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豊臣秀頼から学べる最強の教育方法 Part1
一応、豊臣秀頼って誰?という方のために簡単に説明しますと
まずお父さんが、豊臣秀吉と言いまして、全国を統一した
わかりやすく簡単に言えば、ものすごい人です、生まれは農民の身分でして
(最近の研究では、農民ではなく、商人の家の出身じゃないかと
言われているみたいですけど、そこはよくわからないですので、歴史学者に聞いてみてください)
当時は身分制度があったので、いいところのお坊ちゃんじゃないと
出世できないという風潮があったんですけど、秀吉は天性の素質と言いますか
稀代(きだい)(意味は、まれ、めずらしい)の人たらしと言われていまして
自分が気に入った人を取り入れる、完全能力主義である
織田信長に気に入られて、信長の家臣となり
信長の死後、跡を継ぎ全国を統一する形になります
そして、豊臣秀頼のお母さんが、織田信長の妹、市の長女である茶々になります
秀頼が生まれた頃は、淀殿と呼ばれていたと思いますね
そんなすごい2人の遺伝子を受け継ぎ、おそらく当時としては
最先端の英才教育を受けていたであろう豊臣秀頼ですけど
1600年に起こった関ヶ原の戦いや大坂の陣という
豊臣方が滅びるきっかけになった戦いがあるのですけど
関ヶ原の戦いのときはまだ幼かったですけど、大坂の陣のときは20前後ぐらいだったので
正直言って、やり方によっては、もしかしたら勝ってたのではないかな?と思うんですよね
それはズバリ今の教育の問題にも直結すると思いますし
今現在もこの教育のやり方、指導方法を実践するのであれば
誰でもそれなりの成果は出るのではないかと思いブログに書いてみることにしました
まず大坂の陣のときにも、豊臣秀頼の周りには、優秀な
多くの戦いを勝ち抜いてきた武将たちがいたわけですよね?
例えば、真田幸村、大谷吉継、直江兼続など
しかし、それと同時にお母さんの淀殿もしっかりと豊臣秀頼についていたわけですよ
ようはここですよね、詳しくは、Part2で書いてみたいと思います