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【1話完結小説】Trick or Treat or …

気だるい仕事帰り。僕はホームセンターに寄ってからいつもより少し遅い時間に最寄駅に降り立った。ライトアップされた駅前通りは浮かれた若者達の仮装行列でごった返している。今日はハロウィン。いつからこんな得体の知れない行事が市民権を得たのだろう。何が楽しいのかちっとも分からない、最低最悪の日だ。

若者達に圧倒されつつ駅前通りを抜け、ふらふらと住宅街に辿り着く。さすがにここまで来ると、ハロウィンの喧騒が嘘のように静かな何の変哲もない夕暮れだ。僕は家の前まで来て「おや」と思った。玄関窓から明かりが漏れている。不思議に思い、急いで鍵を開けて中に入った。

「じゃじゃーん!Trick or Treat or お風呂 or ご飯 or それとも私?」

玄関では魔女の仮装をした妻がイタズラな笑顔で出迎えてくれた。

どうして、と考える間もなく
「…じゃあ、キミを」
と僕は迷わずそう答えていた。

「ごめんね、5択の中でそれだけは無理なの。でも嬉しい、ありがと」
そう言って微笑みながら彼女は煙のように消えてしまった。帰宅後、わずか20秒程度の出来事だった。

僕が部屋に入るとテーブルの上には美味そうな夕飯とお菓子が置いてあり、風呂場の浴槽には温かいお湯が張られていた。

彼女が去年のハロウィンの日に亡くなってはや1年。いっときたりとも忘れたことはなかった。まさか今日こうやって会えると分かっていたならば、もっと沢山話したいことがあったのに。
「まったく…いたずらにしても悪趣味すぎるよ」

パンプキンスープのいい匂いが鼻腔をくすぐった。僕は急いでテーブルの椅子に腰掛ける。途端に仕掛けられていたブーブークッションが「ブゥゥゥ」と派手な音を立てたものだから、驚いて椅子から転げ落ちてしまった。
「うわああっ!」

棚にディスプレイされた変な顔のカボチャがこちらを見て笑っている。有名な寺の天井に描かれた竜みたいに、どこから見ても目が合う気がするな、なんて床に転がりながらそう思った。

カボチャを見つめながら、来年のハロウィンは僕も色々と準備をして彼女を迎えようと決めた。そう、たった今決めた。今日のお返しをしてやるのだ。訪れるはずのなかった1年後が急に楽しみになってくる。僕はさっきホームセンターで買ったばかりの首吊り用の太いロープを捨てた。それから、温かいパンプキンスープをごくごくと飲み干して、泣きながら笑った。

____ハロウィンは、死者がこの世に戻ってくる不思議な日。

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