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気が、気になる
こんにちは!
人の気と書いて”人気”と読むじゃない?
やっぱり人気な人って気が良いよね。
いつだったか忘れてしまったんですが、
オードリーの若林がテレビだかラジオだかで、
”人気”について言及されていて、
「これは確かになるほどなぁ~」と妙に納得して以来、ずっと頭の中で反芻し続けてしまい、
頭の中に留めている以上、血肉として言葉を昇華できないな、と思ったので感じていることをアウトプットとして記事にしてみようと思います。
色々な、気
元気、病気、雰囲気、やる気、活気、気分etc…
意識して探してみると、実は日々「たくさんの色々な気に囲まれているなぁ~…」ということに気付きます。
ちなみに僕が大好きなドラゴンボールでは強さの指標が戦闘力という数字から
(スカウターで計測できなくなってから)感じ取る気の大きさで相手の強さを察知するようになりました。
「バカでかい気が二つ近づいてきやがる」
「この気は…まさか…父さん…いや…ちがう…」
という表現をしています。
確かに、芸能人や有名人の方って街中で見かけるとその人をとりまく空間だけ景色が違って見えるような感じがしません?
まとっている気が違うというか…
雰囲気があるというか…
うまく言葉で表現ができないのですが、
偶然にも國村 隼さんをみかけた時は
「!?!?」と
時が止まったような感覚になりました。
すごかったです。気が。
気分の良し悪し
”気”について追求していくと、果てしない旅が始まる予感がしてならないのですが、ここ最近は”気分が良い(または悪い)”という表現に
とても関心が高いです。
というのも、おおよそどの職場にも”お局”という存在がいると思うのですが、信じられないほどのスピードで気分の良し悪しが変化しません?
(全員が全員、そうとは断言できないとは思いますが)
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不機嫌をばら撒かれてしまうと、場の”雰囲気が悪く"なり、なんとなく”気分が悪く”なっている感じがしてならない…
逆に機嫌が良さそう、気分が良さそうな人を見かけたり、接したりすると
場の雰囲気が良くなり、こちらまでなんとなく”気分が良く”なる感じがする…
このような実体験を繰り返す中で
”気分が良い”と周囲に
”良い気を分ける”のかな?
”気分が悪い”と周囲に
”悪い気を分ける”のかな?と
気分という言葉を”分ける気”と捉えるようになってきました。
そう思うと、気分良くいることの大切さについて、今まで以上に自分の中での優先順位が上がってきます。
無邪気 is 無敵
色々な気に囲まれている中で、個人的に「これは無敵だわ」と思うのが”無邪気”という気です。
webで検索すると無邪気とは
1 素直で悪気がないこと。いつわりや作為がないこと。また、そのさま。「—ないたずら」「質問に—に答える」
2 あどけなくかわいらしいこと。また、そのさま。「赤ん坊の—な笑顔」
3 思慮に欠けること。また、そのさま。
「両親や教師は—にもこの事実を忘れている」〈芥川・侏儒の言葉〉
邪(よこしま)な気が無い、と書いて無邪気。
確かに赤ちゃんを見ても邪気を全く感じない。
邪な気持ちが全く感じられない。
一定の年齢を重ねると、人と人が相対した時に、些細な言動や細かな所作で「あ~、邪気あるな~」となんとなく感じとってしまう。
目が笑ってない人とか、わかりやすいですよね。
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赤ちゃんのように完全に無邪気に戻ることは非常に難しいとは思いますが、どのような状況であれ、
可能な限り無邪気でいたいと、強く意識するようになりました。(意識すればするほど無邪気ではなくなる禅問答のような気もしますが)
無邪気な人で敵を作っている人を見たことがないのは、無邪気な人は”敵を敵として認識していない”のかもしれません。
僕は戦いが大嫌いです。
できることなら戦いたくない。
戦わないために、道行くところに敵なしにするために無邪気になりたい。
というわけで
もちろん人間いつ何時でも、気分の良し悪しは変わると思うので、
気分が悪い時に「気分良くしなきゃ!」とか「無邪気でいないと!」と思う必要はないと思います。
気持ちと無理に戦う方が、かえって気分を悪化させてしまうと思うので。
なので…
たとえ退屈で地続きのように思える毎日だったとしても、できるだけ”気分良く過ごす為の1日をデザインする”ことを心がける。
気を悪くしてくる人、気分を害する人と遭遇しても”ヒョイと”かわす術を身につけて自分の”気”を守る。
この2つを心がけるようにしてから、日々が(というより自分のマインドセットが)変わり始めている…気がします。
見知らぬ人と接することがあまり得意ではなかったにも関わらず、
佐川の配達員の方に「いつもありがとうございます。熱中症気をつけて下さい」と気付けば話しかけていました。
変化は気づかないほど小さく小さく起こっているのだなと、
梅雨入り前の晴れやかな日に、また1つ小さな気付きを得ることができました。
人生、山あり谷あり。
山頂と谷底でお会いしましょう。
それでは!