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【修士論文】現代茶人の人類学

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『流派と「茶道団体」を横断する :若手社会人茶人と「伝統」の共存』(2017) * 2018年3月末に,国際基督教大学アジア文化研究所発行の学術誌『アジア文化研究第44号』に抄録…
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あとがき:「お茶」の無意味さをめぐって

あとがき:「お茶」の無意味さをめぐって

この論文を書いた人

本稿がどの視点から書かれたかについて,最低限の素性を述べたい。

筆者の茶道歴の始まりは,学部時代の同好会だ。
筆者が入会する前から教授者が不在であり,伝統的な茶道教室の雰囲気からは遠く離れた環境だった。

茶道教室ではない場所で茶道歴の大半を過ごした筆者にとって,「茶道とは何か」という問いは,流派の教授者の元で茶道をしていた人々とは違う響きを持っていた。

同時に,筆者

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6.2. 結びに代えて

6.2. 結びに代えて

「自己流」が批判的な意味を持つ世界

インフォーマントは茶道教室以外のお茶の在り方を示し,人々に「こんなお茶があるのだ」と思わせてきた。
同時に,「これは(私の知っている)お茶ではない」という反応も引き起こしている。(4.4.1.1.参照)

ここでまず,「これはお茶ではない」という言葉が,なぜ皮肉を含み,批判的な意味を持つのかを考えたい。

「お茶とは何か」という問い

「お茶とは何か」という哲

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5.3. 小括:「働き方」と「自分の人生」

5.3. 小括:「働き方」と「自分の人生」

茶道界の「働き方改革」

これまで「茶道」を仕事にする最も一般的な方途は,茶道教室の教授者になることだった。
もちろん教授者以外にも,茶道具屋や,茶道体験ができる施設に勤める人々など,茶道そのものを本業にしている人々も少なからず存在する。

こうした人々に共通しているのは,社会に出る前から「茶道」を仕事にすると決めていた点だ。

本稿の主要なインフォーマントの場合は,新卒時に「茶道」と関係のない職

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