明日なんてこなければいいのに~那須川天心vs武尊 当日AM4:00~
明日なんてこなければいい。
そう思ったことがあるという方は多いだろう。
大事な入試の前とか、大会の前、会社のプレゼン発表など、その多くは自分にまつわる大切な行事であることが大半だ。
実際、私もそういう人生を送ってきた。
そんな28年間の人生で、初めて起こった「明日への拒否」。
それを感じているのは、明日(もはや今日)にTheMatchを控えた朝方のベッドの中だった。
神童によって惹き込まれた格闘技
今でこそ、格闘技が好きでよく見るようになったけれども、私は元々格闘技が嫌いだった。
子どもの頃、父がTVでつけていた内藤大助さんのボクシングの試合を見て、「どうしてこんなに血を流しながら、痛い思いをして戦ってるんだろう」と感じてすぐに目を背けた。
勝者であるのにも関わらず、パンパンに腫らして血を滲ませた笑顔に、それだけの代償を払うほどの価値があるのだろうか、と思ったものだ。
そんな敬遠していた格闘技の魅力に気づかせてくれたのが、「神童·那須川天心」である。
2017年に行われたRIZIN15が地上波で放送されており、たまたまそのチャンネルに合わせた。
「あ〜格闘技かぁ別に興味無いなぁ」とチャンネルを変えようとしたところ、19歳の幼い顔の少年が【神童】と言われていた。
正直、この言葉が気になった。
こうやって若い時に大人に担がれて、実力以上のものを背負わされて、潰れていくアスリートをたくさん知っていたからだ。
矢沢永吉の曲に合わせて入場してくるのにも、なぜだか目が離せない違和感があった。
この試合だけ見てみよう。
きっと、もうすでにこの時点で私は格闘技好きへの道に1歩足を突っ込んでいたのだろう。
正直、この時は格闘技のことなんて全く分からないし、どんな試合展開だったのかも覚えていない。
ただ、鮮明に記憶に残ったのは、傷も血も一切つけていない綺麗な顔の勝者がそこにいたことだ。
こんなに鮮やかに勝つ格闘技もあるんだ。
こうして、那須川天心に魅了され、キックだけではなく総合格闘技のことも好きになっていった。
勝ちと負けと終わり
武尊との一戦は、やはり天心ファンであれば、誰もが望んだことだろう。
きっと結局大人の都合で実現しないと思っていた。
それを成し遂げた2人のスターと、その周りの支援者の熱量には本当に感無量だ、素晴らしいと思う。
ずっと楽しみにしていた世紀の一戦。
ただ、その日時が近づくにつれ、徐々に眠れない日が続くようになった。
泣いても笑っても。
勝負の場面では、このような言葉を言われることが多いが、こんなにも人生をかけた試合が他にあるだろうか。
そしてどちらにしても、これが天心のキックラスト試合。
これが終われば、もう見ることができない。
なんと儚い9分間だろうか。
明日がこなければ、何も知らなくていいんじゃないかという気にすらなる。
けれど、どうあがいても明日はきて、勝敗と終わりという2つの現実が突きつけられるのだろう。
あぁ。明日なんてこなければいい。
ファンですら、こう思うのだから、周囲の人はどう考えるのだろうか。
そんなことは分からない。
ただ、天心の奇跡の終わりと、最高のスタートを願って、見届けなければいけない。
眠れなさに、どれだけ那須川天心という男に魅了されてきたのか、勇気づけられてきたのかを再認識させられる。
ありがとう、天心。
頑張れ、天心。
また明日、天心。
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