赤い車を降りたフリーライター
取材の際、雑談のなかで「フリーライターになる前は、どんな仕事をしていたんですか?」と質問をいただくことがある。そこで前職を答えると、大抵は驚かれるか、訊き直されるかのどちらかだ。
「郵便局の赤い車に乗って、手紙とゆうパックを集めてました」
実際のところ、驚かれるのも当然だろう。郵便局の契約社員から、フリーランスのライターへという、磁石の両極さながらの転身だったのだから。
私はいま、かつての自分が全く「想像していなかった未来」を生きている。
仕事は好きだったけれど
私が郵便局に勤めていたのは、2020年6月から2023年3月までの約3年間だ。
「スーパーカブに乗って市内を走りたい」という理由で入社したはずなのに、気付いたときには4輪の運転席に座っていた。
主に乗っていたのは、イマドキの電気自動車ではなく、古式ゆかしきガソリン車のエブリィだった。
十数年の長きにわたり、我が街の郵便事情を支えてきたその車は、限りなくピンクに近い色褪せた赤。しかし、おじいちゃん車にもかかわらず、調子が悪くなることなど一度もなかった。
目線が高いエブリィに乗って得意先を回り、世間話をしつつ郵便物や荷物を集める仕事は、私の性に合っていた。
小さい子どもたちに「ゆうびんやさん、こんにちは!」と言ってもらえた日は、夜まで心がぽかぽかしていたことを覚えている。
しかし、車を運転する仕事には、当然ながらリスクも伴う。夜の報道番組で交通事故のニュースを聞くと、郵便局の車ではなくても、背筋が寒くなることがあった。
正社員ではなく契約社員だった私は、きっと心のどこかで、事故のリスクと自分の立場を天秤にかけていたのだろう。
文章が仕事になる?
2022年6月、私は地元の福島からバスに乗り、東京在住の友人に会いに行った。イラストレーターである彼女は、センスとアイデアの塊が動いているかのような人だ。
ご機嫌なランチを終え、本屋へ行こうと歩く道すがら、彼女は私の運命を変える言葉をつむぎ始めた。
「そろそろ、文章でお金を稼ぐことを、本気で考えてもいいんじゃないかな?」
その頃、私は趣味でいろいろな小説を書き、noteに掲載していた。
昔は作家になりたくて、公募に出しては落ちを何度も繰り返したが、叶えることはできなかった。私にとって、夢に敗れたその過去は、かなり大きなコンプレックスだった。
「でも、私は作家になれなかったオンナだよ?」
「小説じゃなくても、文章を書く仕事はいろいろあるよ」
そのとき、彼女が挙げてくれた職業のひとつがライターだ。writer、文字通りの物書き。胸の奥にしまい込んだ昔の夢が、ことんと小さな音を立てた気がした。
折しも、世の中は空前の副業ブーム。ライターで生計を立てるのは難しくても、副業なら活動できるかもしれない。クラウドソーシングを使えば仕事を探せそうだし、やってみようか。
この日から、私は自分の新しい未来を想像するようになっていった。
Goサインは大皿の落下
しかし、ここで私の足を引っ張ったものがある。例の「作家になれなかったオンナ」コンプレックスだ。
数年間、睡眠時間を惜しんで小説を書き、何度も公募にチャレンジしたのにダメだった。Web小説の仕事をもらったことはあるけれど、本は1冊も出せなかったじゃないか。私の文章に、価値などあるはずがない。
ひねくれた思いをぶっ壊す事件が起きたのは、8月のある朝のことだ。食器棚の整理をしていた私は、特価800円で買った大皿を落としてしまった。
大皿は重力に対して垂直の態勢を取ると、その角度を絶妙に保ったまま、左足の小指を直撃した。
「うぎゃわおぐぅぅいってぇぇぇぇ!」
整形外科へ直行した私の左足を見た瞬間、医師は「あぁ折れてるねぇ」と断言した。案の定、レントゲンを撮ると、小指の骨は美しいほど見事なセパレート。靴を履いて歩けなくなった私は、骨が固まるまでの間、仕事を休むことを余儀なくされた。
「1か月以上の長期休暇なんて、なんてラッキーなんだろう!」
そう思ったのは、初日の数時間だけだった。骨は痛いし、松葉杖がないと歩けないし、何よりヒマでヒマで仕方がない。
……やるか。
きっとこれは、大皿と神様からのGOサインだ。
非常事態を都合よく解釈した私は、この時間を利用して、ライターの副業を始めることに決めた。
典型的な牡羊座の私は、やるとなったら動き出しが速い。本を取り寄せたり、Webでいろいろ調べたりしながら、1か月ほどライター業を始める準備に取り組んだ。
「作家になれなかったオンナ」コンプレックスはどこへやら。この時点で頭の中には、やる気と稼ぐ気しかない。骨が痛いのは気に食わなかったが、自由時間の代償ということで折り合いをつけよう。
そして、2022年9月。
私はクラウドソーシングに登録し、副業ライターとしてスタートを切った。
ばいばいエブリィ
幸い、私はクラウドソーシングに登録してほどなく、コラムの継続案件を受注することができた。単価はびっくりするほど安かったが、終わると同時に次の仕事をいただけるため、安定して実績を積める。
郵便の仕事に復帰する頃には、YouTube動画のシナリオ案件も抱えるようになっていた。
継続的に記事を書いていると、自分自身がライターとして、何をしたいのかが見えてくる。当初はシナリオを書きたいのだと思っていたが、実は違った。
「取材、やりてぇ……」
そう。
私は、取材の仕事をやりたくてたまらなくなったのだ。
思えば小説を書くときも、私はストーリーより人物を描き込む方が好きだ。誰かのリアルな話を聞いて、その生き様や歩みを記事にできたら、どんなにやりがいがあるだろう。私の内側に芽生えたその思いは、春の若葉のようにぐんぐんと育っていった。
しかし、得意先を回って郵便物を集荷する仕事をしていた私は、基本的に土日が休日。平日がほぼ使えない状況では、取材をメインに活動することなど不可能だ。取材先が企業でも個人でも、アポイントを取るのは厳しいだろう。
悩んだ私は、郵便局で働き続けることと、フリーライターにシフトすることを天秤にかけた。
郵便局にいれば、契約社員とはいえ安定した収入を得られる。仲の良い人たちもいるし、仕事も決して嫌いではない。しかし、交通事故のリスクが常に付きまとう。
フリーランスに転身すれば、自分が本当にやりたい「取材」ができる。移動時の事故リスクはゼロではないが、運転時間は格段に減るはずだ。
しかし一方で、貧乏生活に陥ることは目に見えている。商売が軌道に乗ったとしても、収入が安定することは望めないだろう。
悩んだ私は、最後にこう考えた。
「死ぬときに後悔しないのは、どっちだ?」
私はどちらかというと、お金には慎重なほうだ。普段なら、安定した収入を手放す選択はしなかっただろう。
しかし、私は大博打を選んだ。貧乏で不安定で、しかしやりたい仕事に近づける、フリーライターの道を歩くことに決めたのだ。
それほど、私は取材の仕事をしたかった。
郵便局最後の日は、やはり涙が出た。やさしく接してくれた同僚も、いつも世間話をしていた得意先の担当者も、この日でお別れだ。もちろん、色褪せたエブリィとも。
しかし、いつまでも泣いてはいられない。いばらの道を、自分の意志で歩くためのサヨナラなのだから。
「ばいばい、エブリィ」
最後の駐車を終えた私は、エブリィのハンドルを撫でながら、小さな声で別れのあいさつをした。
想像していなかった未来
あの日から、1年半以上の時間が流れた。
私はいま「取材ライティング」と「SEOライティング」を事業の2本柱に、フリーランスとして活動中だ。収入は予想通り不安定だが、いくつもの素晴らしい出会いに恵まれ、なんとか事業を継続できている。
去年はお金がなく、昼食を抜いたり塩むすびで済ませたりしていたが、今年は納豆ごはんや卵かけごはんを食べられるようになった。
地元の福島を拠点に、首都圏から南東北まで活動範囲としているため、県内だけでなく東京や宮城にも取材に行っている。リピートしてくださるクライアントも増えて、少しはライターらしくなってきただろうか。
最初の頃、私は取材の数日前からガチガチだったが、現在は当日の朝から緊張が始まるようになった。ボイスレコーダーを持ち、インタビューをしている自分自身を、今でも不思議に感じることがある。
先日、郵便料金の値上げが発表されたときは、何とも言えず寂しくなった。赤い車に乗っていた頃、いつの間にか覚えていた料金の知識は、もう何の役にも立たない。役立てる機会もないくせに、置いてけぼりにされたような気持ちだった。
それでも赤い車を降り、退路を断ったから、私は何とかフリーランスとしてやって来られた。戻る場所がないからこそ、営業もライティングも確定申告も、なりふり構わず必死になれたのだろう。そして、その日々はこれからも続いていく。
私はいま、かつての自分がまったく「想像していなかった未来」を生きているのだから。