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『余命10年』見た直後の雑記
MOVIX三郷で小松菜奈主演映画『余命10年』を見てきました。
余命もので、平成から令和を駆け抜ける時代の描写はそこそこに、主人公・茉莉が「余命10年」という現実をうけながらの、和人との一歩踏み出せないもどかしい気持ちや葛藤がよく現れ、余計な情報を排除したストレート且つ丁寧な映画で、原作者に対するレクイエムになっていた。
冒頭のシーンがあるからこそ、茉莉と和人は『花束みたいな恋をした』のようにトントン拍子には行かず、常に躊躇と現状維持がつきまとう。その上、周りの学生時代の友人は次々と結婚していく。このもどかしさから映画に取っつきにくいという方もいるであろう作りではある。
加えて、
そもそも「余命10年」ってそこそこ時間がなくない?と常に思ってしまうが、そこの気持ちが原作者も映画の主人公も同じというのが、後半の茉莉のあるセリフで分かる。だから、『死ぬまでにしたい10のこと』やいわゆる終活系の映画みたいにはならず、どこか時間がふんわりと、それでいて楽しいことはサラサラと流れる。主人公や周りの家族も揺れ動いている。この感覚が出ていただけでも映画化成功と言えよう。
和人の設定を茶道から居酒屋経営に変えたのはおそらく主人公・茉莉の話に集中させることと考えられる。
変に終活臭いものや平成令和の移り変わりに終始せず、あくまでも原作者・小坂流加に対するリスペクトとレクイエムで溢れている。
そう考えると、松重豊の父親や原日出子の母親、リリー・フランキーの居酒屋の師匠などの温かな眼差しも華を添えた感じだし、RADWIMPSのテーマ曲もこの映画、原作者の餞と言えるかもしれない。
余命を考えるとその行動があってるかどうか、どうすればベターだったかは、見た人が自分の人生に役立てればいいかと思う。
余命もの映画にありがちな変なドラマチックさは薄いが、そこがいい。