巻き寿司とかお金とか
雨の後の快晴の日曜日。
山盛りの雑草抜き。家の外の歩道の草抜きとごみ掃除もしてスッキリ。
お腹すいたー!
と言える体調になれたことが嬉しい。
肉体労働の後は巻き寿司作り。
大量に作ってしまう癖は母譲りかもしれない。
イギリスでもお刺身クオリティのサーモンが買えるありがたさ。
金曜日は新鮮な魚が隣町のスーパーに朝入荷するのでサーモンを目当てに行ってみたのだが、
その日の印象的だった出来事を。
夕暮れ時でもうお客さんもまばらなスーパーに行き車を止めて駐車場を歩いていた。突然降って湧いたように男性が目の前に現れた。近づいてくるその人はどうやら私に話しかけているようで(普通の綺麗な身なりの人だった)、早口で色々な事情を話され、つまりは「こういう事情で困っているのでお金をくれませんか?」という用件だった。
困っているのが本当か嘘かは私には分かりかねるが、理由がどうあれ喜んで財布の中にあった小銭を寄付させていただいた。
以前の私なら顔をしかめて防御モードになり「生憎現金がありません」だとか言ってその場を離れようとしていたと思う。
でも私の心情はこうだった。
最近は古代チベット仏教メンタルシードの深い学びも理解が進み、お金という概念の捉え方も変わり、エネルギーでしかないと考えるようになった。もちろんお金はあればあるだけ嬉しい。出来ることや体験が増えて、それは人生や人格が広がることにつながるから。ならば、先ずは自分から差し出すことだと学んだのだ。
漢字でも「出入」と書く。「入出」とはいわない。宇宙の法則では必ず欲しいものは自分から先に差し出すが鉄則なのだ。
もっとお金が欲しければ、
自分から先に出す。
愛が欲しければ、
自分から先に愛す。
成功したければ、
誰かが成功できるよう応援する。
孤独で寂しければ、
自分から先に寂しい人の心に寄り添う。
もっと人から大切にされたければ、
自分から先に誰かを大切にする。
もっと誰かに話しを聞いてもらいたければ、
先に自分が誰かの話を聞いてあげる。
もっと健康になりたければ、
他人の健康や時間を大切にする。
すっかりキャッシュレスの世界になったイギリスだけど、そんなわけで私は最近敢えて財布に現金を入れておくようにしていたのだ。(いつなんどき誰かの助けになるかわからないので)
目の前に、綺麗な身なりをした自称ホームレスを名乗るその方が近づいて来た時点ではっとするものがあり、これは喜んで奉仕をさせていただくチャンスだなと感じた。困っているというその方がシークレット仏陀に見え、寄付させていただくことがありがたく、心から感謝の気持ちが湧きあがった。
差し出された手のひらに財布の中のありったけの小銭を渡しHave a good day.と言うと、男性はとても良い笑顔でThank you very much. You too.と言ってスッと消えるようにどこかへ去った。
日暮れの静かな駐車場には静謐なオレンジ色の空気が流れていた。一瞬の些細な出来事だったけど、昨日より今日の自分が成長できていることがとても嬉しかった。スーパーにはお目当てのサーモンがばっちりあり、ほくほくしながら帰路へ。
巻き寿司はイギリスに来てから自分で作れるようになったと言ったらイタリア人の生徒さんは「私のそれはピザよ」って。世界で人間はそれぞれ逞しく生きている。