恋の天秤
ここ数日間、わたしの脳内はお得意の「思考停止」に陥っていた。
ただ過ぎゆく日常で、本を読み漁り脳内に「何か」を植え込んでそのまま。その植え込んだ「何か」が芽を出すことは無いかもしれない。
「思考停止」の理由は分かっている。
かつて愛した男の行方が気になり過ぎたから。
危険だ。「恋の反芻」こそ危険なことは無い。
「想いを馳せる」なんて綺麗なモノではない。
責めたい気持ちと、わたしも悪かったよ、ごめんね。という気持ちが天秤にかかっている。
その天秤はその日によって傾きが違うのだ。
だから自分の脳内では対処しきれずに、勝手に「思考停止」をしている。
わたしは天秤座の女だ。
天秤座は常にふたつの事柄を天秤にかけている。
思い返すとわたしの人生は常に、ふたつの事柄を己で天秤にかけてきたように思う。
そこに損得もあっただろう。
現在のわたしの中の恋の天秤。
「あなたが悪いのよ。わたしも悪かったよ。」
これが、どちらに傾くのか。
そもそも相手の男が勝手に別れを決めて勝手に去っていったのだから、あなたが悪いよ。
でも何故、あなたが別れを決断したのか?わたしに原因があったから?わたしが悪かったの?
このふたつのわたしの恋心はずっと平行線なのだ。
だから天秤にかけている。
今日(こんにち)、どちらかの傾きが強ければ強い方が「安心」するのだ。
そうやって何年も何年も心の奥にしまい込んだ「恋の天秤」は密かに活き続けている。
どうしようもなく、誰でも言えないから苦しい。
だからここに書き記すことしか出来ない。
いっそのこといきなり会いに行って、ぶん殴って責め立ててやろうかとも思った。
それが出来る方が楽なのかもしれない。
わたしの脳内、「恋の天秤」は自分も悪いんだ、という思いもあるから、それが出来ない。
もうどっちなんだ!と書いている自分、そして読んでくれている人、イラつく領域だろう。
そうなんだ。だから「恋」なんだ。
ふたつの善と悪の想いがずっとずっと平行線。交わることは無い。
その平行線が交わる時、始まりがきたり、終わりを迎えるのだろう。
もうとっくに終わっているわたしの「恋」は
心の底で今もなお天秤にかけられている。
もしも、「あなたを責めないわたし」になったらようやく終わりになるのかもしれない。
あなたのこともわたしのことも「赦す」ことが出来るのかもしれない。
「愛の深さ」「愛を感じる強さ」
自分で言うのもなんだけどわたしはこれらが、深すぎて、強すぎるのだ。
最高の良いところでもあり、最悪に悪いところなのだ。