
米騒動発端の町、魚津を散歩してみた
魚津水族館から埋没林博物館まで散策。今回は、魚津水族館初代、2代目の跡地、米騒動の現場を見物しました。米騒動について、旅の後に調べた結果、現在の日本も似た状況に置かれていることを感じました。
米騒動
1918年7月23日、魚津市にある十二銀行の米倉で米騒動が発生しました。原因は、1914年から始まった第一次世界大戦。日本は、連合軍側として参戦。ヨーロッパへ戦争に必要な物資を輸出したより、儲けていました。しかし、ニーズが多すぎてモノが不足すると、物価上昇が起こりました。利益が出ているため、賃金も上がりましたが、物価上昇率の方が上回り、庶民の生活を圧迫していました。米の価格が上がれば、より高い利益を見込めるため、米商人が買い占め、高くなるまで手放さなかったことも米の値段を上げる要因になりました。特に、1918年に入ってから急速に米の価格が上昇し、1918年末には、大戦前の4倍まで上がりました。
富山湾では、7〜8月は漁獲量が落ちやすく、北海道、樺太などで出稼ぎしなければならないほど漁師の収入が減少します。女性たちが家事し、力仕事の漁師は米が必須。米の急騰により、出稼ぎだけでは生活できず、薬の袋貼り、米を港へ輸送する作業など内職を行っていました。
物価の急騰により、生活苦に絶えられなくなり、米騒動が発生しました。
1918年7月23日8時頃、北海道へ米を輸送する伊吹丸が魚津港へ寄ったとき、主婦など数十人が十二銀行の米倉に集まり、「米の積み出しをやめること」、「安く米を売ること」に要求し、米が搬出できなくなりました。当時、地元の米商人が買い付けた米俵は銀行管理の倉庫に預けられ、輸送船に積んで全国へ出荷されました。通りを挟んで浜が広がっており、アクセスのよい場所に倉庫がありました。
魚津市が騒動の発端になり、新聞を通じて滑川、富山市岩瀬浜など富山県に広がり、8月には全国に飛び火しました。全国に飛び火した要因は、8月2日に決定したシベリア出兵。当時のロシアは、第一次世界大戦でドイツに敗北し続け、生活が苦しく、統治していたニコライ2世に対して国民の不満が高まっていました。労働者のストライキや兵士の反乱により、皇帝は処刑されました。その後、レーニンにより、全員平等を掲げた社会主義を目指し、ソビエト連邦(ソ連)が誕生しました。
当時、資本主義(だれでも自由に稼いでいい)をとっていた欧米、日本は、ソ連の社会主義(全員平等に利益を分配しよう)の拡大による影響を恐れました。社会主義勢力の拡大阻止するために、日本がシベリアへ出兵することになりました。
軍隊の食事として米の需要がさらに増え、儲かることが見込まれたため、米商人はさらなる利益のために、安いうちに買い占めて上がり切るまで売ることを止めました。政府は、米商人に対し、買い占め、売り惜しみを規制しました。しかし、米の高騰を解決できず、全国に米騒動が広がりました。42道府県で70万人が米騒動に参加しました。軍も投入し、沈静化を図りました。しかし、軍部の投入に世論が反発。寺内内閣は米騒動の責任をとって総辞職しました。次の原敬内閣によって治まりました。
米騒動の発端となった十二銀行の米倉は現在も残っております。内部は非公開、看板に内部の様子が写真で掲載されています。富山電鉄魚津駅から徒歩15分で行くことができます。

魚津水族館
現存する日本の水族館の中で、最も長い歴史をもちます。1913年に開館し、2023年、110年目に突入しました。現在の建物は1981年に移転された3代目の建物です。
1913年9月21日、富山県主催の1府8県連合共進会(東京府、群馬県、栃木県、新潟県、福井県、石川県、岐阜県、滋賀県)の第2会場として開館しました。100種類もの魚、50種類の藻を展示していました。日本海側で最初に建てられた水族館です。木造平屋建てで洋館のような外観でした。1944年、戦争により閉館しました。跡地は空地になっており、水族館があった場所には、看板が立てられています。
戦後、初代水族館の2代目が1954年4月11日、富山県産業博覧会の魚津第2会場として、当時日本海側最大規模の水族館として再建されました。現在の大町公民館付近に建てられました。150種もの魚類を展示していました。老朽化により1980年10月に閉館しました。
3代目の水族館は、2代目の水族館から西へ2km離れた場所にあります。1981年4月10日、日本海側最大級の水族館として開館しました。北アルプスの渓流から富山湾の深海までというコンセプトのもと、ホタルイカ、シロエビなど富山県で見られる生物を中心に、年間300種10000匹もの生物を展示しています。現在の魚津水族館について、近日公開予定です。

魚津水族館
開館時間 9:00~17:00(16:30まで入館)
入館料 高校生以上1000円、小中学生500円、3歳以上幼児200円
定休日 12月29日~1月1日、12月1日~3月15日の毎週月曜日
アクセス 富山地方鉄道西魚津駅から徒歩20分
あいの風とやま鉄道東滑川駅から徒歩20分
今回の散歩により、魚津の歴史を学びました。
米騒動について、現在にも共通する部分はあります。ウクライナ戦争が発生している2022年以降、賃金の上昇より、物価の上昇の割合が上回っています。さらに、国防などのために税負担も大きくなっています。歴史は繰り返されるのかと感じました。
魚津水族館は、現在は目の前にミラージュランドという遊園地があります。しかし、かつては目の前に富山湾が広がる場所に建っていたことを知りました。
旅行から、学生時代学ばなかった歴史について深く学ぶ良いきっかけになりました。史実に間違いがありましたら、コメントいただけると、学びにつながりますので、うれしいです。
参考文献
https://taffrc.pref.toyama.jp/nsgc/suisan/link_flat.phtml?TGenre_ID=315&t=pdf2
いいなと思ったら応援しよう!
