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生きた心地がしない帰路

仕事納め、改札を出て帰路に着く。
空はもうすっかりと暗く、冬の風が白いマフラーを横切る。

ふと、「生きた心地がしないな」と思った。

仕事の疲れからそんなことを思ったのかとも思ったのだが、足取りは大して悪くない。

それでもなんでか、そのようなことを考えた自分に、すとんと腑に落ちたのだった。

そもそも生きている実感などというのは、そう易々と何度もしていては身が持たないのだ。
大人になればなるほど、体はリスクを回避して、私達から生の実感を奪っていくのかもしれない。

それを「美しく思おう」と思った。
「在るべき姿なのかもしれない」と思った。

諦めなのかもしれない、惰性なのかもしれない。
それでも私は、生きた実感のない今日を、努力しないで過ごしてはいない。
私の大切な人を大切だと思い、抱きしめて、息が出来てる。

それでも生きた心地がしないことなど、私にとってどうでもいいことになった。
私はもう、生きた心地がしなくとも、生きていける。

それがなんだか誇らしいので、「生きた心地がしない程度じゃ、死ねねえな」と顔を上げて、大切な人が待つ家へ、いつもより少しだけ早足で帰って行った。

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