【作品紹介】丸 鼠 まるねずみ
ようやく完成した 丸鼠。
大人の「夏休みの宿題」といったところでしょうか。ぎりぎりセーフのタイミングで提出し終えたような心持ちでおります。
丸鼠
丸鼠 は、古典的な題材として数多の先達によって練られ、そして育てられてきました。それ故に、優れたお手本も多く、良い意味でも悪い意味でも影響を受けやすい題材と言えるでしょう。
僕自身は、そうした先達の影響から適度な距離感を保ちつつも、根付の「掌の小宇宙」「触れることができるアート」というアイデンティティーを学ぶための課題として捉えています。
今作では「見ざる言わざる聞かざる」とは逆のイメージを、丸鼠の手の表情で表すことにしました。
それは
目を隠すふり(見ていない振りをして見ているよ!)
耳を塞ぐふり(聞かない振りをして聞いているよ!)
口を被うふり(言いたいことがあれば口を開くよ!)
といった具合です(微笑)。
「窮鼠猫を咬む」とは良く言ったものですが、「弱き者、小さき者を馬鹿にすると痛い目に遭うぞ!」という宣言にも似た思いが込められてます。
1:癒しの丸鼠
前出の通り、丸鼠という題材は、根付の礎を培うための課題でもあると同時に、僕にとっては心を落ち着かせるための備えとしての役割があります。
これまで余り触れる機会はありませんでしたが、僕は時としてパニック障害の症状(現在は回復傾向にある)が起きることがあって、そうした時に、この丸鼠を握りしめることで状態が悪化することを防いでいます。
掌に収まる丸鼠を強く握り締めると、手の平のツボが刺激され、些かの安堵と同時に、自身が生きていることを実感させてくれるのです。そして、自分を取り戻していくと … 。
あくまでも個人的な体験かつ習慣(ルーチン)に過ぎませんが、僕にとっては手放せない根付のひとつになっています。
彫刻作品でありながら、常に持ち歩き触れることができるという根付の稀有な特徴が、私にとってかけがえのない寄る辺になっているように思われてなりません。
2:ネズミの想い出
僕は幼稚園児の時分に、ハツカネズミのつがいを飼育していました。
犬や猫が飼えなかったのは、転勤族の親を持った子どもの宿命だったと言えるでしょう。とまれ、彼らのお陰で小動物や昆虫が好きになりましたし、多くの子ども達と同様に、生き物の世話を通じて観察する楽しさを覚えていったように思います。
観察する習慣が身に付いたきっかけは、彼らの小さな手が「おばあちゃんの手」のようにシワシワで、「魔女の手」のように不気味だったにもかかわらず、実に器用な働きをする手指であることを知ったことでした。
これを契機に「可愛がるだけの飼育」から「観察する飼育」に変化していったと、僕自身は捉えています。
その後、両親から買ってもらった動物図鑑で、ネズミが哺乳類の祖にあたることを知り、曰く難い衝撃を感じると同時に、手先を器用に使うネズミならありえるのだろうと、妙に納得した時の感覚は今も忘れません。
いずれにしても、こうした幼き体験もまた「三つ子の魂なんとやら」の如く造形に影響していることは明らかで、この無形なる存在は、模範とする先達の作品から無意識に離れていく要素にもなり、かつ、言い方を変えれば個性を産み出す源泉になっていると思われるのです。
3:丸鼠が誕生した時代を思ふ
古より、干支の先頭を飾ってきたネズミですが、その一方で衛生害獣として駆除の対象となってきた歴史もあるわけで、そこに人間とネズミのただならぬ関係性に思いを致すわけです。
殊に、ネズミたちが古来より錦絵や水墨画、そして根付のモチーフになったという事実を鑑みれば、今よりも身近な動物であったに違いなく、それは確かに厄介な存在(年貢を納めなければならない農家にとっては尚更)であったにせよ、時に癒しをもたらしたであろうことは疑いようがありません。
古長屋に設えられたへっついの隅で、人影に驚いて丸くなったネズミを見つけ、そぞろ絵筆をとってその様子を描きとめた先達の心は、さぞかし穏やかであったことでしょう。(僕の勝手な妄想です。)
そんな悠久の時と先達の優しき心をが込められた丸鼠だからこそ、癒しの力があることに合点がいくのです。
と云ったところで、毎度「作品紹介」とは言えないような「作品紹介」になってしまいましたが、そろそろ筆を置かせて頂きましょう。
なお、本作に興味を覚えた方は、クリーマのショップの方にも足を延ばして頂けると嬉しいです。宜しくお願い申し上げます。
追記:余話と願い
今から10年程前だったと思います。米国の研究チームが哺乳類の祖先を発見したとのニュースが発表されました。
その名も プロトゥンギュレイタム・ダネー 。
いわずもがな、その風体は完全にネズミ君ですね。
長きに渡って干支の先頭を務め、哺乳類の祖先だと謳われてきた朧げな存在に、一定の確証が与えられたというところでしょうか。個人的には喜ばしい出来事として記憶しています。
いやはや、21世紀の今もなお分からないことばかり。と言うか「分かっていなことしかない!」と言った方が良いでしょう。故に、未知なる事物の解明に挑める若人を羨ましく思う今日この頃です。
とかく生き辛い世の中ではあるけれど、若人には、クヨクヨせずに、ウジウジせずに、チマチマせずに、好奇心と探求心を両手に携え、焦らずに人生を闊歩していって欲しいと願うばかりです。
(夢と希望を持て!なんて言いませんから。)
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