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國學院大學博物館おみやげ『神道の祭りと歴史』

恵比寿といえば エビスビール 上質な近代日本画を展示する山種美術館に行くことが多いのですが、ちょっと方向を変えて渋谷方面に向かい坂を登ると國學院大學のキャンパスに出ます。

文科省の常用漢字通達も何のその。ばりんばりんの旧字体フォントがゴツい! 建学の精神もいかめしく、

第1条 本学は神道精神に基づき人格を陶冶し、諸学の理論並びに応用を攻究教授し、有 用な人材を育成することを目的とする。

國學院大學学則より

神道教育めっちゃするよ!という明治維新以降の伝統を継ぐ独特の校風を全面に押し出しています。戦前はがっつり国家神道研究の拠点だったようですが、現在は静々と学問・教育に注力しています。

ちなみに神社の神職になるためには神職資格取得過程を経る必要があるのですが、ふつうは國學院大學の神道文化学部か皇學館大学の文学部神道学科で学ぶのだとか。知り合いの宮司さんに訊いてみたら「三十路過ぎてから神社を継ぐことにしたから、社会人しながら國學院に通うことになって大変だったよ!」とのことです。色んな人が集まってそうですね


國學院大學博物館のはなし

話が逸れました。
さて國學院大學キャンパスの一隅、地下に続く階段を下ると『國學院大學博物館』にたどり着きます。入口には近所の古墳から出たという石棺? がオブジェとして配され、謎の貫禄。
この博物館は神道考古学に関する豊富な資料を所有しており、見応えたっぷりの常設展示のほかに折々の企画展も開催されます。そっちの感想もいずれ記事にしたいところですが、今回は少し前におみやげとして購入した大学刊行ブック『神道の祭りと歴史』の感想をつらつら綴りたいと思います。


書籍の内容

『神道の祭りと歴史』 國學院大學学術資料センター編
発行年:2023年  判型 / ページ:A4判 72ページ  価格:1,200円

A4判72ページが何文字相当かは分かりませんが、読んだ感覚だとやや専門的な新書くらいの量な気がする。フルカラーで図が多いのが魅力的。
テーマはタイトル通り「神道の祭りと歴史」。大きく「祭祀・祭礼の変遷」「資料で見る大嘗祭」「祓の信仰と系譜」という三章に分かれており、章ごとに毛色がだいぶ違います。
内容はやや高度。神道に関する歴史、代表的な祭りのあらましなど基礎知識はあるものとして話が進みます。自分の神道知識は陰陽道書を読んでいた際の寄り道レベルでしかないので、少々きついものがありました。新しく学ぶものが多くて良いっちゃ良いですけど。

博物館では企画展ごとに八ページくらいのミニ冊子が作られますが、それを何冊分かまとめた総集編的な冊子なのかな。各研究者が約二ページずつ寄稿しているので、概ね二ページ毎に話題が変わります。詳しい目次は下の記事をどうぞ。

ところで記事を書いてて気付いたんですが、2024年12月時点でこの冊子、品切れじゃないですか。総集編パンフレットは便利なので常に在庫があって欲しいところですが…難しいのかな


読んでいて面白かった小ネタ集

◆山口という地名は各地にありますが、古代人的には大変スペシャルな名前だったと考えられるそうです。古代人は山頂に分水嶺を支配する水分ミクマリの神を祀り、山と平地の境の灌漑用水管理拠点では山口の神を崇めたそうで、神々の住まう山との境界だったんですね!
そういえば前方後円墳の造り出しでときどき導水施設の埴輪が出土するんですが、あれも山(墳頂)から水が来ると見立てて浄水を取り分ける分配儀礼を模したものだって聞くなぁ。ということは、人工的な山口…!

導三重県宝塚1号墳の導水施設形埴輪(写真:松阪市教育委員会)
引用は導水施設と水辺の祭祀より


◆神前に捧げるカットした紙を付けた棒こと御幣ごへい。今では大体どこでも決まった形ですが、元は特に形式指定はなかったとのこと。巻き付いているのも紙だったり糸だったりしたそうですが、現在の御幣の由来は希少な絹を巻いて捧げたスタイルにある様子。
なお、祇園祭の鉾とか山車は庶民が八坂神社に献上していた御幣が巨大化し、伸びに伸びた姿と考えられているそうです。伸び過ぎ。

御幣の歴史的変遷 國學院大學の記事より
祇園祭の山鉾巡行 Photo by 江戸村のとくぞう, CC-4.0
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61117909


◆二千年以上続く、と謳う祭りは多いものの、実際には多くが桃山~江戸時代にスタートしたと考えられるそう。
というのも、戦国時代は村という村が混乱し、打ち捨てられたり住民が入れ替わったりしていたもので、それ以前からの祭りがきちんと継承されなかったと考えられるのだとか。もしかすると古い風習の一部は伝わっているかもしれませんが…。
逆に400年以上の歴史を持つ祭りは、貴族や大寺院、幕府などの有力な後ろ盾があったから存続したようです。慣習を長続きさせるのって難しいんですね。


折口信夫『大嘗祭の本義』で語ったところによると、大嘗祭とは皇太子が真床襲衾まどこおふすまという特別な衣?布団?を被って天皇の霊を身体に宿す儀式、とのことですが、現在の神道学の学説はむしろ逆。新天皇は祈り続けて大嘗祭の祭殿に招いた神を楽しませ、食事を捧げ、寝床を整え、側に侍って丁寧に見守る儀式という位置付けのようです。古い宗教では神の霊を宿す折口案もありそうな気がしますが、大嘗祭じたい律令国家成立後に整備された儀式なので、発想が違うのかもしれませんね。

令和の大嘗宮 Photo by 祭殿あばさー, パブリック・ドメイン
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=84236629

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