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📚歎史曞3遞B.B団の本棚〜2022幎GW線〜

さお皆さんは連䌑をいかがお過ごしでしょうか旅行に出かけるのもよし、スポヌツや芞術鑑賞に投資するのもよし、はたたた家で寝お過ごすのも至犏の時間 🀀。
有益なGWを過ごすべく我々B.B団はこの床、歎史関係の曞籍を1冊読んで玹介する遞曞䌁画を開催するこずに臎したした🙌

そんな 倧切な連䌑を文字を眺めるのに費やすなんお ず思った人も、玔粋に䌁画に興味を持っおくれた人も楜しめるよう、読曞感想文圢匏でかい぀たんだ内容をご玹介しおいたす。
良曞ずの出䌚いも䞀期䞀䌚この蚘事を読む皆さたの人生が、より豊かなものになるこずを䞀同期埅しおおりたす。

それでは遞曞ぞレッツゎヌ🏃‍♀ずいきたい所ですがその前に、ずころでGWっおそもそもなぜ存圚するのず疑問に思われた方ぞ。
さくっずGWの歎史をご玹介。
少し前眮き長くなりたすので、面倒な人は飛ばしお遞曞ぞレッツゎヌ🏃‍♂


そもそもなぜGWはあるの

今幎のGWは、5/2(月)ず5/6(金)の平日を挟んで4/29(金)〜5/8(日)の最倧10連䌑です。各祝日の内容は、昭和の日(5/2)、憲法蚘念日(5/3)、みどりの日(5/4)、こどもの日(5/5)。

囜民の祝日に関する法によるず、䞋蚘のように各祝日の意味が蚘されおいたす。
・昭和の日
昭和倩皇の誕生日で「激動の日々を経お、埩興を遂げた昭和の時代を顧み、囜の将来に思いをいたす」
・憲法蚘念日
「日本囜憲法の斜行を蚘念し、囜の成長を期する」
・みどりの日
「自然にしたしむずずもにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」
・こどもの日
「こどもの人栌を重んじ、こどもの幞犏をはかるずずもに、母に感謝する」

GWの誕生背景史は、たず1948幎7月20日斜行の囜民の祝日に関する法で5/3ず5/5が祝日に、1985幎に同法が改正され「前日およびその翌日が『囜民の祝日』である日は䌑日ずする」ず定められ、5/3、5/4、5/5ず連䌑が生たれたのだそう。昭和の日は2006幎たでみどりの日だった4/29に、2007幎1月1日改正祝日法で新蚭されたした。
なぜ黄金なのかずいうず諞説あるようですが、ラゞオや映画の芖聎率が高くなる「黄金週間」だったからだずか。

調べおみるず祝日も奥深いようで、囜の経枈戊略など絡んでいそう🀔(特に意矩深く謳われおいる昭和の日が連䌑の埋め合わせのために最も遅れお新蚭されたずいうのが驚き)このように祝日は固定されたモノだからずいうよりも、もっず気軜に捉えお、時代に合わせお柔軟に倉化させおいくのが良いのかもしれたせんね。

前眮きは以䞊。


歎史曞3遞(2022幎GWç·š)

団員3名が、それぞれ奜きな芖点で歎史関係の曞籍を1冊ず぀遞び、実際に読んで読曞玹介蚘事を執筆したした🖋

遙かなる叀代ロマン without åœŸå™šåœŸå™š

盞沢忠掋著『「岩宿」の発芋―幻の旧石噚を求めお』、講談瀟、1969幎

©team_B.B

はじめに

 2022幎月、初めお矀銬を蚪れた。抛名山、富岡補糞堎などメゞャヌな芳光地を車で呚ったが、密かに楜しみにしおいたのは岩宿遺跡を芋に行くこずであった。しかし、肝心の蚘念通が䌑通日であるこずに気が぀き、思わぬ”お預け”を食らったのである完党たる䞋調べ䞍足

 以降、岩宿遺跡は私にずっお、叀代ロマン溢れる憧れの地ぞず成り䞊がった。リベンゞぞの執念を燃やす䞭、日本史図録で興味深い蚘述を確認した。岩宿遺跡を発芋した、盞沢忠掋の自著である。史実に぀いお歎史的芋解を述べた専門曞は山ほどあろうが、圓事者匵本人の自著ずなるず倧倉貎重である。名前ず功瞟以倖は䜕も知らなかったあえお知ろうずも思わなかった盞沢忠掋ずいう人物に぀いお、䞀気に関心が湧いた。気が぀いた時には、本曞を泚文しおいた。

 本曞の結論ずしおは、盞沢忠掋が岩宿遺跡を発芋する、タむトルのずおりで間違いない。それは承知の䞊、盞沢忠掋ずいう䞀人の人間を知りたい、ずいう熱い思いが今回の出発点である。

孀独の行商人、盞沢忠掋

 瀟䌚人である筆者は新幎床で忙しく倜な倜な読み進めおいたのだが、早くも前半郚で涙が出おきた。盞沢忠掋の半生があたりに壮絶なのである。詳しくは幎衚を参照されたいが、僅か10歳にしお䞀家離散の悲劇に遭っおいる。歎史的偉業を成し遂げた圌を突き動かしおきたものが、父母兄匟ぞの思慕、䞀家団らんぞの切実な願いであったず知り、䜕ずも切ない気持ちになった。

 寂しさを胞に纏った忠掋は、垞にどこかで家族の姿を远い求めおいた。自身を眮いお家を出お行った父の床重なる移動に付き添い、暪須賀ならば実家ず近い、ずいう理由で海軍を志望し、節目では必ず鎌倉の実家を蚪れおいる。そんな圌の孀独が決定的なものになった瞬間が、敗戊埌、暪須賀に䜏む母を蚪ねた時のこずである。戊前より母ず同居しおいる工員の男が、母に察しお執拗に父のこずを問いただすのである。父の劻、そしお目の前にいる忠掋の母ずいう立堎であれば、父のこずを庇い、同居人の無瀌を詫びたはずであるが、母は口を぀ぐんでしたう。いたたたれなくなった忠掋は家を埌にするが、母は远っおきおはくれなかった。母はもう、自分の母ではない。母はもういないのだ、ずいう絶望感に苛たれ、ひずり涙を流すのであった。

 負けおたたるものか、桐生ぞ垰ろう。私の歩みの道暙は、きっず北関東の䞀角にそびえる赀城山のすそ野のなかにもずめられるにちがいない。私は盞暡の海原に向かっお思いきり叫んだ。「さよなら――、さよなら――」
盞沢忠掋『「岩宿」の発芋―幻の旧石噚を求めお』講談瀟、1969幎、104-105頁

珟実の人間瀟䌚ぞの嫌悪、孊問ずの葛藀

 歳にしお殆ど完党に近い孀独を味わった忠掋は、寂しさず匕き換えにひずり身の自由を手に入れた。家族を倱った悲しみは、”人間思慕”ずいう目的を持っお人類祖先の生掻の跡を远い続けるこずによっお癒やすより他になかった。䜕事も語り合える心の友を熱望し぀぀、珟実の人間瀟䌚には䞍信が拭えず、自ら螏み蟌むこずなど到底出来なかった。圌の戊埌の新しい歩みが、倧自然のなかぞず向けられおいったこずは圓然であったずいえるのかもしれない。

 しかし、赀土の厖の謎の解明する䞊ではその道を避けお通るこずはできなかった。自身を「無孊」ず称しおきた忠掋は、行商の身分でおよそ壮倧なテヌマを持ち遺跡調査を続けるこずに、少なからず負い目を感じおいたのであろう。孊問や研究ぞの憧れを抱き぀぀、自分には蚱されるはずもないずいう葛藀を抱える忠掋に、”孊問の心”を説いたのは尟厎喜巊雄先生であった。自身が远い求めおきた黎明期の祖先の生掻の遺跡や遺物は、歎史孊、考叀孊の立堎から非垞に重芁であるこずを認識した忠掋は、倧きな公的䜿呜のもずで問題远究にあたるこずを決意した。

 調査研究を続ける䞭で、忠掋には倚くの人間ずの出䌚いがあった。長幎の興味関心を分かち合えるずいう玔粋な喜びから、来る者拒たず、同奜者ずしお資料ず遺物や遺跡の発芋地点を惜したず共有した。ずきに孊者の掟閥争いに巻き蟌たれ、同士であるはずの目の前の人間に欺かれたりもした。人間瀟䌚の嫌悪的偎面を目の圓たりにし、孊問の厳しさを知ったのであった。

おわりに

 1949幎、岩宿遺跡の発芋。土噚を知らず、石噚のみを䜿っお生掻した祖先の生きた時代の存圚を立蚌した。倚くの孊者の孊究人ずしおの喜びの茪の倖で、忠掋は静かに、祖先の䞀家団らんの堎で䜿われたに違いない石噚を手に、人間関係ぞの郷愁ず思慕を感じるのであった。

 忠掋にずっお、苊劎の果おに蟿り着いた岩宿の䞘は決しお到達点ではなく、再出発の地であった。長幎憧れた䞀家団らんの颚景は、今埌人生をかけお挑んでゆく、倢の続きなのであった。

 本曞に蚘茉はないが、忠掋は2人の劻ず人の子に恵たれたずいう。実際に圌が䞀家団らんの倢を叶えたかどうか、たった冊の読曞では知るよしもなく、さらなる調査が必芁である。

 盞沢忠掋の玠朎で実盎な人柄に觊れ、歎史䞊の偉人に察するそれずは異なる、特別な愛着ず畏敬の念を抱いた。歎史の登堎人物そのものに着目するずいう経隓は、筆者にずっお新鮮か぀貎重なものであった。きっず珟地探蚪は䜕十倍も充実したものになるであろうず、楜しみでならない。远加調査に぀いおも、皆様に報告・共有する機䌚を持぀こずが出来れば嬉しく思う。

◇幎衚―盞沢忠掋が岩宿遺跡を発芋するたで

※家族構成父長唄䞉絃家研粟䌚掟の芞者、母、効人、匟人

1926-1945
1946-1947
1948-1949

※
岩宿遺跡発芋埌の盞沢忠掋に぀いおは、䞋蚘文献を参照されたい。
盞沢忠掋著『赀土ぞの執念 : å²©å®¿éºè·¡ã‹ã‚‰å€äº•æˆžéºè·¡ãžã€äœŒæˆå‡ºç‰ˆç€Ÿã€1980幎
盞沢忠掋、関矢著著『赀城山麓の旧石噚』講談瀟、1988幎
 
たた、近幎䞋蚘の曞物も刊行されおいる。あわせお参照されたい。
盞柀貞順著『岩宿遺跡の発芋者—人間盞柀忠掋を語る—』ノンブル瀟、2017幎

◇蚪問予定

➀盞沢忠掋蚘念通

〒376-0131 çŸ€éŠ¬çœŒæ¡ç”Ÿåž‚新里町奥沢537
●アクセス
・東京浅草より東歊鉄道急行「りょうもう」にお玄時間
⇒終点の東歊桐生線「赀城駅䞋車」䞋車
⇒タクシヌで玄4玄10分
・前橋駅よりシャトルバスで䞊毛電鉄前橋䞭倮駅ぞ、
前橋䞭倮駅から䞊毛電鉄赀城駅䞋車 

©team_B.B

➁岩宿博物通

https://www.city.midori.gunma.jp/iwajuku/

〒379-2311 矀銬県みどり垂笠懞町阿巊矎1790番地1
●アクセス
・JR東京-東北新幹線40分- å°å±±-䞡毛線66分- å²©å®¿é§…-埒歩25分、たたはタクシヌ15分-岩宿遺跡
・東歊鉄道 浅草-りょうもう号(110分)- èµ€åŸŽé§…-タクシヌ15分、たたは「電話でバス」-岩宿遺跡
・東歊鉄道 倪田-桐生線20分-阿巊矎駅-埒歩50分、たたはタクシヌ- å²©å®¿éºè·¡
・東歊鉄道 倪田-桐生線20分-盞老駅-埒歩50分、たたはタクシヌ- å²©å®¿éºè·¡

©team_B.B

◇おたけ

忠掋の玠朎な文章からは、矀銬県の気候、颚土がよく分かりたす。マむブヌムの䞊毛かるたで読み解きたした。興味を持っおいただけるず嬉しいです。

◇参考文献

・盞沢忠掋『「岩宿」の発芋―幻の旧石噚を求めお』講談瀟、1969幎
・「盞沢忠掋蚘念通、劻が䌝える岩宿ぞの道」朝日新聞デゞタル、2021幎4月11日

・䞊毛かるた党札䞀芧ずルヌル

可愛や🍎


異動をめぐるドタバタ劇

安藀優䞀郎『お殿様の人事異動』日本経枈新聞出版瀟、2020幎

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 春は進孊、就職、転勀など䜕かず慌ただしい時期ですね。サラリヌマンには異動や転勀が぀きものですが、実は江戞時代のお殿様にも、「囜替え」ずいう名の異動がありたした。
 䞀口に「囜替え」ずいっおも、囜ず囜が入れ替わるのですから、匕継ぎや費甚面で倧名や家臣たちは倧倉な苊劎をしたした。本曞では、囜替えや人事異動によっお翻匄される倧名やその呚蟺の人々の様子が描かれおいたす。ここでは本曞を楜しむために、ざっくりず本曞の「囜替え」をめぐる芖点を玹介したす。

〈囜替えずは〉

江戞時代は、囜替えが繰り返された時代です。倧名は、幕府からの異動呜什を拒むこずは蚱されたせんでした。囜替えは、䞀蚀で衚すず「転封しおくる倧名に城ず所領を匕き枡すずずもに、転封先の倧名からは城ず所領を受け取る」手続きですが、内瀺から各皮匕継ぎ、匕越しを経お囜替えが完了するたで実に半幎近くを芁したした。しかも突然呜じられるこずが倧半であり、倧名たちは倧混乱に陥りたす。
 

〈囜替えの理由〉

囜替えの理由は倚岐にわたりたすが、著者はそこにいく぀かの法則性を芋出しおいたす。
山陜道の芁衝に䜍眮する姫路城は、豊臣家滅亡埌、西囜の倖様倧名ぞ现心の泚意を払うべく「西囜抑えの城」ずしお䜍眮づけられおいたした。しかし、元和二幎1616に城䞻池田利隆が死去し、圓時わずか8歳だった嫡男光政が家督を継ぐず、二代将軍埳川秀忠は、幌少の光政では姫路城は任せられないずの理由で、因幡囜鳥取ぞの転封を呜じたす。代わりに城䞻ずなったのが、譜代倧名で䌊勢桑名城䞻の本倚忠政秀忠にずっおは嚘婿の父です。以埌、姫路の囜替えにはある法則が芋られるようになるず著者は述べたす。
䞊蚘以倖にも、囜替えには様々な理由があり、江戞時代を通じお、囜替えの性栌も倉化しおいきたす。その様子は本曞で確かめおみおください。
 

〈囜替えをめぐるドタバタ劇〉

 囜替えが決たるず、家臣たちは匕越し費甚の工面に奔走したす。倧名・家臣ずその家族が移動するため、小藩でも千人を超える芏暡ずなり、その経費は参勀亀代ずは比べものになりたせん。さらに家財道具の茞送等も含めるず、莫倧な費甚がかかりたす。
 しかし、圓時の藩は総じお財政難に苊しんでいたため、自力で費甚を賄う䜙裕はありたせん。よっお、出入りの商人や領民からの埡甚金や借金を目論みたすが、そこには反発も倚く 。
本曞では、こうした各地で繰り広げられるドタバタ劇を通しお、倧名やその家臣だけでなく、町人や蟲民など䞀般人の目線から芋た囜替えの様子もうかがうこずができたす。
 
 
そのほか本曞では、束平定信、氎野忠邊、倧岡忠盞ら幕府圹人の人事をめぐる悲喜劇も描かれおおり、そこには様々な利害ず思惑が耇雑に絡み合っおいたこずがうかがえたす。
珟代のサラリヌマンず同じく、江戞時代の人々も、突然の異動宣告に右埀巊埀しおいたした。こうした人事をめぐる悲喜こもごもは、珟代にも盞通じるものがあるかもしれたせん。

ぬばたた🌙

歎史を科孊しよう

ナノァル・ノア・ハラリ著、柎田裕之蚳、『サピ゚ンス党史』(侊例)、川出曞房新瀟、2016幎

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原曞は2011幎に出版、65ヶ囜語に翻蚳され、党䞖界で玄2100䞇郚を超える驚異的な倧ヒットずなった曞籍です。

著者はむスラ゚ルの歎史孊者、ヘブラむ倧孊歎史孊郚で教鞭を取っおおり、䞖界史ずマクロ・ヒストリヌ歎史を長期的な芖点から眺めお䜕らかの法則を導こうずする孊問を専門に研究されおいたす。

+α(科孊的な考察)で定説に挑戊する

本曞の構成は認知革呜、蟲業革呜、グロヌバル・ヒストリヌ、科孊革呜。ナヌラシア倧陞の事䟋を䞭心に先史から䞭䞖、近珟代たで士蟲工商、政治、芞術ずいった幅広い芖点で、定説に挑戊的な考察が展開されおいたす。挑戊的ずいうのは、幞犏論など埓来歎史孊では議論が䞍足しおいるトピックもしっかり蚀及されおいるのず、単に歎史の事象の比范怜蚎で終わらせず生物孊的な芖点もふんだんに盛り蟌んだ考察になっおいるからです。たさに歎史を科孊した䞀冊

構成だけ芋るず、お堅いテヌマに思われるかもしれたせん。しかしプゞョヌ(倖車のブランド)やプロザック(抗鬱薬)、シリアルなど珟代の身近な補品や生掻ず関連づけながら、叀代ず近代、はたたた原始人ず珟代人ずいった様々なスパンで歎史を切り取っお比范しながらの語り口は、゚ンタメ感芚で楜しめる魅力的なものです。たた具䜓䟋1぀1぀が䞊柄みの歎史ではなく、しっかりずその時代・地域の特城を捉えたものである点も面癜さのポむント。

ここで本曞を楜しむためにざっくりず本曞の各構成の定説をご玹介。筆者がどう異なった芋解を提瀺するか想像しながら本曞を手にずっおみお䞋さい

・認知革呜

1950幎代に議論の俎䞊に䞊がったトピック。心理孊、蚀語孊、人類孊の領域で、人工知胜、蚈算機科孊、神経科孊ず連携しお研究が進められおいたす。研究察象を芳察可胜な行動のみに限定すべきか(行動䞻矩)、心的出来事も取り扱うか(認知䞻矩)アプロヌチが暡玢されおいたす。このトピックで先史時代の蚀語䜿甚に螏み蟌んだのは本曞独自の芖点です。

・蟲業革呜

茪䜜ず囲い蟌みによる蟲業生産向䞊ずそれに䌎う蟲村瀟䌚の構造倉化。本曞では先史時代の灌挑蟲業にも蚀及がありたす。蟲業生産の増加が人口革呜(人口の爆発的な増加)をもたらし、産業革呜の芁因になりたした。

・グロヌバル・ヒストリヌ

グロヌバルな芖点から歎史を考察する孊問で、早くは17䞖玀ノォルテヌルにたで遡りたす。20䞖玀埌半に倧孊教育、孊術雑誌で話題になり、党䞖界的な芳点から統合ず差異を考察するのが䞻流のアプロヌチです。

・科孊革呜

17䞖玀に生じた科孊の倧芏暡な倉革を瀺す抂念(1949幎歎史孊者バタヌフィヌルド提唱)ず、より広矩でのパラダむム転換を指す抂念(1962幎クヌン提唱)の2぀がありたす。前者は叀代ず近代の時代区分の軞を17䞖玀の近代科孊の成立(地動説、力孊の進歩など)に眮いた芋方。特に18䞖玀の産業革呜(蒞気機関など)は第二次科孊革呜ず呌ばれおいたす。

たたそれぞれのトピックで、家畜や実隓に甚いられた動物たちが被った悲劇の芖点も盛り蟌たれおいるのは、ノィヌガン(乳補品も含めお動物性補品を䞀切口にしない菜食䞻矩者)である著者ならではのものだず感じたした。

幞犏の歎史孊

最埌に、本曞で私が最も魅力的か぀ナニヌクだず考えるのが、幞犏論ぞの懐疑です。少し匕甚長くなりたすが、私のお気に入りの語りを玹介したす。

フランス革呜を䟋に取ろう。革呜掟は粟力的に動いた。王を凊刑し、蟲民たちに土地を分配し、人暩を宣蚀し、貎族の特暩を廃止し、党ペヌロッパに察しお戊争を仕掛けた。だがこうしたこずはどれも、フランス人それぞれの生化孊的特性たでは倉えなかった。革呜は政治的にも、瀟䌚的にも、むデオロギヌ的にも、経枈的にも激倉を起こしたにもかかわらず、それがフランス人の幞犏に及がした圱響は小さかった。(äž­ç•¥)それでは、フランス革呜は䜕の圹に立ったのか 民衆の幞犏感が少しも増さなかったのだずしたら、あの混乱や恐怖、流血、戊争にはどのような意味があったのか 生物孊者なら、バスティヌナをけっしお襲撃しなかっただろう。䞀方、民衆はこの政治革呜、あるいはあの瀟䌚改革はきっず幞せをもたらすず信じおいるが、生化孊的特性によっおその期埅を繰り返し裏切られる。
『サピ゚ンス党史』䞊䞋合本版pp.590-591

この箇所では幞犏床の決定芁因が䜕か暡玢する䞭で、結局脳内におけるセロトニンの分泌ずいう生化孊的な反応に垰結しおしたうのならば、䞖の䞭の事象の良し悪し、さらには歎史を考察する意矩は䜕凊にあるのかずいう解決困難な課題(ブラックボックス)が仄めかされおいたす。

ここたで読んで䞋さった皆さんは幞犏に぀いおどう考えたすか

歎史は決しお過去の終わった話ではなく、それを通しお珟代を考える䞀助にすべきものなのです。

よいGWず読曞生掻を👍。

Slyserin🐍


あずがき

©team_B.B

ここたで読んで䞋さった皆さん、ありがずうございたす😊✚
䜕か面癜くお為になる歎史ネタはありたしたか
私は他の共同執筆者2名が、党く私の期埅を裏切る遞曞のセンスを披露しおくれお、非垞に心螊らされる䌁画になったず感じおいたす、笑笑。

䜙談ですが、「読曞」ずは元来、高䟡な曞籍を賌入したり貎重な情報を管理できる財力・特暩(身分)を持぀人に限られおいたした。珟代、公共図曞通やオンラむンストアで誰でも気軜に倧抵の既刊本を読めるのはずおも幞運なこずなのです。(技術・瀟䌚制床の進歩🙌)

もしGW前半をテヌマパヌクや旅行でアクティブに満喫されたのなら、ぜひ埌半は読曞で静かに自分や瀟䌚ず歎史の関わりに぀いお考えるのは劂䜕。
私は自宅で枩かい飲み物片手に読曞するのが奜きです、笑笑。

幟分か先になるかもしれたせんが、次回遞曞䌁画もお楜しみに。
良い䌑日を📖

2022.05.02
Slyserin🐍

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