【本という名の大樹】大好きな絵本#02
先だって「仙台にも秋の訪れが〜」などと書き綴ったものの、翌日からは連日の30℃超え。せめてもの救いは「朝夕の涼しさ」とでも言えれば良いのですが、実際には秋風ひとつ吹くことはなく、相も変わらず高温多湿の熱帯夜。どうやら、睡眠の質が改善することは今暫くなさそうです。
§ 大好きな絵本#02
それでは早速「大好きな絵本」の二回目となる備忘記事を綴らせて頂きましょう。今回は「山を舞台にした絵本」という括りで三冊の絵本をセレクトしてみました。いずれも心温まる素敵な絵本ですので、お時間の許す時にでも、ごゆるりと一読賜れれば幸いです。
1:やまのこどもたち
幼い時分の私に、初めて「山」や「雪」を意識させてくれた絵本です。それは、羨望と同時に厳しい暮らしを想起させるものでした。
主人公の「たけちゃん」は、今で言えば幼稚園の年長さんで、祖母や兄姉に可愛がられながら日々を過ごしています。そんな彼が、四季折々に体験した悲喜交々の出来事を中心に物語は進んでいくのです。
本作が持つ味わい深さは、実体験が不足している幼い子どもでも十分に理解できるストーリーと、活き活きとした挿絵が生みだしています。
いずれも素朴な雰囲気をまとっていますが、子ども達に「こんなことやってみたいなぁ」「あんなことできるのかなぁ」と思わせてくれるだけでなく、読み聞かせをする大人にも郷愁を呼び覚まさせてくれるのです。
本作の舞台は、北関東から南東北にかけての山間地域(相応の降雪・梨の木・年越しにカレイを食べるといった描写から推察)だと思われますが、集落の人々の暮らしぶりは、季節の移ろいに対応したものであり、その簡素で実直な生活の様子から、当時の人々が、生きるために汗を流し、生きるために食べ、生きるために学んでいたことが分かります。それは正に、一所懸命の姿だと言えるでしょう。
さて、ここからは視点を変えて本作品を眺めてみましょう。
今から20年近く前になるでしょうか。ふと立ち寄った古本屋で、岩波写真文庫の復刻版(山田洋次セレクションとして5冊が復刻)を入手しました。
1958年(昭和33年)に発行された「村と森林」には、僻地とされる山間地域で活力を漲らせて生きる老若男女の姿や、高度経済成長期にあって首都圏の需要に応えるべく木材の供給に汗する男たちの姿が記録されています。
因みに、山梨県三富村の広瀬という山間集落が記録の舞台になっています。
林業や炭焼きに従事する人々の生活のみならず、彼の地へ通う若い教師や行商人の姿が実に芳ばしく、様々な立場の人々が血流の様に流れ動くことで、山間僻地の暮しが成り立っていたことを窺わせます。
その中で、既視感を覚える頁に出くわしました。それが、下の写真です。
行商人が魚を売っている場面ですが、この写真を見てハッとしました。
そうです。「やまのこどもたち」の一場面(下画像)を思い出したのです。
言葉にするのは難しいのですが、時を経て本作品の誠実さを再認識できたような気がして嬉しかったですね。
この秀逸な作品が、戦後10年を経た昭和31年に初版された背景や意義に思い致せば、当時の日本の状況と作者の想いが透けて見えてくるような気がします。それは、昭和30年から始まったとされる高度経済成長による影響が、山間・海岸地域で暮らす人々の暮しにも著しい変化をもたらしていたことは明らかであり、そうした急激な変化に対する作者の複雑な想い(郷愁とアンチテーゼ)が本作品に濃縮されていると思われてなりません。
「やまとこどもたち」に通奏低音する「普通の人々による素朴で質実剛健な生活」からは、私達が人生の中で体験しうる喜怒哀楽の中に「小さな幸せ」が数多存在していることを教えてくれているのです。
2:山のクリスマス
子ども達は「ひと夏」「ひと冬」を越えると、急に大人びることがありますよね。本作品は、クリスマス休暇を過ごすために、親元を離れ一人で伯父家族が暮らす山の家を訪れたハンシ少年の物語です。
本作品は、岩波書店の絵本シリーズの中では長編の部類に属し、且つ漢字も多く使われていることから(フリガナあり)、子ども達が自ら読むのであれば、小学1年生以上にならないと厳しいかと思われます。(勿論、大人が読み聞かせすれば問題はないでしょう。)
また、翻訳者の光吉氏が、本作品においては編集の役割も担っていることを鑑みれば、やはり外国の作品であることを前提に、日本の子ども達が容易に理解することができない場面や言葉が多いことを考慮し、原作を歪めない程度の説明を物語に加味していることが窺われます。
さわさりながら、本作品の素晴らしさは、前出のような難点を補ってあり余るほどの豊かさで補完されています。それ故、子ども達も楽しく読むことができるはずです。きっと、本作品を読み終えた子ども達は、自分もいつかは親元を離れて見知らぬ土地へ旅に出ることを密かに決意することでしょう。
また、勢いのあるイラストチックな挿絵も忘れてはなりません。
作者のルドウィッヒ・ベーメルマンの優れた筆致は、物語のみならず挿絵でも大いに発揮されています。
彼の挿絵は「筆の勢いそのまま」といった雰囲気をまとっており、彼が描く人や乗り物、建物、調度品の全てが躍動感に満ち溢れています。また、随所に粋な配慮を感じさせる仕上りになっている点も見逃せません。雑なようでいて、実は行き届いている・・・そんな印象を改めてもちました。
チロル地方の文化慣習など知る由もなかった時分に、遠く離れた異国に暮らす自分と同じ年頃の少年が、初めて体験する環境の中で、喜怒哀楽を露わにしながら成長していく姿に触れたこと・・・その読書体験自体が、幼き私にとって幸いだったと言えるでしょう。
これまでの人生を振り返りながら、優れた絵本が与えてくれた健やかな影響を思う時、私の脳裏には「山のクリスマス」が浮かんでくるのです。
3:アルプスのきょうだい
アルプスの山麓に暮らす兄妹が織りなす二篇の物語を楽しむことができる一冊です。子どもの感情を揺さぶるような物語に加え、アロワ・カリジェの挿絵もまた大きな存在感を放っており、「物語と挿絵の協働」こそが絵本を絵本足らしめていることを実感させてくれる作品になっています。
最初の一篇は、雪残る早春の物語です。
兄のウルスリが主人公となり、向春の村祭りで使う「鈴」を巡るウルスリの葛藤と挑戦が描かれています。このウルスリの挑戦は、危険を伴う冒険であり、それが為に、家族や村落の人々に心配をかけるものとなりました。
当然のことながら、顛末はハッピーエンドになるのですが、それに至るまでのウルスリの感情の動きや、家族の慌てふためく様子が活写されており、読み聞かせすることで、親子間の対話を深めることができるはずです。
続く二篇は、夏の物語です。舞台は、家族の「夏の拠点」となる山小屋とアルプスの大自然です。今度は、妹のフルリーナが主人公となり、彼女が助けた山鳥のヒナとの出会いと別れが描かれています。その中で、フルリーナもまた、兄のウルスリと同様に危険を伴う幾つかの冒険の時を経て、得難き宝物を手にするのです。
当時の私は、彼の国で暮らす人々が、季節によって住む場所をダイナミックに変えることをこの絵本で知りました。そして、鈴をつけたヤギを伴って山小屋へ向かう家族の姿は、アロワ・カリジェの挿絵によって、より鮮明に脳裏へ刻まれたのでした。
誠実さを感じさせるアロア・カリジェの挿絵は、物語を印象付ける挿絵の必要十分条件を兼ね備えており、大人になって再読してみても、頁を捲る度に心を奪われます。
因みに、本稿の見出し画像は、フルリーナが眠る屋根裏部屋が描かれたものです。幼い時分の私は、山小屋を象徴するような勾配天井や素材感溢れる室内の設え、そして国柄を象徴するような調度品の数々に好奇心を掻き立てられたものです。
こうした温もりを感じさせる素晴らしい挿絵に、早くから触れることができて良かったとしみじみ感じ入る伝吉小父でした。
§ まとめ
いかがでしたでしょうか?
拙稿では、詳細な内容を明らかにしていないため、物語の秀逸さまでは伝わらないと思われますが、挿絵の素晴らしさは御理解賜れたかと思います。
物語の世界観を深く理解したアーティストの手から生まれた瑞々しい線と、繊細かつ大胆な色彩感覚や観察力、造形力、構成力、立体空間認識能力といった様々な能力とセンスによって描かれた挿絵は、それこそ「個性の塊」と呼ぶに相応しい存在感を放っています。
混沌とした「今」を生きる子ども達が、物語に真剣に向き合ったアーティストの手から生み出された・・・そう・・・「温かい血の通った誠実な挿絵」に、少しでも多く出会えることを願うばかりです。