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人生二周目、還暦からの学び直し!VOL.13「俳句5」

「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」作者:加藤楸邨 成立:1949年

暗い印象の句。「ぶちきらる」と受け身を用い鮟鱇(アンコウ)の視点に立っているその荒々しい語感が鮮烈な印象を与える。

凍りついた死に体の鮟鱇は陰鬱で絶望的な自己へのメタファーになりうるかもしれない。

作者は、 肋膜炎で絶対安静の状態だった。ですから「ぶちきらる」と いう
受け身の表現からは、鮟鱇の姿と病床の自分の姿を重ね 合わせる心境が浮か
びます。動けない自分の姿を情けなく 思い、と同時に過去の記憶に残っている、いっきに切り落と された鮟鱇を思い出して、自分ではどうしょうもできない、わが身を哀れに思いこの句を書いたのでしょう。

加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年(明治38年)5月26日 - 1993年
(平成5年)7月3日)は、日本の俳人。本名は健雄(たけお)
水原秋桜子に師事。初期は『馬酔木』に拠ったが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなり、人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求、石田波郷、中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれた。第二次世界大戦後は戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開、また主宰した『寒雷』では伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てた。(ウィキペディアより抜粋)

正直な作者の事は存じ上げておりませんでしたが、少なくても同じ時代生きていたことになります、感性が豊かな人はやはり違いますね・・・。


「新宿ははるかなる墓碑鳥渡る」作者:福永耕二 成立:1980年

雑踏からでも建物からでも、新宿に足を下ろし西側をのぞむと、高度経済成長期に建てられた高層ビル群が立ち並んでいる。資本主義的繁栄は雄大な自然をはじめ多くのものを失った上に成り立っている。

その象徴ともいえる高層ビル群は、視覚的にも比喩的にも「墓碑」なのである。しかも、「はるかなる」。また、西側には作者の故郷、および死んでいった者たちの無数の魂がある。

そんな新宿の空を、鳥が渡っていく。奇跡のような名句。
福永 耕二(ふくなが こうじ、1938年1月4日 - 1980年12月4日)は、日本の俳人。
鹿児島県出身。川辺町生まれ。私立ラ・サール高等学校在学中より「馬酔木」に投句。1956年、鹿児島大学入学、俳誌「ざぼん」に参加、編集を手がける。

1960年、同大学文理学部国文科を卒業、純心女子高等学校に教師として奉職。1965年、能村登四郎の推薦により上京、登四郎の勤める千葉県の私立市川高等学校に勤務する。1980年、『踏歌』により第4回俳人協会新人賞受賞。同年12月、敗血症に心内膜炎を併発し死去。42歳没。
(ウィキペディアより抜粋)

俳人と言っても普通の生活をされるんですね、どうしても芸術系で秀でた人
は俗世間を離れ孤高な生活を送っている感じがします(単なる偏見?)

でも考えてみたら日常生活の中から生まれてくる俳句にとっては、普通に暮らしている中からの目線や体験が貴重なのかも知れません。

いつどこでも出来る俳句~今後の人生の中で挑戦してみるのもいいですね!

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