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運命を前に,私は何を「選択」できるのか

宮野さんが『急に具合が悪くなる』

20年以上「偶然性」に向き合ってきた哲学者・宮野真生子さんが,ガンと闘いながら人類学者・磯野真穂さんと書簡を交わし,結論を出してひと月もしないうちに亡くなる。
つまり長年研究してきた結論が,死の直前の書簡の中に示されている。そんな文字通りの魂の交換が,そのまま書籍になったのが『急に具合が悪くなる』。

「選ぶの大変,決めるの疲れる」

もし決定論が正しければ,ガンになった宮野さんは「運命」に従って治療を進め,「プラスかマイナスの道しかなければ選ぶ以前の問題で,そこに乗ってしまえば,あとはひたすら頑張ればいい」はずだ。

しかし実際は,意思の尊重の名の下に,患者は選択を迫られる。合理的な判断をしたくても,検討材料は確率(=「〜かもしれない」)しかない。

全てが運命で決まっているのなら,選ぶことや決めることに疲れるのはなぜか。私たちはなぜ悩むのか。

そんな中で宮野さんは,何も考えず帰った京都でたまたまある病院と出会い,その先生や看護師さんの雰囲気が身体に馴染み「腑に落ち」たと語る。

この経験を元に,宮野さんは『本当に合理的に「選ぶ」ことなどできるのだろうか』という問いを立てる。
(おそらくこの「選ぶ」は「決める」にも換言できる。)


「運命」に頼らない行動

確かに日常会話でも,大きな決断に関しては2種類の語りが好まれる。
①(選択に悩む余地もなく)なるべくしてそうなる運命に導かれること
②自らある選択をして,その結果道が開けること
この2つは能動と受動で方向性が逆に思えるのに,両方がそれぞれ理想的だと考えられることが多い。

しかし宮野さんが引き合いに出す学者は,①に近い決定論を支持せず,②の非決定論の態度を取っている。

哲学者の和辻哲郎の『信頼とは,「わからないはずの未来に対してあらかじめ決定的な態度をとること」』という文を引用し,以下のようにまとめていた。

(信頼とは)本体取れるはずのない「決定的態度」を「それでも」取ろうとすることであり,こうした無謀な冒険,賭けを目の前の相手に対して,「今」表明することに意味があるのだろう

例えば冒頭の,宮野さんが特に考えずに訪れた京都で治療方針が決まったエピソードも然り。いい病院に出会えると踏んで京都に行った訳ではないが,実際に現実に起きた行動は「京都に行く」だった。

未来はよく分からないけど今何をするか。
その一寸先にまた何かが起こって,その時点で何をするか。

この決断が二者間で行われる場合,それは「信頼」や「約束」とも呼ばれる。
それらは未来が分からない上で行う行動だからこそ,「信頼」や「約束」として意味を持つ。


私たちは何を決められるのか

選択肢を前に私たちが悩んでいる(問うている)ことは何か。

この先不確定に動く自分のどんな人生であれば引き受けられるのか,どんな自分なら許せるのか,それを問うことしかできません。その中で選ぶのです。

つまり未来の「結果」を気にして選択しているように見えて,選択できるのは「どんな人生であれば引き受けられるのか,どんな自分なら許せるのか」だけということ。

選択において決断されるのは,当該の事柄ではなく,不確定性/偶然性を含んだ事柄に対応する自己の生き方であるということ。〇〇な人だから△△を選ぶ,のではなく,△△を選ぶことで自分が〇〇な人であることが明らかになる

言い換えると,選択した先にあるのは結果(失敗とかよりよい状態とか)ではなく,その選択をしたことで立ち現れた「自己」や「生き方」だと思う。


「始まりに満ちた世界を愛する」

その選択のためにどれだけ確率を計算し,どれだけ長い期間悩み,どれだけの気合いで決断し,どれだけ「自分で」決めたと言えるかどうかは,きっと結果には関係ない
それは「自分で」決めたかどうかの問題というより,決めたときに現れる存在がそういう生き方をしている「自分」だから。

何を選んでも未来は依然として不安定なまま,ただ「それを選んだ自分」が生まれるだけで,そうして立ち現れた「自己」がまた次の決断をしていく。そして次の自己が生まれる。

だからこそ宮野さんは,死の直前の最後の書簡で,『運命を生きるとは,〜新しい「始まり」が生まれてくることを知ること」と,「始まり」という言葉で結論を出したのではないか。


これは救いかもしれない。

何も分からない未来と偶然性を引き受けて今何をするかで,「自己の生き方」だけは表出できる。
死ぬこと以外は何も決まっていない私でも,今この瞬間の生き方を決めることができる。

私も未来をより良くするべく,もがくように闇雲に選択を重ねてきたけれど。
どう頑張っても未来は不確定なままで,不確かなくせに大して代わりもしない現状にも焦ってきた。でも変わらなくて当然だったのだと今は思う。

きっと選択とは,明日を変えようとすることではなく,今この瞬間の生き方を確定させることなのだと思う。

濃密な本だったので,宮野さんのパートのそのごく一部だけに絞って書きました。この本がどのように生まれたかは,磯野真穂さんご本人の上記のnoteにまとまっています(このnoteに目を通すと感動が増します)。

磯野さんのパートは,自分が文化人類学専攻だったことを懐かしく,(なぜか私まで)誇らしく思う内容と言葉選びでした。月並みですが,学問の力が本当にすごい。
磯野さんパートの感想は,また別に分けた方がいいだろうなと思います。

『急に具合が悪くなる』の中でも触れられる,2月にあった宮野さんと磯野さんのセミナーの感想はこちら。恋愛と出会いの偶然性と「自分の力」について考えています。


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