3つの職場を経験して思うこと
18歳で社会人になって、早28年。
そのうちの25年は看護師として働いています。
今までに3か所職場を変えました。
今日は1つ目の職場についてお話していこうと思います。
1か所目は高校が紹介してくれた職場で
看護助手として働きながら看護学校へ行き、看護師の基礎を作ってくれた場所です。
ここでは、20年も勤務しました。
お局さまの存在や、取り巻きさんとの確執。
医師VS看護師。
自己犠牲、自己否定の礎にもなった場所です。
同時に、とっさの対応ややり過ごすことを培った職場でもあります。
「辞めたい」「辞める」と言いながらもなかなかやめる決心がつきませんでした。
なぜ、決心がつかなかったのか。
今思えば次にような理由があったなと思います。
1,初めて社会に触れた職場
18歳で高校を卒業し、就職しました。
はじめての職場でもあり、看護師からではなく看護助手という、一旦外側から看護師の働き方を眺められるポジションでの仕事だったので職場の雰囲気やこんな風に対応するんだというのを看護師になるまでの約3年間、長い目で見られた機会があったのは大きかったと思います。
看護師になってからも、知っているスタッフや先輩がいることや職場環境はかつて知ったる場所だったので環境の変化というストレスはそれほど受けなかったと思います。
そして、初めての職場だったので他の職場のことを知らなかったので比較することができなかったというのも大きな理由だったなと思います。
2,退職した先輩の復職
「こんなところ辞めたい」と私と同様に愚痴っていた先輩(取り巻きさんの一人)が何人か辞めて新しい職場に転職されていきましたが、半年~1年後に復職(いわゆる出戻り)をしてくるひとが数人いました。
なかでは、退職して数日で帰ってくる人もいたので
「ここの職場ってそんなに働きやすくて、ほかの病院はしんどいんだ。じゃあ、私はここでやっていくしかないんだ」と考えるようになって辞めることを先延ばしにするようになったと思います。
3,同じ思いをした同僚や後輩の存在
さらにお局様や、取り巻きさんの扱い方は大変だったけど、同じ思いをしていた後輩や同僚もいたのでよく飲み会で愚痴ったり、職場の話で盛り上がったりして協力体制はとれていたからこそ頑張れたのかなと思います。
そのころ、ともに戦った同僚は今でも時々連絡を取り合う仲間です。
4,なんやかんやで居心地がいい
新人時代・若手時代はお局様や上司の言いなりになっていましたが20年選手となれば、後輩や周りの人との関わり方もわかるようになり、周りの人が自分に合わせてきてくれるようになったので人間関係が楽になるものです。
そして、毎月決まった金額のお給料が振り込まれて生活に困らない。
転職したら、
・一から人間関係を作り上げないといけない
・環境にも慣れるのに時間がかかる
・お給料が安定するまで年単位かかる
などなどリスクを考えると、今の職場でゆるく仕事しているほうがいいよねと思いダラダラと20年もいることとなりました。
5,まとめ
インドには観光地にいくと、象に乗って観光したり綺麗な飾り物をした像が後ろ足で立っていたりする芸を披露している場所があります。
象は一旦興奮すると、取り抑えることができないくらい狂暴です。
観光地にいる像はなぜ暴れたりしないのには理由があるそうです。
像使いには
「象は小象のうちから育てよ」
という鉄則があるそうです。
残酷な表現かもしれませんが
小象のころから杭と鎖で小象の行動を制限することから始めるそうです。
小象は最初のうちは、逃げ出そうと試みますがそのうち自分の世界はここまでしかないと思うようになるそうです。
成長するにつれて、身体も大きくなって力もあるのに象は成長に気付かないので、なにも変わらないと思い込んでいるから大人しくて従順な象になるそうです。
人間も同じ要素をもっていると思います。
個人差はあると思いますが、私は初めての社会生活として過ごした職場が自分のすべてだと思い込んでいました。
初めての職場で、初めての地域。
誰も知り合いがいないので、職場の近くの職員寮にないって生活。
職場と寮とスーパーの行き来。
そのころの私の生活は、職場とともにありました。
ダラダラと20年も働き続けましたが、あることをきっかけに職場への気持ちが一気にさめて退職に至りました。
退職の送別会のときは「本当にしんどかった」と言った私ですが、自分の社会人としての基礎を作ってくれた最初の職場です。
いささか納得できない複雑な思いではありますが、ここまで自分を育ててくれたことに感謝をしています。