宮への想いは、熱病のようね」と詮子もお手上げです。お膳立てはしても、息子に無理強いすることまではさすがに考えていないのは親心ですが、それ以上に彼がどうしてここまで定子に拘るのか、その情熱に戸惑い、どうしてよいかわからないといった面もあるようです。
 詮子は「私は夫であった帝に愛でられたことがないゆえ、あんなに激しく求め合う二人の気持ちがまったくわからないの…」と外を眺めながら、道長に本音を吐露します。詮子と道長は、二人きりになると姉弟に戻りますが、政争を意識するばかりの彼女にとって、この姉弟関係だけが本来の自分になれる唯一の安心できる場なのでしょう。

 そして、「夫であった帝に愛でられたことがないゆえ」二人の惹かれ合う心情が「まったく」わからないとの自虐的な本音には、二人の関係を羨む心情も垣間見えますね。


 まだ定子が入内ばかりした頃、二人がかくれんぼして無邪気に遊び、彼をなだめ癒すさまを詮子が複雑な表情で眺めていたことがあります(第13回)。まだ子どもでしかない彼らのその関係は男女のものとは言い難いものであったはず。にもかかわらず、彼女は定子に「そなたが来てくれてお顔つきも明るくなった」と褒めながらも、その表情は固く優れませんでした。
 第13回note記事では、その裏にあるのは皇太后という立場、帝を厳しく育てるしかなかった母の寂しさ、そして自身が円融帝と築けなかった仲睦まじさを見せつけられたこと。その三つがあると紐解きましたが、どうやらそれらは深いところでつながっていたようです。


 円融帝と純粋に愛し、愛される関係を築けなかった…つまり、愛する術を体得できなかった彼女は息子をどう愛してよいのかわからなかったのではないでしょうか。勿論、父兼家の非情を知った彼女は息子を愛し、政治的に守り抜きました。しかし、不器用なそれは、彼女を頼れる守護者には出来ても、優しさで彼を受け入れ包み込む慈母にはしてくれなかったのですね。
 だから、彼女は自分には出来なかった慈しみをあっさり息子に与える定子の姿を見るしかなく、時折、仲睦まじさが過ぎる息子を叱責する(第14回)しかなかったのでしょう。

 一条帝の心を捉えて離さない定子の存在は、詮子にとって、円融帝の心をついぞ捕まえられなかった自身の境遇を思い返させ、胸を苦しくさせるものだったのではないでしょうか。しかも彼女が円融帝から罵倒されるまでに遠ざけられたのは、彼女が兼家の娘であったという一点のみ。彼女自身の責任ではありません。後悔のしようもないのです。だからこそ、詮子は無意識のうちでは、未だただ一人の殿御との関係に囚われているのかもしれませんね。


 詮子は諦めと自虐を口にしながら、激しく求め合う情愛について「お前にはわかる?」と道長に問いかけますが、すぐに「わからないわよね」と女心に疎く、不器用そうな弟に、聞いた私がバカだった忘れて、というように諦めます。
 そんな詮子をじっと見つめる道長の眼差しは、入内したばかりに不幸を被った姉への哀れみが窺えます。だからこそ、彼は姉の哀しみに真摯に応えようと「私にも、妻が二人おりますが、心は違う女を求めております」と、ずっと心に秘め、隠し続け、誰にも明かさなかった真実を、敬愛する姉だけに告げたのです(一応、百舌彦だけは道長の真実を知っていますが対象から外しておきます)。


 意外な道長の言葉に、詮子は高速で振り返り、食い入るように道長を凝視します。そんな姉の様子には構わず「己ではどうすることもできませぬ…」と染々と続けます。そう、一度はまひろとの道ならぬ恋に溺れ、心掻き乱した道長が、今なお彼女の約束を果たさんとするのは未だその運命の恋、彼女への情愛を糧に生きているからです。まひろは変わらず、道長という人間の真芯にあるのですね。

 だからこそ、彼は公卿たちの中では誰よりも帝の定子を一途に想う恋情を理解し、心を痛めています。行成の報告を聞いたときの痛ましい表情も、行成のそれより深いものなのです。そして、その辛さがわかるからこそ、敢えて帝を叱咤する側に回るのです。自分もそうして政に打ち込んできたからです。それはその情熱を忘れようとすることでなく、それを痛みとして抱え耐えるということです。17歳の若き帝には難しいことですが、そうしてもらうしかないというのが左大臣道長の苦しい胸のうちです。


 さて、道長から聞かされた突然の告白、可愛い弟の恋バナに「やっぱり!誰かいると思っていたのよ!」と萌えあがり、自分の勘の鋭さに改めて満足する詮子は、一気に多感だった10代へ巻き戻されてしまうのが面白いですね(笑)
 姉が少し元気になったのを確認すると、ちょっと得意げになりながらも「されど、もう終わった話でございます」と話を納めようとします。ただ、これは真実半分ですね。たしかに恋人関係という形態は10年前に終わっていますし、越前出立前日の再会もよりを戻すためのものではなく、10年前の自分たちの選択を確認し、改めて同じ選択をするというものでした。今生で夫婦として結ばれることはないのでしょう。その意味では、二人の関係は「終わった話」です。
 しかし、別れのためのあの再会が、前に進むためのポジティブなものであるのは、10年経とうが二人の互いを想い合う気持ちは変わらぬどころか深まり、より心の深いところで結ばれていることがわかったからです。となると、二人の魂のつながりは終わっていません。


 道長の話に「え?下々の女ね!?捨てたの!?」と詮子が聞き返すのは、若いころ、道長に好いた女がいると怪しんだとき、「下々の女」とまで読んでいて、身分違いだから止めておけと忠告した記憶があるからです。一方で優しい道長が、女性を捨てるなんてあるのかしら?という軽い驚きも混じっていそうです。しかし、あっさり道長、「捨てられました」と即答。驚く詮子は両手を口にあて「ええっ!?道長を捨てるなんてどんな女なの!?」とかえって興味津々、そそられまくってしまいます。

 姉の期待と興味に応えるように「ん…よい女でございました」と返す道長の言葉に満足が漂うのは、思い出になってしまったからではなく、今もまひろが、道長の心をとらえて、彼の胸のうちに息づいているからに他なりません。しかし、この台詞は、越前のまひろに聞かせてやりたいものですね、自信のまったくない彼女がどんな反応をするやら(笑)


 道長の万感と満足に、詮子は嬉しげに「まあ…」と顔をほころばせます。このときのこぼれるような詮子の乙女の笑顔が、実に自然で魅力的です。彼女の本質が未だ恋に生きる女性であることを窺わせます。
 入内の日に初めて会った円融帝の理知的な爽やかさに心をときめかせた詮子は、ただただ彼を慕いました。多くの女御がいるのが世の帝の倣いであっても「諦めたくない」と道長に溢し、叶わぬ願いにすがったときもありました。円融帝から絶縁を言い渡され、父に帝への情愛思慕を踏みにじられ、深く深く傷ついた彼女がたどり着いた先が、謀略家の女院です。
 謂わば、周りを恐れさせる女院の姿は、乙女心の反転。彼女は、円融帝と兼家の政争の渦中に放り込まれた哀しい女性だと言えるでしょう。つくづく男どもは罪深いですね。


本質が乙女である詮子は「よい女」という言葉に超反応、「どんなふうによいの?」と不躾な質問をぶつけます。しみじみしていた道長は意外な質問に「え?」となってしまいます。
 構わず詮子は「夫をつなぎ止められなかった私にはない輝きがその人にはあるのね?中宮も帝を惹き付け散々振り回しているけれど、私にはない。何なの、それって一体何なの?」と、長らくずっと抱えてきたであろう疑問と思いの丈を矢継ぎ早に連ねます。
 想い人の気持ちをつなぎとめる女性の心映えを「輝き」と表現するあたりにも、恋に生きたかった彼女の切実さが窺えますね。そして、その「輝き」が「私にはない」と断言してしまうところには、深いトラウマと挫折感が根付いています。


 しかし、こればかりは道長にも答えようがなく、苦笑いするばかりです。「恋人のどこが好きですか」と聞くようなものです。本当に好きあっているとき、この質問ほど答えにくいものはありません。「わからない」と濁すか、「全部」と恥ずかしい答えを言うかの二択しかないのではないでしょうか。
 そもそも、人を好きになるとは、相手の長所を見てばかりいるわけではありません。短所、悪い部分も知り、それも含めて愛おしく思うことでしょう。だから、理由なぞ答えられるはずがないと思われます。裏を返すと、好きな理由があっさり言えたり、理由を探すようになったときは、その恋は終わりが見えているかもしれません(笑)


 さて、道長とまひろに話を戻せば、二人は自分の暗部を互いに知っています。まひろは道兼を恨みながらも、母を殺した本当の犯人は自分と責めていました。敵の弟道長はそれだけでもまひろに後ろめたさを抱いていましたが、加えて自らの撒いた種で共通の友人、直秀を死なせてしまいました。二人はそれぞれに人殺しの罪を抱え、世の理不尽を嘆き、その思いを互いに開き共有した…地獄のような体験が二人の暗く優しい心映えを響き合わせてしまったのです。
 二人が魂の伴侶であるのは、優れているからではありません。まひろは道長にとって一番「よい女」で、道長はまひろにとって一番「よい男」である、ただそれだけです。他の評価は関係ありませんし、また一条帝と定子の関係に当てはめられもしません。
 とはいえ、こんな話を詮子にどうしてよいかはわかりませんから、たじたじになった道長は「今宵は帝が元子さまをお召しになられるよう祈りましょう」と逃げ出します。


 しかし、逃げ出す道長の背中に詮子は「あ、その女のことは倫子や明子は知っているの?」ととんでもない爆弾を投げつけてきます。はっとして言い澱む道長の答えを聞かず、詮子は「倫子も明子も利口だから、気づいているかもしれないわよ」とズバリ指摘します。やはり権謀術策の女院、勘所はさすがですね。

 道長は気づいていませんが、視聴者は倫子が第三の女の存在を確信していることを知っています(苦笑)何故、倫子は気づいたか。それは、道長を深く慕い、そして傍でいつも見つめているからです。その結果、まひろ看病の朝帰り、道長の顔に浮かぶわずかな充実を見逃さなかったのです(第16回)。となると、倫子と同じか、それ以上に道長へ思慕の情を狂的に募らせる明子が気づくのも時間かもしれませんね。


 ほうほうの体で逃げ出す道長の足取りはドスドスと乱暴なもので、心の乱れが窺えます。詮子への憐れみから、ついついまひろの話をしたことはやぶ蛇だったようです。一つは、話したことで、決して消えない、まひろへの情念を自覚し、一条帝の定子への一途と同じくその強い想いが溢れてきたからでしょう。

 そして、詮子の指摘で二人の妻が自分を愛するがゆえに、心中に住むまひろの存在を許さない可能性に気づいたのかもしれません。道長は自身の中にも、自分とその政を惑わす、どうにもならない強い想いを自覚し、妻たちの想いにも気づかされ、千々に乱れます。道長は歩きながら、深いため息をつくしかありません。


(3)定子の出産を巡って

 高階邸では、定子が、清少納言を前にして、彼女が書いた「枕草子」の一節「うつくしきもの」を、朗読しています。二人が白装束に身を包んでいるのは、定子が臨月にあり、いつ子が産まれてもおかしくない状況にあるからです。ですから、ゆったりした空気が流れているようで、どことなく緊張感があると考えられます。

 そして、その緊張感を紛らすのが、清少納言の美文なのでしょう。無論、清少納言にとっては、敬愛する定子のためだけに自身が筆を執った「枕草子」を彼女が黙読するだけでも嬉しいのに、今はその美しい声で朗読するのを聞けるのです。推しのために書いたものを推しの声で読むのを聞く…作者冥利だけでなく、推し活冥利に尽きる望外の喜びでしょう。
 読み終えた定子は穏やかに微笑むと「姿が見えるようね、さすがである」と褒めちぎります。恐縮する少納言に「そなたが御簾の下から差し入れてくれる日々のこの楽しみがなければ、私はこの子とともに死んでいたであろう」としみじみと語ります。涙ぐむ少納言は、敬愛する定子の命を現世につなぎ止めることができた喜び以上にそこまでに快復した定子の心身に安堵する気持ちが強くあるのではないでしょうか。


 そして、少納言をごくごく近くへ呼び寄せた定子は、少納言の目をまっすぐ見据えて「ありがとう。この子がここまで育ったのは、そなたのおかげである」と万感をもって、謝意を述べます。推しだけでなく「推しの子」まで救ったとオタク冥利な感謝に「もったいないお言葉」と少納言は返しますが、定子の感謝に万感の思いが窺えることが大切でしょう。

 何故、御子を産んだ後ではなく、今、感謝を伝えるのか。それは出産が命懸けだからです。帝がお腹の子以上に身重の定子を気にかけたことと同じです。まして、高階邸では内裏より万端とは言えないかもしれません。定子は、万が一、命を落としたときを考えて、出産直前の今、感謝の意を伝えたのです。命の覚悟があるから、言葉に万感の思いが滲むのですね。


 そして、さらに「そなたを見出だした母上にも礼を言わねばならんな」と言います。亡くなった貴子は、出家した定子より追放される伊周についていこうとしました。以前のnote記事でも触れましたが、勝手な出家で母を慟哭させた自身の問題はさておき、頼る者もない中で兄を優先されたことには複雑な心境を抱えていたと思われます。しかし、その母について「礼を言わねば」と冗談めかして言えるようになりました。そこには吹っ切れたものがあり、定子の心が快復していることが窺えます。


 少納言は「内裏の登華殿にお母上に呼ばれまして、初めて参りました日。亡き関白さま始め皆さまがあまりにもキラキラと輝いておられて目が眩むほどにございました」とまるで昨日のことを思い出したかのように鮮やかに、そして艶やかに語り、定子の心を和ませます。

 二人笑い合う中、懐かしむ定子は「あの頃が、そなたの心の中で生き生きと残っているのであれば私も嬉しい」と明言しますが、この言葉にも万が一、出産で亡くなったとしても、そなたの心に生き続けるであれば悔いはないという思いがありますね。そうした定子の言外の気持ちを汲む少納言は「しっかりと残っております。しっかりと」と力強くうなずき返し、彼女を励まします。こうして、主従を越えた絆に支えられ、定子は無事、姫皇女を産むこととなります。


 「枕草子」誕生で、定子と少納言のシスターフッドな関係性が印象的に描かれましたが、今回、具体的にその様子が描かれたことで、定子が少納言と共に静かに自らの運命に立ち向かう強さをもったことが仄めかされたように思われます。それは、定子には喜ばしいことですが、一条帝の純情と相まって宮中に波乱を起こすことは必死です。

 案の定、帝はさらに定子への狂おしいまでの愛を募らせて「中宮に会って労いたい」と、同情的な行成の優しさにつけ込みますが、道長に叱責されたばかりの行成は今度ばかりは表情も変えず押し黙ります。和やかにかかっていたBGMが止んだところに緊張感が漂いますね。諦めた帝は「衣をたくさん送ってやれ、今年は寒いゆえ」とだけ命じます。引いたものの、このままではすませない、すませたくない…そういう気配が感じられますね。


 さて、定子の姫皇女誕生を、まったく別の意味で喜んでいるのが、東宮の居貞(いやさだ)親王(後の三条帝)です。ナレーションでわざわざ、一条帝よりも四歳年長の東宮であることに言及されるのは、本来は自分こそがとうの昔に帝になっているべきだという歪んだ鬱屈を抱えていることを暗に示しています。ですから、殊更に権勢欲と我の強い人間であることが節々で描かれます。
 端的なのは、挨拶にきた道長に投げかけた最初の言葉が「珍しいな、叔父上。私のことなど忘れたと思っておった」と嫌味であることです。親族であることを強調しながら、私はお前にとっても重要な存在のはず、無視するなと暗に言っているのです。

 こうした牽制球は珍しいことではないようで、道長は平に謝ると、東宮が抱きかかえあやす、彼の息子敦明の年齢を問うなどして卒なくしています。すると「帝のお子は女であったそうだな」と切り出し、「出家した尼が子を産むとは由々しきことだ」と暗に内裏を乱す帝の政を批判し、ひいては道長の遣り方を揶揄します。「されど産養いの支度にも事欠くと聞くゆえ祝いを送ってやれ」というのも、内裏にも入れない定子が支度もままならないことを嘲笑うことが主眼です。その心遣いが見せかけの薄っぺらいものであることは、その祝いの品を「なんでもよい、叔父上に任せる」と考える気もないところに表れています。
 更にこのとき、彼は嫡男敦明をこれ見よがしに、見せびらかすようにあやし続けています。自分が即位したときの東宮は自分の息子だと確信する驕りがその背景にあるでしょう。

 その思いは、その後、東宮殿に呼び出した晴明に「お前が言っていたように姫皇女であったな。帝にこのまま皇子ができねば、我が子は敦明が東宮になることになる、そう思うてよいな?」と自信満々に問いかける傲慢さにも表れています。官僚である晴明は、東宮に呼ばれれば参上しますが、こうした絵に描いたような傲岸さには、まったく関心を示しません。

 ただ「おそれながら、帝に皇子はお生まれになります」と自分の星読みの結果だけを淡々と話し、表情を変えることはありません。ただ、その淡々とした晴明の報告で聞き捨てならないのは、その皇女が定子から生まれるということです。絶句する居貞親王ですが、権勢欲の強い彼は、この事態にも暗躍をするのかもしれません。晴明は、その無表情からして、この件は静観する腹づもりでしょう。彼の関心は、道長がどう動くかですから。


おわりに

 越前では、まひろの無邪気な好奇心が、二人の男が抱えた情熱を目覚めさせました。一人は周明です。彼は個人的な関心と朱のためになることをするということから、まひろの好奇心に応えて宋語を教えることになりました。そして、日本語で語り合ううち、自身が日本に生まれながらも居場所がなく、また宋人にもなりきれない自分をより自覚します。そして、宋人にならねばという焦燥感を募らせています。彼は宋人として居場所を作りたい野心を抱えています。
 それにも気づかず、無邪気に好奇心を満たしていたまひろは、不用意な発言から周明の野心に火を灯し、そして、それがために外交問題の渦中に巻き込まれつつあります。それは、道長をも巻き込みそうです。

 まひろに狂わされているもう一人は、その好奇心旺盛な楽しさに惚れてしまった宣孝です。彼女が好奇心で越前に馴染み、宋人と仲良くなる姿を見た彼は、都に戻らないのではないかと焦りを覚えます。そこで、口説き文句を使うものの鈍感なまひろには気づかれません。結局、ストレートなプロポーズをすることでまひろを驚かせ、その運命を変えようとしています。まひろは、情熱の赴くままに、好奇心に委ねた結果、周りの情熱をも動かし、自身の運命を予想外のものとしています。

 一方、道長は帝の定子への情念に振り回されています。そのなかで、謀略に生きる姉の裏側にある哀しみを知り、自身の中で燃え続ける、一条帝と同じ一途なまひろへの想いを再確認し、ままならぬ想いに苦慮しています。そして、悩む彼を他所に、一条帝の一途な想い、定子の静かな決意、居貞親王の権勢欲といったものが、新たな火種となりそうです。
 加えて、遠方のまひろのしでかしたことで外交問題も改めて問題化するかもしれません。また、まひろが婚姻することとなれば、それを知ったとき道長の心中は穏やかならざるものがあるでしょう。そう考えると、まだまだ苦悩と葛藤が長く続きそうな道長には同情を禁じ得ません。願わくば、悪辣な為政者に変貌しないことを願いたいものですね。

 そう言えば、この第23回、まひろは周明に「かしこい」と言われ、為時に「物覚えがよい」と言われ、宣孝には「新たな望みが見える」女と言われ、道長には「よい女」と絶賛されています。男たちに褒められまくる回になっていますね(笑)


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