○公募に出す小説の講評をしていただきました○
3月末に書きあげて、未発表の「ただの、ミジンコ。」
実はすでに某所に送っているのですが、この時期に連絡がないということは最終には残っていないのでしょう。
はじめて公募に出したのは確か十七歳。それから書いたり書かなくなったりを繰り返して気づいたらまた書いている。
片っ端から文学賞に送るようになったのは三十歳から。短編小説では受賞歴はあるものの、新人賞の中編小説は擦りもしないで今まできました(三年が経とうとしている……)
ゆるっと好き勝手書いてきたので、なんとか現状を変えなければと去年のコンテストで審査員をつとめていた方のコミュニティーに飛びこんでみた。そっちにいけばなにか掴めるかもしれないぞ! と思って。
ただ書くだけじゃダメだと、実験したこの「ただの、ミジンコ。」
公開したいのですが、まだできそうにない!
だって講評していただいてもっとよくなると確信してしまったから。
半分ほど読んでもらい、メールでやりとりをしたのだけど「飽きてしまった。もう読めない」とのことだった。書くちからは申し分ないと自負しているし、好みだからしょうがないと割り切ったつもりだったが、ひとりがそう感じたのならさいごまで読んでくれるひとってやっぱり減ってしまうんだと、かなしくなり、ラストに向かうところに仕掛けてるのに! とやきもき。技術面、というのか、読んでもらわないことにはわからない感覚があるのだ。読まれないのはこの作品がかわいそうだと思った。わたしじゃなくて、作品が! いや、正直にいおう。わたしさいごまで読まれたかった! わたしの小説読まれたかった! 素直になればなるほど世界はやさしくなる!
講評のとおり、「なにも起こらない」のはネックなのだろうか。わたしは芥川賞はほしいが、狙いにいくのではなく喧嘩を売っていきたいのだった。物語は後半にいくにつれて各方面に喧嘩を売っているのでは……というきもちで書いたのだが……ほんとはびびりのチキン野郎だけど文学のなかでは強気になれるし、たぶんこれからもなっていく。これから書いていく作品はまた「なにか起こる」保証はないが、わたしはわたしなりに実験をしていく。
まずはこの「ただの、ミジンコ。」飽きさせない工夫をしよう。何度かメールのやりとりをして「そこまでいうなら読みます」といってもらえたのだ。書きたい想いは伝わったのだろうか。講評のおかげで直したいと思えたし、メールのおかげでアイデアが閃いた。感謝します。
改稿して、タイトルも変えて、一度送ったのでもオッケーな文学賞に送ろうと思う。一度ダメだったからダメ、なんてことは考えず、自分が納得したものを完成させよう。送るにしても送らないにしても、発表するときはもっとおもしろくなっている♡ つまらない、読めば読むほどきらいになるといわれたが、たぶんわたしの書いているもの、この方ほとんどきらいだろうなぁと思うくらいには違いすぎるのではないだろうか。マイナスの言葉はショックだけれど、文面からいやな感じはしないので作品に対して分析しているだけなのは、わかるから、大丈夫。次に進もうと思う。今、もう一作書いている。三人称のやつをコツコツ。どうしたって万人に好まれる小説なんて不可能なのだけど、日々実験。