文章にも声がある
「声がいいですね。」
カウンセリングの仕事をしていて、電話をくださった方からそう言ってもらえることがあります。
そういうとき。ただただ嬉しい。
ラジオとかしたらいいと思います、と言っていただいて、実はやっていたんですが最近できていなくて。
また再開していこうかな、と思っています。
せっかく書いて文章にしているから、かいつまんで、僕の”書く言葉”でも伝えていけたらいいなと。
文章には声がある
書く文章には大きな力があると思っています。
それは読み手の読みたいときにいつだって読めるということ。
読みながら自分に重ね合わせたり、だれかを思い出せるということ。
人それぞれに文体があって、読むと心地いいリズムに身を任せられるということ。
ぼくは文章にも「声」があると思います。
読んでいるとき、頭の中で読んでいる文章が再生されていく。
書いているときも同じ。書きながらに頭で声が言葉をつぶやいている。
たいていは自分の声。
でも自分でない、誰かのような気もしなくもない。よくわからない。
でもそれはいつだって心地いいもの。脳内で自然と再生してしまうような本当に心地いい声だと思う。
ただ別の声が再生されることもある。
それはだれかを思い出すときで。部活の練習中に励まし合ったこと。家族との食事で笑いあったこと。仕事で大事な商談をしたときのこと。好きな人に「好きだよ」と言われたとき。
再生されるのは、友の声であり、家族の声であり、仕事仲間の声であり、好きな人の声です。
あの人の言葉は、ちゃんとあの人の声で思い出される。
ほかにも映画やドラマをみて、本を読んだとき。たとえばハリー・ポッターを読むと、ハリーやハーマイオニー、ロン。マルフォイやヴォルデモートの声がちゃんと再生される。知っている声は読んでもその声が聞こえてくる。
だからこそ話そうと思った。
僕の書いた文章を読むときに、僕の声で届けることもできるんじゃないかと思った。
文体は、声だ。それをより近くしてくれるのはもしかしたら、声で伝えた言葉なのかもしれない。
だから言葉を声でも伝えていこうと思います。
書くことと話すことは違うけれど、似ている。
文体と声は違うけれどやっぱり似ている。
心地いいものがあって、落ち着くものがある。
より深く、より包みこまれるように。
書きたいから話す。話したいから書く。
今できることしかできないから、今できることをぼくはしたいです。