シン映画日記『フェイブルマンズ』
TOHOシネマズ日比谷にてスティーヴン・スピルバーグ監督・脚本最新作『フェイブルマンズ』を見てきた。
スティーヴン・スピルバーグの幼少期から少年期を経て映画業界の道に行くまでの自伝をベースにした物語で、スピルバーグの映画製作の原点を見つめる映画であり、その根源にあった家族との日々を見ていく極上のヒューマンドラマである。
主人公・サム・フェイブルマンは6歳のときに両親に連れられ、映画館へ『史上最大のショウ』を見に行き、映画と出会う。そして、その時の興奮が忘れられず、8mmを手にし、家族や友人を撮り、手製の映画を作るようになる。
前半は自主映画作りに没頭するサムに対して両親や父の友人ベニーらは全面協力を惜しまず、撮影機材や編集機材を買い、周りの友人らも撮影に協力し、完成したら上映会まで開く。
前半からユダヤ人描写はちょくちょくあるが、どぎつい差別もほぼなく、幸せな日々を描いている。
スピルバーグはディスクレシアではあるが、そうした描写がほとんどなかったし、家族の輪になぜか父の友人ベニーがいたりするが、明るい母親ミッチを中心に幸せな家庭の様子ばかりが見られるので、「辛い描写はシャットアウトしたのかな?」とも思ったりした。
中盤から幸せなフェイブルマン家にキャンプ旅行である影をさす出来事があり、そこからアリゾナからカリフォルニアへの引っ越しやサムのハイスクールライフで嫌なことがいくつか起こるようになる。
この映画はある意味そこからが本番といった感じで、前半からやや不自然さを感じたフェイブルマン家の家族の風景が徐々におかしくなる。
きっかけの部分はミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』の応用と、向田邦子原作の「阿修羅のごとく」のようなドロドロの家庭内ドラマを展開。
要はフェイブルマン家版「阿修羅のごとく」とサムのハイスクールいじめられっ子ライフの交互を見せながら、1960年代半ばのカリフォルニアの空気を味わう。
そこではアメリカのハイスクールライフではお馴染みのジョックの学内幅聞かせ描写とユダヤ人差別が凄まじく、カトリックの彼女との付き合いもどこか屈折した感じ。
スピルバーグの実話をベースにしただけあって映画に溢れてはいるが、やっていることはスピルバーグ版『6才のボクが、大人になるまで。』だったりする。
その最後の最後に感動の邂逅があり、それをある巨匠が演じているのでエモーショナルになる。
『フェイブルマンズ』、それは『激突!』や『プライベート・ライアン』、『E.T.』、さらには『ウエスト・サイド・ストーリー』を作り出すスティーヴン・スピルバーグの原石を見る映画である。