『英雄の証明』見た直後の雑記
シネスイッチ銀座でアスガー・ファルハーディー監督作品『英雄の証明』を見てきました。
見事にイランの、いや、世界の現代を描いた悲劇だね。
落とし物を拾って、落とし主に返した、ただそれだけの何気ない善行を騒ぎに騒いでおかしくなりる。
全体的に、ちょっとしたことが揉める映画として周防正行監督の『それでもボクはやってない』やトマス・ヴィンターベア監督の『偽りなき者』に近い。
さらにはイーストウッドの『リチャード・ジュエル』なんかはもろかぶりのような気もするが、『英雄の証明』はさらに21世紀的だ。なによりもこの映画が凄いのは、いいことをしたのにあらぬ疑いをかけられ、SNSや動画拡散でさらにおかしな方向にいく、という展開だね。
しかも、主人公のラヒムは多額の借金が払えないために刑務所に服役し、バツイチで、刑務所の囚人だから当然無職、とマイナス要素がとにかく多く、借金の貸主は元妻の父親でラヒムをよく思ってない。
この映画、とにかくお金がついてまわる。落とした物も金貨だし、刑務所の服役理由が借金だし、善行がメディアにより知れ渡ったあとには慈善事業系の協会からチャリティーイベントがあり、そこにはお金が集まる。こうした昔からある「お金」とSNSや動画といった新世紀のツールによる噂の広まりや「嫉妬」「恥」「信頼のゆらぎ」など、さらには古くからあるイランの食文化などが上手く入り混じっている。
善行も早く広まれば、蛮行も早く広まる。
オセロの白が瞬く間に黒に変わるような展開。
主人公ラヒムは囚人で携帯が持てないから、知らぬ間に見えない形で広まる。この映画、SNSが出ながらもその画面がほとんど出ないのはラヒム目線らしく、リアリティがある。
また、この主人公ラヒムもいいことをしながらもSNS社会をいまいち理解できてなかったり、追い詰められると感情的になり、決して聖人君子に描かないあたりにも好感が持てる。常にラヒムを支える姉や父親がいるかと思えば、何かと負の要素になりがちな元妻の義父や元妻、ラヒムの恋人、落とし主を乗せたタクシーの運ちゃんなどいい人・良くない感情を持ってる人たちを的確に描いている。
これが去年のカンヌ国際映画祭のグランプリ(実質2位)らしいが、パルム・ドールを獲った『TITAN/チタン』よりも遥かに良かった!
現代らしく、しかもイランらしい映画だった。