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土曜日の乱読

読みかけの本をソファの横に積み上げ、気の向くままにそれらを手当たり次第読み耽る。昨日はそんな贅沢な時間を過ごした。エアコンが効いた我が家のリビングに寝そべりながら。

昨日読んだ中から印象に残った文章:

マリアがドイツの収容所で死んでいたら、私は夫にも会わなかったかもしれない。イタリアに行かないで、どこかほかの国に行っていたかもしれない。しかも、私の個人的ないくつかの選択のかなめのようなところに、ぐうぜんのようにしてずっといてくれたマリアが、同時に二〇世紀のイタリアの歴史的な時間や人たちに、こんなに緊密に、しかもまったく無名でつながっているという事実は、かぎりなく私を感動させた。そんなマリアが、なんでもない顔をして私のとなりにすわっていた。

マリア・ボットーニの長い旅(「ミラノ 霧の風景』より)             須賀敦子

誰の人生にもそういうキーパーソンはいる。私の人生の重要な分岐点にもNさんという曲者の老紳士が何かと関与している。自分への業務連絡:いつかNさんについて書くべし。

夜のハーモニカ。「何にする?」というと、「明日、なつ子に聞かせる『鯉のぼり』を」という。妻は二番まで歌ってから、
「もう一つ、あります」
といい、三番まで歌う。「いいなあ」と二人で「鯉のぼり」をたたえる。夜、妻のピアノのおさらいが終わって、こちらが風呂に入る前に、私のハーモニカに合わせて妻が唱歌を歌うようになってどのくらいたつだろう?もう二年はたっただろう。

庭のつるばら 庄野潤三  

夫のハーモニカの演奏に合わせて唱歌を歌う妻。夫婦の間で交わすこういった子供っぽい習慣がとても重要。我々夫婦も人が見たり聞いたりしたら呆れるような子供っぽい習慣がいくつかある。

友達とおしゃべりをしている時、恋人とかけがえのない時間を共有しているときなんかには、その人が言葉に込めている独特のニュアンスを一生懸命読みとろうとしたりとか、その人がどうしてその言葉を使うのかを考えてみたりだとか、逆にその人が使いたがらない言葉があればそれがなぜなのか、相手がこれまでどういう言葉に傷ついてきたのかを考えたりとか、そういった「語義ではないもの」にも気を配ることによって、より親密な対話が成り立つものでしょう。いいかえるなら「本当に正確な語義」は、コミュニケーションの文脈を読みとるという視点においては、人の数だけあるといってもいい。

ロシア文学の教室 奈倉有里

文脈を読みとる。あらゆる場面において必要な能力。最近の世の中の風潮としては語義にばかりこだわりがちだけど、文脈もしっかり読みとる傾向が強まる(戻ってくる)と良いなあ。

There's a double bind in the work of writing, a trap of specificity: If you don't write about things people are interested in, nobody is going to read you.  But if you write about things people are interested in, other people are writing about them too.  It's true of all my favorite subjects - the great writers have already written about them.  What can I possibly add?
翻訳:書くという作業に於いて解決不能なジレンマ、特異性の罠が存在する:人が興味を持っている事について書かなければ誰も読んではくれない。しかし、人が興味を持っている事について書くと、ほかの人たちも同じ事について書いている。私が好む題材全てについてそれは言える - 偉大なライター達が既にそれらについて書いている。私が付け加えられる事なんてある?

On Jealousy(from Any Person Is the Only Self)    Elisa Gabbert

面白く優れた書物は何回生まれ変わってきても読みきれないくらいの量この世界には既に存在する。私が何を書き加える事ができよう。それでも書きたい。

今日も一日中たくさん読んで、
たくさん書けますように。

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